Dead Bodies Everywhere
空が泣く。
はらりはらりと雨落つる。
泣いているのは誰だろう。悲しみからか? 痛みからか?
それとも――これから血の雨が降るという恐怖からか?
「ヒマだな……」
団扇をぱたぱたと扇ぎながら、青は縁側でたそがれていた。頭が重いので頬杖をつきたいのだが、残念ながら腕が一本しかない。
茅葺屋根を滴る雨音。水に混じって香る杉の匂い。いつも聞こえてくる獣の足音も鳴りを潜め、聞こえてくるのははらはらさらりとこぼれる雨の歌。
でこぱちと一緒にケンカをしてから、きさらに連れられるカタチで山奥の草庵に案内され、ここにいたる。すぐにでも帰ろうかと思ったのだが、運悪く雨に阻まれ結局今日はここに泊まることになったのだ。
とはいえ、雨独特の澄んだ匂いはなかなか嫌いじゃないし、何より静かな時間を過ごせるのも悪くはない。
「お前、盗賊連合の会合はいいのか?」
背後からの声に、青は思わず体をのけぞらせた。雨が肩にかかってウザい。
森の色彩をそのまま刷りこませたような常磐色の着物。年老いて痩せ細った体を折り曲げ、皺と染みが浮かんだ顔でこちらを見ているのは、この草庵の宿主である奇妙斎だ。
見てのとおりの老体だが、元は名うての剣客だとかいう過去を持ち、何かと謎も多い。真面目にたずねても適当にはぐらかされるし、答えてくれたためしが無い。
だが、青と同じく隻腕のその身と、やたらと目立つ顎傷。そして気配も無く青の背後に近づけるあたり、ただ者でないことだけは確かだ。
「いきなり声かけるんじゃねぇよ。クソジジイ!」
「年寄りはいたわれ。クソガキ」
しかめっ面で言いながら、奇妙斎はキセルを取り出し火をつけ始める。
「……禁煙しろよ。煙くて好きじゃねえんだ、それ」
「やかましい。わしのお口の恋人とのまぐわいを邪魔するな」
「あー、それはそれは。デートの邪魔してスイマセンデシタ」
いやみっぽく敬語で言い放つ。絶対大人になってもタバコは吸わねぇ。
奇妙斎はキセルの煙を口一杯に吸い込むと、霧のような紫煙を吐き出した。苦みを含んだ香りが雨に混じって溶けていく。
「……で、お前会合には行かなくていいのか?」
会合とは盗賊同士で行う、いわば悪のサミットだ。
盗賊だって職業だし、その道で食ってきたプロもいる。熟練者同士が手を組み連携を取れば、こなせる仕事も収入も倍に跳ね上がる。
表に奉行所や烏組のような組織があるように、裏社会にだって組織というものがあるものなのだ。
盗賊稼業に足を突っこんでいる青とて、その例外ではない。
「…………」
青はしばし黙している。
雨の音に混じって、でこぱちが騒ぐ声と、なにやら落として散らかしてしまう音。それからしばらくして、きさらの怒鳴り声が聞こえてきた。――あいつ、今度は何やらかしたんだ……。
青は億劫そうに立ち上がり、畳に素足を押し付け歩き出す。相方の尻拭いは自分の役目だ。
猫背のまま気だるそうに青は歩き、通りすがりに奇妙斎の背中に声を投げた。
「俺は下っ端だからな。チンピラにそんな大きな仕事は任せねえだろ。……トラブルでも起こらねぇ限りはな」
「トラブルだ」
床に足を押し付けながら男は歩を進め、それを口にしていた。
不測の事態を指すその言葉を、どこか困ったような口調で。
だだっ広い空間に雨音だけが木霊する。窓が無いせいで湿気がこもりがちで、そして薄暗かった。
ところどころに転がっているノミや鉋。そして真新しい漆喰と木材の匂い。ここは完成の遠い建設現場。
薄闇の中で男は膝をつき、『それ』に顔を寄せる。
『それ』は茣蓙が被さっていた。
『それ』は人の大きさに近かった。
『それ』は茣蓙に赤い染みをにじませていた。
『それ』は――死体だった。
目がえぐられ、頬骨を砕かれ、指の関節が完膚なきまでに壊れてしまっている屍骸が、男の目の前に転がっている。
白い骨と桃色の肉と黄色い脂肪が全部血の赤で混じってぐずぐずに蕩け切っていて、人の形を成していない。
「……おいおいおいおいおいおい。……何をどうしたらこうなるんだ?」
男――近松景元は困ったようにつぶやいていた。
彼の印象は、派手。
後ろに結い上げた赤毛の髪。刺青を彫りこんだ屈強な体格を紅藤色の陣羽織で飾っている。全身を彩っているのは、過剰なまでにくくりつけられたアクセサリーの数々。
伊達男、あるいは傾奇者。そんな名称がぴったりな漢だった。
これが賽ノ地奉行所のお奉行様だと言うのだから、破天荒という他にない。
「それを調べるために我々がいるんですよ」
隣にいた中村景雲が、メガネのブリッジを軽く指で押し上げた。
藤紫色の着物に墨色の羽織。口調こそ穏やかだが顔の輪郭は鋭く、知的な印象を与える。
奉行の与力――つまりは補佐役としてこの現場に居合わせている人間だ。
「……んで? 景雲」
景元は立ち上がり、茣蓙の下に転がる死体を指差しながら――言った。
「あと何人いる?」
だだっ広い空間。まだ完成の遠い建設現場。
その広い広い床一面に――たくさんの死体が転がっていた。
薄闇に浮かぶ赤、紅、銅。血を絞りつくされ、死しか残らぬその骸を横たわらせたまま微動だにしない。
何かをつくる――誕生を彷彿とさせるべきこの場所に、命なんてものは一つも存在しなかった。
「おおよそ百人。――全員が、羅刹城建設に携わっていた大工です」
「羅刹か……」
そう、ここは羅刹城の建設地。
長く続いた人間と羅刹との戦争が半年前に終結し、その条件として羅刹側が出した提案が――人間が保有する領土内部に羅刹の軍事拠点を設けること。
つまりは羅刹の城を作れということだ。そういう意味では、犯罪地区第一位の賽ノ地は適任だったと言えるだろう。荒地を整えるにはもってこいだし、住んでいるのは犯罪者ばかり。何も遠慮することは無い。しかも隣州である西牛貨洲に対する防壁としての役割も果たせるのだから。
「羅刹の仕業だと思うか?」
景元の問いに、景雲は首を横に振った。
「城を造らせ、情報を漏らさないために設計者を始末するというのは良く聞く話ですが、建設途中でただの大工を殺す理由がありません。何より――」
景雲は、息を呑んでつぶやく。
「彼らは互いに殺し合ってる」
近くに転がっている血糊のついたノコギリ。鉋、木槌。――ここで何が起こったのか。何が行われたのか……。想像するのも寒気がする。
「SMプレイにしちゃ痛すぎるな。景雲。こりゃひょっとするとあれか?」
「ええ。おそらくは――」
景元と景雲の間に、ひとつの単語が浮かぶ。
――病葉狂――
近頃、賽ノ地にはびこる流行り病。
老若男女問わず、この病は結末に死をもたらす。そして病にかかった人に夢を見せるのだ。自分の未来という夢を。
それはまるで、きさらが見た『あの夢』のような――……。
面倒なことになってきた。そんなことを思いながら景元は首筋をさする。
「例の盗賊会合だが……あの会合に割く人員を増やした方がいいかもしれねえな」
「ええ。あそこの大物ゲストは羅刹です」
どうにもきな臭い。何かが起こる予感がする。そして、悪い予感というのはたいてい当たるのだ。
景雲はメガネの奥から鋭い視線を投げかけた。
「羅刹は派手なことが好きですからね。――あなたと同じで」
「俺が好きなのは酒と賭け事。それに女だ」
特に美人な、と景元は付け加える。
「それに羅刹には停戦条約がある。頭に馬糞がつまってるような戦争バカだが、いきなりケンカふっかけるほどアホじゃねぇよ」
「でも危険です」
「知ってるよ。――朋香、いるか?」
「ここに」
現れたのは、ススキの穂のような銀色の髪をなびかせる、忍装束の女性。されど、髪の間から見える三角の耳や、後ろに見える獣の尾はまさしく彼女が人あらざる者――人間に擬態して生きる『あやかし』であることを明かしていた。
彼女の切れ長の黒い瞳が主の姿を映す。派手な衣装で身を飾った男の姿を。
そして景元もまた、いつになく真剣なまなざしで従者を見つめていた。
「奉行所に通達しろ。全人員を盗賊会合の現場に回せ。非番と夜勤と休暇中の連中も叩き起こして取り囲め。最悪、羅刹との戦闘になる。――それから、烏組にも増援を要請しとけ。いいな?」
「ただちに」
現れた時と同じように、朋香はするりと姿を消した。まるで魔法のように。
景元の背中に届いたのは、与力の困ったような笑い声。
「羅刹と戦闘になったら、政府の重役連中はきっと怒りますよ?」
「勝手に怒らせとくさ。口先だけの政治家なんざクソ喰らえだ」
何かが始まる――そんな予感が迫ってくる。とても不快なものがこみ上げてくる。
まるで研いだ刃を喉元に押し当てられたような、あるいは氷塊を背中に突っこまれたような嫌な感じ。
このカンが正しければ――羅刹は間違いなく何かをたくらんでいるだろう。この賽ノ地で。
そうはいくか。
こっちは人間だ。罪を裁く職場に身を置いている。これが仕事で、これが生き様だ。
我々は戦争をして『遊ぶ』羅刹を止める義務がある。それが我々奉行所だ。
もしも羅刹が停戦条約を無視したならば、こちらは嬉々としてそれを迎え入れよう。
いい度胸だ。かかってこい。正々堂々真正面から迎え撃ってやる。楽に勝てると思うなよ!
眉をひそめて、景雲が話しかける。
「盗賊側は会合に来るでしょうか? この大工の大半は盗賊です。危険を感じて身を隠す危険が……」
「来るだろ。連中だって真実を知りたがる」
「でも、誰を行かせるんでしょうか?」
にっと笑って景元が言った。
「ヒマ人を知ってる」
納得が行かない様子で、青はそこにいた。……何でだ、と不服の声を漏らしながら。
盗賊会合の行われる屋敷の前に。
暴力が集まりつつある、その場所に。