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Blue Light Sunshine

 賽ノ地は暴力で出来ている。

 流行りの着物を着こなしたり、短歌を口ずさんで文化人を気取ることもあるが、それ以外は原始人と変わりない。

 

 たとえばこの通り道。

 きさらが襲われていた繁華街から少し奥に入ってみただけで、街の様子はがらりと変わる。

 酒に賭博に女売り。

 日暮れとともに店を開け、日の入りとともに店を閉める。腐ったゴミの酸っぱい匂いさえ気にしなければ、それなりに美味い酒と料理と甘い刺激を庶民的な価格で与えてくれる。

 だけど庶民的なのはあくまで価格だけ。

 店の中から聞こえてくるのは、いつだって絶えることのない喧騒。

 時には刀がぶつかり合う音や、あるいは銃声の轟音であることさえある。ゴミ捨て場からひょっこり『片足』がはみ出ていることだって、この街じゃよくある話だ。

 

 それがこの街――賽ノ地さいのちという世界ところ。少なくとも地図やガイドブックにはこんな情報など載っていない。

 載せる意味も広める必要も無いし、この街の住人なら誰だって知っている。



 そんな街のさらに奥。影のむこうの闇に潜りこんだその先に――ある屋敷が見えるはずだ。

 そここそが今、青が向かっている場所。盗賊会合の会議場。 


 これから始まる『事件』の――始まりの場所だ。








「……ガキの来るところじゃねえだろ……」

 心底嫌そうな顔で、青はそうつぶやいていた。

 屋敷の中は、一言で言い表すなら混沌カオスだった。

 

 部屋という部屋の壁を丸ごとぶち抜き、さらに二階を吹き抜けにしただだっ広いその室内は、人々のざわめきを一切漏らすことなく屋敷全体に響き渡らせている。まるで鐘の中にいる気分だ。

 元々この屋敷は、西洋の神イエス・キリストを崇める切支丹キリシタン伴天連バテレンの隠れ家として使われていたのを、さる富豪が買い取ったものらしい。愛を説いた教会が、今は金と欲の集会場エデンになっているとはエホバも予想していなかったかもしれない。

 朱塗りの天井にぶら下げられた提灯に照らされて、踊り狂う人々の姿が浮き彫りにされる。

 ここにいるのは藩士や殺し屋、忍崩れに宗教的狂信者、反動主義者もいれば暴利商人もいる。誰も彼もすねに傷を持った人種ばかり。

 右を見れば樽一杯の酒を担いで呑んで、無責任なヤジを飛ばし合う大人たち。左を見れば、むせる煙草の匂いを撒き散らしながら何やら話し合っている――文字通りの意味もあれば、拳で語り合う場合もある――連中。

 まるで無礼講。山賊の宴会だ。とてもじゃないが、まともに会合が行える場だとは思えない。

 仮にまともな話し合いが始まったとしても、いったい青に何を話せというのだろうか。

(交渉なんざガラじゃねえよ……)

 頭をざりがしと掻きながら青は悩む。ここに来るまでに同じ盗賊仲間の連中に地図を渡され、でこぱちと一緒に待ち合わせ場所まで行き、はや三十分ほど待たされた挙句にいきなり背後から布袋をかぶせられて、馬車に乗せられた。――で、そのまま今にいたる。当事者以外に場所を知られないためのやり方なのだろう。秘密というのは色々と面倒だ。

 地図を渡してくれた盗賊仲間のアドバイスは一言。



 青、グッジョブ。



 ――帰ったら、あいつら加茂川に沈めよう。

 つまり、盗賊代表としてやってきた青は何をすればいいのかわからないし、教えてもらってもいないのだ。コンパスもロープも無しにいきなりチョモランマを登らされるようなものである。このままでは間違いなく青は遭難する。

 ……やってらんねえ。めんどくせえ。サボって帰ろっかな……。


 ――と、そのとき、青はある人物に気がついた。

 視界に入ったのは酒場。やはりガラの悪い男たちがたむろしていて、苦いタバコと甘い酒の香りが混じった笑い声を上げている。

 青が注目していたのは、カウンター席に座っている女二人。そこにいる誰もが尋常ならざる雰囲気を漂わせているものの、彼女らはその中でもひときわ浮いていた。

 若すぎるのだ。

 未成年とはいわないまでも、溢れんばかりの若さと気力に満ちている。

 そして、そのうちの一人は、青がよく見知った人物だった。


「何してるんだ? 紫淘しゆら

 青の問いに、グラスを持っていた彼女が振り向く。なんとも楽しそうな笑顔で。

「やほー。青っち」

「誰が青っちだ」

 美人の部類に入る顔立ちだろう、整った鼻梁びりょうに薄い唇。

 白磁の肌とは対照的にやたらと派手な唐紅カーマインの羽織。縫いこまれた菊の刺繍ししゅうは、光の当たり具合によって紅色にも紫にも変わって、まるで宝石のように照り輝いている。

 かぶっている帽子には数珠を連ねていて、アクセサリーのつもりなのか『戦利品』である鬼の角が一緒にぶら下がっていた。

 何より、彼女がまとっている空気は一般人のものではない。日の当たらぬ危ない稼業に身を置いている人間だけがまとうことの出来る、危険で――どこか怪しげな雰囲気。

 奉行所の近松ちかまつ景元かげもととは別の意味で傾奇者かぶきものを匂わせる風貌ふうぼうの彼女もまた、裏の業界に身を染めた人種の一人なのだ。

 魑魅魍魎ちみもうりょうや物の怪すらひれ伏せ、泣き叫ばせる鬼狩りの専門家スペシャリスト。それが彼女。紫淘しゆらと呼ばれる女だ。



「仕事終わりだから呑んでたの」

 低めの、少し色気を含んだ声色で紫淘しゆらはグラスを軽く揺らした。木材や陶器を多く扱うこの日本に硝子ガラスは珍しい。ずいぶん洒落たしゃくで呑んでいるものだ。

「……お前、朝に二日酔いとか言って布団でうめいてなかったか?」

「だから迎え酒で景気づけてるんじゃない」

 ああそうか、と青は嘆息する。これだから大人は。なんでも酒で薄めようとする。

 紫淘しゆらとは、盗賊以外の仕事をいくつか斡旋あっせんしてもらっている間柄だ。

 彼女は政府が専属エージェントにしたいと叫ぶほどの腕利きで、それこそ政府民間問わずで依頼が殺到する。その中でどうしても請け負えない仕事――たとえば時間的な都合もあれば、彼女自身が『気が乗らないからこれイヤ』と突っぱねたもの――をいくつか回してもらっているのである。

 

 とはいえ、基本彼女は自分ひとりの時間を優先するタイプだ。誰かとつるんで酒の席にいるなんて珍しい。

 はてさて鬼狩りのプロが、いったい誰と呑んでいるのだろうか?


 青は、紫淘しゆらの隣にいる『相手』を一瞥いちべつする。

 座っていても分かる、細身だが大柄な体型。一見すれば細い手足に見えるが、注意深く観察すれば薄い脂肪の膜の奥に、一部の隙もなく完璧に磨き上げられた筋肉が潜んでいることに気づくはずだ。

 体にぴったりと張り付いたチャイナドレスの内側に、武器を仕込んでいる様子はない。だけどどうしてだろう。彼女はその身ひとつで何もかもを蹴散らせそうな迫力と自信で満ち溢れているように見えるのは。

「…………」

 相手がゆっくりと立ち上がり、青を見下ろした。そう、『見下ろした』のだ。

 彼女は青よりも背が高かった。けして青は低いわけではない。高いわけでもないが、せいぜい標準程度。それでも彼女は、青よりも頭ひとつ分ほど高かった。

 整えられた眉。射抜くような瞳が青をにらむ。見下ろしている分もあって、その威圧感は半端ではない。

 そして彼女の額には――雄々しきまでの角がそびえたっていた。


 ――そう、彼女は――まごうこと無き『鬼』であった。


「……照日てるひだ。はじめまして」

 軍人のような固い口調でそれだけ言うと、彼女は静かに右手を差し出してきた。それだけなのに、子供なら泣き出しそうな威圧感を放っている。

「…………」

 青は黙したまま、そんな彼女を見上げている。その赤い瞳に恐怖はない。

 ――と、ここで照日は青の右腕がないことに気づく。

「……失礼した」

 謝罪して、左手を差し出す。青も倣って、手にしていた刀をカウンターに置いてから左手を差し出し、互いに手を握り合った。

 照日の握り方は優しく、それでいて包みこむような力強さがあった。きっとその気になれば握力で青の手を握り潰すことも容易だろう。


「俺は――」

「名乗る必要はない。噂には聞いている。――盗賊の青だな」

 照日の言葉に、青はかすかに目を見開いた。どうやら自分は思ったよりも賽ノ地さいのちでは名が知られているらしい。目立つのは嫌いなのだが……。

「盗賊はかんざしから城まで盗めると聞いている。いつかその手腕を見たいものだ」

「そういうのは手品師に頼んでくれ。俺の手腕は一本留守なんだ」

 ある意味本当とも言えた。右腕でこぱちは今、食いものの匂いにつられて屋敷の中を旅行している。


 青の物言いが面白かったのか、照日が笑いながら青の背中を叩いてきた。気遣って力を加減しているのかもしれないが、それでもかなり強い力だ。痛い。

「盗賊で食っていけなくなったら、いつでも我らの組織に来るといい。歓迎するぞ」

「……仕事内容は?」

「密輸だ」

 何の含みもなしに、照日はきっぱりと言い切った。

「銃でもクスリでも戦車でも、何だって持ちこむ。カビ臭い鎖国制度のせいで、この国は世界を知らなすぎるからな」

 ここで青は、彼女の席に置かれている食べものを見やる。

 平たい皿に、湯で上がった麺と何かの調味料と思しきスープがかけられている。確か南蛮渡来の『かるぼなあら』というものではなかっただろうか。

「まさか、この屋敷の料理って……」

「我らの密輸品だ」

「……食えるんだろうな?」

「品質管理は徹底している。非合法だが保障は万全だ」

 そういえば、鬼はこの手の『経営』に強かったなと青は思い出す。

 彼らが正直で、かつまっとうな人種ならば、さぞや世間から賞賛を浴びていたはずだろう。しかし悲しいかな、鬼というものは先祖代々から裏社会の住人だ。

「国を支えるのは政府でも民でもない。我々民間企業だ。物資の流通がなければ国は滅びる」

 それでいて、経営方針は正しいのだからタチが悪い。



「照日、とか言ったな? 紫淘とはどういう関係だ? まさかお前の『彼女』ってわけじゃないよな?」

 青の冗談に照日は瞳を細めて笑い、紫淘しゆらはどうでもよさそうにグラスに口をつけた。

「そんな泥沼の関係じゃないって。もっと淡白」

「ビジネス上の付き合いだ。われが依頼人で、彼女に依頼した。商売敵の鬼がいるので始末して欲しいとな」

 紫淘しゆらが答え、照日が引き継ぐ。

 鬼が口にしたその言葉に、青は少し意外性を感じずにいられなかった。

「鬼が鬼を殺せと言うとは思わなかったな」

「お前がそれを言うか? 人間」

 苦笑混じりに、照日は告げる。

「人間同士で裏切り合い、人間同士で騙し合い、人間同士で憎み合い、人間同士で殺し合う。共食いはお前たち人間の得意分野だと思っていたんだがな」

 なるほどな、と青は嘆息し、肩をすくめる。

「確かに、それは道理だ」

 そうつぶやくと、青はさらにぼそりと、こう続けた。


「……俺は嫌いだけどな」


 ほう、と照日は興味ありげに微笑む。

 そこへ紫淘しゆらが横から「依頼人と二度会うのは好きじゃないんだけどねー」とぼやきながら、小さな箱を取り出してきた。手に収まるほど小さく、白木で組み立てられた箱。

「約束の品、持って来といたわよ」

 照日が感謝の言葉とともにそれを受け取る。青が見た限りでは、へその緒を入れる小箱に似ているようだった。

 と、ここで照日が青の目線に気づく。まずかったかもしれない。こういう業界では、詮索屋は真っ先に命を落とす。

「見るか?」

 意外にもあっさりと、照日は秘密の蓋を開いてくれた。小箱の中身が青の瞳に映りこむ。



 中に納まっていたのは、切り取られた角。



 ――彼女に依頼した。商売敵の鬼がいるので始末して欲しいとな――



 そして、血と生気を失った白い指が、たくさん――たくさん……。



 次の瞬間、青の顔が――名前の通り青ざめた。

「おい、何だそれ!?」

 信じられないと言わんばかりに青はそれを振り払う。照日は落ち着いたそぶりでかわしながら、小箱に蓋をかぶせた。

 切り取ったばかりなのか、真新しい木箱の隅に鮮血が染みこんでいたし、鉄錆の匂いがまだ嗅覚にこびりついている。

「切り取るの大変だったのよ、コレ。骨とかガチで硬かったし」

 まるで高いところから荷物を取ったような気軽な口調で、紫淘しゆらがつぶやく。

「最高だ。これならいい見せしめになる」

 中身を確認して、満足げに照日は微笑む。言いたくないが、ひどく凶悪な笑顔だった。

 どうやら、箱の中身は商売敵の指と角らしい。いや、おそらくは商売敵の部下のものだろう。きっとこれを商売敵の頭目に送りつけ、メッセージを添えるのだ。


『始めまして商売敵。我々と素敵な関係を築きましょう。大きなケーキを焼いてシャンパンを抜いて、最後にプレゼントも差し上げます。もしこの最高の申し出を断るのならご用心。帰るときはあなたの首と体が離れることになるでしょう』


 ――こんな風に。


「一応バラしてウナギの養殖場に撒いておいたけど構わなかった?」

 あまりにも自然な口調で紫淘しゆらが忠告してきた。……しばらくウナギは控えよう。

「これで駄目なら、今度は我らがじきじきに殺すさ。切り刻んだ内臓を、やつの自慢のバラ庭に撒いてやる」

 ――完全にマフィアのやり口ではないか。

 

 オイ大丈夫なのかこれ? メチャクチャ物騒な話してないか? だってほら見てみろよ。そこのバーのマスター、ジト目でちらちらこっち見てるし。でもなるべく関わらないようにしてる感じだし。


 こっちもあまり関わらないほうが良さそうだ。青は早々に立ち去ることにした。

「一ついいか?」

 なのに照日は青を呼び止めてくる。そんなに俺を犯罪者にしたいのか。

「お前はこの賽ノ地をどう思う?」

「…………」

 至極真面目な声だった。だから青は足を止めて耳を傾ける。

「この日本には将軍一人と数多くの大名がいる。言ってみれば、小さな国を一まとめにした連邦国家だ。外国にも独逸ドイツ帝国がこのシステムを採用している」

「社会の勉強なら勘弁してくれ。俺は寺子屋ガッコウには通ってないんだ」

 青の軽口に構わず、照日は続ける。

「ドイツ人の中には、純潔アーリア人種こそが正当なるドイツ国民とする単一民族思想がある。自分こそが一番だと思いこんでいる引きこもりだ。――これは鎖国を貫く日本と似ていると思わないか?」

 少し間を開けて、青は答えた。

「思わないな」

「その心は?」

「日本は単一民族じゃない。アヤカシに鬼に羅刹に……それから夜叉……。まだ他にも多くの種族を内包ないほうした多民族国家だ」

「だが実際には――」

 照日が、青の言の葉を否定する。

「――人間が日本のヌシのような顔をしている。その理由は数が多いからだ」

 それは理解できる。数の多いグループが正しいと言えば、黒だって白になる。数の多いものが正義。数の少ないものは――

「数の少ないものはたいてい迫害される。そういう連中の恨みは深い。何げない一言を恨みがましく覚えていることだってあるものだ。――たとえ相手が忘れていてもな」

 照日の言葉には、経験者だからこそ語られる重みがあった。人外である彼女もまた、人間に手酷く扱われた過去を持っているのかもしれない。

「…………」

 青は改めて照日の瞳を見つめる。彼女もまた、青の赤い瞳をまっすぐに見返した。

「この会合に羅刹が来る。お前たち人間によって圧倒され迫害され、裏稼業に身を堕としてまで生き延びたもの達がだ」

 数の少ない種族は、何かしら人間との衝突があるはずだ。人に化けるアヤカシも。人に似ていながら人あらざる存在たる鬼も。そして、戦争に身を捧げた羅刹も……。


「同じ身の上として忠告しておく。羅刹は何かをしでかすぞ」

「…………」

 照日が、何でこんなことを言い出したのか、青にはわからない。出会って間もない盗賊にこんな忠告をする理由も。

 だから青は、ただひたすらに照日の目を見つめ続けた。視線と視線がぶつかり合い、言葉よりも雄弁にお互いの心中を互いへと伝え合う。

 果たして二人は、この無言の時間の間にどんな思いを語り合ったのか……。


「……そいつぁどうも。肝に銘じとくよ」

 先に口を開いたのは青だった。口端をゆがめて、皮肉げに微笑む。

「……念のため聞いとくが、あんたは人間に『仕返し』するのか?」

「断固辞退しよう。我は、人間を敵と思っていないのでな」

 その言葉に、青はあるフレーズが思い浮かんだ。


「『人類皆兄弟』?」

「『お客は神様』だ」



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