7
明日が来るのが怖い──
けれど、シルヴィオの帰宅を待つ時間は、一生夜が来ないのではと、おびえるほどに長かった。
馬のいななきが聞こえて、リーゼはソファからハッと立ち上がる。フィンは目を閉じてゆっくり休んでいたが、同じように顔をあげた。
窓に駆け寄ると、薄暗い空の下で馬から降りるシルヴィオの姿が見える。いつの間にか、夜が訪れていたようだ。
突然、扉がノックされ、リーゼは「どうぞ。入って」とかすれた声で返事をした。今更、喉がからからに渇いているのに気づいた。
「奥様、旦那様がお帰りになりましたが、お夕食はどちらでなさいますか?」
部屋の中へと進み入ってきたエルナが尋ねてくる。
「そ、そうね。こちらへ運んでくれるかしら? シルヴィオ様はお疲れでしょう。すぐにお休みになるでしょうから、寝室を温めて、お風呂の準備もお願いします」
「かしこまりました」
エルナは一礼するとすぐに部屋を出ていった。
ほっと息をついたのも束の間、入れ違うようにして、シルヴィオが顔を出す。疲れた表情をしていたが、それでもどこか、使命を全うした充足感に満たされているように見えた。
「シルヴィオ様、おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま。夕食はまだだと聞いた。いつもあなたは俺に合わせてくれているのだな」
「し、心配しているのです。のんきに休んでなどいられません」
ほんの少し目をそらすと、シルヴィオの手が伸びてきて頬に触れる。
そのまま顔をのぞき込まれて、リーゼは息を飲む。その、どこか探るような、ひどく冷静な目に、どうしようもない不安が湧きあがり、焦燥感が募ってくる。
「何をそんなにも心配する必要がある? レナートにあらぬ疑いがかかっている。先導者の調べに尽力を、と陛下にお願いしただけだが?」
「そ、それは……」
「その先導者が、アルブレヒト・ヴァルディエだと、あなたは知っているからではないか?」
「まさか……」
唐突に突きつけられた真実に、リーゼは顔から血の気が引いていくのを感じた。こうもたやすく、シルヴィオがその名を出すとは思っていなかった。
なぜ、筆頭公爵のレナートに引き立てられ、王国随一の騎士団長にまで登り詰めた、この優秀な男を騙し切れると思っていたのか。
自らの浅はかさにリーゼは動揺しながらも、首を横に振るしかなかった。
「わ、私は何も。お父さまは私に何もお話しにはならないのです」
「ならばなぜ、あのようなひどいあざを? あなたはすべて知っているのではないか。それなのに、協力しないから、ひどい仕打ちを受けたのではないのか」
「仕打ちなど……何も。あれは……私がただ……転んで……」
「リーゼ」
シルヴィオはリーゼの両肩をつかむと、にらみつけるような鋭い目を向けてきた。
「なぜ、手紙をすり替えなかった?」
「……え」
「あなたは偽の書状をアルブレヒトから預かったはずだ。なぜそれを、俺に持たせなかったのかと聞いている」
「そ、そんなことは……」
「フィンがたびたびヴァルディエ公爵邸へ飛んでいくのは、この目で見ている。言い逃れの嘘は必要ない。真実を話せ、リーゼ」
リーゼは首を振りながらぶるぶると震えた。
初めて、夫となるシルヴィオ・ヴァイスを見たとき、なんて澄んだ目をした人なのだろうと心惹かれた。
その清廉潔白な瞳は今も濁り一つなく、こちらを見つめている。
リーゼの世界は偽りばかりだった。アルブレヒトの言いなりで生きてきた自分は、確固たる信念を持つ彼の前では、値打ちのない人形も同然だった。
そんな崇高な彼に愛されて、なぜ本気になってしまったのか……。
リーゼは両手で顔を覆うと床に崩れ落ちた。
この幸せな結婚が壊れてしまうことが、何よりも恐ろしかった。




