アフタースクールズ
記念すべき第一話目。
ある日の放課後。自称イマドキの女子中学生こと笠鷺常音と、“排他の悪魔”イビシュールの与太話。
皆様初めましてごきげんよう。
私の名前は笠鷺常音。噛みそうな名前だが、これが私の名前だ。なに、十年も生きていれば自分の名前で噛むなどよくあることだ。
歳は今年で15。私立桜野中学校に在籍中の3年生。すなわち受験生だが、進学するつもりは毛頭ない。
趣味はサボタージュと言う名の観察。間違えた、観察と言う名のサボタージュ。好きな科目は国語で嫌いな科目は数学だが、成績は全体的にあまりよろしくない。非常によろしくない。太文字で強調しても良いくらいに。
そんな劣等生の私は今、放課後の生徒指導室に居る。
何をしているかと問われれば、喜んでお答えしよう。
「おいトコネ。よそ見をするな」
尋問されてます。
ー*ー*ー*ー*ー*ー *ー*ー*ー*ー*ー
改めて説明しよう。
ここは私立桜野中学校。未来有望の若者たちが伸び伸びとその内なる才能を開花できるよう、“自由度の高さ”を最優先にした、超スーパーフリーダムジュニアハイスクールである。
桜野中学校についてのうんぬんかんぬんは、一生徒である私ではたかが知れてるのでこの程度に留めておくが、とにかく自由がウリの私立中学という認識で充分だ。
問題は、なにゆえ私こと笠鷺常音が頭を鷲掴みにされた状態で尋問を受けているのか。
まあ、理由はちゃんと分かっている。ここは素直に謝罪するのが吉だ。
「時間に遅れて大変申し訳ありませんでした。
以後気をつけますんで勘弁してください」
「理由を言えば解放してやる」
ここは生徒指導室。
一人の男が指導員の机の上に座り、私の頭をガッシリ掴んで高々と持ち上げている。
彼の名前は宝生院将門。桜野中学校の国語科教諭であり、生徒指導部の顧問である。
そして私は彼の直属の部下。要するに使いっぱしりだ。
「おや珍しい。言い訳させてくれるんですか?」
「内容によっては契約違反で拷問する」
「そんなぁ」
そして、またの名を“排他の悪魔イビシュール”。
―――そう、悪魔だ。デビルマンだ。女神転生だ。エクソシストの敵だ。いきなり何言ってんだコイツとお思いの方もいるかも知れないが、私だって頭おかしいんじゃないかと以下省略。
私達は全くの赤の他人というわけではなく、将門どのと私はご近所さんだった。
物心ついた時からのお隣同士の幼馴染み。それだけの関係だったハズが、唐突に変わってしまったのだ。
以下、回想シーンである。
『いいかトコネ、よく聞けよ。俺の本当の名前はイビシュール。“排他”の悪魔、イビシュールだ。
―――単刀直入に言う。俺と契約しろ。でなきゃ死ぬぞ』
初めて打ち明けられたのは小学四年生、私が10歳の誕生日を迎えた時のことだ。
仁王立ち状態の将門どのがいつの間にか目の前にいて、そんなことをいきなり言い放ったのである。
『将門お兄さん、脳神経外科と精神病院どっちがいい?』
真面目に精神科に行くことをオススメした。
いやだって、普通の反応だと思うよ?フツーに考えたらアタマの心配するでしょう、誰だってさ。
まあその結果見事な平手打ちをいただき、めでたく強制的に悪魔契約を交わされたワケですが。
いやぁ、懐かしい懐かしい。
と、いうことで。
この笠鷺常音、齢10の時より勤続5年!
悪魔の使いを自負しております!
自負すべきことなのかはこの際気にしない!
是非お見知りおきを!キリッ!
「トコネ」
「ん?あぁ、そうでしたね。理由でしたっけ」
ぼーっとしていると低い声で改めて催促される。
怖いので仕方無く答えることにする。
「なに、イマドキの中学生にはよくあることですよ。
ちょっと体育館裏に呼ばれておりました」
肩をすくめて言えば、鼻で笑われた。
「告白でもされたか?」
その可能性を1ミリも信じていないことは、見るからに明らかな顔だった。
しかしこれは想定内の反応。自分で言っててとても悲しい。
「いえいえ!何をトンチンカンなことを仰るのか将門どの!
イマドキの中学生は体育館裏で告白なんかされませんよ!」
なお、この会話の最中であっても宙吊りは継続中です。プラーン状態ッス。
将門どのの腕力は筋肉番付レベルを超越してるね!さすが悪魔さんだ!今度人間ブランコもとい悪魔ブランコできるか試してみようかな。
「ほう、ならイジメか?」
「それでもないです。意外や意外、イマドキの中学生は体育館裏でイジメやリンチや恐喝を受けたりしないんですよ。他にも効率のいい場所や方法はたくさんありますからね」
ぷらーんぷらーんと揺れながら笑っていると、掴んでいる手に力をプラスされた。ちょっと痛い。
「…で、結局何で呼ばれたんだ?」
「コンタクトレンズです」
「は?」
「ハードコンタクトレンズです」
「種類は聞いてねぇよ」
「ツーウィークです」
「違うつってんだろ」
「いやはや可哀想なハナシですよ将門どの。我が唯一無二の大親友、和葉ちゃんが、それはそれは大切なハードコンタクトレンズを落としちゃったんですよ。
しかも開けたばかりのものだったそうでして……。これは由々しき事態だと、この笠鷺常音、尽力を以てして彼女のコンタクトレンズ捜索をお手伝いさせていただいたのです」
「……それで遅れた、と?」
「はい」
私の答えと同時に手が離され、やっと足が地面に着いた。
ただいま地表よ!私は帰ってきた!
「で?」
「はい?」
「見つかったのか?」
「はい!泥だらけの粉々でした!」
「無駄骨じゃねぇか」
「いえいえ、かけがえのない友人の力になれたのです!
この遅刻は決して無駄ではありませんでしたよ? 」
そう言ってニコリと笑えばしかめっ面も少しは緩むかと思ったが、それは残念ながら無いら しい。
机から降りるとまた手を伸ばしてくる。
(あちゃー、また機嫌悪くさせちゃったかな?)
しかし、将門どのの手は私をよけて、背後に向かって伸びていた。
「…おいトキシマ」
不機嫌そうな声で呼ばれる私の大親友の名前。
「いい加減、どうでもいい用事でトコネをパシるんじゃねぇ。さっさと成仏しろ。コレは俺の所有物だと何度言えば分かる」
後ろを確認すると、先ほどの私と同じように頭を…じゃない、顔を掴まれた、半透明の大親友の姿があった。
頭はともかく顔はやめたげてくださいよ!幽霊とはいえ彼女もれっきとした女の子なんですからね!?
『あら。それは職権乱用というものよ、宝生院先生?』
彼女の発した言葉が、直接脳内に響く。やけに飄々としており、掴まれているせいで表情は見えないけど、クスリと笑っている気配も窺えた。
ご紹介しよう!
彼女こそ、私の大親友の朱鷺洲和葉ちゃん(故)!
先ほど言っていた、コンタクト捜索の依頼者である。
ご覧の通り既にお亡くなりになっているが、かれこれ十年近く私に憑いて来てくれている。心強い仲間(?)だ!
ていうかこの悪魔、幽霊も掴めるのか。すげぇ。そしてやべぇ。私の将門どのに対する危険度が急上昇中だ。
「知るか。悪魔に職権もクソもねぇよ」
『やぁねぇ、素直になればいいのに。貴方がそうやってうだうだ優柔不断してるから、私の可愛い可愛い常音をいつまでもモノに出来ないのよこのエセ紳士不良品悪魔』
「契約は済ませてある。モノには出来てんだろうが」
『まぁなんて悲しい男!形だけの契約で満足してしまったのね!哀れすぎて涙を通り越して失笑してしまうわ!』
なんか話がエライことになってやいませんかお二人さん?
「チッ、まぁいい。おい、トコネ」
「はい何でしょう?」
ギロリと睨まれ、とりあえず元気に返事をする。
「茶ぁ淹れろ。その後に報告だ」
「あいあいさーであります!」
将門どのの魔の手から解放された和葉ちゃんを引き連れて、私は部屋の隅にあるポットに向かう。
ここのお茶は玄米茶。別に、将門どのが玄米茶好きなわけではなくて、私の好みで用意してもらったものだ。何だかんだであの悪魔は優しい。
パパッと二人分淹れ終わると、紅葉柄のお盆に乗せて長机へと運ぶ。
「はい、どうぞです」
「ん」
『いい香りねぇ』
ふわふわと空中を飛び回る和葉ちゃん。ご機嫌だ。
「それじゃあ報告させていただきますね」
「おう」
将門どのの向かい側の席に失礼して、早速報告を開始する。
「まず一年生。例の転校生のことでまだ騒ぎ立てています。当の本人は我関せず状態で、事態を華麗にスルーしていますね。最近は怪しい動きもチラホラ見えてるので、そろそろ何か起きると思われます。
次に二年生。彼らは特にありませんね。むしろ大人しすぎるくらいです。教師からは不気味だと不安の声が上がってきています。心のケアが必要なのかもしれませんね。
そして三年生。受験生でありながら未だに受験校を決められずにいる生徒が5割強。その原因の多くが、保護者との対立だそうです」
スラスラと簡潔に内容を伝え、湯呑に口をつける。ああ、夕時のお茶ってなかなか風情があって良いよね。
玄米茶にじーんと癒されていると、将門どのがこちらをじっと見ていた。
「?どうされましたか?」
「…そういやお前、今年受験だったな」
え、今更何を言っているんだこの悪魔?
まさか忘れていたなんて言わないよね?もしやの健忘症か?
「ぐぇふ!」
なんてツラツラ考えていたらデコピンを食らった。痛てぇ。
『きゃあぁぁぁ!何てことしてくれてんのよこの悪魔ぁぁ!』
キンキンと甲高い悲鳴を上げて、和葉ちゃんが空中遊泳から舞い戻って来た。
私の少し赤くなった額を見て、舞台女優並に大袈裟に嘆く。
『あぁ、可哀想な常音!私の可愛い常音の可愛いおでこが、クッソ汚い悪魔のせいで赤くなってしまったわ!』
「このくらい大丈夫だよぉ和葉ちゃん。ていうか今クッソって言った?」
興奮のあまり言葉が乱れている親友に一抹の不安を覚えた今日この頃。
『おのれ悪魔!せいぜい夜道には気を付けることね!
怨霊の力を総動員して奈落の底に叩き落としてやるわ!』
「見たかトコネ、これがコイツの本性だ。
さっさと近場の寺にでも行って除霊してもらえ」
和葉ちゃんのドス黒いオーラをものともせず、平然と玄米茶を啜る将門どのは大物。
…ていうか和葉ちゃんって怨霊なの?初耳なんだが。
「で?」
「はい?」
「お前は決まってんのか志望校」
「やだなぁ、それを聞いてどうするおつもりですか?」
「異動する」
『とうとう本性を現したわねこの淫乱教師!私の可愛い常音に乱暴するつもりなんでしょう!エロ同人誌みたいに!』
あっ、ズルイ和葉ちゃん!
そのセリフ私も言ってみたかったのに!
『それと残念だったわね、常音は進学志望じゃないのよ』
「は?」
ふふんと不敵に笑う和葉ちゃんの言葉に、将門どのの周囲の空気が何となく凍った気がした。気のせいだと信じたい。
「お前馬鹿か?中学とはいえ、ここ私立の進学校だぞ」
「でも、担任の先生は特に何も仰らなかったですよ?」
「袖川の野郎か。あの阿呆め」
余計なことを、と歯軋りをする将門どの。伸びた八重歯がちらっと見えた。
意図せず悪魔っぽいところを見つけた私は、謎の安心感を得ることができた。
「命令だ。進学はしろ」
「えぇー」
「えぇーじゃねぇよ。何か問題でもあんのか?あぁ?」
不良だ。不良が居る。素晴らしいメンチを切ってくる。タチが悪いことに教師の不良とか、勝てる気がしない。いや別に不良が教師でなくとも負けるとは思うけど。
「だって、私の成績でどこ行けって言うんですかー?
学年最下位の劣等生の私を受け入れてくれるトコなんて、この世の中のどこにあるんですかぁ」
「別に高いレベル狙えってハナシじゃねぇ。
お前みたいな救いようのない底辺馬鹿でも入学できるところがちゃんと世の中には存在すんだよ」
容赦のない言葉とともに、「だから受験しろ」とのたまう我らが将門どの。
「相変わらず強引だなー…。
そこまで言うんだから、アテはあるんですよね?」
「当たり前だ」
「言っておきますけど、受験勉強なんて真平ごめんですからね?」
「おう」
うーん……なんだか手応えがなくて面白くない。
―――たまには将門どのをびっくりさせてみたいなぁ。
なんとなしにそんなことを考えながら玄米茶を啜っていると、目の前から動く気配。
不思議に思い顔を上げると、向かいの席に座っていたハズの将門どのがいない。
『きゃあぁぁぁ!』
絹を裂くような和葉ちゃんの悲鳴。それからすぐに周りの空気が一気に変わったのを肌で感じる。
「―――っうし」
満足げな声とパンパンと手を叩く音に後ろを振り返る。
そこにいたのは。
「…将門お兄さん?」
こちらに背中を向けているその人が、私の呟きに一度ピクリと反応を示す。
それからゆっくりと、捻るように上半身だけ振り返った。
「…なんで疑問形なんだよ」
不機嫌さはいつも通り全開。
だけど、そこにいたのはいつもの将門どのではない。
日本人特有の黒目は、アメジストのような透き通るような色に。髪はそのまま黒色だけれど、なんだかキラキラ光っている。
耳は尖っていて、爪が長い。鋭い牙が見える。
服装も違う。黒い袴姿だ。裾から飛び出た足は硬そうな鱗に覆われている。
これこそが宝生院将門もとい、“排他”の悪魔イビシュールの本当の姿。認めざるを得ない、人外の身体。
「久しぶりに見たよその格好。びっくりしちゃった」
苦笑しながら、どうしてこのタイミングで元の姿に戻ったんだろうと首を傾げる。
対する将門どのは少しだけ目を見開いて、こちらへと歩み寄ってきた。
「…覚えてんのか?」
「え?」
「この姿見せたのは、契約交わした時以来だ。ぶっ倒れて、起きたらケロッとしてたから覚えてねぇのかと思ってた」
「あー、そんなこともあったっけ」
懐かしいなーと頷いていると、ひょいっと持ち上げられた。キョトンとして、綺麗な紫色の目を見れば、まじまじと見つめ返される。
「…ていうか、敬語」
「あっ、やべ」
呟きに似た指摘に慌てて口元を押さえる。
しかし将門どのは私を片腕で抱え直して、空いたそのもう片方で私の手を外してしまった。
「怖くねぇの?」
「怖くないですよ」
「いちいち敬語に直さなくていい」
「いや、だって先生に変わりはないし。ご主人様に向かってタメって、世間一般的にどうかと思うんですけど」
「今は、いいから」
「…ふーん?」
ならお言葉に甘えて。
「将門お兄さん、和葉ちゃんは?」
「結界の外に弾き出した」
「うわぁ、かわいそう。後でちゃんと謝ってよね」
「却下」
「デスヨネー」
肩をすくめてヤレヤレと首を振る。
相変わらずのワガママさんだなぁ。
「…お前はなんで、他人に構っていられる」
しばらくして、将門どのがまた問いかけてきた。
「へ?」
「人間なんて、自分さえ良ければ後はどうでもいい生き物だろ。
なんでお前は他人のために動けるんだ」
「………」
それは全ての人間に当てはまることじゃないよと、言ってあげたいのは山々だったけれど。
「見てるこっちの身にもなれよ、このアホ」
後頭部を掴まれて肩に押し付けられたんじゃ、言いたいことも言えないわけで。
こんな大きな体のくせに、心配症が過ぎる。
「………」
何も言えない代わりに、あやすように背中を叩く。異形の身体が震え、押さえ付けていた手が、頭から離れていく。
「将門お兄さん」
目を合わせて呼びかけてみる。
宝石のような綺麗な瞳は揺れていて、なんだかこっちが悪いことをしたみたいに思えてくる。
「大丈夫だよ、お兄さん」
ニッコリと笑いかけて、確証のない安心を与えてあげる。
「………だいじょうぶ」
定まりきっていないこの関係を、更に誤魔化すように。
私と悪魔の放課後は、いつもと変わらない終わりを迎えるのだった。




