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ヴァルディエ公爵令嬢リーゼと、ヴァイス伯爵家の子息にして第一王国騎士団長であるシルヴィオ。二人の結婚は、彼女の父による政略的なものだった。
ラグローリア王国は長きにわたり、諸侯政治が敷かれてきた。
王都エリーシュでは、お飾りの若き国王を意のままに操ろうと、貴族たちの激しい権力争いが渦巻いている。
かつて、王国唯一の筆頭公爵家として権勢を誇っていたヴァルディエ家の当主アルブレヒトは、王の寵愛を独占するためなら手段を選ばない男だ。
そんな父にとって、現在、筆頭公爵として君臨し、清廉潔白で非の打ち所がないブラッツ公爵家当主レナートは、もっとも邪魔な政敵だった。
正面から粗を探しても、塵ひとつ出てこない。だからこそ、父は弱点を探すことにした。
レナートの懐刀であるシルヴィオを監視し、レナート失脚の足掛かりを見つける──その目的のために、リーゼを利用しようと目論んだ。
騎士団長程度の地位の男にとって、公爵家の娘との結婚は身に余る光栄だ。あまりに話がうますぎる。
だからこそ、聡明なレナートは、アルブレヒトの野心に気づいている可能性があった。
そうでなければ、レナートがシルヴィオの結婚をこころよく思っていないなどといううわさ話を耳にすることもなかっただろう。
誰からも祝福されない結婚をした。
そう思っていたけれど、シルヴィオは公爵令嬢との結婚に満足しているようでもあった。
唐突な夫の帰還。
思いがけない優しさを見せた夫への戸惑い……。
リーゼはすぐに部屋を出る気になれず、灰色に染まる空を眺めていた。
すると、雲の切れ間から羽をはばたかせて近づいてくる小さな影を見つけた。
急いで鍵を外す。窓を開けると同時に、灰色の翼が室内へ滑り込んでくる。
「フィン!」
部屋の中をぐるりと飛んだフィンが、ゆっくりとリーゼの肩にとまり、ぶるりと体を震わせて雪を払うと、独特のしわがれた声でさえずる。
「レナート、サンジョウ。……レナート、サンジョウ」
やはり、シルヴィオの帰還を受けて、レナートは早速王宮を訪れたのだ。
予想していたとはいえ、その事実にリーゼは愕然とした。
「それで、お父さまは?」
問い詰めるように尋ねた。
ヨウムのフィンとは、公爵家に連れてこられた幼い日からの付き合いだ。
孤独な屋敷で、唯一心を許せる相棒。彼だけが、雨の日も雪の日もリーゼに寄り添い、誰にも話せない秘密を共有してきた。
言葉以上の意思を通わせる彼には、リーゼの焦りなどお見通しだろう。
フィンは一度だけ小さく首を傾げると、宙へ向かって叫んだ。
「コクオウ、アワズ。……コクオウニ、アワズ」
フィンが繰り返す言葉の意味を理解し、リーゼの背筋に冷たいものが走った。
「お父さまは陛下に会えなかったのね……」
現国王マリウス・フォン・ラグローリア陛下は、十八歳の若き国王。レナートに絶大な信頼を置くと聞く。
今日はアルブレヒトが謁見する手はずになっていた。すでに城へ到着していた父を差し置いて、マリウスはレナートとの面会を優先したのだ。
「お父さま……怒っているわね、きっと」
報告がもう少し早ければ、父は陛下との謁見を急かしたはず。リーゼの失態を、父が許容するはずがない。
代償は鞭打ちだろうか……。いや、リヒトの身に危険が及ぶかもしれない。
アルブレヒトの怒りを想像すると、全身がぞわりと震える。
気持ちを落ち着かせようと、肩に乗るフィンの背中をするりとなでたリーゼは、彼の足に縛り付けられた紙切れに気づいた。
「お父さまからの手紙ね?」
リーゼはすぐにそれをほどき、サッと目を通す。
乱暴な筆致で、ただ一言、こう書かれていた。
『シルヴィオを宝石商バルタザールのもとへ連れていけ』
拒否権などない、絶対の命令だった。
(バルタザール……?)
王都の宝石店はすべて頭に入っているが、そのような名の店は聞いたことがない。
では、裏通りの店だろうか。
だとしたら、父はなぜ、そんな場所を指定したのか。
考え込もうとしたそのとき、部屋に近づいてくる確かな足音が、扉の向こうから聞こえてくる。
シルヴィオだ。
リーゼは弾かれたように窓辺から離れると、燃え盛る暖炉の炎の中へ手紙を投げ込み、フィンを鳥籠へと戻した。
手紙が跡形もなく燃え尽きた直後、ノックとともに扉が開く。
「……まだここにいたのか」




