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第82話 オークキング 下

 天が去った後、冒険士協会本部・最下階エリアに、ふたたび静寂が訪れた。


「なんだというのだ……」


 シャロンヌは呆然と立ち尽くしていた。

 周囲に人の気配はない。一階総合受付カウンター前にいるのは彼女一人だ。

 シストとマリーは、いまだ目を覚まさぬアリスとその侍女と思しき人物の身柄を、最上階のVIP専用エリアに移した。

 カイトとアクリアも、アリス達の身辺警護の為、それに同行した。

 残るリナも現在この場には居ない。

 幸いシャロンヌは『外出組』だったので、準備が整うまで待機、という名目でただ突っ立ってるだけでも最低限の体裁は保てた。


「シャロンヌさん」


 ふいとシャロンヌの背中に声が掛かる。

 自分を呼ぶその声に、シャロンヌが振り返ると、そこには動力車の運転席から顔を突き出すリナの姿が。


「さっ、あたし達も早く出発するのです」


「あ、ああ」


 言われるがまま、シャロンヌは動力車の後部座席に乗り込む。ちなみに助手席に乗らなかったのは、リナがリアシートを指差したからである。


「それにしても()かったのです。天兄との()()わせ場所、当初予定していたコースからほとんど(はず)れてないの」


「はあ……?」


 シャロンヌは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。リナの物言いが、あまりにも緊張感に欠けるものだったからだ。

 シャロンヌは、こいつ今の状況をわかっているのか? と言わんばかりの目で、運転席に座るリナを見やる。

 そんなシャロンヌの心持ちを鋭敏に嗅ぎとったのか、リナはバックミラー越しにシャロンヌと視線を交わし、


「天兄が『オークキング』の居所(いどころ)特定(とくてい)した時点で、この件はほぼ()みなのです」


「ッーー」


 瞬間、シャロンヌの脳裏に、ある二つ台詞がフラッシュバックした。


『絶対強者である天殿に、()つかったら()け、(つか)まったら()わり』


捕捉(ほそく)完了(かんりょう)


 それは神域で“知識の女神ミヨ”が口にした台詞と、今しがた天が言ったセリフだ。


「ーーそういう事なのです」


 シャロンヌの頭の中を見透かしたように、バックミラー越しにリナがニヤリと笑う。


「天兄は10分以内には終わらせるって言ってたし、こんな寒空の下であんまり()たせちゃ悪いのです」


 言いながら、リナは手元のシフトレバーを巧みに操作し、アクセルを踏み込む。


「飛ばすの!」


 リナの掛け声と軽快なエンジン音が重なり合い、シャープなシルバーボディのスポーツカーがぐんぐん加速していく。

 シャロンヌは体にかかるGに抗うことなく、リアシートに背を預けた。どうやら状況が理解できていなかったのは、自分(じぶん)(ほう)だったようだ……そう思いながら。


「大丈夫なのです」


 絶妙なハンドルさばきで車を走らせながら、リナが言った。


「天兄がいれば、エレーゼさんは絶対に助かるの」


「……そうだな」


 リナの声に素直に頷くと、シャロンヌは小声で「ありがとう」と呟いた。

 “助けてくれる”ではなく“助かる”、そんな仲間の言葉が、シャロンヌにとっては何よりも心強かった。

 彼等の中では、もはやエレーゼを『助ける』ことは当たり前のことなのだ。


 ーーそして、その結果がすでに約束(やくそく)されたものであるということも。


 ここにいるリナは勿論のこと、本部に残ったカイトやアクリアも含め、誰一人としてそれを疑う者はいないーーこの時、シャロンヌは生まれて初めて、心から(とも)()べる存在を得た気がした。



 ◇◇◇




「Cランク冒険士の六条(ろくじょう)スガルさんとミンリィさんというのは、君達のことか?」


「キミは?」


 スガルは質問には答えず、突如自分達の前に現れたその男を訝しげに見つめ、おうむ返しに問い返した。

 もっとも、すぐ否定しなかった時点で男の言葉を肯定しているようなものだが。


「失礼した。俺の名は花村(はなむら)(てん)。今回の『オークキング』の件で派遣された、まあ、言ってみれば君らの同業者だ」


「……六条スガルは僕だよ」


 天に(なら)い、スガルも軽めの自己紹介をする。

 もともとスガルはお喋り好きな人間だ。天のフランクな態度にいくらか警戒心が薄れたというのもあるだろうが、こういった会話でだんまりを決め込むようなタイプじゃない。


「ーーで、こっちがミンリィ」


 ついでに言えば、未だに一言も発しない相方(ミンリィ)の代わりに、サクッと紹介を済ませる社交性も持ち合わせていた。

 スガルは、隣に立っていたミンリィに目を向ける。

 と同時に、スガルはある違和感に気づいた。


 ーー冷や汗?


 ミンリィの額には大量の汗が(にじ)んでいた。


 ーー林の中を走り抜けたからか?


 違う。雑木林を抜けて、ミンリィと今後の方針を決めていた時ーーつまり、今の今までミンリィは汗ひとつかいていなかったはずだ、とスガルは思った。どちらかといえば、彼女よりも運動能力が数段劣る自分の方が、汗だくになって林の中を駆け回っていた、と。


 ーー『オークキング』を遠目で確認した時もそうだった。


 最初こそ多少狼狽えもしていたが、気持ちを持ち直すのはスガルよりもミンリィの方がずっと早かった。


 ーー只者ではないということか。


 そう推理するのは容易だった。

 ミンリィの索敵能力は折り紙つきだ。野生的な直感も常人の比ではない。それこそ、純血の獣人冒険士の精鋭たちと比べても遜色ないレベルだ、とスガルは評価していた。

 頭の回転も魔力も、スガルの方がミンリィよりツーランクほど上ではある。だが、こと“直感力”に()いては、スガルはミンリィのそれに遠く及ばない。

 そのミンリィが明らかに気圧されているのだ。並の冒険士のわけがない。

 そしてそれを裏付ける根拠も、スガルは既に見出していた。


 スガルは不自然でない程度にもう一度、今度はしっかり天を視界に捉えた。


「随分と早い増援だけど、さしずめキミもこの辺りを巡回してたってところか」


 これはスガルの率直な感想だった。スガルがマリーに『オークキングが現れた』と連絡してから、まだ10分と経っていない。


 ーーしかし、それよりも()になる(てん)がある。


 あのシストとマリーが、準災害級モンスタ一が徘徊している現場に、たった一人(ひとり)()かわせたという点だ。


 ……それだけ彼の実力(じつりょく)信頼(しんらい)されてるってことだ……


 スガルとミンリィは、すぐにその場から離れろとマリーに言われた。それ自体は正しい指示だ。

 スガル自身も、たかが二人で『オークキング』に挑もうなどとは思わない。たとえ自分がその選択肢を許される『Cランク冒険士』であったとしても、だ。

 ミンリィのような気概も自己犠牲の精神も、スガルの中には存在しない。現場の状況を的確に把握し、割りに合わないことは極力避ける。ある意味で生粋(きっすい)のプローーそれが六条スガルという人型であった。


「ーーあれ?」


 スガルは目をパチクリさせた。今まで自分と会話をしていたはずの天が、不意に視界から消えてしまったのだ。


「一体どこへ……」


「あっちだ」


 戸惑うスガルに助け船を出したのは、ようやく再起動したミンリィだった。

 ミンリィは、先ほど自分達が雑木林から出てきた場所へ顔を向けていた。

 見れば、そこには天の姿が。


「いつの間にあんなところに」


()んだんだ、たった一歩(いっぽ)であそこまで……」


「へ?」


 スガルが間の抜けた声を出したあたりで。

 ミンリィとスガルのやり取りは、第三者の介入により中断を余儀なくされる。


「ブオロロロオオオオオオオーーッッ‼︎」


 その瞬間、大気を震わせる超振動の雄叫びが、スガルとミンリィの五感すべてを刺激した。

 (いな)、怒号だけではない。

 大地を揺るがす地鳴りのような足音も、一歩一歩着実にスガル達のもとへと近づいて来ていた。


「じょ、冗談じゃないよ! 早くここから離れないと!」


「くっ」


「ーー好都合だ」


 その時、確かに男はそう言っていた。スガルとミンリィの耳にはそう聞こえた。

 この危機的状況が、“好都合(こうつごう)”だとーー。


「六条さん、ミンリィさん。(たの)みがある」


 十数メートルは離れているはずなのに、天の声は、まるで耳元で話されているような、とても通りのいい声だった。

 雑木林の奥を見据えながら、天は言う。


「ほんの少しの間、そこで()っていてくれないか。アイツを処理(しょり)した後、君達二人に折り入って相談(そうだん)したい事がある」


 それだけを告げて。

 天はスガルとミンリィに一瞥(いちべつ)もせず、身の毛もよだつ唸り声に覆われた林の中へと平然と足を踏み入れた。


「私たちも()くぞ!」


「はぁ⁉︎」


 一も二もなく走り出したミンリィの背中に向かって、スガルが手を伸ばした。


「ちょっ、ミンリィ!」


「私たちだって、(かれ)と同じ“レンジャー”の(はし)くれだ!」


「レンジャーって言っても、彼はきっと“ハイクラス”の冒険士だよ」


 冒険士の中でも、『レンジャー』の称号はCランクまで到達した冒険士にのみ与えられる、言わば国家資格のようなものだ。そして『ハイクラス』とは、その中でもAランク以上の冒険士だけに贈られる敬称である。

 彼等はあらゆる組織から様々な恩恵を受けられる代わりに、こういった有事の際には最前線に立つことを義務付けられている。

 また、緊急時における現場の指揮権は、その場に居合わせた最も高いランクの者に委ねるというのが、冒険士達の間では暗黙の了解だった。


「Cランク冒険士の僕らが行っても、逆に彼の邪魔になるだけさ」


「ならば、お前は()われた(とお)りここで待ってればいいだろ!」


 ミンリィはスガルの手を振り払う。

 対抗意識というよりも、無力さからくる敗北感(はいぼくかん)ーーミンリィの声には、そんな心境の吐露があった。

 スガルは額を手で覆う。


「……今日は厄日だよ、本当にさっ」


 心底気が進まなかったが、スガルは仕方なくミンリィの後に続いた。





 ◇◇◇





 暗い風が、物々しい声を上げる。

 雑木林の中は闇が支配し、暴悪の意志を持った殺伐な夜気が横行闊歩していた。

 それは荒れ狂う夜の海を泳ぐような感覚に近い。

 流れ続けるけたたましい咆哮が辺りの風景を歪め、揺らがせる。


「二人とも()ってきたか」


 相変わらず目は前だけを見据え、天はわずかに口元を緩ませる。


「追ってきても右の方の娘だけだと思ったが、案外あの軽そうなのも根性あるじゃないか」


 天はスガルに対する評価を上方修正した。

 ミンリィは理屈よりも感情で動くタイプで、スガルはそれと正反対のタイプ。ミンリィは職人気質で、スガルはプロ気質。それが彼等二人に対する、天の第一印象だった。


 ……あのミンリィという娘は、少なからず俺の戦力を見抜いていた。おそらく、リナやラムと同じ獣人型の血統なのだろう……


 ミンリィの見た目は二十歳前後の人間型の女性、大概の者はそう判断する。

 だが、天は初対面の相手を外見では()ない。

 いや、この場合、視覚(しかく)だけに(たよ)らないと言った方が正しいか。

 相手の纏う空気、立ち振る舞い等、様々な反応(リアクション)をもとに分析し、自らの経験則からある程度の予測を立てる。

 実際、天の洞察力は一級品だった。彼の見当は大抵が正しいか、それに近いところを導き出す。


 ーーしかし、今回は見事(みごと)にハズレた。


 天の予想は、ミンリィは八割方追ってくるがスガルはまず自分から動くことはない、というものだった。


 ……自分の意思で危ない橋を渡るようなタイプには見えなかったが。察するに、仲間(ミンリィ)発破(はっぱ)をかけられて仕方なくってところか……


 複雑に入り組んだ木々の迷路を抜け、天は雑木林の中の開けた場所に出た。


「今はどうでもいいか」


 そう言って天は力強く大地を蹴り、高く、どこまでも高く、蒼い月光が照らす夜空へと跳躍した。


「ーーいた」


 10時の方向に目を向け、天はその魔物を視界に捉える。

 体長六、七メートルはあろうごつごつした岩のような大きな体。剪定(せんてい)(ばさみ)を思わせる鋭く割れた蹄。(まぶた)のない濁った白目は、感情を読み取りにくいものにしていたーーが、その荒々しい気性故、対象の精神状態は丸分かりだった。


「あれが『オークキング』か」


「ブォオオ!」


 オークキングも自分に向かって飛んできた人影ーー天の存在に気づいた。


「ブロロロロオオオーッ‼︎」


 猪突猛進とはこのことだろう。

 巨大な豚の魔物は、うっそうと生い茂る木々の妨害など物ともせず、一直線に天めがけて突進して来る。


()(わる)い奴ってのは、決まって行動の選択肢を見誤るな」


「ブオロロロロォオオオオオオッッ‼︎」


 両者の間合いは一気に縮まり、互いに射程圏内に入った。


 ◆◇花村天VSオークキング◇◆


 迫りくるオークキングを上空から見下ろし、天は底冷えするような声で囁いた。


「サービスだ。お前には特別に“奥技(おくぎ)”を使ってやる」


 刹那、天の五体が夜空に流麗な放物線を描いたーー。


 《闘技(とうぎ)天咲華(あまのさか)






(うそ)だよ……」


「すごい……」


 スガルとミンリィはその場で立ち尽くした。夜空に高々と()()げられた『オークキング』の(くび)を、ただ呆然と眺めながら。


 ーー決着は一瞬でついてしまった。


 スガルとミンリィが雑木林に入ってから、ものの数十秒。それはあっという間の出来事だった。


「は、はは……こりゃまいったね。シスト会長が、彼を一人で先遣させたのも頷けるよ。はは、はははは……」


 スガルは思った。もはや笑うしかない、と。


「あの『オークキング』が、まるで相手になってない」


 ミンリィは呻いた。畏怖と羨望を込めて。


 スガルもミンリィも、天が実力者なのは分かっていた。自分達など足元にも及ばぬほどの、圧倒的な戦力を有していることも。


 ーーしかし、それでもあれはない。


 規格外。強さの次元(レベル)が違う。

 それこそ、冒険士の最高峰である『Sランク』でもない限り、あの強さは説明できない。

 いや、もしかするとそれ以上の……。


「なんというかさ……」


 顔を引きつらせながらも懸命に平常心を保ち、スガルが言った。


「世の中には、想像を絶する()(もの)がいるね」


「化け物とはご挨拶だな」


「うわぁっ⁉︎」


 スガルはこれでもかと体を仰け反らせ、奇声を上げた。一流コメディアンもかくやというリアクションだ。

 だがそれも仕方がない。何せ今しがた戦闘を終わらせたばかりの天が、気がつけば自分の背後から現れたのだから。

 マジックというより、もはや軽いホラーである。

 天はスガルの反応にはとり合わず、事務的な調子で言った。


「お疲れ様。『オークキング』はこっちで処理させてもらったよ」


「お、お疲れ様です。ーーて、僕らは何もやってませんけどね。あは、あはははは……」


「っ……」


 咄嗟に愛想よく受け答えするスガルとは対照的に、ミンリィは悔しそうに拳を握り締める。


「あなたは、いったいーー」


「早速だが、六条さんとミンリィさんに頼みがある」


 何かを言いかけたミンリィの声を遮り、天は言う。


「今夜の『オークキング』の件を最初からなかった事にしたい。ついては、君達二人のどちらかに、その(むね)をシスト会長かマリーさんに伝えてほしい」


「……それは、あなたの事を一切口外しないと、会長を通じて冒険士協会に約束しろと?」


 瞬間、スガルの目に納得と恐れの色が浮かぶ。

 スガルも冒険士を始めてそれなりに経つが、花村天などという名は一度として聞いたことがなかった。しかしたった今、目の当たりにした天の力量を鑑みれば、それはあまりにも不自然だ。

 この業界は、実力さえあれば嫌でも名が売れる。スガルはその事を人一倍理解していた。

 なのに天はまったくの無名(むめい)。あれだけの強さがあるにも拘らず、だ。


 ーーこれで辻褄(つじつま)()う。


 口の中をカラカラにして、スガルは息を呑んだ。

 天を取り巻く環境にはそれ相応の事情と特異性がある、スガルはそう判断した。下手に逆らえば、今度は自分の首が文字通り()びかねない、と。

 だが。


「ーー違う。俺の情報に関して言えば、特別隠す必要はない」


「……へ?」


 スガルは思わず気の抜けた声を出してしまう。それはまさかのどんでん返しだった。

 スガルは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を天に向ける。

 天は気にせず続けた。


「俺が頼みたいことは、あくまで『オークキング』についての情報の隠蔽(いんぺい)だけだ」


「つまりはーー」


「単刀直入に言う。六条さんとミンリィさんには、『オークキング発見は誤認(ごにん)だった』と冒険士協会に報告し(なお)してほしい。出来れば、今すぐに」


「「!」」


 瞬間、スガルとミンリィは目を見張った。天の頼み事もそうだが、何より二人が驚いたのは、天が自分達に何の躊躇もなく深々と頭を下げたことだった。


「理由を伺っても……?」


 これはミンリィ。

 天のその態度から、並々ならぬ事情がある事は、彼女にも一目で理解できた。


「仲間の家族が危篤(きとく)でな」


 何の迷いも見せず、天は当然のようにその事実を語り出した。それが自分ができる、せめてもの誠意(せいい)だと言わぬばかりに。


「もしも今、『緊急災害警報』が鳴り、この周辺一帯の交通機関が麻痺してしまうと。最悪、()()わなくなるかもしれない」


「そんな理由が……」


「なるほどね」


 天の説明は掻い摘んだものだったが、ミンリィとスガルはすぐさま納得の表情を浮かべる。


「スガル」


「うん。そういった事情があるなら仕方ないよ」


 そう言いながらスガルはライダースジャケットの左袖ポケットから、自分の髪と同色のライトブラウンのドバイザーを取り出す。


「実際、一度警報が鳴っちゃうと面倒なことになるしね。たとえ『オークキング』をもう倒していても、事実確認を終えるまでは警戒令は敷かれたままだし」


「確か、災害警報を鳴らすか否かの判断も同じことが言えたはずだ。だったら、花村さんの言うように最初から『オークキング』が存在しなかったことにした方が確実だろう」


「はぁ、今日は色々あったけど、まさか最後の最後で誤報の謝罪なんてさ。本当、ツイてないよ」


「形はどうあれ『オークキング』の脅威は去ったんだ。文句を言うな」


「そりゃそうだけどさ……」


「ーーそうだ、二人に渡しておきたい(もの)がある」


 天はガックリと肩を落とすスガルに歩み寄ると、予め用意していたかのように、ある物をドバイザーから抜き出した。


「『オークキングの魔石(ませき)』ーーこれは六条さんの()(ぶん)だ」


「…………え? ーーえぇえええっっ‼︎⁉︎」


 スガルは驚愕の表情を浮かべ、手渡された重量感のある魔石と天の顔を何度も何度も交互に見やる。

 一方、天はまるで商品説明をするかのように、ドバイザーの液晶画面をスガルの前に差し出した。


「俺のドバイザーは特別性でな。魔石製造はもちろん、それを分割することもできる仕様になっている。不公平のないよう『オークキングの魔石』はこちらで三等分にさせてもらった。これが履歴だ。確認してくれ」


「っ……‼︎」


 スガルは手の中の魔石と差し出しされたドバイザーを凝視し、ゴクリと生唾を飲み込む。ドバイザーの画面に開示された引出履歴にはーー『オークキングの魔石《状態 最良》1/3』と確かに記載されていた。


「いい、いいんですか?」


 Bランクの魔石、それも最良品質となれば、その希少価値は計り知れない。しかも、『オークキング』はBランクの魔物の中でもずば抜けた重量と高純度の魔素を有する。たとえ全体の三分の一でも、売りに出せば向こう十年は遊んで暮らせるだろう。

 スガルのこの反応も無理はなかった。


 天は小さく頷き、


「結果だけ見れば俺の独断専行(どくだんせんこう)による単一討伐だったが、六条さんとミンリィさんが戦地(せんち)(おもむ)いた事実は変わらない。ならば、君達二人が報酬を受ける取るのは当然の権利だ。この魔石の配当も、極めて妥当なものと判断した」


「花村さん……」


「すまない、六条さん。会長には諸々話を通してあるが、当然時間稼ぎにも限界がある」


「! 直ちにご報告させていただきます!」


 先ほどまでとは打って変わり、スガルは漲る覇気と共に右手に持つドバイザーに高速で指を走らせる。


「ーー詭弁(きべん)だ」


 ミンリィが天を睨んだ。


「そんな賄賂(わいろ)を貰わなくても、それなりの理由があるなら、私やスガルは言われた通りにします」


「ちょっ! 何言ってんのさ、ミンリィ‼︎」


「賄賂とは少し違うな」


 ミンリィに食ってかかろうとしたスガルを手で制し、天は言う。


「どちらかと言えば、これは()びだ。現場(げんば)が命懸けで手に入れた情報を(ないがし)ろに扱った件に対する、俺からのせめてもの」


「っ!」


 ミンリィは目を見開く。

 よくよく考えればおかしな話だった。天が事前にシストと口裏を合わせる算段を立てていたなら、わざわざスガルとミンリィに頼む必要などない。

 『オークキング』を討伐したその時点で、あとは勝手にシストなりマリーなりに自分で連絡を入れれば済むはずだ。


 ーーけれど、彼はそれをしなかった。


 何故か?

 答えは決まっている。


「私とスガルを気遣(きづか)ってくれたんですか……?」


「最低限の礼儀(れいぎ)だと思うが」


 天はミンリィの手のひらに『オークキングの魔石』を置いて、当たり前のようにそう答えた。


「六条さんとミンリィさんがここに居なかったら話はまた変わってくるが、本人達が目の前にいるのなら、こちらの事情を説明した上で許可を取るのは当然のことだ。君ら現場がリスクを冒してまで入手した貴重な情報は、決して(かる)くない、(かろ)んじてはいけない」


「……ありがとうございます」


「それに、今俺が六条さんに言った事も、本心から出た言葉だ。その魔石は、少なからず命懸けでこの場まで来た、君達への対価と思ってくれればいい」


「だったら、なおさらこれを受け取るわけにはっーー」


「あ、マリーさんですか。僕です。六条スガルです。非常に言いにくいんですが、さっきのアレ、僕とミンリィの見間違いでした。ーーはい。近くでよく見たら、『オークキング』じゃなくてただの大岩でしたよ。いや〜、お騒がせしちゃってどうもすみませんね、本当に。あ、始末書とかあったら遠慮なく言ってください。何枚でも書いちゃいますから! では、失礼しま〜す」


 スガルは通信を切ると、そのまま満面の笑みを天に向ける。ミッションクリア! スガルの顔には、そんなセリフがでかでかと張り付けてあった。

 天は会釈でそれに応えると、


「これでその魔石は、表向(おもてむ)きにはこの世に存在しないものになった。従って、君が受け取る受け取らない以前に、俺にはもうそれが何かを認識することは許されない」


「何やってるんだい、ミンリィ? 早く行くよ。僕らはこれから、ここら一帯の修復作業をしなくちゃいけないんだからさ。まったく誰の仕業だろうね? こんなに滅茶苦茶にしちゃって、環境破壊も(はなは)だしいよ」


「…………」


 早速、証拠隠滅を(はか)ろうとするスガルに、ミンリィは呆れよりも、むしろ(たくま)しさを覚えた。





 ◇◇◇





 人通りのない道路の脇に、ぽつんと佇む人影。

 現在の時刻は1時00分。

 深夜の峠道に一台の動力車が通りかかったのは、それからしばらくしてからだったーー。


「天兄、お疲れ様なの!」


 天が助手席のドアを開けると、間髪(かんはつ)を入れず運転席から(ねぎら)いの言葉が飛んできた。

 天は、運転席に座るリナへ手を上げて応える。


「多分、10分は()れたと思うんだが」


「あれはやはり本気(ほんき)()っていたのだな……」


 呆れまじりの声でそう言ったのは、助手席の真後ろに座っていたシャロンヌ。

 バックミラーに映った彼女の顔は、天が冒険士協会本部を出発する前よりは幾らかマシになっていた。

 天はわずかに口元を緩ませ、動力車に乗り込む。


「ちなみに、余裕で10分切ってたのです」


「なんだ、マリーさんから連絡でも入ったのか?」


「それもあるのですが、もっと直接的な吉報(きっぽう)(とど)いたの」


直接的(ちょくせつてき)?」


「あたしの“レベル”が上がったのです。ちょうど今から20分前に」


「なるほど、そいつは確かにダイレクトな情報だな」


「ついでに言うと、天兄が本部を出てから『オークキング』を倒すまでにかかった実際の所要時間は、5分37秒なの」


「そうか。悪くないタイムだ」


 それはとても(しず)かな夜。

 普段と変わらぬ、穏やかな山あいの風景。


 申し訳程度の街灯とおぼろげな月明かりに照らされる中。

 銀色の動力車は、悠々と真夜中の峠道を走り去った。


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