婚約が白紙になった婚約者の妹との突如の結婚
「婚約は白紙になったはずでは?」
俺は父の話を聞いて、すぐに尋ねる。
「白紙になったのは姉のほうだ。今回婚約するのは妹のほうだ」
父の俺の疑問を予期していたかのような即座の返答。俺はなら最初からそう言えよと内心思うが口に出さないでおく。父の言葉が足りないのは今に始まったことではない。というかあえてそうしているところもあるだろう。
「だとしても、婚約をあちらの都合で白紙にしておいて、わずか一月で今度は妹でってこちら馬鹿にされてませんか?」
「あちらもあちらで大変なのだ。ふんだくれるものはふんだくるつもりであるし問題はない」
父は一切表情を変えずに言う。俺はどこまでやるつもりなのかと少し考えるが、すぐにその思考を止める。考えないほうがいいことだ。
「一応聞きますが、拒否することは?」
俺の問いに父はただ一度だけ首を振った。俺はため息をつき、「わかりました」とだけ答えた。父への反抗をできるほどの胆力は今の俺にはない。父を出し抜く頭脳も、父の意見をねじ伏せるほどの力もない。となれば気が乗らなくても、これは承諾するほかはない。
「詳細はこちらにまとめた。読んでおけ、明日には婚約者との顔合わせだ」
俺は父から渡された書類の束を黙って受け取りながら、内心でいきなり明日かよと思っていた。表情に明らかに出ていたのだろう、父は「早くまとめたいのだこの一件は、頼んだぞレオン」と釘を刺すように言ってくる。
俺はもう一度ため息をつき、「準備します」とだけ言って自室に戻る。
自室に戻り、書類を読んでいく。相手の家の情報はほぼ飛ばし飛ばしで読んでいく。だが、先月の俺との婚約解消の一件により社交界では風当たりが強いようだ。こちらも醜聞に近いため、表だって情報をあかしていないが。漏れるものは漏れるものだ。
俺はアイハート伯爵家の次男だ。相手はバレンティア伯爵家といううちとほぼ同じ力を持つ家であった。バレンティア伯爵家から頼まれ、俺とバレンティア伯爵家の長女、ニーナとの婚約が決まった。
だが、ニーナは使用人の一人と駆け落ちをしたのだった。そこで、急遽婚約を白紙という形にしたのだった。しかもわずか三日で。
俺は驚いたが、正直そこまでだった。父に焦ったようすがなかったため、想定通りに見えたからだ。自分の父は恐ろしく思っている。
「妹の情報なさすぎだろこれ」
書類の束を読み終えてすぐ俺はつぶやく。今回の婚約者の妹さんに関する記述はほとんどなかった。
名前と年齢ぐらいだけであった。
名前はフローリア。年は17歳、俺より二個下だ。それだけであった。
「まあなるようになれってことか」
父がこの程度しか渡してこなかったということはその程度で十分ということであろう。バレンティア伯爵家はこの婚約についてもう何もできないということなのだろう。
「俺もフローリア嬢もただの道具ってわけか」
俺は小声でぼやく。貴族の子供として生まれた以上そこに、何か今更憤りを強く覚えることはない。だが、それでもぼやきはしてしまうのであった。
翌日、俺は婚約者のフローリア嬢と対面をするため、応接室に向かっていた。当日の朝にいきなりであったが、会うのは俺とフローリア嬢だけらしい。バレンティア伯爵自体は来ないで、書類だけらしい。ほんとの顔合わせにしか過ぎないようだ。
応接室には、フローリア嬢と相手のメイドとこちらの執事がいた。俺と彼女はとりあえず自己紹介を互いに行う。
「レオン・アイハートです。お待たせいたしました」
「いえ、お気になさらず。フローリア・バレンティアと申します」
フローリア嬢は頭を下げる。俺は姉とは雰囲気が全然違うなと思う。姉からは威圧的な雰囲気を感じたが、彼女からは全く感じない。むしろこの場に恐怖しているかのようなおどおどしたようすが見られた。
薄い青のドレスに、彼女の薄い茶色の髪は似合っていた。どこかふわっとした、ゆるい雰囲気を彼女から感じていた。
「あの、この度は本当に申し訳ございませんでした」
彼女はさらに深く頭を下げる。どうやら姉の一件を謝罪しているらしい。
「お気になさらないでください。あなたは悪くないですし」
「い、いえ私も姉を止めていればこんなことにはならなかったので」
フローリア嬢は即座に俺の言葉にかぶせるように言う。何度かそのような問答を繰り返す。
俺はこのままでは何も進まないと思い切り替える。
「一旦その件はここまでにしましょう、今はお互いのことを知りましょう」
「はい、そうですね。えと私は普段刺繡をやっています。孤児院にもよく寄付しているのでお役に立てますきっと」
フローリア嬢は早口で言う。俺は「いいですね」と返す。それしか返せなかった。俺は正直話すのが得意ではない。前日に準備してあった会話メモを必死に思い出す。
「私は普段は農作物の研究をしています。最近はニールベリーの植生について調べていました」
「そうなんですね、すごいです」
フローリア嬢は笑顔でそう言ってくれた。俺は後ろの執事からの視線を感じた。「レオン様その話でいくの?」という圧を感じた。
そこから俺はなんとか会話を振りしぼった。フローリア嬢は笑顔でいてくれたが、俺はどんどん罪悪感を感じていた。どう考えても、どう見ても話が弾んでいない。俺は自分の話のつまらなさを呪い始める。後ろの執事からの視線はどんどん痛くなる。
俺が今すぐにでもこの場を出たいと思う頃、父が部屋にやってきた。どうやら時間になったようだ。
俺はようやく終わったかと思った瞬間、父から恐ろしい発言が飛び出した。
「レオン、フローリア嬢との結婚は明日になった」
「明日?!」
俺は驚き、つい言葉を荒げてしまう。俺は即座に咳ばらいをし、取り繕う。
「早すぎやしませんか、フローリア嬢も困るでしょう」
フローリア嬢は驚いた様子で固まっていた。話を振ってもダメなようだ。
「手続きの関係で申し訳ないが明日になってしまう。では、レオンとフローリア嬢、ここにサインを頼む。終わったら持ってきてくれ、レオン」
そう言って父は応接室を出ていく。そして、なぜかお互いの使用人も一緒に出ていく。そして二人で残されてしまった。
「フローリア嬢、大丈夫ですか?」
「えっ、あっはい驚きましたが大丈夫です」
しばしの沈黙のあと、言葉が帰ってきた。
「それで、フローリア嬢、本当に結婚しますか?」
「えっ?」
俺の質問に彼女は困った顔を見せる。
「フローリア嬢、あなたが望まないならこの結婚はどうにか私がします」
俺は昨日考えていたことを伝える。
貴族として生まれ家のために結婚する。それが貴族だ、しょうがない。だが、それでも、俺は最後に抗いたいと思ってしまったのだ。俺は正直どうしようもないやつなのだ。
農作物の研究にすべてをつぎ込むような男である。日がな一日、農作物を見続けている。今日自分でもさらに実感したが、話もへたくそだ。どう考えても結婚相手にはよくはない。人生のパートナーとして共に歩むには不適当だ。
「あのそこまでなさってくれる理由をお聞きしても?」
「ただの俺のわがままです。結婚相手に何も与えれない、そう自負があるので」
フローリア嬢はしばしの沈黙の後、ペンをとり、目の前の書類にさっとサインをする。俺は驚きで目を見開く。フローリア嬢はペンを俺に渡そうとする。
「では私もわがままを、サインをお願いいたします」
「なぜ?」
「えと、レオン様はとてもいい人だと思いましたので」
俺はそんなことはないとすぐに否定する。そして、俺は俺のすべてを伝える。自分の無能さを、使えなさを、周りに目を向けれないことを。
「私も一緒です。レオン様と、私は結婚相手にふさわしくないです。正直何もできませんから」
「そんなことはない」と俺は言おうと思うが、黙ってしまう。そこまで相手のことを知っていないからだ。
「不器用ですね、レオン様。そんなあなたを私は好きになりました。ですので結婚してください」
フローリア嬢の突然の発言に俺は固まる。そこまで言われるとは思いもしなかったのだ。
「本当にいいのですか?」
「はい、お互いに一歩ずつ行きましょう。まずはお話し頑張りましょう。お互いにうまくないですし」
フローリア嬢はそう言って笑った。俺も笑い返す。そして、そっとサインをする。
「これから迷惑をおかけするがお願いします」
「こちらこそ」
俺とフローリア嬢はそう言ってお互いに笑いあう。
そして、翌日レオンとフローリアは結婚することとなった。レオンの父、アイハート伯爵はバレンティア伯爵から様々な利益をもらい、自分の領をさらに発展させた。
レオンとフローリアはお互いに支え合って、仲睦まじくくらしたそうだ。はじめのほうはお互いに話が全くはずまないでいて、周りはやきもきしてたそうだ。だが、最終的にはよく話し、よく笑いあう仲になったのである・・・