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通されたのは、壁一面に書物が並ぶ執務室だった。
革張りのソファに深く腰掛けた金髪の青年、レナート・ブラッツ公爵は、リーゼが差し出したシルヴィオの手紙に目を通していた。
うわさに違わぬ爽やかな風貌をしている彼だが、そのまなざしはどこかつかみどころがなく、油断ならない人物に見えた。
レナートは手紙を折りたたむと、呆れたように鼻を鳴らした。
「まったく……無茶を言うな、シルヴィオは」
「あの……何と書いてありますか?」
恐る恐る尋ねると、レナートは片方の眉を器用に持ち上げたあと、愉快そうに口元を緩めた。
「『数日、妻のリーゼを預かってほしい。くれぐれも丁重にお願いする』……とまあ、私を誰だと思って口をきいてるのか。いい度胸だな」
「……申し訳ございません」
「いや、謝ることはない。あいつがそこまで必死になるのが珍しくて、面白いだけだ」
レナートは手紙をテーブルに置くと、柔和な表情を引き締め、探るような鋭い瞳をリーゼに向けた。
「さて、リーゼ嬢。あいつが私への説明を省いて無鉄砲に飛び出すなど、よほどの事態だ。何があったか、詳しく聞かせてくれるか?」
促され、リーゼはこくりとうなずく。
「はい。……まずは、私の出生について、お話しなければなりません」
リーゼは意を決して語った。
自身は、カスパル・トゥクル辺境伯を死に至らしめた暁の反乱軍首領、ヨハン・ノイエルの娘であること。
アルブレヒトに弟のリヒトを人質に取られ、夫の動向をスパイしていたが、命令に逆らったため、リヒトの身に危険が及ぶ可能性があること──。
そして、リヒトを助けるために、シルヴィオが単身で飛び出していったことなど、すべてを話し終える頃には、レナートの表情から笑みは消え、険しいものに変わっていた。
彼はテーブルに両肘をつくと、思案するような面持ちで口を開いた。
「リーゼ嬢、あなたの話に嘘偽りがないと仮定して、私にはどうしてもわからないことがある。13年前、なぜ、ヴァルディエ公爵があなたを王都へ連れ去ったのだろう。何か心当たりは?」
「わかりません……。ただ、王都へ向かう馬車の中で、兵士たちが『リーゼという名前を恨め』と……」
「名前を恨め……か」
レナートは頬杖をつき、虚空を見つめた。やがて、ひとつの仮説にたどり着いたように、話し始めた。
「ヴァルディエ公爵には『リーゼ』という、あなたと同じ年頃の娘がいた。彼女は生まれつき病弱で、10歳まで生きられないと言われていたが、その身代わりを探していた……と考えられるだろうか」
「身代わりって……なぜですか?」
問いながら、考えられることはいくつかあった。
アルブレヒトは我が娘を王妃にと願っていた。その野望を果たすためなら、偽物を用意することも厭わなかったのかもしれない。
「当然、娘が亡くなったことを隠すためだろうな」
「確かに、あの屋敷には私以外の子どもはいませんでしたけれど……」
「ではなおさら、間違いない。本物のリーゼ・ヴァルディエは病死したのだ」
「でも……、リーゼ・ヴァルディエの顔を知る使用人は、私が屋敷に連れてこられる少し前に解雇されたのです。でしたら、亡くなったのは、そのころ……。亡くなってから身代わりを探したにしては、あまりにも計画的ではありませんか?」
レナートはうっすらと笑みを浮かべた。
それは何かを楽しむようであり、冷ややかなものでもあり、思わずリーゼは身震いする身体を抱きしめた。
「ちょうどいい手頃な身代わりを見つけた。これがまず、最初だったのではないか?」
「……それは、どういう?」
「あなたを見つけたときから計画は始まった。本物のリーゼの死は、引き金を引く合図だ」
「でもだからって、どうして私が……」
「つまりだ、ふとしたときに偽の名を呼ばれ、自然と振り向く幼い子どもは少ない。その名を持って育った子どもを偽物に仕立てる方が、入れ替わりを疑われにくいだろう」
レナートは立ち上がるとリーゼに歩み寄り、じろじろと眺めた。
「その上、あなたは私が知る中でも、なかなかに美しい。それは、公爵令嬢として疑う余地のない美貌の持ち主だということだ。……あなたには酷な話かもしれないが、あなたを奪うために、ヨハンは反乱軍の首領に仕立て上げられたのだ」
「そんな……っ」
リーゼは息を呑んだ。
自分が身代わりだとはわかっていた。けれど、そのために父が……、家族が犠牲になったなんて考えたこともなかった。
「私の……せいで、両親は殺されたっていうんですかっ。でも、なぜ? それなら、トゥクル辺境伯はなぜ、殺されなければならなかったのですかっ?」
「本当に、トゥクルは死んだのか?」
「え……」
考えたこともなかった問いに衝撃を受けた。
リーゼはひるむようにつばを飲み込んだ。
レナートは想像し得ない何かを知っている。そう思えてならない。
「私は一つ、大きな仮説を立てている。聞きたいか?」
「……はい。聞かせてください」
「いいだろう。……だが、その前に」
深刻な話の腰を折るように、レナートが視線を少し下にずらす。
「その鳥は、ずいぶんリーゼ嬢に懐いているのだな」
「……フィンですか?」
リーゼの腕の中で、気配を消すように大人しくしていたフィンが、名を呼ばれてまばたきをする。
「ああ。シルヴィオは見つけられなかったと私に報告したが、まさかリーゼ嬢のもとにいたとはな」
「見つけられないって……。それでは、もしかして……」
「異国から取り寄せた鳥が荷から逃げ出したのを、シルヴィオに探すよう頼んだのは、私だ」
リーゼの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
鳥を探していると中庭に現れた、フードを目深にかぶった少年が脳裏をよぎる。
(じゃあ、あの少年がシルヴィオ様……?)
リーゼは胸が熱くなるのを感じた。
あのとき、あの少年が見逃してくれたから、リーゼは心を預けられる親友ができた。フィンがいてくれたからさみしくなかった毎日は、シルヴィオが与えてくれたものだったのだ。
「大切に飼われていたようで何よりだ。……さあ、本題に入ろうか」
レナートはふたたび、執務机に腰を落ち着けると、低く声を潜めた。
「ヴァルディエ公爵について、私は以前からある疑いを持っている」




