第90話 我が主のために
「ーー正気でございますか、義母上⁉︎」
腰まで伸びた美しい薄紫の髪を振り乱して、彼女は獣のような叫び声を上げた。
「エレーゼは、貴女の指示であんな無茶な人体実験に付き合わされた挙げ句、あのような姿に成り果ててしまったのですよ‼︎」
「人体実験やなんて人聞きの悪い」
クスクスと口元に冷笑を浮かべ、氷のような銀髪を撫でながら、麗人は言う。
「いちおう本人の了承は得たんやよ? それになぁ、こらアレにとってもチャンスやったんどすえ?」
「っ……」
「ことがあんじょう運べば、アレは皇室に復帰でけたんやから」
「……お願いします、義母上。エレーゼの国外追放は待ってください。今、『ミザリィス』の後ろ盾を失ったら……あの子はっ!」
「そやし、アレはもう使いモンにならへんしなぁ。これまでアレをこの国に置いとったんも、人類の進歩っちゅう大義名分があったからでありんす」
「そんな……父上は、父上はなんとおっしゃっているのですか⁉︎」
「皇帝はんもあちきとまるっきしおんなじこと言うとったよ。アレはもう“要れへん”て。何やったら、直接本人に訊いてみたらどうどすか?」
「っっ〜〜‼︎‼︎」
そこは質素な部屋だった。窓際に置かれた粗末なベッド、申し訳程度の小さなテーブルと椅子。とても上流階級の者が暮らす部屋には見えない。
床に伏す痩せ細ろえた少女が、虚ろな瞳で彼女を見上げる。
「お姉……さま……」
「安心しなさい、エレーゼ。あなたは私が守ります」
「シャロンヌ……様?」
エルフの女中は唖然とした顔で見つめるーーナイフ類の刃物で適当に短くしたような乱雑な髪型をした、自らの主を。
「サリカ、急いで支度しろ。エレーゼを連れて今すぐこの国を出る。あとでロイガンも娘夫婦と共にこちらに合流する予定だ」
「その御髪は……それにそのお言葉遣いーー」
「なんだ?」
「……いえ、かしこまりました」
その夜のうちに、大陸一の魔術の天才と謳われた大国の皇女は、瘴気に蝕まれた幼い妹と数人の従者を連れて国境を越えた。
「既に冒険士協会には話を通してある。シスト様は我々のことを快く迎え入れてくれた」
「……いけません、シャロンヌお姉さま……。わたくしのことなど、捨ておいてくださいませ……」
「馬鹿を言うな。お前は俺のたった一人の妹なのだ。たとえこの命を代償にしようとも、必ずお前を救ってみせる」
祖国を捨て、地位を捨て、自分すら捨てて……彼女は誓った。
いつの日か必ず、エレーゼを“首輪の呪縛”から解き放ってみせると。
そして、最愛の妹をこんな目に遭わせた全てのものに然るべき報いを与えてやると。
この時より、シャロンヌの苦難と憎しみに彩られた人生が幕を開けた。
◇◇◇
「悪い」
短く、だが気持ちのこもった言い方で。天がそんな言葉を口にすると、
「アレは仕方ないのです」
「天殿の判断に誤りはありませんでした」
リナとシャロンヌは、揃って気にする必要はないと主張する。
「さっきはあたしも悪寒が走ったの。全身が総毛立つ一番タチの悪い類のヤツ」
「はい。あの魔力の強大さと凶々しさは、下手をすれば“レベルファイブの魔技”に匹敵する質量を有しておりました」
鋭敏な感受性と超一級の魔力感知能力を持つ二人もまた、己の身に危険が迫っていたことを肌で感じ取っていた。
口調を重くし、シャロンヌは言う。
「もし天殿が未然に防いでいなかったら、恐らくこの集落は崩壊していたでしょう」
「俺もそう感じた」
「であれば、我らは天殿に感謝こそすれ、苦言を呈するなど筋違いというものです」
「……」
おや? と天は微妙な違和感を覚える。
ちょっと気になったので、天は改めてそれを確かめてみた。
「……そういえば、シャロンヌ殿に訊きたいことがあったんだが」
「何なりと、私にお答えできることでしたら、どのような事でもお答えいたします」
「…………」
少し……というか完全に別の人だった。
シャロンヌはややフリーズ気味の天を見て、小首を傾げる。
「いかがなされましたか、天殿?」
「い、いや」
不覚にも声に動揺を出してしまった。
見ると、他の三人ーーリナ、サリカ、ロイガンーーも困惑気味の天を見て苦笑い、あるいは「お気持ちは分かります」と言いたげな表情を浮かべていた。
天の心境を知ってか知らずか、シャロンヌは意味ありげに微笑む。
「ご安心ください。たとえどのようなご質問内容でも、私は一切気にしませんので」
「あ、ああ……」
実を言えば、天はシャロンヌの一人称が『俺』から『私』に変わっていることにもとっくに気づいていたーー気づいていたが、それは瑣末な事だとさして気にも留めていなかった。そんな仕様変更は大人の社会ではよくある事、日常茶飯事だからだ。ちょっとした心境の変化、環境の変化、その時々の精神状態で、そういったものは常に千変万化するものだ。
だが……
「どうぞご遠慮なく、なんなりと私にお訊きくださいませ」
なんというか、これは180度の転換だ。
別人格と言っても過言ではないだろう。
ただ。
こちらの彼女の方が妙にしっくりくるーー少なくとも天はそう感じた。
「ーーもし他聞を憚るようなお話でしたら、この者達は席を外させます」
そう言ってロイガンとサリカの方へ僅かに顔を向けるシャロンヌに、天はやんわりとした口調で「大丈夫だ」と答える。
「どちらかというと、お二人にもここに居てもらった方が何かと都合がいい」
「かしこまりました」
その二人のやり取りに、先の不自然さはまるで感じられなかった。
早くも軌道修正を済ませた天に、シャロンヌの従者であるロイガン、サリカは感心した目ーー凄いと言わんばかりのーーを向ける。
と同時に、リナが頭をポリポリとかきながら立ち上がった。
「ーーその三人に対する質問ってことは、あたしの出番はなさそうなの」
それだけ言って、リナはエレーゼの体を拭いていたサリカに近づくとーー自分が代わるとサリカに指でジェスチャーする。相変わらず気の回る女である。
サリカは一瞬ためらいを見せたが、シャロンヌのひと睨みで渋々リナと交代した。
それに伴い、寝室の片付けをしていたロイガンも手を止めて、シャロンヌの後ろに控える形で天と向かい合った。
ロイガンの隣にサリカが移動した直後、天は三人を見て言う。
「この集落には、エレーゼ殿の他に首輪の撤去が必要な者はいるか?」
「「「!」」」
天がそれを訊ねた瞬間、シャロンヌ、サリカ、ロイガンの三人が一斉に目の色を変えた。
シャロンヌの人となりとこの集落の構造、特徴、前もって知らされていた住人の数(およそ三十人)等、諸々の諸事情から導き出した結論ーーエレーゼの他にも“首輪付き”を保護している可能性が極めて高い、それが天の見解であった。
そして、天のその推測は正鵠を射ていた。
「花村殿! なにとぞ……何卒お願いいたします‼︎」
ロイガンはその場で地に頭をこすりつけた。
次いで、シャロンヌが口を開く。
「おります。エレーゼの他にも三名ほど」
「……花村様。その三名の中には、このロイガン殿の孫娘も含まれているのです」
「どうか、どうかこの老いぼれの孫をお救いくだされ‼︎」
地面に頭を叩きつけるような勢いで、ロイガンは必死に懇願する。
天は自分に深々と土下座するロイガンに歩み寄り、自らも地に片膝をついて言った。
「案内してください」
「花村殿……かたじけのうございます‼︎」
ロイガンが歓喜と感謝を込めて、今度こそ本当に床に頭を叩きつけた。
その直後。
キュルキュルキュル〜〜、と誰かの腹の虫が盛大に鳴った。何というか……シリアスな空気を一瞬で吹き飛ばす一撃だった。
「あ、あたしじゃないのです!」
一斉に自分の方を向いた皆に対し、リナが必死に両手を振って違いますアピールをする。
天はリナではなく、リナが介護中のエレーゼに目をやる。
「俺としたことがうっかりしていた」
「天殿……?」
「エレーゼ殿が起きたら、すぐに何か食べさせないとまずい」
天のその言葉に、シャロンヌとサリカは不安げに顔を見合わせた。
天は思案顔でエレーゼを見つめながら告げた。
「瘴気は消えて体は全快したが、おそらく今のエレーゼ殿の体内には血肉化する栄養分が圧倒的に不足しているんだ」
「! 直ちにお食事をご用意せねば!」
「そうですね。エレーゼが目を覚ますまでまだ後一時間ほどは掛かるはずですが、早めに支度をしておくに越したことはないでしょう」
シャロンヌ達の話に相槌を打つように、天は一つ頷き、
「消化器官は完治しているから、いきなり固形物を食べさせても問題ないと思うが、とりあえず最初はスープ類で様子を見た方が無難だろう」
「じゃあ、こうすればいいの」
リナが手を叩いて全員に注目を促す。
「それぞれの役割分担を今決めちゃうのです。ーーまず最初に、首輪撤去担当が天兄で、その案内役をロイガンさん」
「承知しましたぞ、リナ殿!」
ロイガンは飛び上がるように立ち上がってリナに敬礼する。話が本筋から逸れかけたところにこの提案だ、彼としては非常に有り難いものだろう。
リナは続ける。
「次に料理担当なのですが……」
「リナ様。その役目ーー是非この私がっ」
「私が作ります」
有無を言わさぬ迫力が、そこにはあった。
「エレーゼの食事の用意は私が担当します。良いですね、サリカ?」
「か……かしこまりました」
そう答えるしかなかった。譲る以外に彼女に道はなかった。
一番やりたかった仕事を主人に持っていかれて、肩を落とすサリカをよそに。
「それじゃあ、あたしも料理担当の補佐に回るのです」
「え⁉︎」
「これでも料理にはちょっと自信があるのです。ついでに天兄やみんなの分の夜食も作っちゃうの」
「そいつは楽しみだ」
「そ、それでしたら、シャロンヌ様の補佐役はこの私めが!」
と、サリカは主張したが、
「あなたはエレーゼを一人にするつもりですか?」
「シャロンヌさんとサリカさんが両方ここから離れるのはまずいと思うのです」
間髪を容れず、シャロンヌとリナに駄目出しされる。
「料理は私とリナで担当します。あなたはここでエレーゼを見ていなさい。これは命令です、サリカ」
「……承知いたしました」
駄目押しの一発を入れられ、サリカは完全に沈黙した。
その間に。
「……ロイガン殿」
「心得申した……」
天とロイガンは我関せずを貫き、空気のように気配を断って、静かに部屋から退室したのであった。
◇◇◇
「おじじ様ーッ‼︎」
年の頃は十四、五ほどのエルフの少女が、しゃにむにロイガンの胸に飛び込む。まだ幼さを残したその顔を、涙でくしゃくしゃにして。
「おじじ様……ヒィック……おじじさま〜〜っ‼︎」
「よう頑張った……。此れまでまこと、よう頑張ったなぁ……!」
泣きじゃくる孫娘をロイガンはただただ抱きしめていた。孫に負けぬほどの大粒の涙を、とめどなく流しながら。
「ーー娘さんに取り付けられた“首輪”は完全に除去しましたが、念のため然るべき施設で一度検査してもらった方がいいかもしれません」
「む、娘を救ってぐださり……ああ、あなた様には、感謝の言葉もございません!」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございますっ‼︎」
こちらも涙で顔を濡らし、天にひたすら謝意を示すエルフの男女。言わずもがな、彼等はロイガンの孫娘の両親ーーロイガンの娘と義理の息子である。
これは余談であるが、ロイガンの孫娘と娘夫婦は“エルフ種”特有の耳長金髪だが、ロイガン自体の見た目はどちらかというと“人間種”に近いものだ。というのも、ロイガンは人間の父とエルフの母を持つハーフエルフーー祖国では“雑種”と揶揄される人種であった。
ならば、何故その娘とさらにそのまた娘がエルフよりの外見をしているのかというと、単純に彼女達の方がエルフの血が濃いからである。
ロイガンの娘は、雑種であるロイガンと純正のエルフである母の子供。ロイガンの孫娘は、クォーターの母と純正のエルフである父の子供。つまるところ、両者共に人間種の血は流れているものの、ロイガンと比べると圧倒的に薄いのだ。
尚、ロイガンの妻はいまだ健在ではあるが、現在この集落にはいない。有り体に言うと、彼女は夫や娘や孫娘よりも、『ミザリィス皇国』での暮らしを選んだのだ。
『ミザリィス皇国』はこの世界でも有数の先進国であり、また魔力至上主義、エルフ至上主義を信条に掲げる国でもある。つまり純正のエルフはただそれだけで優遇されるーーロイガンの妻は、そこでの生活を捨てることが出来なかったのだ。
そしてそれは、ロイガンの義理の息子の両親も同じである。
わざわざ“首輪付き”の孫ひとり庇って、上流階級の暮らしからカースト最下層まで身を落とす気にはなれない。それが彼等の見解であった。
ーーだがロイガンは違った。
男は迷わなかった。
シャロンヌから離反の誘いを受けた時も、ロイガンは二つ返事でそれに応じた。
愛する孫娘の為、
奉ずる皇女姉妹の為、
そして何より己が矜持の為に。
老兵は自ら進んで、茨の道という第二の人生を歩むことを決意したのだ。
「夢のようですわ……まさかこのような日が、本当に訪れようとはっ。あなた様は、誠の救世主でございます!」
「私も妻も、あなた様にはいくら感謝しても感謝しきれません。エレーゼ様や娘のことはもちろん、この集落の皆をお救いくださったこと、重ねてお礼申し上げます」
「いえ、礼なら俺にではなくシャロンヌ殿に言ってください。俺は彼女に頼まれてここへ来たにすぎませんから」
そう言いながら天はポーカーフェイスを若干引き攣らせ、困り顔を見せる。
もともと他人から感謝されるのには慣れてない。免疫がない。加えて、ここに来る前も天は二組の『ライブストの輪』の撤去を行いーーその都度、本人はもとより、その親族や騒ぎを聞きつけた集落の住人等に度々頭を下げられ、さんざっぱら礼を述べられた。
状況を鑑みればそれは必然的な流れなのだが、はっきり言って性に合わない、天はそう感じていた。
「おじじ様! ウチ、今度町にお買い物に行きたいーーそれと、遊園地というところにも行ってみたいです!」
「連れて行ってやるとも! このおじじが、どこへなりと連れて行ってやるぞ‼︎」
ただまあ、嬉し涙で顔をしわくちゃにして喜び合う爺さんとその孫娘の姿を見てーーこういうのも偶には悪くないか、と天は口元をわずかに緩ませた。
◇◇◇
トントントンとリズミカルに響く包丁の音と共に、洞窟内に設けられた調理スペースから食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。
「それにしても驚いたのです。ーーまさかシャロンヌさんが、『調理スキル4』を持ってたなんて」
「実は私も、料理には少々自信があるのですよ」
フフンと得意げに胸を張るシャロンヌ。自慢半分、冗談半分といったところか。
水着のような普段着にエプロンを装着した大変アレな格好のシャロンヌを尻目に、リナは苦笑いを浮かべた。
「あたしも『調理スキル3』持ってたから、結構強気にいったのですが……」
「ふふふ、その程度の力量ではまだ私と張り合うには早いですね」
「ハァ、今回ばかりは敵前逃亡も目を瞑ってほしいのです。シャロンヌさんが料理までできたら、あたしは女として一体何で勝負すればいいのです」
トホホな顔で米を研ぎながら、リナは鼻歌交じりに数人分の作業を一人でこなすシャロンヌを見て、
「でも意外なのです。シャロンヌさんって《創作系スキル》とかまったく興味なさそうなのに」
「失礼な、と言いたいところですが……実を言うと、私も調理スキル以外の創作系統のスキルは人並みに出来ればいいぐらいにしか思っていません」
「やっぱり。見た感じそうなのです。どっちかというと、シャロンヌさんは《創作系スキル》よりも《情報系スキル》の方が自分の畑ってイメージなの」
この世界には、魔技や剣技、属性耐性などの《基本系能力スキル》の他にも様々なスキルが存在する。そして、それらは大まかに三つの系統に分かれておりーー
“生命の女神フィナ”が管理する《生物系スキル》
”知識の女神ミヨ“が管理する《情報系スキル》
“創造神マト”が管理する《創作系スキル》
と、各々のスキル系統が受け持ちの柱神ごとに区別されていた。
ちなみにこれからのスキルにも当然スキル段階レベルが存在し、レベル1〜5の五段階評価がそれぞれ担当の柱神の審査ーー独断と偏見ーーにより定められる。
実際、選定基準はかなり厳しく、特に創作系統のスキルは、スキルレベル2でもかなり熟練度を上げないと習得できない。従って、リナが堂々と「自分は料理が得意だ」的なことを公言するのも無理はないし、間違ってもいない。
ただ何においても、スキル段階4と5は別格なのだ。
スキルレベル3までなら、大抵の人型が習得できる(スキルの種類は問わない)。
だがその上のレベル4以上となると、話がだいぶ変わってくるのだ。
たとえ一生涯それだけに費やしたとしても、その道でレベル4まで到達できる者は全体の一パーセントにも満たないだろう(スキルの種類を問わずとも)。
尚、参考までに紹介しておくと、『調理スキル4』は飲食店の格付け最高ランク《三つ星レストラン》のオーナーシェフに匹敵するレベルだ。リナが早々に白旗を上げるのも仕方なかった。
「……エレーゼの体が回復したら、少しでも美味しいものを食べさせてあげたかったのです」
「それじゃあ、その役目を他に譲るわけにはいかないの」
ぽつりと溢れたシャロンヌの本音を、リナが綺麗に掬い上げる。
シャロンヌは頬を赤らめ、リナをジト目で睨んだ。
だが、当の本人はしてやったりと言わんばかりの顔で米のとぎ汁を流していた。
「正直あなた達ぐらいですよ? 私のことをそんな風にからかうのは」
「嫌だったら今すぐ接待モードに切り替えるのです」
「それだけはおやめなさい。まず第一に、本当に嫌なら本人にこんなことを直接言ったりしません」
「言えてるの」
二人はくすくすと笑い合い、
「ねえ、シャロンヌさん」
「何ですか?」
シチューの味見をしながら、シャロンヌはリナに背を向けたまま返事をする。
計量カップで水量の微調整をしつつ、リナは言った。
「天兄に言いたいことがあるんなら、早く言っちゃった方がいいの」
「……あなたといいカイトいい、どうしてそう察しが良いのです」
味見用の小皿を口から離して、シャロンヌは疲れたように息をつく。
しかしながら、それは決して味見したシチューのクオリティに不満を感じたからではないだろう。
リナはしたり顔で言う。
「天兄には敵わないの」
「天殿は、あらゆる面で特質だと知りなさい」
きっぱりと断言して。
シャロンヌはシチューをかき混ぜながら、自信なげに呟く。
「私は認めてもらえるでしょうか……」
「シャロンヌさんが駄目だったら、じゃあ誰ならいいのって感じなのです」
「あの方にとって、冒険士のランクなど全く意味をなさないでしょう」
「あたしが言ってるのはそっちじゃないの。そういうふうに受け取られるのは心外なのです」
「すみません……失言でした」
「……多分、天兄はもう少ししたら本部に戻るつもりなのです」
「……」
「この先、機会はいくらでもあるかもしれないけど、こういう事はぐずぐず先延ばししても良いことなんか一つもないのです」
「分かっています……」
シャロンヌはお玉を置いて、サラダ用のドレッシング作りを始める。込み入った話をしながらでも彼女が作業の手を止めることはない。
「ーーところでシャロンヌさん」
リナは適量の米と水がセットされた大人数用の大鍋を軽々と持ち上げ、
「あたし、御飯炊く他にやることないのですか?」
「いいえ?炊き上がったらおにぎりを作っても構いませんよ?」
「…………」
数種の料理を同時進行でテキパキ作るシャロンヌを横目に、リナは無言で米の入った大鍋に火をつけた。
◇◇◇
肌寒い洞窟をトボトボと歩きながら、シャロンヌは呟く。
「リナのやつ、余計なお節介を……」
以前の乱暴な言葉遣いが思わず顔を出す。
シャロンヌの足取りはすこぶる重かった。
というのもーー
『シャロンヌさん。今がチャンスなのです!』
『は? 突然どうしたというのですか?』
『天兄がエレーゼさんの寝室に戻ってきたのです。それも一人で』
『!』
『フ、フ、フ……そういうことなのです!』
『ま、待ってください、リナ。まだ心の準備がっ! それに、まだサラダの盛り付けが……』
『サラダの盛り付けぐらいあたし一人で十分なの!』
『しかしですね……』
『つべこべ言わずにとっとと行ってくるのです! ドーンと一発決めてくるのです‼︎』
怒涛の勢いでおにぎりを量産しながら、リナは咆哮をあげた。
「……情けない限りですね。Sランク冒険士ともあろう者が」
後輩に尻を叩かれなければ、「仲間に入れてくれ」の一言も言えない。
がっくりと肩を落とし、シャロンヌは大きくため息をついた。
……そもそもカイトが悪いのです。あんなに早い段階で気軽に誘ったりするから……!
普通ならもっと親密になってから声を掛けるべきだーーなどと男女の駆け引きうんぬん的な不満を抱きつつ、シャロンヌは行き場のない感情の矛先をこの場に居ないカイトに向ける。
ぶっちゃけ、シャロンヌが一番気にしているのはそこなのだ。
形はどうあれ、自分は一度《零支部》への加入を断っている。しかも『自分は群れるのが苦手だ』『自分は一人でも十分だ』などなど、最高に格好つけたセリフ付きでだ。
「口は災いの元とはよく言ったものですね……」
あの時あの場に天とリナは居なかったーーが、そんな事は関係ない。
自分自身がその恥を許容できるかどうかの問題なのだ。
もう虚勢を張るのは止めたが、だからといってプライド自体を捨てたわけではない。それが安っぽいものだという事も重々承知している。
だが、シャロンヌはこう思わずにはいられないのだーー今さら仲間に入れてほしいなど一体どの口が言うのだ、と。
そうこうしている内に。
「ハァ……」
シャロンヌは力なくため息をつく。
いつの間にかエレーゼの寝室の目の前まで来ていた。
シャロンヌは気持ちを切り替えるよう、一度深呼吸する。
ここまできたらグダグダ考えてもしょうがない。彼女は覚悟を決めた。
「シャロンヌ様」
中に入るなり自分を出迎えてくれた従者に、シャロンヌは無の表情で開口一番ーー
「サリカ、交代です」
「…………はい?」
「料理はもうほとんど終わっています。今、リナが一人で仕上げの盛り付けをしているところです」
「は、はぁ……」
「何をボサッとしているのですか、あなたは。エレーゼは私が見ていますから、早くリナを手伝いに行けと言ったのです」
「も、申し訳ございません! 直ちに向かいます!」
女王サマ権限発動により。サリカは慌てて部屋を飛び出した。
「ーーやはり言葉遣いが変わっても、シャロンヌ殿はシャロンヌ殿なんだな」
今にも含み笑いが聞こえてきそうな、それでいてどこか安心したような声が部屋の奥から飛んできた。
軽く手を上げながら、天がシャロンヌに歩み寄る。
「一応訊くんだが、そっちの方がシャロンヌ殿の素という事でいいのか?」
「はい。もう面を被る必要も無くなりましたので。それに、天殿やリナたちの前で自分を偽ることに疲れたといいますか……」
「ならいいんだ。ーーいや、つまらん事を訊いて悪かった」
「いえ、お気になさらないでください」
天の謝罪をシャロンヌは笑顔で受け入れる。
実のところ、天が抱いた懸念も半分は当たっていた。というのも、シャロンヌが本来の自分に戻ったのは、天に対しての尊敬語を目立たなくする為でもあった。なのでこの場合、シャロンヌもそれを天に伝えてない、という点ではイーブンと言えるだろう。
少しソワソワしているシャロンヌの事が気に掛かったのだろう、天が訊ねる。
「そういえば何やら急いで戻ってきたようだが、エレーゼ殿の具合が気になったのか?」
「え? ええと、ですね……」
「さっきはあんな言い方をしちまったが、とりあえずこの程度の空腹なら命に関わる危険はないと思うぞ」
そう言いながら天はベッドで静かに寝息を立てるエレーゼの方へ首だけ振り向き、
「今さっき一応『生命の目』で確認してみたが、特に戦命力も下がっていなかったよ」
「……」
流れは不十分だが、シチュエーションは申し分ない。
シャロンヌは意を決する。
「て、天殿っ! 実はーーッ」
「まぁ丁度良かった。実はシャロンヌ殿に大事な話があったんだ」
「折り入ってお願いが……へ?」
思わず気の抜けた顔で口をパクパクさせるシャロンヌ。
絶妙なタイミングで天のカットインが入ったのだ。
だがしかし。
一世一代の告白ーー恋愛要素は皆無だがーーが肩透かしを食らった格好になるやと思った、その矢先に。
「なあ、シャロンヌ殿……俺達と一緒に来ないか?」
「ッーー‼︎」
まさかのどんでん返し。
シャロンヌは『胸が高鳴る』という感覚を久方ぶりに思い出したーーが、
「以前ーーといっても日付け的には昨日のことだが、シャロンヌ殿は俺に、『お前の力がほしい』『自分のものになれ』と要求したのを覚えているか?」
「………………」
冒頭から一気に血の気が引いた。
シャロンヌにとって、それはもはや黒歴史以外の何物でもなかった。
「さすがにシャロンヌ殿のものになる、というのは無理だが」
そう言って天は苦笑する。
シャロンヌは身のすくむ思いで天の声に耳を傾けていた。
出来ることなら昨日の自分をこの世から抹消してやりたい、そんなことを頭の中で呟きながら。
シャロンヌの心境を知ってか知らずか、天は浮かべていた苦笑を微笑に変えて言う。
「ただ、同じチームとして力を貸し合うことならできる」
「!」
再びシャロンヌの胸が高鳴った。
我ながら自分がこんな気分屋だったとは、今の今まで知らなかった。
「まあ、平たく言えばギブアンドテイクってやつだ」
意図したものではないだろうが、天は茶化した物言いを間に挟む。
しかしすぐさま彼は、その声の質に重みを付け足した。
「そう遠くない未来、この世界で大規模な“戦争”が起こる。そして、俺達《零支部・特異課》のメンバーはその最前線に身を置くことになるだろう」
「……はい」
突飛であり断定的な天の物言いを、シャロンヌは一切否定しなかった。それが紛れもない事実だと分かっているから。
天は淡々とそれを語る。
「人類と魔物、“三柱の神”が管理する人型と“争いの神”を崇拝する信者ーー互いの生存権を賭けた“種”としての潰し合いが、もうすぐ世界規模で始まる」
「はい。十一年前の二頭の『ドラゴン』。『エクス帝国』に現れた『ヘルケルベロス』二体……そして先日起こったアリス姫の誘拐等。これからもそういった事件が世界各地で起こるでしょう」
「ああ。そしてそういう類の案件に一番首を突っ込む予定なのがーー」
「人型側の最高戦力である“花村天”が所属するパーティー、通称《零支部・特異課》の面々」
「そうだ」
天は神妙な面持ちで頷いた。
「もとより奴等の殲滅と人類を勝利に導くことは、三柱の神々が俺に与えた、俺自身の役割でもある」
「存じ上げております」
シャロンヌは語気に熱を宿す。この世界から邪教徒を根絶やしにすることは、シャロンヌの悲願でもある。
天はやや口調を柔らかなものにして、
「なんにしろ、今のままじゃ圧倒的に人手不足だ」
「《零支部》の正規メンバーは、天殿にリナ、カイトにアクリアの四人でよろしいのでしょうか?」
「本当はもう一人いるが、ソイツは戦闘要員じゃない。覚悟のない奴を戦場に立たせても、無駄に死体が増えるだけだ」
「おっしゃるとおりです」
「まぁ少し話は逸れるが、俺は個人的にもやらなきゃならん案件が山ほどある」
そう言った天の表情は、心なしか穏やかに見えた。
天は「それに」と続けた。
「つい最近、また一つやりたいことが増えたばかりだしな」
「やりたいこと、でございますか?」
シャロンヌが怪訝な顔を向けると、天はニヤっと口の端を持ち上げ、ドバイザーからある物を取り出す。
「! それはっ!」
「ふむ。アリス姫から取り外したやつも入れると全部で五組か。一晩で結構溜まったな」
天がドバイザーから取り出した物ーーそれは、彼がこれまでに破壊した『ライブストの輪』の残骸だった。
「にしても、見れば見るほど悪趣味なデザインの首輪だ」
わざとらしく皮肉めいた口調でそう言うと、天は両手に持った大量の首輪の残骸を、自らの頭上にポイっと放り投げる。
次の瞬間、
《闘技・天咲華》
デモンストレーションのように気軽に放たれた光の鞭を思わせる神速の蹴りが、一瞬で『ライブストの輪』の残骸すべてを跡形もなく粉砕する。
空中で粉微塵にされた金属片は、星のような輝きを地面に散らせた。
シャロンヌはそれを、ただただ呆然と眺めていた。
「美しい……」
我知らずそんな言葉を口にしていた。
突っ込むところは他にも盛りだくさんだ。
だが、それでも、シャロンヌの知覚が最初に感じ取ったのは正しくソレだった。
「シャロンヌ殿。これが俺の“やりたいこと”だ」
魅了からさめぬ状態のシャロンヌへ、天は平然と言ってのける。
「俺はこの悪趣味な首輪を、この世界から一つ残らず排除してやろうと思ってる」
「なっ‼︎」
完全な不意打ちだった。
なにせ天が今何気なく言ったことは、シャロンヌがその生涯をかけてでもやり遂げなければならないと己に課した、苦行の一つなのだから。
……天殿。貴方という方は……
奇しくも、天はシャロンヌが彼自身にやらせたかった全ての事柄を、自分から“やる”と公言したのだ。
シャロンヌの目には、天がどこまでも眩い存在に映って見えた。
「ーーシャロンヌ殿」
凛とした声がシャロンヌの意識を引き戻した。
天は真っ直ぐに背筋を伸ばし姿勢を正して、シャロンヌに深々と頭を下げる。
「どうか俺達に、シャロンヌ殿の力を貸してはもらえないだろうか?」
「っ……、……⁉︎」
シャロンヌは焦った。
答えなどとっくに決まっている。だがあまりの感動と驚愕に、とっさに言葉が出てこないのだ。
あたふたするシャロンヌをよそに、天は結果など疾うに見えた勧誘を続ける。
「俺達にはどうしても貴女の力が必要です。……いや、この言い方だと少々語弊があるか」
下げていた頭を上げ、シャロンヌを正面から直視し、天は言った。
「シャロンヌ殿。俺はこれから先も、あんたと一緒にいたい」
「っ……‼︎‼︎‼︎」
瞬間、今までに味わったことのない歓喜と幸福感がシャロンヌの全身を満たした。
……そうか……
その時シャロンヌは悟った。
ーー私はこの御方に仕えるために、これまでの人生を歩んで来たのだ。
それはあたかも神に対するが如く。
気がつけばシャロンヌはその場に跪いていた。
「Sランク冒険士が一翼、シャロンヌ。たった今、この瞬間より、貴方様に全てを捧げます」
これこそが我が望む道。
一雫の涙を流し。
シャロンヌは恭しく頭を垂れる。
「これより先の人生は……“我が主”のために」




