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三、暴虐ロックバンド、オカリナ・カナリヤ

 俺が雇われたライブハウスの名前は、パロロという。嘘のようだが、もう千年もやっている老舗らしい。

 化け物軍団の晩飯未遂だの、美少女に変身する不良男だの、いろいろあってすっかり忘れていたが、俺はそこの壁をアンプの音量でぶちぬくという破壊行為をしていたのだ。とっとと戻らなきゃヤバい。


 というか、ヤバいとかいうレベルじゃない。明日から働こうって店を破壊したのだ。首プラス弁償、決定だろう。早く仕事を見つけて稼がなきゃ、きっとブタ箱いきだ。

 雄二に出してもらおうかとも思ったが、いや、いかん、と考えなおした。金持ちだから簡単に出せるだろうし、むろんメチャクチャ怒るに決まってるが、泣いて頼めば、しまいには出してくれるかもしれない。だが、それはしてはいけないと思った。人としてダメだ。俺はバカだが、そのくらいは分かる。


 しかし、冷静に考えると、おかしい。いくらボリュームマックスだからって、コンクリの壁がそう簡単に割れるだろうか。そもそも、壁を壊すつもりなんてなかった。奴らの耳が腐ればそれでよかったのに、とんだ結果になっちまったのだ。そんときは、ギターから出た轟音に感動しまくって、気にしなかったんだけど。




 急いで戻ると、店長は帰っていた。ホールの壁に無残にあいた大穴の前に突っ立っていたので、俺は彼の後ろに来て、床に土下座して、あらん限りの声で、「俺がやりましたー! すみませんでしたー!」と叫んだ。

 はずだった。


 というのは、同時に発せられたある叫びで、よく聞こえなかったのだ。顔をあげると、なんと店長も土下座する俺の目の前で、土下座して謝っているではないか。彼は俺が叫ぶと同時に、俺と同じように、「私がさせましたー! もうしわけなかったー!」と絶叫謝罪していたのである。

「ど、どうしたんすか、店長?」

 俺が驚いて聞くと、彼はきょとんとして、床にあぐらをかいて言った。

「えっ、だってアンプから音を出したら、壁が壊れたんじゃないの?」

「は、はあ、そうなんすけど」


 俺は事情が飲み込めずに、生返事した。なんだ? 自分の店の壁にでかい穴あけたのに、なんでこんなに冷静なんだ?

 はっまさか、実は激怒していて、あまりの怒りに、顔と動きがふつうになってるんじゃ……。俺は恐怖に凍りついた。


 だが、相手は本当に怒ってはいなかった。彼は長い髪をかきあげ、参ったな、という顔をして続けた。

「いや、実は一週間前に壁をリニューアルしたんだけど、音がやたら漏れて、近所から苦情が出てたんだ。それで、もしかしたら手抜き工事したんじゃないか、と疑ってたところなんだよね。やっぱりそうだったんだな。これは業者に文句いって、賠償させにゃいかんね。

 やり直し? 冗談じゃない、もっといいところに頼むよ。ケチって安いとこに頼んだこっちも悪いけどさ。

 ……あー、君は、なにも気にしなくていいから。こっちの責任だし。

 ……いや、いいって。

 ……ああ、それじゃ、給料出したら、そこから少し天引きしとくわ。いやほんと、悪いねえ。

 しかし、どんだけの音、出したの? 全開か。それじゃ、ダイヤの壁でもぶっ飛んだかもね。いや、うそうそ」


 壁の穴はモジックでふさいで、とりあえず営業時間内は持たせると言ったが、今日くるはずのバンドが結局こなかったので、そのままにされた。

「オッド・スペースモンスター・フロッグ・スネーク・リザード、連絡もなく無断欠席か。しょうがないな。客はいないから、いいようなものの」

 店長は顔をしかめ、予定帳に書かれた長ったらしい名前を指して、俺に言った。

「こいつら、ガラ悪いから気をつけてね。ルーツなんだけど、私や君みたいな転生組に絡む癖がある。なんか嫌がらせされたら、すぐ言って。出入り禁止にするから」


 俺はいちおう礼は言ったが、笑顔はこわばっていただろう。後ろを見ると、雄二も凍りついたほほえみをたたえて、たたずんでいた。

 しかし、自分らが変身した化け物の種類をつなげてバンド名にするとは、よっぽど好きなのか、あるいは何も考えていないのか。




「よかったね、首をまぬがれてさ」

 店から帰るとき、雄二が意地の悪いドヤ笑いで言うので、カチンときた。

「お前、性格わるくなったなぁ。会ったときとは大ちがいだ」

「君がバカなことするからだよ。まあでも、弁償するって言い張ったのは、えらかったね」と肩をすくめる。

「そりゃ俺だって、まさか壁に穴があくとは思わなかったし。でも、俺のせいであいたのは事実だから」

「まじめだねえ」

「基本、まじめなんだよ、俺は。ただ、そのう――」

 そこで口ごもると、雄二は苦笑した。

「音楽になると、理性を失うんでしょ?」

「すまん」


「でもまあ、今日のところを見ると、君は本当に強運みたいだし。大丈夫なんじゃない?」

 そう言って、町のほうへ歩き出した。あの回廊のある宮殿の自宅へ帰るのだ。俺は社宅だから反対方向だ。

 ところが、彼は急に振り返り、ぬけるようなさわやかな笑顔で言った。

「ギター弾いてたときの和人、かっこよかったよ」

「えっ」


 たちまち頭からつま先まで熱くなって、「こ、こらっ」と怒りかけた俺に手をふり、奴はさっさと駆けていっちまった。

 その場に突っ立って、いつまでも照れていたが、気がついて逆方向に歩きだした。さっきの雄二の言葉が、頭でリフレインする。

(そ、そんなにかっこよかったか、俺……)


 まあ軽い冗談だったんだろう、とは思ったが、それでも心がぽかぽかと温かくなった。冗談だろうが、そう言われるのはうれしい。すごくうれしい。

 心の温度は上昇し、いつしかめらめらと燃えていた。

「見てろ、俺もここでバンド組んで、一旗あげてやる!」

 赤々と染まる夕焼け空に誓う俺だった。



  xxxxx



 三ヶ月もすると仕事をあらかた覚え、収入も安定してきたので、さっそくパロロの通路にメンバー募集の張り紙を貼らせてもらった。店長は「うちのオーディションはゆるいし、ノルマも安いから、オススメだよ」と言ってくれたが、やっぱ異世界でもあるのか、ノルマ。


 ふつう、バンドがライブハウスに出演するときは、チケットを自分たちで売って客を集めなきゃならないのだが、パロロはたとえ客がひとりもいないような不人気アーティストでも、あとでノルマぶんの料金を払えば、それでいいらしい。だから客がすべてその日の出演バンドの奴らのみ、なんてことがよくある。ようは席に座って、あるバンドを観ている人が、イコールほかの出演バンドのメンバーなのだ。こうなると、チケット代というより、出演料である。

 もちろん、それじゃやっていけないから、定期的に客が確実に入る人気バンドにも出てもらっている。よそのライブハウスの出演バンドの基準は、「いかに客を呼べるバンドか」だが、ここの店長は、「いかに面白くて個性的なバンドか」を最重視する。


 俺は、そんなパロロが大好きだ。社員の人も、店長を筆頭にいい人ばっかだし、機材も音も響きや抜けが素晴らしい。って、よそと比較したわけではないが。

 なにより、ここなら俺でも出られるかもしれない、という勇気を与えてくれる。俺の場合、「客を呼べ」なんて言われても、絶対無理だ。そういう音楽性なのである。


 張り紙に太字で「ボーカル以外の全パート募集! 活きのいいの求む! 暴虐ロックバンド、オカリナ・カナリヤ」と書いたが、連絡はまるで来なかった。バンド名がまずいのかもしれないが、こういうのはその場のひらめきが大事だと思い、変えなかった。



 まんま三ヶ月が過ぎた。とうとう俺はひとりでやると決めた。オーディションでエレキを弾いて歌ったが、店長の答えはノーだった。やっぱ見た目が悪いんだと思い、次は小型のキーボードから音を出して、マイクを持って歌った。これならビジュアル的にもロックのボーカルっぽいから決まっただろう、と思ったが、やっぱりノーだ。

 従業員だからって優遇はしない。老舗ライブハウスのプロだから、そこは徹底的にシビアである。ダメならダメだ。しかし、なにがダメだかよく分からなかった。

 店長はひとこと、「うちは、いちバンドが持ち時間三十分だから。それだと、持たないねえ」



 ここは客観的な視点が必要だと判断した俺は、雄二に忙しいのを無理言って、来てもらった。むろんパロロじゃなく、近所の安い練習スタジオだ。彼は、ふつうに人気バンドのライブに行くことはあっても、素人のは見たことがないそうだから、きっと一般人の感想をくれるだろう。

 ついでに、あの廃倉庫まで行って、野々宮ズールにも頼んだ。例の女の子の姿で、最初は「練習だとぉ? どうせ、うるせえだけだろ。行くかめんどくせえ」と可愛い声で噛みつくばっかだったが、百均で見つけた赤いリボンを見せるや、「おおーっ!」と目つきが変わり、鏡がわりの割れた窓を見ながら髪につけて、ほくほく顔で「ひまだから、いいぞ」と言った。ちょろすぎる。



 だが、スタジオで歌いおわった俺を見て、雄二は目が点になっていた。ズールは、床にでかい汚れでも見つけたようなしかめっつらだったが、男に戻っていたので、なおさら不機嫌そうに見えた。店長の前でやったときの数倍は気まずい空気が、そう広くない密閉スタジオ全体に漂った。


「え、ええと、どうだった……?」

 聞いても、雄二がさらに気まずそうに目をそらしたので、ますますあせった。が、ズールが不快そうな目つきのまま、聞いた。

「今のは、なんだ」

「う、歌だが……」

「率直に言う。こんなもん歌じゃねえ」


 決定的に言われたが、たしかにそれも一理あると思った。小型のキーボードに、エフェクターとか音をひずませる機材を何重にもつなぎ、ノイズをぶっぱなしてマイクで「グギャー」とわめいただけだからだ。かかった時間は一分もなかった。だが、これが俺の影響された偉大なミュージシャンのパフォーマンスなのだ。たとえ、しょうもない模倣でも。


「歌詞とか、あんのか」

 聞かれたので紙を見せたが、二人は目を通すと、同時に俺の顔を見た。目が半開きの、幻滅だかうんざりだか、さいぎ心だか分からない表情だが、とりあえず良く思っていないことだけは痛いほど伝わってきた。

「これなぁ」とズール。「題名が『死ね』で、歌詞がただ『おまえなんかきらいだー。殺す。殺す』で、サビが『死ね』だぞ。書いとく必要もねえ」

「だって、忘れたら困るだろ」

「こんな歌詞、どうやったら忘れんだよ! とにかく歌のテイをなしてねえ。音はメロディもなくて、ただの騒音だし」

「やっぱ、歌詞が聞きとれないとダメか?」

「いや、これはむしろ」と、雄二が口をひらいた。「聞きとれないほうが、まだマシなんじゃないかなぁ」

「わ、わかった、これが歌じゃないのは認める」


 俺はしぶしぶ言ったが、まだ腑に落ちなかった。音楽にはノイズというジャンルがあってだな、みたいに説明する気もうせた。やる前はミュージックシーンの頂点に立った気になってたのに、これで完全に打ち砕かれた。こういうのを挫折というんだ、きっと。


 だが、俺はそれでも引っこむことが出来なかった。

「でも、これを必要とする人が絶対いるはずだ。俺はそれを信じたい」

「でもオーディション、落ちたんだよね」

「うぐっ――!」

「プロの目で見てペケだった、ってことはさあ……」


 雄二の厳しい言葉に、俺は床に両手をついて落ちこんだ。すると、誰かが俺の前にかがんでいるのに気づいた。てっきり雄二かと思ったが、ちがった。

 少女に変身する不良だ。

 奴は俺の肩に手をおき、さとすように言った。


「きのう、近くの往来まで行ったら、なんか歌が聞こえてきてな。路上に人が集まって、その向こうでバンドが演奏してんだよ。ギターとキーボードとボーカルがいて、ドラムはたぶん持ち出すのが無理だから、キーボードから出してたんだろうが、アンプも持ってきて端に置いて、そっからガンガン音だしてやってんだ。

 歌は俺から見て、そんなによくもないが、悪くもなかった。だが前に突っ立って聞いてる奴が何人もいるってことは、そこそこ人気あるんだろう。見た感じ、誰に断るでもなく勝手にやってるみてえだし。

 おめえも勇気があったら、ひとつ、外でやってみたらどうだ?」

「い、今のを外でやるの?!」

 驚く雄二の叫びが響いた。関係ないが、いい声だと思った。

「すぐ捕まるでしょ! どう見ても、危険人物そのものじゃん!」


 だが、俺の心はズールの言葉で、むらむらと燃えあがっていた。そうか、パフォーマンスする場所は、なにもライブハウスだけじゃない。どこでだって、自己表現はできるはずだ。どう思われたってかまわん。おまわりが来たら、そのときだ。

 俺はメーターの針がびよーんと端まで振れたように、やる気がマックスになった。

「ズール、ありがとうよ!」

 叫んで彼に抱きつくと、「ば、バカ、恥ずかしいだろ! やめろ!」ともがいて、ガラにもなく照れていた。こいつが実は、こんなにいい奴だとは知らなかった。「たんに見かけたことを教えただけだ」とは言ったが、俺の立ち直りが、彼のおかげなのは揺るぎない事実だ。


 挫折の次に新しい希望を手にし、俺のテンションはあがった。ぶあつい壁が壊れ、目の前にザーッとでかい道がひらけた気がした。向こうには、俺が対決するに不足のない相手――世界ってやつがある。

(よおし、待ってろよ世界!)

(俺がおめえを、この手におさめてやる!)




 暴虐ロックバンド、オカリナ・カナリヤが、ついに路上デビューした。バンドといっても、前述のとおり俺のソロ・パフォーマンスだったが。


 ズールが言った路上は、俺たちの住むヤパナジカルの首都、ヤパナンのどまんなかの商店街の近くだった。

 おまわり(近衛兵)が来たら逃げる、を五回ほど繰り返してお縄になると、捕まえた奴に見覚えがあった。前の化け物退治のときに来た人で、たしか俺に「常習犯のズールを見張れ」とか言っていたので、気まずい雰囲気になった。彼は仕方なく俺に「お前のことも見張れ」と言った。無理だ。ズールにさせるか。



 翌日の昼前、俺は回廊に行って雄二の部屋に押しかけ、泣いて頼みこんでいた。奴は机でなんか書いていた手をとめ、「やだやだ絶対やだ」と非情に首を振った。そんなひでぇよ親友だろう、とさらに泣きつく俺。べつに正式メンバーじゃなくていいんだ。キーボードからドラムの音を出してくれて、あとは気がむいたら、なんかキーを押して遊んでりゃいいから。どうせ騒音だし。なんなら、ただ座ってるだけでもいい。


「だから嫌なんだよ!」

 奴は眉間にしわを寄せた。

「そういう不毛なことに付きあいたくない。それに今は新作にかかってるし、遊んでる暇なんてないの! ズールに頼めばいいじゃん」

「あいつはギターだ」と俺。「フリフリのスカートをやると、即、オーケーしてくれた」

 それを聞き、雄二はうんざり顔になった。

「ちょろすぎだろ! それじゃ、君はなにする気なんだよ」

「もちろんボーカルだ」

「君がキーボード弾いて、歌もうたえばいいじゃんよ」

「それじゃビジュアルがよくねえ。独立したボーカルが暴れないと、パンクにならん」

「パンクどころか、ただのノイズじゃん。だいたいベースもなしにロックバンドとか、人として無謀だろ」

「あっちじゃアナル・カントっていうベースレスのバンドが――いや、いい」

 言ってもわからんし、名前がヤバいので説明する気がうせ、めんどくなってひらきなおった。

「人として無謀、けっこう。人を超越したくて音楽やるんだ。人外と呼ばれてもかまわん」

「あっそ。僕はこれでも有名人だからね。おいそれと活動なんて出来ないよ。だいたい、人に注目されるの嫌いなんだ」

「誰も顔しらないんだから、いいじゃん。なあ、頼むよぉ有栖川先生ー」と、また泣きつく俺。「机にかじりついてばっかじゃ、健康に悪いっすよ? スポーツしましょうよー」

「……」


 あまりのなりふりかまわなさにあきれたのか、彼は筆を置いて席を立ち、窓の外を眺めた。外は今日も気持ちのいい青空だ。

 無表情に見つめながら、ふと言った。

「僕ね、ちいさい頃に、ピアノ習ってたんだ」

「えっ、そうなのか?!」

「長年やってないけど、たぶん弾けば、思い出すと思う」

 そして、こっちを向いた。困ったような、「やれやれ、しょうがないなぁ」という、お許しの微笑、ありがたいお慈悲の笑いが浮かんでいた。

「いいよ、あいた時間に少しならやっても。たしかに、たまには外に出ないと、体がなまるしね」

「あ、ありがとうおおお!」


 感極まって飛びつこうとすると、あわてて机の後ろに逃げた。

「く、来るなあー! すぐそうやって、抱きつこうとすんだから!」と机のふちをつかんで左右に動き、ラグビーのデフェンス状態になった。

「いいじゃんよー、襲うわけじゃないんだから」と俺も向かいで動いたが、ふと机の原稿に気づいて止まると、手がそれをさっとかっさらった。

「読んじゃダメ!」

「どうせ途中だし、なんだか分かんないから、いいじゃん。もしや、そんな恥ずかしい話なのか?」

 俺の言葉に、見る見る顔が赤らむ雄二。原稿を背に隠し、急に流し目になって言う。

「バンド、やっぱ、やめよっかなー……」

「う、うそうそ! せんせい、すいませんでしたー!」

 あわてて机につかまって頭を下げると、奴は尊大に「うむ、よろしい」と言った。

 なんかおかしくなって、ふたりで大笑いした。




 目下の目標は、パロロのオーディションに受かることなので、まずやるべきは、バンドをなんとか見れる形まで持っていくことだった。よそは音楽性からしてまず門前払いだろうが、パロロで人気がでて、必ず一定数の客が入るようになれば、やがては、ふつうの店にも出られるようになるだろう。といって、向こうから頭をさげて、出演をお願いされるような身分にまでなる気はなかった。


 ミュージシャンに限らず、芸人の売りは芸だけじゃない。客に受けるビジュアルイメージやコンセプト、キャラなどをプロデュースする才能が必要だが、ぶっちゃけ、俺にそんなのはない。

 前に俺がいた世界では、アングラで名が売れていた人たちは、みんなそれぞれに素晴らしい芸人であると同時に、自分を売り込む才能のある優れたプロデューサーだったのだが、ここでも同じにちがいない。だが俺は、べつにそういう天才になりたいとは思わないし、そもそも、なれない。俺はたんに、好きなようにライブや音楽ができて、それでわずかな人たちが楽しんだり、なにかのたしになれば、それでよかった。


 幸い、ズールも雄二も、バンドのことは趣味以上に考えていないようで、そこは助かる。練習スタジオでの練習も、毎回お茶飲んで食って遊んでるのと変わらなかったが、そうやって気楽に機材をいじったりしてるうちに、何かアイディアを思いついて、それが面白かったら取り入れる、みたいに、じつに建設的な時間だった。一回に一、二時間しか取れない練習時間が、すごく充実していた。だいたい一日なんて借りたら使用料が大変だし、そもそも雄二に暇がないし、俺にも仕事がある。はっきりいって、いちばん時間があるのはズールだが、いちばん金がないのも奴だった。

 曲も、ただ絶叫してノイズをぶっぱなすだけじゃなく、雄二が時おりメロディを入れたりして、メリハリがついて面白くなった。ズールすら、最近はギターをただかき鳴らして不協和音を出す以外に、コードを一つか二つ弾けるようになっている。この調子なら、いけるんじゃないか、と希望がふくらんだ。




 しかし、そう思っていた矢先のこと。

 仕事を終えて社宅のマンションに帰ると、部屋の前に中学生くらいの小柄な女の子がいて、ドアに向かって縮こまって立っている。廊下の白い明かりに照らされた長い髪が、つやつやときれいだった。


「君、どうしたの、そんなところで」

 聞くと、彼女は背を向けたまま、消え入るような声で言った。

「結婚してください……」

「はあ?!」

「行くところがなくなっちゃって……」

 もじもじし、こっちをちらとうかがった。その目を見て、俺は一気にテンションがさがった。

 彼女はまた前を向き、もじもじを続けた。

「ええと、その……」

「……」

「だから、ほら……」

「……」

 俺が黙っているので、奴はついにキレて、くるりとこっちを向いた。

「だからなあ、うちがなくなったっつてんだろーがあああ――!」

 叫ぶズールに、俺は唇に指をあてて言った。

「しーっ、騒ぐと怒られる」

「くうっ、じゃ、最初からそう対応しろよ」と、わなわな。

「したろ。お前が女の子ぶりっこするから」


 ぱっと見は誰だか分からなかったが、後姿ですぐ思い出した。俺があげたフリフリのスカートと水玉のシャツ、髪には俺があげた赤いリボンをつけ、足元も俺があげた可愛いベージュのローファーだ。


「てか、なんだよ、結婚って」

 俺が聞くと、奴は腕ぐみして偉そうに言った。

「ただの冗談だ」

 カチンときた。

「あっそ、余裕たっぷりなら、お帰りください」

 言い捨ててドアをあけて入ろうとすると、あわてて腕にすがってきた。

「うそうそ! わりい! 謝る! すまねえ! ほんと困ってんだ!」

 やれやれ。

「連れこみ禁止なんだが、ガキだからいいか」



 ズールの話では、今日の夕方、いつものように町で鉄くずを売って戻ってくると、廃倉庫の敷地がぐるりと有刺鉄線で囲われ、立ち入り禁止になっていた。近くにいたヘルメットのオヤジに聞くと、地主がここにマンションを建てるので、倉庫を撤去するんだという。


「冗談じゃねえ、ここは俺が寝泊りしてんだ!」と倉庫を指さして怒鳴った。「ここに泊まってねえんだったら、てめーら、かんけーねーだろう! 関係者以外は、うせろ!」


 もちろん相手にされず、といって、あまりもめて近衛が来るといけないので、仕方なくここへ来たそうだ。

 ちなみに俺の部屋番は、パロロの店長に聞いた。(めい)と偽ったそうだが、まぁ、この姿なら信用するわな……。

 低いガラステーブルの向かいにつき、ほっぺぷにぷにさせて、カップのお茶をすするズールを見て、そう思った。



「まあ、事情はわかったが」

 俺は腕ぐみで、自分のカップに手もつけず、険しい目で言った。

「ここは会社のマンションだから、勝手に誰かを住まわすわけにはいかないんだ」

「なんとか、店長さんに頼めねえのか。あの人、優しそうだから、わりと簡単にオーケーしそうじゃねえか」

「優しいけど、そのへんはシビアだからダメだ。勝手なことしたら、首になるかもしれん。雄二のとこ行けばいいじゃんよ」

「だって、あいつ大作家で忙しいんだろ。気まずいじゃねえか」

「俺は気まずくないのかよ」

「おう」

 言い草にあきれたが、俺のほうが冴えないのは事実だから、仕方がない。

 だが、だからって折れるわけにはいかない。


「俺が頼んでやるから、あいつんとこ行けよ。大金持ちだし、余裕で泊めてくれるぞ。ほらあそこだよ、俺らが降りてきた回廊がある、でかい宮殿。あそこの○○号室にいるから」

「率直に言う」

 急にテーブルから小さい身を乗り出し、薄笑いで俺を凝視した。

「俺はあいつより、おめえのほうが好きだ」


 この言い切り。

 一気に恥ずかしくなって、思わず顔を手で隠した。中学生にしか見えないとはいえ、女にそんなことを言われたのは、生まれて初めてだ。

「そ、その姿で、好きとか言うなよ!」

「じゃあ、そのへんで野垂れ死ね、ってのか」

 座りなおし、真顔になる。

「俺が死んだら、ギターがなくなって、困るのはお前だぞ」と俺を指さして脅す。「あきらめて俺を食わすしか、おめえに道はねえ!」

「なんでそうなるんだ! あーもう、分かった」

 めんどくさくなり、立ち上がった。こうなったものは仕方ない。なるようになれだ。


 俺は奴に言った。

「じゃあ、とりあえずこうしよう。店長は俺に姪が来てると思ってるから、ごねてなかなか田舎に帰ろうとしない、ってことにすりゃ、一週間はごまかせる。そのあいだに、お前は仕事か、住むところを見つける。それでどうだ?」

「おう、それは名案だな」

「ただし、外に出るときは、必ずその格好でいてもらわなきゃならないが……。それ、どのくらい持つんだ?」

「最近はめっきり腕をあげてっから、一回モジりゃ、三時間は持つぜ。そろそろ切れるが……」

「それじゃ、今夜はもう外に出ないで、寝ろ」

「飯はねえのか」

「そこにカップメンがあるだろ。適当に食え」

「恩に着るぜ」と男に戻り、部屋の隅に積んであるカップの山へ行く。


 しかし、トイレから戻ってくると、奴はまた女の子の姿で麺をすすっていた。

「な、なんでまた」

「二個食うとわりいだろ。これなら体が小さいから、一個で済むんだ」

「いつも二個食ってるわけか……」


 しかし、これは気まずい。あと三時間はこれだろ。ガキとはいえ、美少女と一つ屋根の下で寝泊りなんて。

 そう思ったとたん、奴がいきなり服を脱ぎだすので、あわてて制止した。

「まーったーっ! なにやってんですかーっ!」

「なにって、シャワー浴びんだよ。あんだろ?」

「いや、あるけど。ちょっと待て、落ち着いて、ここに座りなさい」と指で座布団を指すと、やっと脱ぐのをやめた。

「落ち着くのは、おめえのほうじゃねえのか?」と座る。

「い、いや、だからな」

 ちらと見ると、ううっ、こいつ意外と胸がでかくてケツもあって、腰のラインがなめらかで、スタイルがいい。最近の十四、五のガキは、けしからん……って、本当は俺と同い年の男なんだが。


「お前は、自分が美少女の姿だという自覚を持て」

「おう、自覚なんか、持って持って、持ちすぎよ」

 そしてタンスの上にある鏡を見て、ぽっと頬を染める。

「うおーっ、かわえーっ! 俺、なんてかわえーんだー! 死にそうーっ!」と叫び、腰ふってうれしそうにきゃぴきゃぴする。

「いや、そういう健康的なのはいいんだが……」


 とたんにへそを曲げるズールさん。

「あんだぁ? なんか文句あんのかよ。俺のどこが不健康だってんだ」

「いや、つまりだ、女の子は男の前で、平気で裸にはならんだろ」

「おめえが平気ならいいだろ。まさかおめえ、こんなガキの裸に欲情する変態なのか?」

「いや、そういう――」

 困った。平気じゃないと言うと、変態ってことになり、嫌がられてバンドを脱退されるかもしれない。といって、気にしないと言えば、今度は目の前で着替えられて、一週間は美少女の全裸に耐えねばならない生殺しが続く。どうすりゃいいんだ。


 俺は、しどろもどろに続けた。

「ええと、その、変態なわけでは、決してないんだが……」

「なんだ、じゃあ、いいじゃねえか」とシャツをぬいで白いブラになるので、超あわてて身を乗りだした。

「わあ、待て待てー!」


 しかし、下にテーブルがあるのを忘れていた。ひざがぶつかり、前へ倒れてテーブルを飛びこえ、そのまま奴を押し倒した。床にあおむけに倒れたズールのうえに覆いかぶさり、その柔らかい乳の感触とあたたかい体温を胸に感じて、俺は超ビビった。

 だが、悪夢は終わらなかった。

 顔をあげると、とつぜん目の前のドアがあき、見知った顔がぬっと現れたのだ。

「新しいフレーズが出来たんだ! ちょっと聞いてもらえ――」


 満面の笑顔だった雄二は、俺らを見るや、急速にしぼんだ。あわてて、「すいませんでしたあー!」と頭をさげ、またドアの向こうへ引っ込んだ。これはもう、完全にそうだと思われた。


「ま、待ってくれえええ――! 誤解だああああ――!」

 叫んで追おうとする俺の背に、ズールがブラのまましがみつき、面白がって言った。

「いいじゃねえか、結婚する仲なんだし」

「するかあああ――!」


 これが暴虐ロックバンド、オカリナ・カナリヤの、プライベートの実態である。

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