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「レナートがこの件に少々疑問を持っていてな」
「レナート様が?」
ヒュッと息を飲むと、シルヴィオは小さく「ああ」と息をつき、リーゼの肩を抱き寄せた。
「怖がらせたようだ。この話はここまでにしよう。ヴァルディエ公爵があなたに何も言わないのも、怖がらせまいとしてだろう」
リーゼはぎゅっと彼の胸元をつかんだ。
聞きたいことはまだある。これを逃したら、彼はもう二度と教えてくれないかもしれない。
「エルラントはどうなっているのですか?」
「今は荒廃した街だけがあると聞く」
「街が……あるのですね?」
もしかしたら、弟のリヒトはそこにいるかもしれない。
リーゼの胸に希望と不安が渦巻いていく。
「反乱軍に関わらなかったエルラントの民が、細々と暮らしているはずだ。生かさず殺さずのやり方で、ヴァルディエ公爵が統治している」
「生かさず……」
「あなたの父上は、ふたたび反乱を起こさぬよう、農具以外を取り上げ、エルラントで育つ穀物を税として徴収し、輸出しているんだ。……あなたには悪いが、あの御仁が冷酷無比と言われるのは、それが所以だ」
シルヴィオは優しくリーゼの背中をなでた。
「私……何も知りませんでした」
顔をあげると、シルヴィオがそっと顔を寄せてくる。
優しく触れてくる唇に、ほっとする。まぶたを閉じたら流れる涙を、ぬぐい取ってくれる指先にも。
今こうしているときも、リヒトは血のにじむ手で農具を握りしめているかもしれないのに、シルヴィオとの口づけに、罪悪感が薄まっていく。
「リーゼ……、あなたは何も知らなくていい。余計なことを話したな」
「そんなことは……。公爵の娘として、私だって……」
「あなたには、俺のことだけを考えていてほしい」
ふたたび、深く唇が重なってくる。
ソファの背に押し付けられ、もどかしそうにドレスのひもを探る彼の手に、リーゼは身をすくめる。
「あ、あの……、まだ夜ではありません……」
「夜でないといけないなんて誰が決めたんだ?」
何を言い出すのかとリーゼが口をわなわなさせると、頭上からしわがれた声が降ってくる。
「リーゼ、トモダチ。……トモダチッ」
鳥籠の中でばたつくフィンを軽く睨んだシルヴィオは、立ち上がると、檻の隙間に差し込んだ指で、ちょんとフィンの頭をなでた。
「リーゼをいじめていたわけじゃない」
「ンー……?」
首をかしげるフィンを見て、シルヴィオが声を立てて笑ったとき、扉をノックする音が聞こえた。
「何用だ?」
「奥様に、ヴァルディエ公爵閣下よりお手紙が届いております」
シルヴィオがちらりとリーゼを見やる。リーゼはあわてて、髪が崩れていないか手を当てた。さいわい、どこも乱れていなかった。
「……入れ」
彼が命じると、手紙を携えたエルナが部屋へと入ってきた。
シルヴィオは封蝋と筆跡を確認し、確かにアルブレヒトからの手紙だとわかると、リーゼに手渡した。
リーゼは何食わぬ顔でそっと手紙を開けた。シルヴィオに知られたらいけないような内容なら、アルブレヒトが手紙で寄越すことはないとわかっていた。
やはり、中身は当たり障りのない挨拶と、簡潔な用件のみだった。
「……お父さまが屋敷へ来るように、ですって」
「いつ?」
「明日です」
「明日はレナートと約束があるんだが……」
シルヴィオはほんの少し渋い顔をする。
「私ひとりで参ります。お父さまも私に用があるとのことですから」
リーゼは手紙をシルヴィオに渡した。
シルヴィオが明日、レナートの屋敷へ出かけることは、今朝、フィンを通じて知らせていた。だからこそ、アルブレヒトはすぐに手紙を寄越したのだろう。
つまり、リーゼひとりでヴァルディエ公爵邸へ来いとの指示に他ならない。
「そのようだな。悪いが、ひとりで行ってもらえるだろうか。レナートとの約束は外せない」
手紙に目を通したシルヴィオは、苦渋の決断をしたかのような表情をする。
「かまいません。シルヴィオ様がお帰りになる前には帰りますね」
「俺にかまわず、ゆっくりしてくるといい。何かと、あなたのことを心配しているのだろう」
「ありがとうございます」
「では、馬車と護衛はこちらで用意しよう。エルナ、シモンにも連絡だ。ついてこい」
シルヴィオはてきぱきと指示を出すと、エルナを連れて部屋を出て行く。次第に足音は遠ざかり、聞こえなくなった。
室内が静寂に包まれると、リーゼは息をつき、フィンを鳥籠から出してそっと背中をなでた。そうすることで落ち着いた。
次なるアルブレヒトの策略は何だろう。シルヴィオの身に危険が及ぶようなことだったらどうしよう……。
彼を裏切り、父の命令に従っている自分が、不安になる資格なんてないのかもしれない。
なぜ、こんな気持ちになるのだろう。
リーゼはぼんやりと曇り空を見上げた。
その空のつながる先の大地で、リヒトは今も苦しんでいるかもしれない。
それなのに、頭のどこかで、ひとりの男の未来を案じてばかりいる。
「ねぇ、フィン。……私、シルヴィオ様を愛しているのかしら」




