2日目 ②
俺は浮かれていた。そりゃあもうガキみたいに。
「ヤバイな、これは」
いちおう中身は三十路過ぎのおっさんなので、大っぴらにはしゃいだりはしないが。それはさながら、待ちに待ったピクニックの日の朝を迎えた子供のテンションである。
最初の村を出てから、俺は年甲斐もなくワクワクしっぱなしだった。
自分の元いた世界と共通する点が多いとはいえ、曲がりなりにも異世界は異世界。目に入ってくるものすべてが新鮮で、何気ない日常の一コマでさえ、俺の中の好奇心をこれでもかと刺激した。例えば――
「でさ〜、この前うちの旦那がさ〜」
「やだ〜、あんたのとこも大変だね」
一見するとそれは奥さま方のシンプルな雑談。しかし。
「でね。うちの旦那ったら、私の自慢のツノで背中を掻いてくれとか言うのよ? まったく失礼しちゃうわ」
「あんたんとこなんかまだマシよ〜。うちなんて、あたしの翼を当然のようにタオル代わりに使うんだから。濡れた顔や手をゴシゴシ拭いたりして、ほんとやんなっちゃうわよ」
会話をしているのはヤギの角を頭から生やした恰幅の良い中年女性と、背中に大きな翼のある長身の婦人。各部位のパーツ以外は基本人間なので、ぱっと見はコスプレをしたおばちゃん同士が亭主の愚痴を言い合ってるようにしか見えない。それは何とも形容しがたい光景だが、ファンタジックなことに変わりはなかった。
……いかん。顔が自然とニヤけちまう。
永遠に時間を潰せるとはまさにこのことだろう。『魔導バス』と呼ばれるその名の通りバスそっくりな造りのカラフルな乗合自動車に二時間以上も乗っていたが、一ミリも退屈しなかった。
もともと、乗り物というやつは何に関係なくあまり好きではなかった。
しかしこの時ばかりは話が別だった。車内にいる乗客の観察やバスの窓から見える外の景色を眺めているだけで、時間などあっという間に過ぎてしまう。
「見て見てママ。僕ね、最近《風玉》ができるようになったんだよ!」
「まぁ凄い。でも他の人の迷惑になっちゃうから、バスの中で無闇に魔技を生成しちゃいけませんよ?」
「は〜い」
向かいの席に座っていたエルフの幼児がいきなり軟球ほどの風の玉を手の平の上に生み出した。かと思えば、隣に居たその子の母親がそれをやんわりと注意しながら、我が子が生成した《風玉》という魔技を跡形もなく消し去ってしまった。
「こりゃ待てー! この泥棒ネコめー!」
「ケシケシケシ」
バスの外では、鍬を持った年配の方が、二足歩行で軽快な走りを見せるこけし顔の猫みたいな生き物を追いかけ回している。絶賛逃亡中のこけし猫(仮)が両手いっぱいに抱えているのは、泥だらけの野菜たちだ。おおかた畑荒らしでもしたのだろう。ちなみにそのこけし猫は、見た目はラムよりもリザードマンに近かったので、おそらくはモンスターと思われる。
「どことなく親近感を覚えるな、あのネコ」
ひっきりなしに飛び込んでくる非日常を前に、俺は大いに浮かれていた。これから向かう先には一体どんな素晴らしい驚きが待ち構えているのか。俺は期待に胸を膨らませ、心を踊らせていた。
ーーしかし、世の中そんなに甘くない。
この日、俺はそれを嫌というほど思い知らされるのであった……
◇◇◇
《ソシスト共和国・首都ビーシス》
淳達の話によれば、ここソシスト共和国はこの世界でも有数の大国らしい。
ーー確かにそれも頷ける。納得できる。
適度な活気にそぐわぬ圧倒的なスケール。月並みの言葉ではあるが、そこは大都市だった。
――日本というよりは西欧風、ヨーロッパの街並みに近いかもしれい。
見上げるような超高層ビルが建ち並んでいるわけでも、所狭しと人々が街を行き交っているわけでもない。だが、幅広い車道を走るノスタルジックなデザインの車群、見渡す限りのエキゾチックな建物や歴史を感じさせる文化施設。率直に言って、今すぐ観光したかった。
……昔からこういうとこに来るとウズウズしちまうんだよな俺。
心をグッと揺さぶる風情に加えて、そこかしこに設置された大型デパートのような建物や小洒落た飲食店。充実したライフラインを一目で連想させる発展、繁栄されたその都市の光景は、この街を訪れた者に安心感と住み心地の良さを印象づける。なおかつ、歩道や車道、公共施設や緑地に至るまで、都市全体を形成する要素が基本的にすべてデカい。その中でも一際目を引いたのが、この冒険士の聖地と呼ばれる巨大要塞のような構造物ーー冒険士協会本部であった。
◇◇◇
「おい、ジュリ」
淳はジュリを細目で見ながら、呆れ気味に言った。
「いまのセリフ、まんま少し前に『シスト会長』が俺達に言ったセリフだろ」
「い、一人称の部分は違うのだよ!」
「シスト会長の受け売りというところは認めるんですわね」
「うっ」
さりげなく弥生にまで突っ込まれたジュリは、いよいよ顔を赤くして「別にいいじゃないか」と淳兄妹に食ってかかる。
「なあ、ラム先輩」
「は、はいです!」
例によってお決まりの漫談を始めた一堂ファミリーは置いておき、俺はすぐ後ろにいた先輩の獣人少女に、出来る限り柔らかい態度を心がけて話しかけた。
「察するに、その『シスト会長』という人は冒険士協会で一番偉い人物なのかな?」
「え⁉︎ ええっと……た、多分そうだったと思いますです!」
ラムは慌てた様子で声を上擦らせる。これは遠回しに『分からない』という返答だ。
「多分もなにも、シストおじさんは正真正銘協会のトップなのだよ」
「はい。シスト会長は我々冒険士を束ねる人物ですわ」
だがすかさずジュリと弥生の補足が入ったので回答自体は得られた。――と同時に、新たな疑問も生まれる。
「シストおじさん?」
「あ、いや」
声に疑問符を付けて俺がその言葉を拾い上げると、ジュリはハッとした顔で口に手を当てた。
「ちょ、ちょっとね。アハ、アハハハハ」
「……」
それはあからさまに何かを誤魔化す笑いだった。どうやら訳ありのようだ。
「ジュリ」
声を苛立たせて会話に入ってきたのは淳。
「みんなで事前に話し合って決めておいただろ? ここではちゃんと、シストおじさんのことは『会長』って呼べよ」
「……ごめん」
めずらしくジュリが淳に素直に謝る。
「それと、天やラムには余計なことを言うんじゃないぞ」
「そんな事、淳に言われなくたって分かっているのだよ」
「……」
淳とジュリは険しい顔をしていた。何やら込み入った事情がプンプン匂ってくる。俺は二人に背を向け、ポリポリとこめかみを掻いた。ひどく白けた気分だ。
……まあ、昨日知り合ったばかりの俺に対してだけなら、そいつは当然っちゃ当然の反応だが。
俺は目の前でオロオロと狼狽えるラムをちらりと見やり、それとなく自分が立っている位置をズラした。少女の視界から淳達を遮るように、淳達から少女の姿を隠すようにーーラムの壁役になるように。
『天やラムには余計なことを言うんじゃないぞ』
なにも本人を前にして言わなくてもいいだろうに。俺は淀んだ感情が腹の底から湧いてくるのを感じた。結論から言えば、このチームのリーダーである一堂淳は、俺のことは当然、ラムのことすら対等の仲間として認めていないらしい。
……ラムがあの一瞬でその事に気づいたかは分からんが。
はっきりした。淳が言う『みんな』の中に含まれているのは、あくまで『一堂』の姓を持つ弥生とジュリだけだ。まあ、ある意味で俺もこいつらと似たようなことをやっているから、人のことをとやかく言えた義理でもないが。それでもと。俺は首だけ少し振り向いて背後にいる淳とジュリを蔑んだ目で見た。自分の生い立ちや境遇に酔うのは大いに結構だが、少しは周りの目も気にした方がいいぞお嬢さん方。
「すみません、天さん……それにラムちゃんもごめんね?」
俺が冷めた目で二人のことを見ていたのに気づいたのか、弥生がとても申し訳なさそうにこちらへ歩み寄ってきた。
「普段の兄様なら、むやみやたらとあんな事を口にしないのですけれど、どうしてだが最近ひどくピリピリしていて……」
「ん? 何がだ、弥生さん?」
枯れ木のように弱々しく話しかけてきた弥生に、俺は即座に表情を緩和させながら当然のように惚けてみせる。
「またかと多少は呆れているが、別にわざわざ謝るようなことでもないと思うぞ。二人のアレは、言ってみればいつもの事だろ」
「あ、いえ、そうではなくて」
「はいです! お二人の口ゲンカはいつもの事ですぅ!」
ラムが元気よく、そして屈託のない笑顔で手を上げた。
「でも、喧嘩するほど仲がいいっていいますもんね? あ、これは淳さんとジュリさんには内緒です。エヘヘへ」
「ラムちゃん……」
弥生の顔にかかっていた暗雲は跡形もなく消え去っていた。俺のそれとは違い、ラムの一挙手一投足からは裏表が微塵も感じられなかった。
「天さん!」
俺の手を引っ張りながら、ラムは言った。
「冒険士協会の本部は見た目もビックリですけど、中はもっともーっと凄いんですよ!」
「あ、ああ。それは楽しみだな……」
太陽のように燦燦と輝く少女の笑顔が、俺には少しまぶしかった。
◇◇◇
――中に入ればもっと驚く。
ラムの指摘は当たっていた。冒険士協会本部の内部構造は超大型のショッピングモールよろしく、それは大都市の中にもう一つの都市があると言っても過言ではない。真っ白な大理石が一面に敷き詰められたアーケード街と、異形なる住人達のコラボレーション。見るからに怪しげな出店や、見たこともない不思議な創作物の数々。それらは知識欲という名の俺の泣き所をこれでもかと攻めてくる。
……これは何かの試練か?
金は無い。だが店に入ったり、間近で現物を見る分には問題ない。などとたびたび誘惑に負けそうにもなったが。俺は絶え間なく押し寄せる欲求の波を、なけなしの理性でなんとか封じ込める。
「まずは職に就かなければ」
そんなこんなで、俺はこの巨大要塞の四階中央にある――冒険士協会の総合受付窓口までやって来た。
◇◇◇
「天」
不意に後ろから声をかけられた。見習い冒険士――正確にはFランク冒険士――の資格を得るため、専用の窓口に並ぼうとしていた時だった。俺は一旦その場で立ち止まる。誰かは気配ですぐに分かった。相手の声の調子でどんな用なのかもあらまし見当はついた。だが俺は、敢えて素知らぬ振りをしてそちらを向いた。
「どうしたんだ、リーダー?」
「いや、あのさ……」
ぎこちない口調で話しかけてきたのは淳だった。
「さっきはその……ゴメン」
「……」
淳は気まずそうに目を伏せたまま俺に頭を下げる。少なからず自覚はあったようだ。先ほどの軽はずみな自分の言動が、チーム間の空気を悪くしたという事に。
「悪かった。お前やラムがいる前であんなことを言って……」
「何がだ?」
決まりの悪さ半分、後ろめたさ半分といった表情で顔を伏せる淳に、俺は弥生にしたものと同じ返しをする。
「いや、だから、さっきはついカッとなってお前らに……」
「気にしなくていい」
ただ弥生の時とは違い、俺は核心の部分については言葉を濁さず伝えることにした。
「誰にでも人に知られたくないことの一つや二つ、必ずあるもんだ。俺の方こそ勘ぐるような事を言ってしまってすまなかった」
「天……」
実際、今の俺自身も秘密と嘘の塊みたいなもんだしな。
「じゃあ、俺はもう行くから」
この話はこれで終了。そう暗に伝えて、俺はさっさと受付窓口に向かおうとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
すると、淳が慌てながらもどこか軽い足取りでこっちに駆け寄ったきた。
「俺も『リザードマン討伐』の依頼を達成したことを報告しなきゃいけないから、途中まで一緒に行くよ! それに、お前に迷子にでもなられたら後々面倒だしな」
「迷うも何も……」
俺はフロアの奥に目をやりながら、淳に気のない返事をする。
「あっちにでかでかと見える『4』って数字が振られた受付に並べばいいだけだろ? 番号別に道順を教える矢印だって床のあちらこちらに記載されてる。この状況下なら、逆に迷う方が難しいと思うが?」
「いや、ラムは普通に迷子になったぞ。俺や弥生やジュリが、途中まで付き添ってやったにもかかわらず」
「…………」
「…………」
しばし沈黙が流れた。
「きっとお腹が空いていたんだろう……」
「……そうだな」
それ以上は何も喋らず、俺と淳は、国際ターミナルさながらの巨大空間を小走り気味にスタスタと歩き去った。
◇◇◇
「お待たせ致しました。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険士希望の者です。見習い冒険士資格取得の手続きをお願いします」
「ありがとうございます。お名前と年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「花村天。三十……じゅ、十六歳です……」
「ありがとうございます。花村様は現在、市販のドバイザーをお持ちでしょうか?」
「いえ、持ってません」
「かしこまりました。では新規のドバイザーの契約も見習い冒険士資格の講習終了後に行えるよう手配しますので、簡単なアンケートと、こちらの申込書に必要事項をご記入ください」
「分かりました。ただ、自分は字の読み書きがあまり得意ではないので、渡された書類等の確認ができないかもしれません」
「かしこまりました。では、こちらのテキストを読むことは出来ますか?」
「……問題なく読めますね」
「それでしたら、おそらく大丈夫だと思われます」
そして三十分後。
「これで大丈夫でしょうか?」
「はい。問題ございませんね」
エルフの受付嬢はにっこりと微笑み、ゆっくりと丁寧にお辞儀する。
「それでは、見習い冒険士講習の準備が整いましたら場内アナウンスでお呼び致しますので。それまでロビーでお待ちください」
「分かりました」
受付嬢に軽く会釈を返して、俺はその場を離れた。
◇◇◇
「随分早かったな」
ラムや弥生達との待ち合わせ場所である四階中央ホールに戻る道すがら、俺は淳と合流した。どうやら俺のことを待っていてくれたらしい。
……基本的に悪い奴じゃないんだよな、こいつ。
淳君の気遣いに好感を抱きつつ、俺はその見た目メインヒロインキャラのセリフに小首を傾げた。
「早い?」
淳と別れてから一時間までは経っていないが、それでも質問の多かった俺は、冒険士資格の受付を済ませるまで四、五十分は時間を費やしている。到底早く終えたとは思えない所要時間だ。
「特に普通だと思うが。むしろ俺は色々と質問していたから、リーダーをかなり待たせてしまったんじゃないか?」
「あ、いや、ラムは最初の受付だけで三時間以上かかったからさ……」
「……そうか」
この話題についてはそれ以上触れず、俺は淳とこれからの予定を話しながら、女性陣の待つ中央ホールへと足を向けた。
◇◇◇
「誰だ、あいつは」
俺と淳が中央ホールまで戻ってくると、見知らぬ人影が視界に飛び込んできた。そこはガラス張りの待合室だったので遠巻きからでもはっきりと分かった――
「なあなあ、いいだろ?」
「「……」」
弥生とジュリが一人の男に絡まれていた。
「ジュリも弥生もあんな頼りねえ野郎はほっといてよ。二人とも俺んとこにこいよ」
「丁重にお断りしますわ。それと、兄様は決して頼りなくなどございませんわ」
「ていうか、ウザいからそろそろあっちに行くのだよ」
「あわわわ……!」
険悪な空気にあてられ、ラムが分かりやすくあわあわしている。ただ弥生とジュリの反応を見るに、とりあえず相手が顔見知りなのは確かなようだ。
「おっ」
男はこちらの存在に気づいたらしく、挑発的な笑みを浮かべて俺達の、というより淳の方に近づいて来る。男の外見は、見るからに遊び人風のナンパ野郎。いかにも学園ものの漫画などに出てきそうな、女遊びを生業とする小麦色のアイツだ。昔からこういう奴を見ると、無性に地べたに這いつくばらせたくなるんだよな。
「よう、淳。そっちの調子はどうよ?」
「ちっ、嫌なヤツと遭遇しちまった」
淳は言葉通りの顔をしてみせる。言うまでもなく、目の前のチャラ男とは友好的とは程遠い関係図にあるようだ。
「あつし〜、やっと『リザードマン』を倒せたらしいじゃないの? あ、でも直接やったのはジュリなんだよな。悪い悪い間違えちまった」
「くっ」
「でもよ、普通逆じゃね? 男が女に守ってもらって情けなくねーの。たしかお前、一応このチームのリーダーなんだろ?」
「そ、それは」
「リーダー。ひとつ訊ねたいことがあるんだが」
俺は淳とチャラ男の間に入るように一歩前に出ると、これ見よがしにそいつを指で差した。
「コイツは誰だ?」
「あぁ?」
途端に男は、その小麦色のツラをこれでもかと俺に寄せてくる。まさにチンピラに絡まれるワンシーンだ。
「テメェこそ誰だよ?」
「これは失礼した」
さも当てつけがましく、俺はその場で優雅に一礼して見せる。
「俺の名は花村天。昨日、地元の山でモンスターに襲われているところを淳さん達に助けられた者だ。その際、冒険士という稼業に強い憧れを感じてな。無理を言って、今はこのチームに同行させてもらっている」
「ふ〜ん」
まるで興味がないとでも言いたげに色黒男は鼻を鳴らし、俺から顔を離した。
「なあ淳。お前、またこんな変なの拾ってきたのかよ? この前だってそこにいる」
「おい、次はあんたが俺に自己紹介をする番だぞ」
俺は淳に話しかけるチャラ男の前に、ズイッと割り込んだ。
「あぁ? なんでテメェみてーな田舎モンにこの俺がわざわざ自己紹介しなきゃならねぇんだよ⁉︎」
「そうか。冒険士はみんな礼儀正しい人達ばかりだと思っていたんだが、どうやら俺の思い違いだったようだ」
「はぁ? 何言ってんだテメェ?」
「淳さん達はちゃんと俺に自己紹介をしてくれたぞ。山で最初に会った時に、さも当たり前かのように」
そう言うと、俺はわざとらしく男の背中越しに見える弥生達の方へ顔を向ける。
「弥生さんやジュリさんはもちろん、この中で一番若いラム先輩も含めた全員がだ」
「へ? ええっと……は、はいです!」
いきなり名前を呼ばれて驚きつつも、ラムはピシッと手を上げて元気よく発言した。
「初対面の人に自己紹介するのは最低限の礼儀だって、あたし、小さい頃から何度も何度もお母さんに言われましたですぅ!」
「だそうだ。この事についてあんたはどう思うんだ?」
「ああっ⁉︎ んなの俺には関係ねーよ!」
「あ〜やだやだ。外見ばっかり気にして最低限の礼儀も知らない男となんて、絶対にチームを組みたくないのだよ」
「はい。しかもそのせいで私達冒険士の品位まで天さんに疑われてしまったら、それはとても悲しい事ですわ」
水を得た魚のように参戦してきたのはジュリと弥生。これには流石のチャラ男も苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ち、Dランク冒険士の中村だよ」
「中村さんか、よろしくな」
俺は勝ち誇った顔で中村を見る。
「……おい見習い。テメェ、人に礼儀だの何だの言ってるくせに先輩への口の利き方がまるでなってねーぞ!」
「? リーダー。ちょっと訊きたいんだが」
「ん?」
「今のやり取りの中で、俺が中村さんに対して失礼な点があっただろうか? もしあったなら、是非俺に教えてくれないか?」
そう言って、俺は首だけ振り向いて人の悪い笑みを淳に向ける。すると淳もそれに釣られるように口元の端をニヤリと吊り上げた。
「いんや全然、まったく、ひとっつもなかったぞ? そいつが何に対して失礼とかほざいているのか、俺にもさっぱり見当がつかない」
「あぁ⁉︎ 淳テメコラ!」
「それと、中村さんのズボンについている大量の鎖のことなんだが」
いきり立つ中村など気にも留めず、俺は淳に質問を続けた。
「冒険士になったら常にああいった装備をしていないと駄目なのか? 正直さして役に立たなそうに思えるんだが?」
「ぷっ……だ、大丈夫だ。あの無駄に多いチェーンはこいつが個人的に身につけているだけだから……はっきり言ってブフッ、まったく意味はないぞ……ププフッ」
「それは良かった。あんな物をズボンに常時つけていたら、動きづらい上に煩わしくてかなわんからな」
「ブッ、そ、プフプッ、そう、だな……ププフッ」
淳は腹を押さえながら必死に笑いを堪えていた。見れば、弥生も似たように口に手を当てて小刻みに震えている。ちなみにジュリはとっくに大爆笑だ。
「テテ、テメェエエーー‼︎‼︎」
中村は怒声を上げて、俺に掴みかかろうとする。
……はい、正当防衛成立。
そして次の瞬間。俺は闘牛士を思わせるアクションで素早く体を躱し、突進してくる中村の足元に絶妙なタイミングで自分の足を出した。
「ヘブフーッ‼︎」
結果、中村は豪快に空中をダイブ。ピカピカに磨かれた白い床に勢いよく叩きつけられた。
「おいおい、大丈夫か? いきなり何もないところでコケるなんて」
「く、クソが!」
「それにしても、見れば見るほどあんたの体は泥みたいな色をしているな。どこか具合でも悪いのか?」
「こ、これはわざとこういう風に焼いてんだよ、田舎モンが!」
「ああそうか。体調不良だったから足元がふらふらして立っていられなくなったのか」
「人の話を聞けぇええええええええ‼︎‼︎」
ーーピンポンパンポーン。
中村の怒声をかき消すように、場内アナウンスが流れた。
『冒険士資格試験でお待ちの花村天様。取得時講習の準備が整いましたので、四番の受付カウンターまでお越しください』
どうやら時間切れのようだ。
「じゃあ、俺いってくるわ」
「ああ。天の講習会が終わるまで、俺達はここで待ってるからさ」
「悪いな」
「気にすんなって!」
そう言った淳君の顔はとても晴れ晴れとしていた。
「天さん。頑張ってくださいまし!」
「大丈夫大丈夫。資格試験はそこの体調不良男の相手をするよりも簡単だから」
弥生とジュリもそれは同様で、ジュリに至ってはあからさまに親指を立ててグッジョブと合図を送っている。
「天さん……ご武運を!」
ただ一人、ラムだけはどこまでも真剣な表情で俺の背中に敬礼していた。その姿は、あたかも戦地におもむく友を見送る軍人のようだ。きっと苦い記憶を思い出しているに違いない。初めの受付で三時間以上も費やしたのだから、その後の講習など一体どれほどの惨状だったのか……想像するのも恐ろしい。
「テメ、待てコラ‼︎」
「悪いが、もう時間なんでな」
うつ伏せで倒れている中村を跨いで、俺はヒラヒラと手を振った。
「また今度ゆっくり話そうじゃないか、中村さん」
「まだオレの話は終わってねーぞコラ!!」
キャンキャンと喚き散らす中村の遠吠えを背中で受け流し、俺は鼻歌交じりにその場を後にした。
◇◇◇
「えー、大変申し上げにくいのですが、お客様は『ドバイザー』の契約が出来ません」
それまでは何もかもが順調だった。
「その、お客様からは『魔力』が一切感じられないのです」
この日、俺は生まれて初めて挫折という名の絶望を味わうことになる。
「簡潔に申しますと、お客様は、本来我々人型が生まれ持っているはずの資質である魔力の値が『0』なのです」
思い返してみれば、それは至極当然のことだったのかもしれない。
「魔力が、ゼロ?」
しかしこの時の俺は、そんな単純なことにも気が回らないほど、どうしようもなく浮かれていたのだ……。




