第103話 決断②
《冒険士協会本部・三階メンテナンスガレージ》
冒険士協会本部はとてつもなく大きな建物だ。
その規模は、各フロアを満遍なく見て回ろうとした場合、たんなる冷やかしだけでも軽く一日潰れてしまう。
そんな小都市を丸々一つ建物の中に入れたような馬鹿でかさを誇る冒険士協会本部だが。
実を言うと、一般公開されているエリアは全体の七割に満たない。
残りの一般公開されてない方のエリアは、一部の例外と関係者のみ立ち入りが許されるスペースとなっている。
尚、一部の例外とは冒険士の中でもCランク以上の者達ーーいわゆる“レンジャー”と呼ばれる冒険士ーーである。彼等専用のエリアは冒険士協会本部の各階に存在し、二十四時間使えるバイキングや仮眠スペース、専用のミーティングルームなどがある。
ちなみにこれらは一般利用者にはあまり知られていないが、冒険士の間ではその階級を問わず、一般常識とされている。
理由は簡単、最初の資格講習でそう説明されるからだ。
なので新人の冒険士達の間ではーー「いつか自分も利用者の側になってやる」ーーといった、密かなモチベーションになっている《エリア》でもある。
そしてもう一つは、言ってみればどこにでもある、『関係者以外立入禁止』の標識の向こう側のゾーン。
こちらも各階に存在するにはするが、レンジャー専用エリアと違い、その概要はほとんど知られていない。文字通り本部の関係者以外はそこが何に使われているか分からない、謎多きエリアだ。
なので彼女もーーこの建物の三階に、整備工場並のメンテナンスガレージが設備されていたという事実を、つい先ほど知ったばかりであった。
「ふぁい、もしも〜し」
アイボリーホワイトのドバイザーを耳に当てながら、Bランク冒険士リナは欠伸を噛み殺した。
別に徹夜明けで疲れているというわけでもないが、生理現象には抗えない。ただーー
「あ、天兄!」
無線に出てから眠気が飛ぶまで、五秒は掛からなかったと思う。
「うん。こっちはそろそろ準備できるの。……うん。もう書類上の手続きは全部終わったから、後は本体の受け渡しだけなのです♪」
もっとも、今の彼女はテンションアゲアゲなので、その眠気も一時的なものだ。
「ーー了解なのです! じゃあ、アレの受け取りが終わったら、そのままみんなを拾いに行くのっ」
弾む声でそう言って。リナがドバイザーの無線通信を切るとーー
「なんでえ、嬢ちゃん。やけに嬉しそうじゃねえか。ひょっとして彼氏からかい?」
おっさん特有のいやらしい笑みを浮かべながら、つなぎ姿の男がこっちに近づいて来る。
「残念ながらそういうのじゃないのです」
リナは男を軽くあしらい、上着の内ポケットにドバイザーを戻した。
「今のはうちの“ボス”からの呼び出しコール」
「なんでい、てっきり浮いた話だと思ったのによぉ」
男はあからさまに「つまらない」という顔で、深々と嘆息して見せる。彼は本部専属のメカニックチームの一人。その中で整備主任を務めている男性だ。
「やっぱ嬢ちゃんは、男より動力車ってクチかい?」
「まぁそんなとこなの」
めんどくさかったので、適当に流すことにした。
「極論、あたしは動力車さえ弄れれば、とりあえずご機嫌なのです」
「かー、色気がないねぇ」
相手の自分に対する印象にあった模範解答で応じてやるとーー本心もかなりの割合で入っているがーー案の定、つなぎ姿の初老の男性は、こちらが思った通りの反応を見せる。
「個人的にはそいつも悪かねぇと思うが。もっとこう、他にあんだろ? 年頃の娘としての潤いってやつがよ」
「女の幸せが恋愛と結婚だけだと思ったら大間違いなのです」
思わずぶっきらぼうな調子で返してしまったが、
「カカカ、こいつは一本取られたぜ」
整備主任の男は、愉快そうに笑う。
「ま、そんな嬢ちゃんだからこそ、コイツを安心して任せられるってもんだ」
そう言って、つなぎ姿の初老メカニックは、ニヤリと真後ろの車庫を親指でさす。
瞬間、またしてもリナの眠気が吹き飛んだ。
恐らくその感情がモロに顔に出てしまったのだろう、オヤジは一際でかい笑い声を上げると、ウインクしながらリナに銀色の鍵を渡した。
「あんま無茶して、ソッコーで乗り潰すんじゃねえぞ?」
「合点承知なのです!」
言って、リナはおやっさんからキーを受け取ると同時に車庫の中へ突入する。
待ちわびた瞬間がついに来たのだ。
車庫の中は、まだ買って間もないであろう新車独自の匂いで満たされていた。
そしてそのリナの大好きな匂いの出どころには……
「わふ〜ん!」
上品な存在感を放つそのボディカラーはメタリックシルバー。スマートなデザインの軽量車体。スピードと機動性を追求したそのクールな佇まいは、まさに走る芸術品。
「お前にまた会えて嬉しいの〜〜っ!」
「……なんつーか、本当に嬢ちゃんは動力車が好きなんだな」
シストから譲り受けた世界第二位の最高時速を誇るマシン。そのスーパーカーのボンネットに頬ずりするリナの背後から、若干引き気味のしゃがれた男の声が聞こえてきたような気がしたが。今はひとまずどうでもいい。
「そういや、急がなくていいのかよ? 嬢ちゃん、ボスに呼ばれてんだろ?」
「あっ……」
早々に我に返る。
そっちはどうでもよくない類の案件だった。
「それじゃあ、あたしはこれで失礼させてもらうのです」
言ってから、リナは深々と頭を下げる。
「最後に一通りのメンテナンスまでしてもらっちゃって、本当にありがとうございます」
「いいってことよ」
ニカッと笑い、つなぎ姿のおっちゃん整備士は、ぐっと親指を立てた。
「嬢ちゃん。次に会うときまでには、ちっとは年頃の娘らしく自分を飾りつけることも覚えな。おめえさん、素材は悪くねえんだからよ」
「余計なお世話なの」
去り際、どさくさに紛れて尻を叩いてきたオヤジの頭部を叩き返して。
リナは慣れた手つきでドアのロックを解除し、運転席に乗り込んだ。
◇
そんなこんなで。
「あー。あのオカマ、そういうタイプのオカマだったのですか」
話題がそのネタに差し掛かった頃。
ようやく冒険士協会本部のだだっ広い敷地内を抜けて、動力車は早朝の国道に出た。
ここから先は市街地だ。
リナは軽快な手さばきでギアをチェンジし、遠慮なくアクセルを踏み込む。
ビーシス市街のメインストリートは道幅も広く、この時間帯ならまだそれほど交通量も多くない。よって、世界最高クラスのスペックを遺憾なく発揮できるという訳だ。
第二の愛車の加速Gーーなお第一の愛車の方は天のドバイザーに収納 (できたので)してあるーーと、車窓を流れる清々しい朝の景色に満足感を覚えながら、リナは日よけ用のサンバイザーをゆるりと下ろした。
「にしてもあの三十万、使ってる香水の値段からして只者のオカマじゃないとは思ってたけど」
「ああ。つけてる香水の値段と同じで、なかなかに自己主張の強いオカマだった」
アリスの召使いを香水の値段で呼びながら、リナはいつもの通り助手席に乗っている天と、そんな軽口を交わす。
ついでながら、当然リナもアリスの召使いが下女ではなく下男である事に気づいていた。
いくら高い香水でコーティングしたところで、所詮付け焼き刃。リナの鋭敏な嗅覚を誤魔化せるはずもない。
「でも残念なのです」
「何がだ?」
「あたしが現場にいたら、二度となめた口きけないように徹底的に追い込んでやったのに、ソイツ」
「安心しろ。そこらへんは俺がきちんと対応しておいた」
「さすが天兄。抜かりないの」
「口撃はとりあえず倍返しが基本だからな。心が痛むが仕方ない」
天と少しばかりアレな会話を繰り広げながら、リナはようやく一息つけたことを実感する。思えば長かった。
ーーいや、ある意味であっという間ではあったが。
とにかく色々なことが次から次へと起こった。
一生に一度あるかないかという激レアイベントを、繰り返し何度も体験した。させられた。
……日付的には一日しか経ってないはずなのに、もう軽く十年分ぐらい冒険した気分なの……
それほど濃密な時間を過ごした。
そしてその間に起きたすべての出来事が、自分を以前とは比べ物にならないほど成長させてくれた。そうリナは断言できる。
……天兄にはいくら感謝してもし足りないの……
リナはハンドルを右に切りながら、天の横顔をちらりと見て、また進行方向に視線を戻した。
ーー次は一体どんなことが待ち受けているのだろうか。
興奮と期待に胸を膨らませ、リナは自然とアクセルを踏む足に力をこめた。
◇◇◇
動力車を走らせてから三十分ほど経っただろうか。『ソシスト共和国』の首都ビーシスの市街地を抜け、一行がライニア街道に出た直後。
「この辺りまでくればいいか……」
天の雰囲気が瞬時に切り替わった。
「リナ、シャロ」
初めに声を掛けられたのはその二人。
「お前らは、今回の件で『ランド』という国にどういう印象を受けた?」
それは唐突な質問だった。
「できれば忌憚のない意見を聞かせてくれ」
ただ、その声色と天が発する空気から。
これが単なる雑談ではないことと、単純な考えで適当に答えていい類の質問ではないことは、明白であった。
「率直に申し上げますと、国の中枢をなす者達が、揃いも揃って無能者ばかりだと感じました」
まず最初に発言したのはーー動力車の後部座席にいたシャロンヌだ。
「十一年前に起きた悲劇から、全く何も学んでいないと思わせるほどの国王の間抜けぶりもさることながら、政治組織としてもあらゆる点において無能の一言かと」
言い切って。
シャロンヌはさらに口上を続ける。
「危機感のなさ、事故対応の悪さ、組織全体の統制力のなさ、どれをとっても国際基準の最低ラインすら確保できておりません。ここまでくると、もはや『国家』というシステムがまともに機能していないとさえ思えます」
どこまでも辛辣なシャロンヌの評論が一段落したところで、
「シャロ姉にほとんど言われちゃったけど」
リナが動力車を運転しながら、若干遠慮がちな口調で切り出した。
「『ランド』はちょっとおかしいのです。これは今回起きた事件が、ってわけじゃなくて、前々から思ってたことなのですが……」
また少し躊躇って。
「国自体は裕福なはずなのに、あの国には得体の知れない不安感があるのです」
だが、そこを抜けるとあとは一息に言い切った。
「うまく言えないけど、どこか気持ち悪いというか、安心できないというか。ーーあ。あと、これも前から感じてたことで、さっきの話を聞いて『やっぱり』って思ったことなのですがーー」
最後の部分はやや軽めの口調で。
「『ランド』の城には、やっぱりろくな奴がいないの」
リナはそう締めくくった。
「カイト、アク」
シャロンヌとリナの回答が終了すると。天はそれらについてのコメントを一切挟まず、次の回答者を指名する。
「二人に訊きたいんだが、『スラッグ』と『ダダン』ーーこれらの名前に聞き覚えはあるか?」
それは前の二人にした質問とは、明らかに毛色の違うものだったが。
「『ダダン』は存じ上げませんが……」
「『スラッグ』は、王国の騎士団に確か同じ名前の騎士がいたはずだ」
アクリアとカイトは間を空けず、スムーズに言葉を出した。
「かの騎士は、王国騎士団の中でも序列の高い者のみで編成された精鋭部隊に属する騎士であったと、私は記憶しております」
「おそらく序列は六位かそこらだったと思うよ。そういえば、彼はあのゴズンドの直属親衛隊の隊員でもあったね」
「ーー決まりだな」
と。
天は一人納得したようにつぶやく。
「最後に、ここにいる全員に訊きたいんだがーー」
そして彼は訊ねた。
「『松江イル』と『ジェシカ・ミリン』ーー彼女達の職場と職業を答えてくれないか?」
その質問は答えを求めるものではない。答えを告げるにあたっての前振りだ。
カイト、アクリア、リナ、シャロンヌは、それを瞬時に悟った……
「その者たちの職場は『ランド王宮』かと存じます」
初めに答えたのはシャロンヌ。
「二人とも職業は王宮に仕える『侍女』だね」
次いでカイトが。
「さらに正確に言うならば、お二人は『アリス専属の侍女』でございます」
アクリアもそれに続いた。
「初耳なのです……」
そして、ひとり事情を知らされていなかったリナが、バックミラー越しに後ろの三人へ恨めしげな視線を送った。ところで。
「俺もさっき知ったばかりだ」
さりげなくリナを宥めつつ。
天がジーンズのポケットに手を入れ、スカイブルーのドバイザーを取り出した。
「ちなみにだが、そいつらはもうこの世にはいない」
え? とリナが運転中にも関わらず思わず天の方を向いてしまう。
この時のリナの顔は、天がその事をアリスとマドカに告げた瞬間に見せたカイト達のソレと、まったく同種のものであった。
ーーただ、今回はその続きが用意されていた。
「というか、俺が仕留めた」
言いながら天は起動させたドバイザーを右手に持ち、端末の画面をリナに見せるように彼女の前に突き出す。瞬間。
「ぶふっ⁉︎」
キキィーーッ! と派手な音を立てて動力車がトリッキーな走りを披露する。
「全部繋がったろ?」
そう言って、天は薄く皮肉げな笑みを浮かべた。
「……あーもう、予想してた中で一番ダメなやつなの、コレ」
ハンドルにもたれたまま、リナはどこか投げやりな口調でぼやいた。ひとまず驚愕の支配からは立ち直り、車の走りも持ち直したが、リナの表情は浮かぬままだ。
「兄さん」
後ろの三人を代表して、後部座席の中央に座っていたカイトが、軽く身を乗り出した。
「ほれ」
カイトが何かを訊ねる前に、天はリナの顔の前で固定してたドバイザーを、そのままカイトに手渡す。
「これは……!」
天からドバイザーを受け取ったカイトは、画面を凝視しながら固まってしまう。
絶句するカイトを見て。一体何事かと、彼の両隣に座っていたアクリアとシャロンヌも、カイトが震えた手で握りしめている天のドバイザーを覗き込んだ。次の瞬間、
「……なるほど。そういうカラクリですか」
シャロンヌの眼に憎悪の光が宿り、
「…………」
アクリアの目から焦点が失われた。
そこに映っていたものとはーーー
《魔石収納ボックス》
【魔石】
・種類 外魔スラッグの魔石
・ランク C
・状態 最良
【魔石】
・種類 外魔ダダンの魔石
・ランク C
・状態 最良
【魔石】
・種類 外魔イルの魔石
・ランク C
・状態 最良
【魔石】
・種類 外魔ジェシカの魔石
・ランク C
・状態 最良
:
:
全員がソレに目を通したことを確認すると、
「賢明な諸君はもうとっくに気づいていると思うがーー」
天は助手席の背もたれにゆったりと身を委ね、芝居がかった口調でこう言った。
「その四名が、今回の王女誘拐事件の実行犯と思われる“邪教徒”たちだ」




