3日目 ①
私こと一堂弥生には、最近とても気になる殿方がおりますわ。
ーーお名前は花村天さん。
数日前、私は『リザードマン討伐依頼』の任務の最中、あわやというところで天さんに命を助けてもらいました。
……九死に一生を得るとは、まさにあの事でしょう……
天さんは、出会ったばかりの見ず知らずの私のことを、文字通りその身を挺して守ってくださりましたわ。
「手を伸ばしたら、たまたまあのモンスターの攻撃を受け止めちまっただけだ。そんな大層なもんじゃない」
しかもその事をまるでひけらかさすことなく、ただただ私を気遣ってくださったその優しさに、私はいたく心を揺さぶられてしまい。
いつしか四六時中あの方のことばかり考えてしまう自分の有り様に気づきましたわ。
ーーこれが恋というものなのでしょうか?
その事を、兄に相談したところ……
「絶対にお前の勘違いだ! よく吊り橋効果って言うだろ⁉︎ あれだよあれ! じゃなきゃ、お前があんな野生児に好意を持つはずがない‼︎」
と。
すぐさま私の恋心を全否定されてしまいましたわ。
それに加えて、天さん御本人からもーー
「弥生さん。山での一件で俺に恩を感じているのなら、もう気にしなくてもいい。俺は、その後すぐにキミの口添えでこのチームに入れてもらい、そのおかげで無事、職にも就くことができた。それでもうあの件はチャラにしよう」
と。
遠回しに私と距離を置こうとするあの言い回し、何よりも兄様と同じように、『その気持ちは単なるキミの勘違いだよ』と暗に諭されているような気がして、凄くショックでしたわ。
……この感情は、本当に私の一時的な思い込みなのでしょうか……?
ーーそれでもいい!
どちらにせよこれは叶わぬ想い……でしたら、今は一時でも長く、この生まれて初めての気持ちに身を委ねていたい。
たとえそれが許されぬ恋心であったとしても……
◇◇◇
「はぁ〜……」
ワイワイガヤガヤと活気ある昼なかの繁華街を歩きながら、ものいっそ憂鬱な気分で俺は大きなため息を吐く。
昨日とは打って変わり、異世界の幻想空間を練り歩く俺の足取りはすこぶる重かった。
『あなた様からは魔力が一切感じられません』
いきなりの戦力外通告から一夜明けた今日、俺はまだその現実を受け止めきれずにいた。
……まさかこの俺が、冒険開始早々に『落ちこぼれ』のレッテルを貼られるとはな……
この世界に来て、早くも俺の“格闘王”としてのアイデンティティーは崩壊の兆しを見せていた。
ーー魔力なしの魔法っ気ゼロ。
女っ気が無いのは元から。が、それに加えてこの世界では魔法っ気まで自分には無いことが判明した。
しかしそれはある意味で当然のことだった。
なにせ俺は、この世界とは別の次元からやって来た、いわば“異世界人”というやつなのだから。
つまり、いくら俺がこの世界の住人と身体構造が似ているからといって、同じように魔法が使えるとは限らない。魔力の資質があるとは限らないのだ。
そんな事は、よくよく考えればサルでも分かるようなものだが。
……完全に浮かれていた……
俺はギリッと奥歯を噛み締める。
それは普段の自分なら、考えられない『ミス』だった。
「……自分のトップシークレットを、あんな公の場で晒しちまうなんて……」
激しい自己嫌悪の念を抑えきれず、俺は吐息ほどのかすれた声で呻いた。
そう。一番の問題は自分に魔力が無かったことではない。それを第三者に知られてしまったことだ。
『全員聞いてくれ! 明日の朝、例の場所で緊急会議を行いたいと思う!』
昨日の晩、ホテルのロビーで淳がリーダー風を吹かせてそんな事を言い出した。会議の議題はもちろん、『今後の俺の対処』についてだろう。
「ーーとりあえず今日の予定は、昼過ぎまではあの場所で飯でも食いながら、みんなで天の今後について話し合おう」
狙ったわけではないのだろうが、前を歩いていたチームリーダーの淳が俺の考えに呼応するように口を開く。
何というか、案の定だ。
「これからは、俺達全員で何かと天のことをフォローしてかなきゃならないからな」
「かしこまりました、兄様!」
ノータイムで淳の声に応じたのは、彼の妹の弥生だった。
彼女はただならぬ使命感を全身からにじませ、
「天さんは、今や私たちの大切なパーティーメンバーの一員……たとえ生まれながらに大きな障害を抱えていたとしても、その事はこれから先も変わりませんわ!」
弥生は気負い気味に声を荒立てる。
普段おしとやかな彼女からは想像し難いほど、その主張は熱のこもったものだった。
ただ、もれなくセットで天然もののぶっといトゲがついてきたので、素直に感激できなかったが。
「ねぇ、ラム。あそこの季節の限定スイーツって、まだやってたかな?」
「多分、明日まではやってたと思いますです! それに、期間限定のメガ盛りトッピング無料も明日までだったと思いますです、はい!」
「フフ、どうやら間に合ったようだね……?」
「はいです‼︎」
弥生の勢いに感化されてか、俺の両隣にいたジュリとラムの表情が見る見るうちに戦士のものへと変貌する。ただこの二人の場合、そのベクトルが指し示す先にあるものは俺ではなく飯の方だが。
……まあ、俺的にはそっちの方が楽なんだがな……
淳や弥生の気持ちはもちろん有り難い。
だが正直なところ少々鬱陶しかった。あまり踏み込んできてほしくなかった。ぶっちゃけ俺のことは放っておいてほしい、というのが偽らざる今の俺の心境だったからだ。
ーーできることならもう個人で動きたい。
実際、手に職をつけた今となっては、無理にこの美少女軍団と行動を共にする理由もない。ないのだが……
「……昨日の今日で無事仕事にもありつけたから、お前らもう用済み、て訳にもいかないよな……」
それではあまりにも身勝手で不義理、何よりも後味が悪すぎる。
いずれは淳達と別れてこの世界を見て回るつもりだが、その前に一つぐらいこのチームの子供達に借りを返しておかないと、こんな俺でもさすがに寝覚めが悪かった。
「あの〜、天さん」
「ん……?」
ふと気づくと、俺の右隣を歩いていたラムが、心配そうに俺の顔を見上げていた。
「こ、これから行くところは、いろんなご飯があってどれもとってもおいしいです! ジュ、ジュースもおかわり自由ですし、今ならデザートも無料でメガ盛りにできますです! だ、だから、あのっ……!」
「…………」
すぐに分かった。一生懸命自分なりに言葉を探して、ぎこちないながらも笑顔で話しかけてきたその幼い同僚の少女は、必死に俺のことを励まそうとしてくれているのだと。
……まいったな……
俺は今の今まで気落ちしてたことも忘れ、思わず苦笑してしまう。
これでは昨日とまるで立場が逆だ、と。
そして何とも情けない話だが、二回り近く年の離れた女の子に励まされて俺自身、妙に気が楽になっていた。
「なあ、ラム先輩」
気恥ずかしい思いで鼻の頭をかきながら、俺はラムに訊ねる。
「もし良かったら、その店のおすすめメニューを俺に教えてくれないか?」
「! まかせてくださいです‼︎」
途端にラムの表情がパッと明るみを帯びた。その屈託のない温かな微笑みには、先ほどまでのぎこちなさは感じられない。
「ムフ、安心しなって♪」
ラムの笑顔に癒されて気分もだいぶ落ち着いてきた矢先、反対隣にいたジュリが悪戯っぽくニヤけながら、抱きつくように腕を組んできた。
「別に天に魔力が無いからって、お姉さんたちはキミを見捨てたりはしないのだよ」
「……そいつはどうも」
正直、水を掛けられたような気分だったが、こいつもそれなりに気にしてくれているのか、と少し感謝も覚えた。
「どうだいムッツリ君? ボクに胸を押し当てられて、内心じゃ嬉しくてしょうがないんだろ? ほれほれ♪」
「………………」
前言撤回、と頭の中で呟きつつも、自分の腕にグイグイと押し付けられたソレは、不本意ながら圧倒的な存在感を放っていると認めざるを得なかった。
「あっ! お店が見えてきましたです、はい」
そうこうしているうちに、俺は淳やラム達が言う『例の場所』へと到着した、のだが……
「………………なんつーか予想通りだよ、本当に」
俺がその場所に辿り着いて、最初に出た言葉はそれだった。
やけに見慣れた三角屋根の平屋の建物。おそらくはその店のイチオシであろうメニューのポスターが壁の至る所に貼ってある。正面出入り口には、でかでかと『ビックリぼ〜い』と描かれた店の看板が置いてあった。
……どう見ても『ファミレス』だよね、ここ……
まさに一日目のデジャヴ。『ビジネスホテル』の時とまったく同じくだりに、俺は全身から力が抜けていくのを感じた。
「とりあえずいつも座ってるテーブル席は四人用だから、今日は窓際の席を陣取ろう」
「はい、兄様」
「フ、フ、フ……『季節限定・ビックリフルーツパフェ』がボクを待っているのだよ!」
「う〜、もうお腹ペコペコですぅ〜」
俺を除くチームメンバーは、取り留めのない雑談をしながら慣れた足取りで店の正面玄関に向かって歩いて行く。
カラフルなドアを開けてぞろぞろと『ファミレス』の中に入っていく皆の後ろ姿を眺めながら、俺はぼそりと呟いた。
「これ会議じゃなくて、ただの友達との茶飲み話だろ……」
見た目も行動パターンもまんま『今時の若者』なチームメンバーを目の当たりにして、俺は本気で頭を抱えるのであった。
◇◇◇
建物の派手な外装とは裏腹に、シックな色合いで統一された店内は比較的落ち着いた雰囲気で中々に居心地のよい空間だった。静かに流れるジャズ調のBGMも安らぎを提供してくれる。
ただ……
「個人的にはアッチの方が良かったな……」
俺は開放感のある窓際のソファー席から外の景色をぼんやり眺めながら、小声でぼやいた。
窓の外に見えたのは、幅広な道路を挟んで向かい側にある木造建築のめし処。店先には『魔法ずし』と書かれた紺色の暖簾ーー尚、こちらの世界にも寿司があるという点は些細な事として処理したーーが妙に味のある風情を醸し出していた。
……まあ、未だ無一文で食わせてもらってる身分で『俺、寿司の方がいい』なんて口が裂けても言えんが……
俺は頬杖をついて嘆息する。
肩身が狭いのは相変わらずだ。
ちなみに寿司を特別食いたいという訳でもない。単に『魔法ずし』というフレーズに知的好奇心を揺さぶられただけである。
……てか、いつになったら始めんだよ、会議……
テーブルを小刻みに指で叩きながら、俺は小さく息を吐いた。
顔には出さないようにしていたが、正直言って虫の居所は悪かった。
というのも、このファミレスに入ってから三十分以上経過したにもかかわらず、一向に本日の議題ーー『俺の今後』についての話し合いが始まらないのだ。
「ん〜〜! やっぱり『ビックリぼ〜い』の『ビックリフルーツパフェ』は最っ高なのだよ!」
「本当ですね。しかもこのボリュームでお値段は通常価格ですから、贔屓目に見てもとてもお得ですわ」
「はいです! このお店のご飯はどれもボリューム満点でとっても、ムグッ」
「ラム。とりあえずお前は飯に集中していろ。あと、それ食い終わったらその卵の黄身まみれになった真っ黄色の顔面を弥生に拭いてもらえ」
「…………」
それどころか、誰も俺の名前すら口にする気配がない。彼女達が口にしているものといえば、次々と運ばれてくるテーブルいっぱいに並べられたこの店の料理だけである。
「ーーそういえば、天にコレ渡すの忘れてたな」
「ん?」
俺がラムおすすめの『スーパーデラックスビックリたまごセット』を作業的に口へ運んでいると、俺の真向かいの席で何の違和感もなく女子組に混じってパフェをがっついていた淳が、茶色い封筒をスッと俺の前に差し出してきた。
「こないだの『リザードマン討伐依頼』の報酬。天の取り分の『五万円』」
「…………へ?」
思わず声を裏返して、俺は差し出された封筒と淳を交互に見やった。
「今回のリザードマン討伐依頼の達成報酬が三十五万円だったから、その内チームの活動費として十万円引いて、残りの二十五万円をメンバー五人で割ると、一人当たりの分け前が五万円になるってことだよ。それと、リザードマンの“魔石”は俺達のパーティーの最大火力であるジュリの『ドバイザー』に使わせてもらったけど、文句ないだろ?」
「っっ〜〜……!」
瞬間、俺の溜まりに溜まったフラストレーションが瞬時に吹き飛んだ。
俺はワナワナと目の前に置かれた茶色の封筒を手に取り、おそるおそる中身を確認する。
中に入っていたのは、諭吉ならぬ『創造神マト』の肖像画が描かれた一万円紙幣五枚だった。
「……俺も貰っちまっていいんですかい?」
「当然なのだよ」「勿論ですわ」
ジュリと弥生が声を揃えてイエスと答える。
「弥生もさっき言ってたけど、天はもうこのパーティーのメンバーだからね。チームで達成した依頼の報酬を受け取るのは、当然の権利なのだよ」
「ジュリさんのおっしゃる通りですわ! 何よりも私自身、あの時は天さんにあわやというところで助けていただきましたわ!」
「ああ……あの時あの場に天がいなかったらと思うと、正直ゾッとするよ」
「そうそう。結果論かもしれないけど、天はあの瞬間ボクらのパーティーの“タンク”として大活躍したし、十分いい仕事してたと思うのだよ」
「天さんが報酬もらっちゃダメなら、あたしだってお給料抜きです! あたしなんてこの前、お山登りしかやってないですからっ!」
「皆さん……」
俺は渡された給料袋を両手で握りしめながら、感無量といった気持ちで皆に目を向ける。
ーーついに無一文から脱出できた!
それは大人の尊厳を取り戻した瞬間だった。
「ーーという訳で、天にはこれから俺達のチームの『盾役』になってもらう」
「……………………はい?」
しかし、感動のワンシーンは目まぐるしく終わりを告げる。
「昨日一晩考えて、天にはそれ以外のことは任せられないという結論に至ったんだ。申し訳ないけどな」
「ボクもそれについては淳の意見に同感。言っちゃ悪いけど魔力が無くて『ドバイザー』も満足に使えないんじゃ、他に役回りがないのだよ」
「ドバイザーの名義が天さんでも実際に契約儀式を行ったのはラムちゃんですから、当然ドバイザーの『装備機能』と『パーティーリンク機能』は使用できないと考えるのが妥当ですわ。そうなると、その……天さんには主だった攻撃手段がほとんど無いということになりますわ……」
まるで事前に打ち合わせでもしていたかのように、淳、ジュリ、弥生の一堂ガールズは、息ぴったりなチームワークでここぞとばかりに俺の役割分担を決め付けにかかる。それはある意味、吊るし上げに近いものだった。
「そういう訳だから、これから天はこのパーティーの正式な盾職になってもらう。あと、お前は攻撃には一切参加しなくていいから」
「なっ⁉︎ ちょっと待て‼︎」
遂に我慢の限界に達した俺は、癇癪混じりにその場で立ち上がる。こんなぞんざいな扱いを受けたのは、生まれて初めてだった。
……この俺に『戦うな』だと……‼︎
一格闘家として、ひとりの男として、それは断じて容認できなかった。
「お前ら、少しは俺の意見をっ‼︎」
「ヒィ……!」
「ッ!」
その瞬間、俺はハッと我に返る。
不意に少女の悲鳴が耳に飛び込んで来た。
見れば、隣に座っていたラムがこれでもかと身を縮こませ、怯えた目で俺のことを見つめていた。
「…………すまない」
一言そう告げて、俺はゆっくりと着席する。
溜飲が下がった訳ではないが、代わりに頭に上っていた血は完全に沈下した。
自分でも驚くほどショックを受けていた。元いた世界では日常的に浴びていた畏怖という名の眼差しを、ラムに向けられたことに対して。
「まあまあ、少し落ち着くのだよ、天」
タイミングを見計らったように、ジュリが軽い調子でポンポンと手を叩く。
「何もボクらだって、タダで天に損な役回りを押し付けるなんて言ってないのだよ」
「……つまりは?」
俺は感情を抑えてジュリの相手をすることにした。彼女に軽くあしらわれているのは分かっていたが、今のこの空気を継続するよりは幾分かマシだと思ったからだ。
「ムフフフ……ズバリ訊くけどさ、天って女を知らないでしょ?」
「………………」
結果から言うと、少しもマシではなかったが。
「あ〜、無理して答えなくてもいいのだよ。お姉さんはちゃんとに分かっているからね」
「そ・こ・で〜」とジュリはいやらしい含み笑いを口元に浮かべて、
「天がうちのチームのタンクとしてこれから頑張ってくれたら、代わりにここにいる美少女三人組が『ムフフ♡』なご褒美をキミにあげようじゃないか♪」
「はひゃ、ひゃい⁉︎ わわ、わたくしが天さんに、むふ、『ムフフ』なぁあ‼︎⁉︎」
「おま、何バカなこと言ってんだよ⁉︎ そんなこと弥生にさせられるわけないだろがっ‼︎」
「えっと……『ムフフ』っておいしいんですか?」
ジュリが超大型の爆弾を投下した瞬間、弥生は顔を真っ赤にして慌てふためき、淳は真っ青な表情でジュリに食ってかかり、ラムは状況を理解できずにキョトンとした顔で小首を傾げていた。
そしてその渦中に身を置いている俺はといえば、わいわいと騒ぎ立つチームの面々を一歩引いた視点で見ていた。
「なるほどな……」
そう呟いて、俺はある一つの結論にたどり着く。
……どうやら、この世界じゃ魔力が無い奴は発言権も無いらしい……
俺は冷め切ったテンションで窓に映る自分の顔を見ながら、ひとつため息をこぼす。
この現代日本そっくりな異世界にやって来て早三日……俺はようやく理解した。
ーーいや、初めから感じていた違和感が確信へと変わった、と言うべきか。
俺が迷い込んだこの世界は、良くも悪くも『魔法力が全て』の魔法が文明を支配する世界なのだ。




