自転車に始めて乗れた日
家から二分ぐらいの場所にある団地。そこが僕の特訓場所だ。
蝉たちの活発なこの暑い時期に、団地の影はオアシスを連想させた。
オアシスを連想させたのは団地の影だけじゃない。
団地の中にある公園。巨大な樹木。色とりどりの花。そしてそれらに集まる子供と虫たち。
落ち着くところだなって思った。
買ってもらってまだ日の経たない自転車にも、ところどころに傷が目立ってきた。
そんな僕の大切な自転車を慎重に玄関から押して、オアシスへと向かった。
今日こそは、と願いながら。
実はオアシスの手前には、僕の最大の難関があった。
そこを突破しなければオアシスに到着できない場所。そこがエビハチの花だ。
エビハチといっても、当時の僕が付けた名前。正式名称はスズメガとかなんとか……。
特徴はエビのような尾とホバリングできるところだ。
ハチのように蜜を求めているけどあれが実はガだったとは、質が悪い。
あれでどれほどビビらされていきたものか。
そのエビハチが集う場所こそ、エビハチの花だ。
大抵、そのエビハチを見かけた際は、少し面倒だけど別ルートからオアシスに向かう。
そんなのも含めてエビハチは心から拒絶していた。
しかし今日はそのエビハチも蜜を求めておらず、最近は別ルートばかりだったから何処か清々しい気持ちで難関を突破した。
オアシスに到着した。
押していた自転車のサドルをまたぐ。
僕がいつも倒れる原因はバランス感覚が足りなかったのだと思う。
実はこの日の前夜、僕は自転車の練習をする夢を見た。
あんまり覚えてないけど、タイヤの真ん中が地面と合わさるように……。
でも、やっぱ夢と現実では少し違った。
頭でわかっていても、それを体で表現することができなかった。
やり方は分かっていても、バランスをとることが難しかった。
そんな時、たばこを銜えながらパパがやってきた。
自転車の荷台を掴んだパパは、少しずつスピードを上げた。
やっぱりパパが押してくれる自転車は楽チンだ。
スピードは出て、おまけに夢通りのバランスが取れた感じがした。
喜んで後ろを振り返った。
怒鳴られるかもしれないけど、顔を振り向かせた。
でも、パパの姿はずっと後ろにあった。
パパは荷台を掴んでなかった。
パパは自転車を押してなかった。
バランスを取っていたのも、前に進んでいたのも、全部僕がしている事だった。
世界が変わったような……気がした。