第87話 偽りの面 ①
「うおっ!」
突如、洞窟の奥から押し寄せてきた光の波に、ロイガンは思わず身を退かせる。
「な、なんじゃ今の光はっ⁉︎」
「一体、中で何が起こっているのでしょうか……」
洞窟の入り口前で待機していたサリカも、落ち着かない様子で中を覗き込んだ。
直後、低く抑揚のない声がロイガンとサリカの背にかけられる。
「確かめにいきましょう」
さも当たり前のようにそう言ったのは、エレーゼの主治医である渡良瀬だった。
彼は何の躊躇いもなく、洞窟の中へ足を向ける。
「待たんか、渡良瀬!」
「待つ? 一体どうして?」
声を荒げて自分を制止しようとしたロイガンの方を振り向きもせずに、渡良瀬は言う。
「私はエレーゼ殿の主治医ですよ。その私が、なぜ患者のもとに足を運んではいけないのでしょうか?」
「それは、じゃな……」
そこまで言ってロイガンが言葉を詰まらせた。
渡良瀬は、糾弾にも似た口上を続ける。
「そもそも、どうして私たちが、あんなどこの誰かも分からない娘の言うことを素直に聞く必要があるのです? シャロンヌ殿に直接指示されたわけでもないのに。ロイガン殿もサリカ殿もどうかしていますよ」
「「…………」」
ロイガンとサリカは何も言い返さなかった。渡良瀬の物言いには多分に棘が含まれていたが、その言い分は一応の筋は通っていた。
「さあ、お二人とも行きますよ」
まったく悪びれない態度で歩を進めながら、渡良瀬はロイガンとサリカの方に首だけわずかに振り向いて。
「私の護衛という建前で付いてくれば、仮にそれがシャロンヌ殿本人の意思であったとしても言い訳はきくでしょう」
この渡良瀬の言葉にも反論の声は上がらなかった。
ロイガンとサリカは一度顔を見合わせた後、意を決したように渡良瀬の背中を追った。
「あの娘、嘘をついている風には見えなかったが」
「私もそう思います。ですが、渡良瀬様のご言い分も尤もなものかと」
などと口では言っているが、普段の彼女ならこんなにあっさり人との約束を反故にしたりしない。それがシャロンヌの戦友からのものなら尚の事だ。
「……責任はすべて私が取ります」
当然といえば当然だが、結局のところ、彼女は居ても立ってもいられぬのだろうーー。
「馬鹿を申すでない。その時は儂も同罪じゃ」
そして、それはロイガンも同じであった。
◇◇◇
「ーーしっかしまたとんでもない効力だな、こいつは」
いまだ伸び続けるエレーゼの髪を踏まないよう気をつけながら、天はゆっくりとした歩調で、ようやく長年の覚めぬ悪夢から解放された仲間とその妹のそばまで歩み寄った。
「シャロンヌ殿。この度は妹君の全快、心よりお喜び申し上げる」
「天殿……!」
天がやや芝居掛かった調子で祝いの言葉を口にすると、シャロンヌはエレーゼを両腕で抱きしめたまま、バッと顔を上げ。
「私は……私はあなたにっ! か、感謝の言葉もーーッ‼︎」
「気にするな」
天はシャロンヌからの謝意を一言で裁った。
「さっきも言ったが、これは俺が勝手にやった事だ」
口調はぶっきらぼうだったが、天の声には仲間を思いやる優しさがあった。
「天殿……っ」
嗚咽を漏らしながら、シャロンヌは感極まった表情でがむしゃらに天に頭を下げる。言葉にせずとも、シャロンヌのその姿勢には天に対する万の感謝の気持ちが込められていた。
「やっぱり天兄はサイコーなの!」
リナが勢いよく天の腰に抱きつく。
ぽりぽりと頰を掻きながら、天は苦笑する。
「ちと毛髪に関しては効きすぎな気がしないでもないが。まあ、長い分には問題ないだろ」
「もぉー、たまらないのです! この男前っ‼︎」
まるで彼女の興奮と喜び度合いを表すかのように、リナの犬の尻尾はこれでもかと激しく振られていた。
まさしく大団円。
めでたくハッピーエンド。
そんな空気が、惜しみなくこの場には流れていた。
だがしかしーー
「シャロンヌ殿、リナ。これから二人にいくつか頼みたい事がある」
形成されつつあった祝いの雰囲気は、唐突に終わりを告げる。それほどまで、天の発した声の質は、シャロンヌとリナの危機感を煽る代物だった。
「承知した」「了解なの」
これはただ事ではない……一線級の冒険士である両名は、瞬時にそう感じとったのだろう。
シャロンヌは湧き上がる激情を強引に抑えつけるように、エレーゼをベッドに戻す。
リナはすぐさま天の腰から手を離し、そのまま天の正面にまわった。
「悪いな二人とも。せっかくの祝杯ムードのところを」
「お構いなくなの」
「何をすればいい?」
こういう時、彼女達のような理解と切り替えが早い者は頼りになる。
「時間がないから手短に話す」
天はリナとシャロンヌの態勢が整ったことを確認すると、小さく頷き、声をもう一段階硬質化させた。
「どうやら、まだ全てが終わった訳ではなさそうだ」
そう言いながら天は部屋の外に意識を向け、シルクのカーテンで仕切られた入り口を鋭い眼光で射抜く。
刹那、天は神のスキルーー《生命の目》を発動させた。
◇◇◇
「まさか、こんなに早く戻ってくるとはな」
薄暗い洞窟の道を歩きながら、渡良瀬は苛立ちを隠せぬ顔でそう呟く。その様は、普段温厚な彼からは想像もつかないほどーー溟くドス黒いものを感じさせた。
ただ、狂気をはらんだ表情は洞窟の暗がりに匿れ。怨嗟にも似た声は辺りの環境音に紛れて……
「あのリナさんという方は、エレーゼ様が『助かる』とおっしゃっていましたが……」
「もしその話が誠ならば、儂は一生あの者達の召使いになっても構わぬぞ」
とうとうロイガンとサリカがその男の変貌に気づくことはなかった。
「………………」
「………………、…………」
エレーゼの寝室に入った途端、ロイガンとサリカは何処かに感情を置き忘れたかのようにその場で棒立ちになった。
「ん……んぅ……」
見違えた、という言葉では到底表現しつくせないエレーゼの美々しい姿を目の当たりにして……
二人は瞬きも忘れて固まっていた。
無理もない。
かの光景は、おそらくロイガンやサリカが夢にまで見たーー彼等の一番の願いだったのだから。
「すぐには信じられないかもしれないが、エレーゼ殿は見ての通り完治した」
生ける石像と化したシャロンヌの家来たちに最初に声をかけたのは、部屋の入り口の前で彼等を迎え入れた天であった。
「無論絶対とは言い切れんが、もうこの先き彼女が“瘴気”に侵され、辛苦の日々を送ることはないだろう」
「あ、ああ、ああぁ」
「まさか、まさかこのような事が……!」
ゆっくりと首を振って、ロイガンは涙をこらえるように口を結ぶ。その隣では、既にサリカが泣き出していた。
「スー……スー……」
「エレーゼさま、エレーゼ様……うぅ、あぁあっ」
口元を両手で覆い、サリカはその端正な顔立ちを涙でくしゃくしゃにして。ベッドの上で穏やかな寝息を立てるエレーゼに身をよせた。
サリカの後に続き、ロイガンは茫然としながらも嬉しさを隠しきれないといった面持ちで、吸い寄せられるように主人の枕元に立つ。
「これは誠に現実であろうか……」
「そこにいる花村天殿が、エレーゼを救ってくださったのだ」
そう答えたのは、地面まで伸びた妹の髪を慣れた手つきでまとめるロイガンのもう一人の主人ーーシャロンヌであった。
「天殿は“生命の女神フィナ”様の力が宿ったワールド級のアイテムを用いて、我が妹エレーゼを終わりなき地獄から解放してくれた」
「なんとっ」
「そ、そうとは知らず、先ほどは大変なご無礼を……!」
「ーーところでお前たち」
シャロンヌは、家来たちが天に感謝の意を表する暇も与えず。凍れる眼差しをロイガンとサリカに向ける。
「何故、お前たち二人がこの場にいるのだ?」
「え、あ、それはですなっ」
「…………」
瞬間、家来二人組は再び固まった。
「あたし、ロイガンさん達には外で待っててほしいって言ったのです。『これから中ですることはトップシークレットだから』って」
再度石化したーー部屋に入ってきた時とは致命的にニュアンスが異なるがーーロイガンとサリカに、リナが容赦なく追い討ちをかける。ちなみにリナもシャロンヌと同じく、掛け布団からはみ出たエレーゼの髪を黙々と結っていた。
「まま、誠に申し訳ございません、シャロンヌ様!」
「リナ殿もどうかお許しくだされ! 我らはどうしても中の様子が、エレーゼ様のご容態が気がかりでならなかったのですぞ!」
サリカ、並びにロイガンは、一も二もなくその場で平伏した。もはや彼等の中に、それ以外の選択肢は残っていなかったのだろう。
「まあ、そんなに責めなくてもいいだろう」
軽い調子で横槍が入れられる。
相変わらず部屋の入り口前に立っていた天が、焦りながらもどうか嬉しげに土下座するロイガンとサリカを見て失笑を漏らす。
「シャロンヌ殿。結果的にその二人は大役を果たしてくれたんだ。それで約束を破った件は大目に見てやってもいいんじゃないか?」
「天殿がそう言うのなら」
天の言葉にシャロンヌが微笑をもって応じる。
と同時に、サリカとロイガンは顔を上げ、頭の上に疑問符を浮かべた。
「我々が大役、でございますか?」
「花村殿。それは一体どういうーー」
「花村さん」
ロイガンの言葉に割り込み、放たれたその声はーー得も言われぬ薄ら寒さを感じさせた。
「そろそろ、私にもそこを通してもらえませんか?」
ひとり部屋の入り口の前で通行止めを食らっていた渡良瀬は、冷たい目で天を見る。
天は何も答えなかった。
「……ふぅ、仕方ありませんね」
埒が明かないと思ったのか、渡良瀬は強引に天の横を通って、エレーゼに歩み寄ろうとしたーー
「おっと。お前はそれ以上、エレーゼ殿に近づくな」
しかし、天が見事な体捌きで渡良瀬の動きを制し。それを阻止する。
「花村さん。さっきから何の真似ですか、これは?」
「俺がわざわざ言わずとも、本人が一番分かってると思うが」
敵意にも似た渡良瀬からの反感など歯牙にも掛けず、天は挑発的な笑みを浮かべたまま、ロイガンとサリカに声を飛ばす。
「ロイガン殿、サリカ殿。お二人はこれからしばらくの間、そこを動かないでほしい」
「?」
「む? 花村殿、我らが動いてはならぬとは何故のーー」
「黙って言われた通りにしろ」
有無を言わさぬ鉄の声で、問答無用にロイガンの質問は打ち切られた。シャロンヌはロイガンを鋭く一瞥し、おもむろに立ち上がる。
「シャロンヌ様……」
ただならぬ気配。
いや、それ以上にシャロンヌの横顔を見て悟ったのだろうーー老戦士の顔から一切の甘さが消えた。
「かしこまりました、シャロンヌ様。花村様も承知致しました」
そしてそれはサリカも同様。
二人の従者はエレーゼを背に庇うように立つと、その人物に警戒の目を向ける。
「ーーふむ」
涼しいげな表情を崩すことなく、渡良瀬は言った。
「勘違いがないよう先に断っておきますが、私はこれでもエレーゼ殿の主治医なのですがね」
「ほう。なら主治医ってのは、こんな物を自分の患者に投与する奴のことを言うのか?」
言いながら、天は渡良瀬の足元に四角いビニールパックのようなものを放った。
「…………」
ほんのわずかだが、渡良瀬はそれを見て眉をひそめる。
手のひらサイズほどのパックの中には、半透明の液体が入っていた。
「む。あれは確か」
「エレーゼ様の点滴薬……ですか?」
ロイガンの思案を引き継ぎぐかたちでサリカがそう答える。エレーゼの世話役である彼女は、当然、ソレが何なのかすぐに分かったのだろう。
「それ、中身はただの水なのです」
「ーーっ!」
「それは誠か、リナ殿っ⁉︎」
リナの口から告げられた思いもよらぬカミングアウトに、サリカとロイガンの目の色が警戒から憤怒へと変わる。
「……どういうことかご説明いただけますか、渡良瀬殿?」
「貴様、返答次第ではただではおかぬぞ……!」
ロイガンとサリカは、今にも渡良瀬に飛び掛らんばかりの勢いで武器を構える。
「待つのです、二人とも」
「天殿はお前たちにそこを動くなと言ったはずだ。何度も同じことを言わせるな」
言いながらもシャロンヌは殺気立った空気を全身から漂わせ、じっと渡良瀬を睨みつけていた。
「ここは天殿に任せろ」
言葉とは裏腹に、シャロンヌの拳は血が滲むほど強く握られていた。言わずもがな、今この場で一番自分を抑えつけているのは他でもない彼女だろう。
「ふむ」
一方の渡良瀬は、シャロンヌ、ロイガン、サリカの激昂に晒されながらも。それを鼻で笑うようただ平然と眼鏡をかけ直し。リナに視線を移した。
「失礼ですが、彼女は?」
「うちの優秀なメカニックだ」
「では、医者というわけではないのですね?」
「ああ。ただあいつは見ての通り犬型の亜人だ。 単なる水と薬剤を嗅ぎ分けるぐらいなら造作もない」
「ふっ、まさかそれだけの理由で私は嫌疑をかけられているのですか?」
渡良瀬は今度こそ、天の論法を鼻で笑う。
「あのリナという娘が勘違いしている可能性は? その点滴薬が本当に私が投与したものだという確かな証拠は? 花村さん。残念ですが、あなたの妄想には何の根拠もない」
「根拠ねぇ」
あくまで白を切る渡良瀬に、天は不敵な笑みを返して。
「お前に一ついいことを教えてやろうーー」
それは魔法のセリフか、はたまた悪魔の宣告か。
「“ライブストの輪”は、俺が素手で引きちぎった」
「! そんなバカなっ‼︎」
瞬く間に渡良瀬の顔から余裕が消え失せた。
天は態とらしく小首を傾げる。
「何が、『バカな』なんだ?」
「あ、いえ……」
渡良瀬は、焦りを隠すように眼鏡を持ち上げた。
「ーーライブストの輪?」
耳慣れぬその言葉を、リナは訝しげに呟く。
天は我が意を得たりとばかりに、にやりと笑う。
「そう。普通なら『そういう反応』をするはずだ」
「ふふ。天殿もお人が悪い」
シャロンヌが冷笑を浮かべる。その笑みは喑に天の策略への理解と称賛が込められていた。
「らいぶす、なんじゃと?」
「ライブスト……“家畜”という意味でしょうか?」
主君とは対照的に、ロイガンとサリカは怪訝そうに眉をひそめる。
「ライブストの輪とは、『奴隷の首輪』の正式名称だ」
天は淡々とした口調でそう告げた。リナに、というよりこの場にいた全員に向けて。
途端にサリカとロイガンの表情が凍りつく。
「『奴隷の首輪』にそのような忌み名が……」
「……まこと身の毛もよだつ話ですな」
「お前たちが知らないのも無理はない。これはいわば超国際級の機密情報だ」
家来たちへの教示も兼ねて、シャロンヌが天の言葉の続きを引き継いだ。
「この情報を知り得る人型は、それこそ天殿やこの私も含めて、世界に数えるほどしかいないだろう」
「あ〜、それじゃあ今の渡良瀬さんの反応は確かにおかしいの」
リナは頭の後ろで両手を組み、意地の悪い笑みを渡良瀬に向けた。
仕上げの時間だ……
「そう。お前は俺が告知した情報をごく自然に受け入れ、またその意味を正確に理解した。どちらも一介の医者が示す反応としてはあまりにも不自然だ」
「くっ」
渡良瀬の顔が苦虫を噛み潰したように険しく歪む。
すべては三人のシナリオ通り。
「それにしても『家畜の輪』とか、聞けば聞くほど悪趣味なネーミングなのです」
「同感だ。心底反吐が出る」
「まあ、人型では無い奴等からしてみれば有り触れた文言なんだろう」
天は涼やかにそう告げて。
「とりあえず『はじめまして』と言っておこうか、“邪教徒”君」
優雅に一礼してみせた。




