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シルヴィオ帰還から数日が過ぎた。
外は今にも雪が降り出しそうな空模様だったが、屋敷の中は、以前とは比べものにならないほど温かい空気に満ちていた。
リーゼは自室のソファに腰かけていた。
結婚の際、ヨウムのフィンと過ごせる部屋が欲しいと願い出た。シルヴィオは、そんなことはささいな願いだと言って、南向きの部屋を与えてくれた。
それ以来、ほとんどの時間を自室で過ごしている。
手元には、編みかけの毛糸がある。
公爵令嬢として如才なく振る舞えるよう、アルブレヒトは彼女に語学やダンス、絵画などさまざまな習い事をさせたが、どれも彼の要求を満たす仕上がりにはならなかった。
けれど、母がそうであったように、編み物だけは得意だった。今は日がな一日、夜遅くまで書類に目を通しているシルヴィオのために、ひざ掛けを編んでいる。
リーゼは手を止め、窓際の鳥籠へと目を向けた。さっきまで目をつむっていたフィンが、興味津々といった様子で外を見つめている。
「外に何かあるの?」
問いかけながら立ち上がり、窓の外を覗き込む。
溶けきらぬ雪の積もる中庭に、一つの人影を見つけた。
休暇中だというのに、シルヴィオが黙々と剣を振るっている。
白銀の世界できらめく髪。決して大男ではないのに、鍛え抜かれた背中は気迫に満ちて大きく見える。
空を斬る音が聞こえてきそうなほどの緊迫感に息をのんでいると、ふとシルヴィオがこちらに鋭い目を向けた。
そして、窓越しのリーゼに気付くと、嘘のように殺気を消し、表情を和らげた。
剛健な騎士が、自分を見て微笑んでいる。公爵令嬢でなければ、あり得なかった光景だ。
リーゼは戸惑いながら、小さく手を振った。そうしている自分が不思議でもあった。
いずれ、アルブレヒトはシルヴィオを使ってレナートを失脚させるだろう。その手助けをしている自分が、彼とほがらかな時間を過ごしているのは、ひどく滑稽なことのような気がした。
手を引っ込めると、シルヴィオは剣をしまい、中庭から姿を消した。
「もう鍛錬は終わりなのかしら?」
ひとりごとのようにつぶやく横で、フィンが同じように首をかしげている。
なんだかおかしくなって、口元に手を当てて笑ったそのとき、いきなり部屋の扉が開いた。
「シ、シルヴィオ様っ?」
ついさっきまで中庭にいたはずのシルヴィオが、息切れ一つしないで駆け寄ってくる。
「あなたの姿が見えたから来てみたのだ。退屈してるのではないか?」
「いいえ、退屈だなんて……」
「そうか? 俺が遠征中も、一日中ここで過ごしていたと聞いた。退屈ならば、パーティーの一つでも開かねばとは思うのだが」
シルヴィオはソファーに置かれた編み物に視線を移す。
それしか取り柄のない妻を、彼こそ退屈に感じているのではないだろうか。
身体が弱いことを言い訳に、リーゼは社交界に出たことがない。公爵令嬢とはいえ、ヴァイス伯爵家に何の益ももたらさない。そんな妻でも、少しは役に立ってもらわねばと思うのは当然だろう。
「……本当に、退屈などしていません。私には、ほら……フィンがいますし」
鳥籠に目を向けると、フィンは止まり木を行ったり来たりしている。
フィンは警戒心が強い方だが、慣れないシルヴィオがいるにもかかわらず、機嫌が良さそうだった。
「エルナから聞いた。フィンは人間の言葉を真似て、メイドたちを笑わせているそうだな。あなたもさぞかし、俺といるより楽しいのだろう」
面白くなさそうに言うと、シルヴィオは目をそらす。
(……すねてるのかしら?)
リーゼはあっけに取られたが、すぐにハッとする。シルヴィオに愛想を尽かされるのだけは避けなければいけなかった。
「そんな……シルヴィオ様と過ごす時間は比べるものではありませんっ」
あわてて叫ぶように答えると、シルヴィオは切れ長の目を大きく見開き、固まった。
何か間違ったことを言っただろうか。不安になっていると、彼は口もとを緩め、わざとらしく咳払いをした。
「……その、あなたはフィンをずいぶんと大事にしているのだな」
「それはもう。フィンは私の親友なんです」
「親友?」
「はい。私がまだ幼いころ、この子が屋敷の庭に迷い込んできてから、ずっと一緒なんです」
リーゼが懐かしむように微笑むと、シルヴィオはわずかに眉をあげた。
「そうか。あなたは中庭に出るのがやっとの生活をしていたのだったな」
「……はい。ですから、私には同じ年頃のお友だちはいないんです。知り合いさえいません」
だから、公爵令嬢としての人脈は期待しないでほしい。そう暗に伝えたつもりだったが、シルヴィオは何か言いにくそうな顔つきをした。
「あなたはそのころ、中庭で誰かと会わなかったか?」
「え……?」
「誰かがフィンを探しに来たり、奇妙な男を見かけたりはしなかったか、と聞いている」
探るような目を向けられ、リーゼは口をつぐんだ。




