第81話 オークキング 上
本日未明、『ソシスト共和国』西部地区に『オークキング』が出現した。
その凶報は、マリーの口から速やかに皆へ伝えられた。冒険士協会会長のシストは勿論のこと、その場に居合わせた天達ゼロ支部特異課の面々と、Sランク冒険士であるシャロンヌの耳にも……。
「まさかこんなタイミングで……」
シストは力なく頭を振った。
「マリー、『緊急マルB災害警報』の準備はーー」
「既に手配いたしました」
マリーが感情を抑圧したような口調で告げる。
「あとは会長の承認さえいただければ、すぐにでも各機関に通達が可能な状態になっております」
「……分かった。ご苦労」
シストは重苦しく頷くと、上着の胸ポケットから小型の端末を取り出した。ドバイザーよりもさらに一回りはコンパクトな端末だ。
「“マルB災害”の緊急コードは、一二〇だったかーー」
マルB災害とは『Bランクモンスター発生』の隠語である。これが確認された場合、あらゆる行政機関は、準災害級のモンスターが発見された場所や日時などの正確な情報を、迅速かつ丁寧に周辺国とその地域全域に伝達しなければならない。
簡潔に言えば、シストが取り出した小型端末はその伝達手段だ。
シストがこの端末の専用回線で各機関に一報を入れるだけで、ものの数分もしないうちに『ソシスト共和国』と近隣の国々に緊急警報が流され、国中に厳戒態勢が敷かれる。
「ふぅ……」
シストの顔は苦渋に満ちていた。
だがその一挙一動に迷いはない。
当然だ。
それが大国の王であり冒険士協会の長を務める、彼の責務なのだから。
「ーーおっさん、俺に考えがある」
その声と共に、端末を操作していたシストの手がピタッと止まる。
思わずシストが顔を上げると、そこにはまっすぐな視線を自分に向ける天の姿があった。
「『オークキング』の討伐には俺とリナ、そしてシャロンヌ殿の三人であたろう」
「天さん、それはっ」
「それが今考えられる最善の策だろうな」
声を上げかけたマリーを制し、天の意見を支持したのは、シャロンヌであった。天が、そしてシャロンヌが口にしたことは、今この場にいる全員が真っ先に思い浮かび、言えなかったことだった。天とシャロンヌが出向けば、如何な『オークキング』とて即座に鎮圧できる、と。
「俺には『Sランク冒険士』としての義務がある。私情での職務放棄は許されん」
「ですけど……」
「二人とも、とりあえず兄さんの話を最後まで聞こう」
「なのです」
カイトとリナが脱線しかけた話を元に戻す。と同時に、天がシストからマリーに視線を移した。
「マリーさん、『オークキング』が目撃されたポイントを距離と方角で教えてもらえませんか? 大体のもので構わないので」
「ここからですと、西北西におよそ一五キロの地点ですわ」
変則的な問いかけにも拘らず、マリーはノータイムで天に答えを提示した。
天はマリーに軽く会釈を返し、
「……捕捉完了」
数瞬の沈黙を経て、そう呟いた。
「リナ。俺が先行して『オークキング』のもとに向かう。お前も目的地を経由した最適なルート取りが済み次第、すぐシャロンヌ殿と動力車で出発しろ」
「了解なの!」
「カイト、アク。二人は当初の予定通り、ここに残ってアリス王女の身辺警護。分かっているとは思うが、今回の『オークキング』の件も裏で“連中”が絡んでいる可能性が高い。十分に警戒し、防備を整えてくれ」
「了解」
「承知いたしました、天様」
天の指示に一切の懸念も示さず、リナ、カイト、アクリアの三人は、速やかに行動を開始した。
「マリーさん」
「は、はいっ!」
まさかこの流れで自分のターンが再び来るとは思ってもみなかったのだろう。マリーは必要以上に背筋を伸ばし、必要以上に声を張って返事をしてしまった。
「マリーさんに、一つ確認しておきたいことがあるんですが」
もっとも、それで会話を切るーー本人に恥をかかせないためにもーー天ではないが。
「今回『オークキング』が現われたポイントは、以前俺とジュリ達が『ハイオーク』を討伐した場所から、そう遠くないところでは?」
「! 言われてみれば確かにそうだわ……!」
マリーは、神妙な面持ちで左手に持っていたタブレット型の端末を開き、資料に目を通す。
その間、天は何かを納得したように「やはり」と頷き、シストの方へ顔を戻した。
「どうやら、あの辺りには傍迷惑な養豚場があるらしい」
「それはけしからんな。『ソシスト』の代表として、直ちに営業停止を言い渡さねばなるまい」
そう言って、シストが微かに口元を緩める。それは普段の余裕あるシストの表情だった。
「おっさんに頼みがある」
「何かね?」
「災害警報を鳴らすのはもう少し待ってくれないか。もしかすると、鳴らす必要すらなくなるかもしれん」
「……天君、悪いがそれはできんのだよ」
シストは、瞼を閉じて首を横に振った。
シストにも天が危惧するところは理解できた。
今、国中で緊急警報が鳴り響けば、間違いなく交通機関は麻痺する。
深夜だろうとそれは関係ない。
特に『オークキング』が現われた西部地区ーーこれから天とシャロンヌが向かう『ソシスト共和国』西部の国境までのルートで、動力車が通れるような経路は、そのほぼ全域が封鎖されるだろう。
そうなれば、当然二人がエレーゼのもとに辿り着くのも大幅に遅れる。それは何としても避けたいというのは、シストも痛いほど分かっていた。
しかし、それでも、シストには果たさねばならぬ責任がある。一国の王として、国際組織のトップとして。
従って、表向きには、天のその要望にイエスと答えるわけにはいかないのだ。
「マリー」
そう。表向きにはーー。
「『オークキング』の第一発見者は、誰かね?」
「本日、西部地区の定期巡回を担当していたCランク冒険士の六条スガルと、同じくCランク冒険士のミンリィです」
「ふむ。他に『オークキング』を目撃した者は?」
「今のところ、その二名以外からの目撃情報は届いておりませんね」
「ふむ……」
シストは顎に手を添えて、態とらしく思案のポーズを取る。
「いかんな、儂としたことが。たった二人の目撃証言だけで、ろくな確認もせず、つい先走ってしまうところだった」
如何にも芝居じみた口調でそう言うと、シストは特事回線用の小型端末をそっとポケットに戻した。
「天君。すまないが、今すぐ現場に行って調べてきてもらえんかね? 『オークキング』が、本当に現われたのかどうかを」
「了解した」
ニヤッと不敵な笑みを浮かべ、天はシストに背を向けた。
「もし今から20分経っても君からの連絡がなかった場合、『オークキングが現われた』とこちらで判断するつもりだがーー大丈夫かね?」
「充分だ。10分でお釣りがくる」
次の瞬間、ゴウッと大気が唸りを上げ、地が揺らぎ、津波のような衝撃波が生成された。
一拍置き、ゴムの焦げた臭いが周囲に漂う。
気つけば、天の姿はもうそこには無かった。
白い大理石の床にくっきりと刻まれた足跡だけが、彼が今までそこに存在した痕跡を残していた。
◇◇◇
静かな夜だった。
ほんのついさっきまでは。
「まいったね、どうも。まさか深夜の定期巡回中に、あんな怪物に出くわすなんてさ」
おどけた言葉遣いとは裏腹に、若者の声は震えていた。
「でもまあ、ここはプラスに考えるべきかな。協会にも無事連絡できたわけだしさ」
その若者が、無理に明るさを装って気を紛らわそうとしているのは明白だった。彼の口数が一向に減らないのも不安の表れだろう。
木々の障害物などお構い無し。
Cランク冒険士ーー六条スガルは、その中性的な甘いマスクを切り傷だらけにして、明かりひとつない雑木林の中をただただひた走る。
「それにほら、相手が規格外のデカブツだったおかげで、こんな夜中でも遠目から確認できたわけだし。僕らもこうして、すぐに現場から離れることができたわけだしね」
「……情けない」
ようやくスガルの声に応えた、というより口を開いたその者の瞳には、諦念に真っ向から抗うような熱が感じられた。
スガルと並走していたもう一人の冒険士ーーオオカミ型の亜人と人間の混血である“ハーフ獣人”のミンリィが、悔しそうに奥歯を噛み締める。
ハーフの獣人といっても、彼女の見た目は人間種とほとんど変わらないものであった。尻尾も無ければ耳も人のものだ。強いて言えば、目が獰猛な野獣を連想させる三白眼だったが、それでも彼女を初見で獣人と判別する者はまずいないだろう。
服装も飾り気のない無地のTシャツに幅広のニッカボッカと、鳶職のようなガテン系ファッションーー見るからに男勝りといった印象を受ける。が、まるでオオカミのような、とまではいかない。ちなみに服装に関しては、まだスバルの方が女性でも通用しそうな小洒落たコーディネイトをしていた。
二人の間にしばしの沈黙が流れた後、急にミンリィが立ち止まる。
「やはり私は戻る」
「おいおい、気は確かかい?」
スガルもすぐさま足を止め、信じられないといった面持ちでミンリィの方を振り向く。
「マリーさんに言われた事を忘れたのかい? 僕らが今やるべきことは、近隣住民の避難誘導だ。アイツの足止めじゃない」
「スガルはそのまま村に向かってくれ」
それだけ言うと、ミンリィは踵を返した。その横顔は、既に人ではなく獲物を狙う獣のものだった。
外見がほぼ人間でも、やはり彼女の体に流れる血の半分は獣人のそれなのだと。この時スガルは妙に納得してしまった。
ミンリィは、猛獣のような鋭い犬歯を剥き出し、もと来た道を見据え、闇に牙を剥く。
「私は、モンスターから逃げる為に冒険士になったわけじゃない」
「じゃあ何かい、キミが冒険士になったのは、モンスターに殺されて悲劇の英雄になる為だったのかい?」
「!」
感情の箍が外れかけたミンリィを引き戻したのは、自分を詰るような仲間の声だった。
「キミの場合はどちらかと言うと、ヒーローというよりはヒロインかな。ーーま、どっちにしろ死ぬことには変わりないけどさ」
「っ……」
相変わらず軽い言い回しだった。しかし彼のセリフには先ほどまでとは違い、確かな重みがあった。
「そういう青臭いのはそろそろ卒業してもいい歳だ。お互いにね。それでもまだ行くって言うのなら、僕はもう止めないよ」
「……すまなかった。村へ急ごう」
短い沈黙の後、ミンリィは再び雑木林の出口へと足を向ける。
未練を断ち切るように駈け出したミンリィの後を追って、スガルは言った。
「もし亮や美羽たちがここに居たなら、状況も少しは変わったかもしれないけどね」
「………………」
ミンリィは片眉をつり上げ、あからさまに顔をしかめる。その表情は、同意とは程遠いものだった。
「それを言うなら、その二人よりも先に、ナターシャの名を挙げるべきだと思うが」
「そっちかい?」
今度はスガルが苦い顔をする番だ。
ただ彼の場合、冗談を真顔で返されたあの時の表情だが。
「ーーキミらとチームを組んで半年は経つけど、未だに謎だよ。なんでキミみたいな堅物が、亮たちみたいなタイプの冒険士とつるんでいるのか」
「中村や美羽はまだマシな方だ。あの二人と比べればだがーー」
「あっちの二人はもともと論外」
言いながら、スガルは首を左右に振った。
「僕が言ったのは、キミとナターシャを除いた、今のパーティーメンバー全員が対象だよ」
「……そういうお前はどうなんだ」
スガルの疑問には答えず、ミンリィが素っ気なく訊き返すと、
「ああいった手合いは扱いやすいのさ」
スガルは、何の臆面もなくそう答えた。
「根が単純だから、適当に褒めてやればそれなりの仕事はしてくれるしね。何よりも彼らみたいなタイプって、基本的に立場が上の者には従順だから、揉めなくてすむだろ? 報酬の分配とかさ」
「私は、お前のそういうところが好きになれない」
「訊いたのはキミの方だよ? それに冒険士だってれっきとしたビジネスなんだから、お金の話は大切さ」
「そこだけじゃない」
「手厳しいねえ」
そこで取り留めの無い会話が一旦切れる。
林の向こう側にぼんやりと明かりが見えた。
街路灯の明かりだ。
どうやら、いつの間にか二人は出口まできていたようだ。
ミンリィとスガルが、雑木林の終着地点に差しかかったところでーー。
「……さっきの言葉は、別にお前に対して言ったわけじゃない」
不意にミンリィがそんなセリフを口にした。
スガルは一瞬きょとんした表情をミンリィに向けたが、すぐさまそれは含み笑いに変わる。
「『好きになれない』ってところかい?」
「そっちじゃない。あ、いや、それも別に本心からというわけじゃなくてっ」
ゴニョゴニョと口籠もるミンリィを見て、スガルは「分かってるよ」と言いながら、もう一度くすりと微笑む。
「キミの場合、本当に『情けない』と思ってたら、口には出さないよ。ただ相手に軽蔑の眼差しを向けるだけさ。例えば、キミがいつも夏生や涼花に向けてるような、とびきり冷え切ったやつをね」
「…………」
「さしずめあのセリフは、自分自身に対する憤りってところかい?」
「……お前のそういうところが嫌いなんだ」
「フフ。僕は嫌いじゃないけどね、キミのそんな不器用なところ」
暗い雑木林を抜け、スガルとミンリィがようやく視界の開けた場所に出たときだった。
ーーブロオオオオオオオオオオオッ‼︎
突然、地鳴りのような咆哮が林の奥から聞こえてきた。
スガルとミンリィがビクッと肩を震わせる。二人は瞬時に緊張感を取り戻した。
そうだ。
悪夢のような現実は、まだ彼等のすぐ傍にある。
スガルとミンリィは真剣な面持ちで頷き合い、
「とにかく今は村に急ごう。幸い、ここらで主だった集落はあそこだけだしね」
「村についたら、私は大声で村人たちを叩き起こしてまわる。その間、スガルは村長の家に行って、事情を説明してくれ」
「了解。多少手荒だけど、緊急事態だしね? 村の人たちもきっと大目に見てくれるさ。それにわざわざキミがそんな事しなくても、あと少しすれば『緊急災害警報』が鳴るだろうしね」
「その時は、二人揃って村人たちの避難誘導だ」
再度二人は頷き合うと、雑木林を抜けた先の道路に面した急斜面から、薄暗い路上へと飛び下りる。
結構な高さではあったが二人とも躊躇う様子はなかった。Cランクの冒険士である二人にとっては、それが普段通りの行動選択なのだろう。
「行こう」
そう言って、スガルはやや傾斜のついた峠道を走り出したーーが、すぐさまその足を止める。
ミンリィが後ろをついてこない。
「ミンリィ?」
それどころか、ミンリィはスガルに背を向け、村とは正反対の方向を見ていた。
ーーまだ未練があるのか。
そんなうんざりした気持ちが、スガルの胸をよぎる。
だかそれも一瞬。
スガルは気づいた。ミンリィが見つめるその先は、自分達が今までいた雑木林の中ではない。ミンリィが相対するは、あくまで村とは反対方向の道先だということに。
「どうしたんだい、ミンリィ?」
「何かがこっちに向かって来る……」
依然スガルに背を向けたまま、ミンリィはそう呟く。それはスガルの問いかけに答えたというよりも、無意識のうちにもれた独り言に近かった。
「来るって、何が?」
スガルは首を傾げながらミンリィに歩み寄る。と、その時ーー遠くから風の音が聞こえた。夜の静寂を切り裂くような、鋭い風の音が……。
ーーなんだ?
ミンリィに少し遅れて、スガルもそのわずかな違和感を感じとった。
ただスガルが警戒心を強める前に、答えは向こうからやって来た。
「ーー着いたか」
道路脇に積もった落ち葉が、突如舞い上がる。
激しい風切り音と軽快な着地音が、アスファルトを伝って二人の意識に流れ込んできた。
肌寒かった周囲の空気が、瞬時に熱を帯びる。
見ると、スガルとミンリィの目の前に、一人の男が立っていた。
「君達が、マリーさんが言っていた冒険士か」




