第80話 筋肉ソムリエ
《冒険士協会本部》
24時間営業の超巨大モールでも深夜になれば自然と人もまばらになり、各フロアの静けさも急成長を遂げる。しかしそんな中。
「うむ。このような時間にすまないが、ただちに手配してほしいのだよ」
冒険士協会本部の最上階に設けられた会長専用の特別エリアだけは、今もなお慌ただしい空気に包まれていた。
「できる限り速やかに行動してほしい。ことは急を要するのだ」
強い口調ではなかったが、その声には有無を言わさぬ迫力があった。冒険士協会会長シストは、いつになく真剣な表情で内線用の端末型魔導器を手に取る。
「会長!」
忙しない声とともに会長室の扉が開いた。
「来賓用の応接室にベットのご用意ができました」
ノックも無しに部屋に入ってきたのは秘書のマリーである。シストは会話中ではあったがべつだん部下を咎めるような素振りを見せなかった。
「マリー。ただちに本部の正面ゲートを全開にするよう手配してくれ」
むしろ待っていたとばかりに内線通話を素早く切ると、シストは有能な秘書に向かって指示を飛ばす。
「只今より館内アナウンスで緊急速報。これからしばしの間、一階フロア全体を完全閉鎖とする。くれぐれも関係者以外は立ち入らせぬよう職員達に伝えてくれ」
「かしこまりました!」
打てば響くような色よい返事だった。マリーは矛盾をはらんだシストからの指示に伺いを立てることもなく、二つ返事でそれを受け入れる。そして入室と同じように忙しなく会長室を出ていった。
「こういう時、自分の秘書が敏腕だと本当に助かるな」
部屋を後にするマリーの背中に頼もしさを感じながら、シストは半ば祈るように顎の前で両手を組んだ。
「頼む……どうか彼が到着するまで持ちこたえてくれ」
◇◇◇
「ぶっぶっぶぅうううーッ‼︎」
静寂に満ちた真夜中の街に、蒸気機関車の汽笛のような甲高い怒号が鳴り響いた。
「ありえないのだ、あの男っ‼︎」
顔を真っ赤にして地団駄を踏むゴスロリ少女。Aランク冒険士サズナは、今にも頭から湯気を噴射しそうなほど熱り立っていた。
『悪いんだけどさ、サズナ。これからちょっとこのチャーミングなお姉さんと野暮用があるから、キミは一足先に本部に行っててくれないかい? ん〜、そうだな……多分二時間ぐらいしたら合流できると思う。じゃ、そういうことで♪』
以上が、5分ほど前にナイスンがサズナに向けて放ったレベルファイブのヘイト増幅スキル。まぁざっくり言えば、さっき引っかけた女とよろしくやるからまた後で、と深夜にいきなり呼び出した張本人が悪びれもせず言ってきたわけだが。
「頭のネジがぶっ飛んでるにもほどがあるのだ! つまり、ウジが湧きすぎて脳みそがほとんど残ってないってことっ!」
ゼェゼェと肩で息をして、サズナが吐き捨てるように言った。
「ぷ〜〜、ナイスンは対ビッチ用に便利だからつるんでるけど、そろそろ潮時なのだ。つまり、割に合わないってこと」
実のところ、サズナは別にナイスンと仲が良いわけでも、同じAランク冒険士として彼に一目置いているわけでもない。ましてや異性として特別な感情があるわけでは、断じてない。単にナイスンには利用価値があるから一緒にいる。いざという時に使い勝手がいいから交友関係を築いている。とにもかくにもサズナにとってナイスンはそういう存在だった。
――世の中、馬鹿な大人ばっかりだ。
サズナはAランクの冒険士ではあるが、見た目も中身もまだまだ子供だ。それは本人も認めているし、別に気にもしていない。だがしかし。彼女のような自由奔放な天才少女はどこへ行っても一定の人種に絡まれるのが世の常。一年前、史上最年少でAランク冒険士の資格を得てから、その風当たりはますます強くなった。
――心底めんどくさい。
それでも大概のことならサズナはこんな性格なので気にも留めない。けれど、中には放置できないほど悪質な嫌がらせをしてくる連中もいる。
そんな時、サズナは決まってそういった人種にこう言うのだ――。
「ぷっぷ〜、今度キミにナイスンを紹介してあげるのだ」
一発、いちころである。というのも、サズナにちょっかいを出す九割以上は女性――教養のない若い娘か、女盛りを少し過ぎたヒステリックマダムかのどちらかなのだ。まず第一に、学のある者は“英雄種”であるサズナに絡んだりはしない。この世界において紫髪の人型、それもエルフ種がベースのエンシェントはただそれだけで敬うべき対象だった。
世界は自分たちエンシェントを中心に回っている。それが魔法術の神童、サズナの揺るぎない価値観である。
次に、相手が男だった場合もサズナが目の敵にされることは極めて少ない。単に彼女が美少女だからという理由もあるが。サズナは初対面の男に対して、決まってある行動を取る。大抵の者はそれで毒気を抜かれてしまうのだ。
――つまり、残るはあばずれなアイツらだけということ。
彼女達は美男子、中でもナイスンのような地位も名声も付属している超イケメンにめっぽう弱い。なので一度ナイスンを召喚してしまえば、それだけであらかた片付く。あとは馬鹿が勝手にやってくれる。下心しかない同類の馬鹿女たちを、煮るなり焼くなり捨てるなり。
「……ん?」
全身にまとわりつく倦怠感に抗う気力も失せ、暗い夜道をとぼとぼと歩いていたその時だった。
「なに、この感じ……」
不意にサズナの第六感がざわめいた。その違和感は、並の冒険士ならただの気のせいで流してしまうような極めて微弱なもの。だがサズナの研ぎ澄まされた感性は、楽観的な見解を許さなかった。
「ぷぅ……」
相変わらず、周囲に人の気配はない。昼間は人や動力車が行き交う活気あふれる大通りも、この時間帯は寂れたシャッター通りと大差ない。普段のサズナなら「これぐらいの方が静かでいいのだ」と言うところだが、今はそれがかえって不気味だった。
「……」
サズナは袖の中に忍ばせていたドバイザーを素早く取り出し、臨戦態勢をとる。
――ナニかが来る。
サズナがそう思った、その直後である。
ブウォオンッ! !
風を切り裂くような轟音が少女の鼓膜を震わせる。音の発信は遥か前方からだ。サズナはそちらに目を向ける。そして思わず固まってしまった。
「なんなのだ、あれ……」
大きく歪な形の影がひとつ、とんでもないスピードでこちらに迫ってくる。
「……動力車?」
それにしては速すぎる。しかしだからといって大型のモンスターかというと、それも違う。
「……人型?」
極限の超集中状態の中。サズナはかろうじてソレを視覚でとらえることに成功する。動力車ではない。その影の正体は、動力車を頭の上にのせた人間の青年だった。
……だれ?
状況が理解できない。というより目の前で起こっている事が信じられない。混乱するサズナをよそに、影の正体、動力車を手荷物のように軽々と持ち運ぶその男は、疾風怒濤の如くサズナのすぐ真横を通過した。
「失礼する」
その時。サズナは確かに聞いた。自分に向けて発せられた、かの者の声を。
――いや、声だけじゃない。
サズナは目撃した。
刹那の時間の中で。
青年の風貌、顔や髪型や服装。
その体つきに至るまで詳細に。
そして次の瞬間、いまだかつてない衝撃が一本の矢となり、少女の胸を射抜いた。
「ぷ……ぷ……」
猛スピードの余波で発生した激しい突風がサズナのスカートを豪快にめくり上げる。だが少女はそれを手で押さえようともせず、ただ呆然と立ち尽くしていた。まるで何かに魅入られたように。
「……ああ、ありえないのだ! 筋肉能力値の総合が『50000マッシブ』を超えるなんてっ!」
サズナにはある特殊な能力があった。それは相手の――男性限定ではあるが――体を間近で一目見ただけで、その肉体が持つ筋肉の質と量を正確に把握し、一種のパラメータとして知覚できるというものだ。よく漫画などで女性のスリーサイズを服の上からでも正確に読み取れるツワモノがいるが。言ってみればサズナの異能はその男版である。ついでながら、サズナは自分の若さと立場を逆手にとって、事ある毎に初対面の男の服を脱がせようとする悪癖があった。いわゆる逆セクハラだ。無論、サズナの変態レーダーは衣服があろうがなかろうが正常に機能する。だが本人曰く、「ぷっぷ〜、直に見た方がより正確なマッシブ値が測れるのだ」とのことだ。
なお、サズナはこの架空スキルのこと『筋肉ソムリエ』と呼んでいた。
「な、なんなのだ、あのとてつもないマッシブ値は……つまり、空前絶後ってこと‼︎‼︎」
サズナは目をキラキラと輝かせて、しんと静まり返ったメインストリートを嬉々として飛び跳ねる。今日一日の疲れも、眠気も、ついでにナイスンに対する怒りも。いつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。
「ま、まさか今の人が、前にリナや会長が言ってた――!」
気がつけば少女は駆け出していた。一心不乱に。あの青年が疾り抜けた軌跡を必死に追いかけるように。
「ぷっぷーーッ!」
弾むような歓喜の号笛。
サズナは確信した。
彼こそがそうなのだ。
のちに少女は、この真夜中の出来事を、こう語った――。
それは運命の筋肉との出会いだった。
◇◇◇
冒険士協会本部の正面ゲート開放、及びフロア全体の人払いは、冒険士協会会長シストの先導のもと速やかに行われた。スタッフの迅速かつ適切な対応もさることながら、一般利用者――現役の冒険士を含む――の共同歩調もおそろしくスムーズだった。皆、慣れていると言ったらそれまでだが、動きに一切の無駄がない。さらに深夜という時間帯も相俟って、マリーが館内アナウンスを流してからものの数分もしないうちに、天たち零支部メンバーとランド王国第一王女アリスの受け入れ準備はほぼ万全になっていた。
「カイト。着いたぞ。生きてるか?」
「は、はは……まあ、なんとか……」
天とカイト達が冒険士協会本部に到着したのは、それからすぐ後のことであった。
「悪いな、おっさん」
ゴーストタウンと化した冒険協会本部一階総合受付カウンターの前に動力車をそっとおろすと、天は待ち構えていたシストのもとへ歩み寄る。
「ついさっき、どうしても外せない用事ができてな。少しばかり中途半端だが、後は任せちまってもいいか?」
「よくぞ言ってくれた!」
ガシッ! と天の両肩を掴み、シストは感無量とばかりに大きく頷く。
「おおよその事情はシャロンヌからすでに聞かされておる。無論、後のことは全てこちらで引き継ごう!」
「感謝するよ、おっさん」
「礼を言わねばならんのは儂の方だよ」
シストは首を左右に振り、心底申し訳なさそうに言う。
「アリス姫のことはもちろん、シャロンヌの妹君のこともそうだ……本来ならば、儂が彼女達姉妹の力になってやらねばならんというのに。何から何まで君に頼りきりになってしまって、本当にすまない……!」
「よせって。それに王女の方はともかく、シャロンヌ殿のことは完全に俺個人の私用だ」
「それは違うよ、兄さん」
いつの間にかカイトがおぼつかない足取りで天の隣に立っていた。坊主頭のエルフの青年は、泥酔したように足をよろめかせながら言った。
「うっぷ……シャロンヌさんのことは、俺達全員の急務だよ」
「なのです」
「はい」
カイトに続き、リナとアクリアも相槌を打ちながらその話の輪に入ってくる。
「まだ大した役にも立ってないけど、それだけは譲れないのです」
「ええ。その気持ちだけは皆同じでございます」
「お前たち……」
最後に動力車から出てきたシャロンヌは感動に打ち震えるような表情を天やカイト達に向ける。それを見たシストはつい顔を綻ばせてしまった。彼女はもう一匹狼ではないのだと。だがシストがそんな感傷に浸れたのもほんの束の間だった。
「おっさん。せかすようで悪いが、早速王女と付き人の身柄を引き取ってくれるか? 今は一秒でも時間が惜しいんでな」
天が険しい顔でシストを見据える。シストはすぐさま自らを諌めた。そうだ。アリス王女の一件は終息したが、いまだ彼等の中では緊迫した状況が続いているのだ。無論、自分の中でも。ただ――。
「すまないが、もう少しだけ待ってくれないかね」
シストは少し焦った様子で辺りを見回してから、天に告げる。
「あと少しすれば準備が整うはずなのだよ」
「……了解だ」
口ではそう言っているものの、天の表情は納得とは程遠いものだった。いかに相手が国のVIPだからといって、たかだか人ふたりの引渡しに大した準備は必要ないだろ、天の顔にはそう書いてあった。
「シスト会長。動力車の整備が完了いたしやしたぜ!」
しかし、天はすぐさまその考えが自らの早合点だと気付かされる。
「もういつでも使えますぜ」
「うむ。ご苦労!」
フロアの奥から現れたのは数人のつなぎ姿のスタッフと、上品で美しいメタリックシルバーのボディーが目を惹く一台の動力車であった。
「あ、アレって!」
それを見て真っ先に反応したのはリナだ。
「ラゴン社の今季最新モデルの動力車なのです! たしか最高時速は帝国製のEXシリーズに次いで世界第二位の、超高級ハイスペックカーなの!」
「うむ。少しでも移動にかかる時間を早められればと、急いで用意させたのだよ」
「会長殿……」
シャロンヌがシストに深々と頭を下げる。言葉足らずではあったが、彼女の気持ちはそれだけで十分シストに伝わっていた。
「こんな短時間であんなもんを用意するなんて、十二分に『力になってる』じゃねえか」
「なに、偶には会長らしいことをせんとな。偉そうな態度で椅子に座ってばかりでは、狸の置物とさして変わらんのだよ」
決まりの悪さを誤魔化す天の皮肉めいた口上に、シストはニヒルな笑みを浮かべてそう答えた。
「ただあの車種は少々扱いが難しくてね。もうじき運転手も到着すると思うのだが……」
「ああ、それなら問題ない」
天はそう言うと、食い入るように最新モデルの動力車を観察している犬耳娘をクイッと親指でさした。
「うちのパーティーには、一流のメカニック兼凄腕ドライバーがいるから」
「お任せなのっ!」
天に水を向けられた瞬間、ドンッと胸を叩いて自分に任せておけと主張するリナ。
「いくら扱いづらくても、操縦方法がハンドルとアクセルなら、どんな動力車でも一発で乗りこなしてみせるのです!」
「だそうだ。せっかくのご厚意を申し訳ないがな」
そう言って、天は小さく肩をすくめてみせた。シストは了承の意とともに微笑みをこぼすと、天が持ってきた方の動力車を細目で見やる。
「それにしても、まさか動力車を直接運んでくるとは……いやはや君には驚かされてばかりなのだよ」
「合理的だろ?」
天のそんな軽口に、シストは苦笑いを返した。
◇◇◇
冒険士協会本部。総合指令室。
「……それは間違いないのね?」
突然の緊急措置に対応する為、スタッフ全員が出払っている広いオフィスはもぬけの殻という言葉がマッチしていた。もしもこの場に彼女がいなかったら、あるいは『その報らせ』がスムーズに伝達されなかったかもしれない。
「会長は……ええ、まだ本部にいらっしゃるわ……」
マリーは左手に事務用のドバイザー、右手に別の端末を操作しながら、今まさにその一報を受けとっていた。
「それで、対象と遭遇したポイントは?」
無線に対応するマリーの言葉遣いは実にフランクなものだったが、その声と表情はいつになく緊迫していた。
「……状況は分かりました」
ドバイザー越しにそう告げたマリーの顔は苦悶に満ちていた。
「この件はただちにシスト会長にお伝えします」
しかし、決してそれを表に出したりはしない。彼女はプロフェッショナルだ。個人の感情を優先して自分の仕事をおろそかにするようなアマチュアではない。
「ご苦労様。あなた達はすぐにでもその場から離れて、近隣の住民に避難を促してちょうだい」
そう言ってデスクから立ち上がると、マリーは汗の滲んだ手で通信を切り、重い足取りで歩き出した。
「なんてことなの……よりにもよってこんな時に……!」
◇◇◇
ヤツらが空気を読まないのはいつものことだ。だが、それでも、今回のケースは極めて稀と言わざるを得ない。
…………ブロ、ブロロ。
世の中にイレギュラーはつきものだ。自然界における数多の事象は常に移り変わる。ましてや人々が寝静まった時分にモンスターが活発化するなどよくある出来事、それ自体はさして珍しくもない……が、問題なのはその相手だ。
「ブロ……ブオロロロォオオオオオオオオオオオオオオオオーーッ‼︎‼︎」
大地を揺るがす狂獣の雄叫びが、静けさに包まれた真夜中の山林を震撼させる。
ズシン……ズシンと、地鳴りのような足音を立てて森の奥から現れたのは、見上げるほどに巨大な豚面の怪物。岩のような蹄で立ち並ぶ樹々を割り箸のようにへし折り、薙ぎ倒して突き進む強大な破壊者は、森に住む動物たちを震え上がらせる。
「ブヴロ、ブロロオオオオ……」
魔物の名は『オークキング』。
国際機関により定められた脅威レベルは上から二番目の『Bランク』。
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
その凶悪な外見と凶暴性から“暴君”の異名で恐れられる、準災害級の超大型モンスターである。




