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十八、チャチャリーナの恐怖

ギャグではありますが、一部にホラー的なグロ表現がありますので、ご注意ください。

 雄二の話によれば、ここヤパナジカルは何千年も前に神が創製し、今も神が統治している世界である。だが、その神の姿を見たものはなく、天使と呼ばれる直属の官吏たちも、神の顔は知らないという。彼らは何千年も変わらず、己の決められた職務を、ただひたすら実行し続けているのみである。


 天使には生まれの記憶がなく、気がついたらその任についていて、職務内容は機械にメモリーがインプットされているように、あるいは動物の本能的に、あらかじめ頭に入っている。

 その主な任務は、所属するコクーン(異界からの出口のある、白い雲の中のような場所。俺が最初にいたあそこ)へ送られてくる転生者を保護し、下界へ通じる回廊からヤパナジカルへ送り出すことである。

 そのような回廊つきの宮殿、回廊宮が国内にいくつもあり、それぞれの担当の天使が、そこへ来た死者に説明・案内をほどこす。天使は妖精のようなもので、寿命もなく、モジックを杖なしで使えるが、国家存亡の危機が迫るとか、よほどの事態にならなければ使うことはない。


 いま国家と言ったが、ヤパナジカルは正確には国名ではない。最初はこの世界全体をさす名称だったが、国王の統治する国家が出来、首都その他いくつかの都市が作られ、道などのインフラ等が充実して人口が増えてくると、自然に国名としても使われるようになった。

 この世界には、俺たちのいた世界、いわゆる「アトランタ」で死亡した者が生まれ変わってくるが、天国とか冥府のような、いわゆる「あの世」では決してなく、転生者も死者や幽霊ではない、生身の人間である。


 ここで人間ならざるものは、天使ぐらいである。それもふだんはコクーンに引っこんでいて、滅多に降りてこない。





 雄二はかつてないほど深刻な顔で、大好きなサングリアロッサの満ちるワイングラスに手もつけないでいた。こうして改まって呼ばれるときは、たいてい深刻な相談ごとがあるのだが、今日は、いつになく雰囲気が重苦しい。「じつは相談があるんだ……」という電話口の声からして鉛のように沈んでいて、てっきりバンド脱退とか、そういう重い系の話かと思い、覚悟をきめ、ふんどしをしめて彼の部屋に向かった。


 だが、テーブルについた俺と自分にワインをつぐ彼の様子からして、どうも、そういうのとは少しちがうと気づいた。心ここにあらず。気はそぞろ。悩んでいるからだろうが、それだけにしては、あまりにぼうっとしすぎている。


 赤いフルーツワインの揺れるグラスを見つめ、「はあ」とため息をつくと、彼はやっと口をひらいた。

「和人……

 君はいま、恋愛経験のまっさいちゅうだよねえ?」

「ああ、そうだが……」とグラスに口をつける。

「ぶっちゃけ聞く」

 いきなり身を乗り出し、俺の目を真剣に見つめて言う。

「どこまで行ってる」

「ぶーっ!」


 あまりの質問に思わず吹き出した。俺の壮絶な顔面シャワーを受け、雄二の顔は深紅の液でびっちゃびちゃになった。

「うげっ、なにするんだよぉ」と、あわててタオルでふく。「ズールなら、ラッキースケベって言うとこだよ」

「そんなラッキースケベはねえっ! あ、いやすまん、だっていきなり変なこと聞くからさぁ」


 ふきおわると、雄二はまた生真面目な顔になった。

「変じゃない、まじめに聞いてるんだ。だって、いま恋愛中の知り合いなんて、和人しかいないんだから」

「なんだ、恋愛ものでも書くのか?」

「小説のことじゃない。その……僕に直接かかわる、というか……」とグラスを口に持っていく。

「好きな子でもいるのか」

「ぶーっ!」


 そう来ると思って右にさっとよけたが、甘かった。同時に奴も右に動き、俺の顔にもろにわざとワインを「ぶははああ――っ!」と吹きかけた。今の奴と同じく、俺の顔もびしょびしょ。安易によけた俺も甘かったが、雄二の吐いた液体も、ホットで苦味がきいて甘かった。


「てっ、てめえ、なにすんだっ!」

「ふっふっふ、自分だけ無事に済むと思うなよ……」

「な、なんだと?!」

 いきなり笑い、目が邪悪に光る雄二。ビビる俺。な、なんだ、悪魔でも乗り移ったのか?! と思ったが、んなことはまったくなく、ただのオフザケだった。


 投げられたタオルで顔をふき、奴をにらむ。

「今度は試合中に投げろ」

「セックス中か。やっぱ、君が先にくたばるの?」

「ぶーっ!」と奴にハナっから吹きかける気まんまんで、ワインを口にふくみ、思いっきりやろうとした。

 すると、なんと奴も口にたらふくふくみ、おたふくみたいな顔になっているではないか。これには、いきどおった。

「ふぁ、ふぁんれ、へめへふぁ(な、なんで、テメエが)。ほんろは、ほれふぁ、ふふふぁんふぁほ(今度は、俺が吹く番だろ)」

「ふ、ふぁふぁ、ふあふぁああ。ほふぇほふぇ、ふふぁふぉ、ふおおぉぉ」

「ふぁに、ひっふぇんふぁふぁ、ふぁふぁらふぇえほ(なに言ってんだか、わからねえよ)」

「ふひょほふふぁ、ふぇぱぱぽぽ、んぶぇっ、んぶぇえぶおおおっ」

「へめへ、ふぁへふぁ、ふぁんひほ、ひっへへえふぁ(てめえ、さては、なんにも言ってねえな)」

「ふぃんふぉーん(ピンポーン)」


 頭きて、すぐ発射したろうと思ったが、今のような必死の話しあいのすえ、決闘形式にすることになった。部屋のまん中に立って背中をあわせ、同時に反対方向に歩き、五歩めで振り向いて、ワインを吹きあうのである。

 こういう早撃ちには自信がある。小学校の水飲み場で、よく笑わされて水を吹き出したとき、相手の顔面に百発百中だった。ふっふっふ、キサマの命も今日限りよ……。


 俺たちは同時に歩きだした。いち、に、さん、し……

 ご!


 たがいに振り向いたとき、いきなりどこかでアラームが「ジジジジ――!」とけたたましく鳴り、そのショックで、二人ともふくんでいたサングリアロッサを、ごっくん飲みこんじまった。

 もう撃ちあいはできない。が、酔っぱらったんで、機嫌がよかった。


「ははははは」

 愉快に笑う雄二。そしてすぐテーブルにつっぷして、「うううう」と泣き崩れた。

「とにかく、事情を話せ」

 俺は椅子に座らせた。


 アラームは、風呂がわいたことを知らせるものだった。二人で入るつもりだったらしい。なんでだよ。




 彼の話によると、こうだ。

 一週間ほどまえ、例によってグラサンで変装して街を歩いていると、脇のビルとビルのあいだの暗い隙間に、なにか光るものが見えた。職業柄、なんにでも興味を持つ彼がそこに入ってみると、それは壁際に捨てられた一台のパチンコ台だった。


 そのガラス窓が、道路側から差し込む光で光ったのかと思ったが、おかしい。その薄暗い場所には光るものはまるでなく、台も押し黙ったように暗くよどんでいるだけだ。しかし、さっきは確かにキラリと走ったのが見えたのだ。たんに、なにか光るものが、ここを通り過ぎたのか?


 グラサンを外して台を見ると、周りはそう暗くもないので、中のデザインが見えた。もさもさした豊富な髪を、脳天に大きな腕を広げるまっかなリボンでたばねた、不思議の国のアリスふうの少女だった。ほほがぷにぷにで丸顔の、完全に萌え系統の美少女の腰から上の絵が、画面全体をしめて、でかでかとあった。大きなぱっちりした目と、にんまりした笑みで、見るものに明るく健康的な媚を売っている。


 彼はパチンコみたいなギャンブルはいっさいやらないのだが、以前いたアトランタでの最近の風潮として、パチンコ台のデザインが、いわゆるアニメの萌え系ばかりになっていることは知っていた。が、ここでもそうだとは。

 だが、こうも現代日本まるだしの店は、どうせ転生組が作ったに決まっているので、こういう遊戯台が、興味のないオッサン客とかが対応に困るようなオタク・デザインなのも、じゅうぶんありうることだ。

 その美少女は、彼と同じ白い布を体に巻いたギリシャふうのナリだったが、そういうキャラと舞台のアニメなら、向こうでも腐るほどあったから、それだろうと思った。

 だが、なにかおかしい。


 しばらくじっと見ていると、ふいに中からカチカチカチ、と小さな音が聞こえてきて、画面がぱっと明るくなったと思うと、スピーカーから軍艦マーチがガンガン鳴りだしたので、ビビった。しかも、少女がアニメーションで動きだし、台の面いっぱいに右へ左へ腰をふりながら、にこにこと楽しげに踊った。まるで精巧なCGのように緻密で、本物の人間のように見える。

 こんなのに金かけて、もったいないと思ったが、響くマーチの中をぬって、いきなり女の子がしゃべりだしたので、また驚いた。甲高く媚こびしたロリ声で、典型的なアニメ声だった。

「いらっしゃいませー! またまた、おおあたりー! 四番台、スタートしましたー! ジャンジャンバリバリ出ております! ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ」

 などと言うのだが、下の受け皿に玉が出る様子はない。そもそも、捨てられて電源もないはずなのに、なぜ動き出したのか、と今ごろ思った。が、少女はえんえん同じ文句を繰り返して踊るばかり。


 機械だから仕方ないと思ったら、次第に動きが激しくなり、早口になってきた。

「スタートしましたー! ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ、ジャジャジャンジャン、バリッ、バリッ、バリバリバリ――ッ!」

 なんか引き裂いてんのかよ、と思ったとき、信じられないことがおきた。彼女が「バリッ! バリッ! いてててて――っ!」と急に痛がった直後、いきなりガラスが粉々に割れて、中からなんと本人がわっと飛び出し、雄二にのしかかってきたのである。

「うわあああ――!」

 腰を抜かしてビビったのは、二次元だとばかり思っていた相手が、じつは三次元だったから、というだけではなかった。

 相手の空前絶後の、すさまじくおぞましい状態のせいだった。


 パチンコ台の表面には、その全体に無数の釘が並んで刺さり、くねくねした玉の通路を作っている。客が下から飛ばした玉が、ここを通っていくつかのポイントを通過すれば、「当たり」となって相応の量の玉が出たり、中央のルーレットが回って、数字がそろえば「スタート」となり、出だまが連発する。

 したがって、背景にプリントされた絵にも、玉の通路を作る釘が大量に刺さっているわけだが、いま画面から飛び出てきた女の子にも、顔から肩から、胸から腕から腰から、そりゃあもう全身くまなく大量の釘が突き刺さりまくり、彼女はそこからおびただしく流血していたのである。最後の「いててて」は、それが痛いせいだったのだ。


 前面に釘が刺さった血みどろ少女にのしかかられ、雄二はあまりの恐怖に発狂しそうになった。

「ぎゃあああー! たすけてー!」

 叫んでもがいたが、相手も叫んでもがく。

「うぎゃああー! いたいよー! こっち、たすけてー!」


 見れば、でかい瞳の中にも何本か釘が刺さって流血していて、めっちゃいたそうだ。いちおう相手を押しのけて気を落ち着け、「き、救急車よぶから」と服をさぐってスマホを出そうとしたが、この世界にそんなものはないと気づき、「ちょ、ちょっと待ってて」と公衆電話を探しにいこうとした。

 が、すそをつかまれた。

「だ、だいじょうぶですう……」

 か細い声で言う女。自分の血の池につかりながらも、だいぶ落ち着いてきているようだった。

 が、雄二の恐怖はおさまらない。

「だっ、だいじょうぶって、だって、それ――」

「平気ですう。こんなの、かすり傷ですう」

「んなわけねーだろー!」

 さすがの雄二も、これにはキレた。どう見ても、今すぐ手術しても死ぬ確率しかないのに、まるで、ほっときゃ治るような軽い言い草なのだ。


 転生組なら誰でも(睡眠中の死や、老衰死はのぞき)、死の恐怖は知っている。だがそんな彼も、死んだあともまだ生きているという、さらなる恐怖は知らなかった。

 女はいきなり首がぽんとはずれ、地面に落ちると、なんと、そのままずるずるこっちへ這ってきたではないか。

「ぎゃああー! お化けええー!」

 腰がぬけて後ずさる雄二に、近づいてくる女の生首。顔から相変わらずだらだら流血しているので、おぞましいなんてもんじゃない。まさに怪談である。

 そのまま彼の腰の上に乗り、見上げて不気味に笑う。

「ふっふっふっふ……」


「ひいいいい――! ママああ――! おにいちゃああん――!」

 泣き叫ぶ雄二の顔を見て、ふいにぱあーっと明るくなる女の顔。

「あっ、有栖川先生だ! サインくださーい!」



「はあ……?」

 いきなり言われて、わけが分からず放心する彼から、歩いてきた胴体の手が首を取り、それを頭にひょいと乗せた。とたん首がつながり、すーっと別のものと入れ替わるように、体のすべての釘が消え、血もきれいさっぱりなくなって、もとのかわいいロリロリしたアリスっぽいリボンの美少女が、ニコやかに彼の前にたたずんでいた。まるでパソコンの画像をさんざん加工してぐちゃぐちゃにしたあと、保存しといた元画像にぱっと戻したかのように、あのおぞましい恐怖のなごりなど、跡形もない。


 あまりのことに、口がぱくぱくしてなにも言えない雄二に、少女は、なんでもないように言った。

「有栖川雄二先生ですよね。私、デビュー作からのファンなんですう。作品、ぜーんぶ持ってますう」

「あ、それは、どうも……」

 いきなりそう言われても、数々の腑に落ちないことが彼を挙動不審にした。いまや彼のほうがおかしいかのようだった。


「あ、あの、さっきの、あれは……?」

「あー、あれですか。モジックですよー」

 手ぶりをまじえ、萌え系の外見に似合う高くぶりぶりしたアニメ声で、きゃぴきゃぴ言う女。

「モジックで、パチンコ台の背景になってたんですぅ……。いやぁ、ほんと痛かったあー」と、頭をかいて照れる。「ああいうことは、控えたほうがいいですねー」

 なんだモジかよ。どっと疲れた。


 だが、まだ疑問がある。

「でも、なんで、そんなことを……」

「えっと、ここの裏にパチンコ屋さんがあってえ。のぞくと、台の中に女の子の絵があってえ、楽しそうなんですよぉ。いいな、と思ってここに来たら、なんと、台が捨ててあるじゃあないですか!

 これだ! やったあ! と思って、自分をモジって中に入れて、そのまま、すましてたんです。

 ところがぁ、ほら、パチンコの中ってえ、釘がありますでしょぉ? ぐさぐさ全身に刺さっちゃってぇ。すっごく痛くてえ」

 そ、そりゃ、いてえだろうよ! と心で突っ込んだ。

「でもぉ、そんなもんだと思ってぇ、我慢しましたぁ!」とお茶目にピース。

 そんなもんって、どんなもんだよ! 我慢してんなよ! なにピースしてんだよ! などと頭が煮えたぎりそうだったが、とりあえず強引に気をしずめ、よたよたと立ち上がる。


「だいじょぶですかぁ?」

「い、いいよ、それより、サインほしいんだよね?」と苦笑。

「あっ、そうでしたぁ! なんで分かったんですかぁ? すっごおい、さすが先生、てんさーい!」

「いや、さっき言ってたから」

「でも、書くのがなーい」と、きょろきょろ。「そうだ、服に書いちゃえ。でも、書くのがなーい」と、またきょろきょろ。

「そうだ!」と手をぱちん。「血で書けばいいんだ! あったまいー! ちょっと待っててね、またモジってパチンコ台になって、全身に釘ぶっさして、その血で――」

「わーっ! たのむから、やめてー!」

 あの恐怖がよみがえるのだけは一生涯ごめんだと、彼は半ばキレて、強引に言った。

「うちに来なさい!」



「……それが、チャチャリーナとの出会いだったんだ」

 雄二の話に、俺は深い同情を禁じえなかった。

「そりゃあ、恐ろしい目にあったな」

「うん……」


 とは言いながら、そう嫌がってもいないようなのが気になった。いや、女のことで相談があるって言ってたし、そうなると、今の異常な女のことである可能性しかない。ともあれ、もっと聞かんと分からん。

 しかし、雄二は海子と幼なじみで、ガキのころに近くで鉄板をキーキー引っかかれ、耳をやられてトラウマになったそうだし、このことといい、なにか女難の相でもあるんじゃなかろうか。

 だが、この場合は、海子のときとはちがうようである。



「それで、チャチャリーナは、当分うちに帰りたくないから、しばらく泊めてくれ、って言うんだ。モジックは使わないから、って」

「ああ、使わないならいいじゃないか。かわいい子と一つ屋根だし」

「最初は、そう思ったんだけどね……」


 急に暗く沈んだが、それでも顔はかなりほうけたままだ。人のことは言えないが、恋って恐ろしいもんだと思う。いや、まだはっきりと、その子に恋してる、とは言っていないが、彼の様子を見れば、言ったも同然だ。

 しかし、好きな子と同居して嬉しくないとは、穏やかじゃない。


「どうした、じつはモジなしでもヤバい子だったのか?」

「いいや、性格とかに問題はないよ。ものすごい天然だけど――

 そうだ、チャチャは天然なんだよ、天然っ!」


 いきなり卓を叩き、タガが外れたように叫びだす。そのピンクに染まった顔のとろけっぷりときたら、今にもぜんぶ流れ落ちて、首から上がなくなりそうな勢いだ。ワインのせいもあるのか、かなり理性が飛んでいる。祈るように指をくみ、虚空をうっとりと見つめ、うわごとのように続ける雄二。

「ああチャチャ、チャチャ! ぬわ、ぬわ、ぬわあーんて、かわいいんだろおお! も、もうダメだ、チャチャの顔が浮かぶだけで、僕は死ぬ! がくっ」


「おいっ、寝るなよ」

 揺り起こしたが、その気持ちは痛いほど分かる。俺もいま酒入ってるから、海子のいたずら小僧のようなウィンクが頭に浮かぶと、その目から飛んだハートマークに胸をズキューンと射抜かれて、即死しかける。


 が、こらえた。ここで二人でのろけまくったって、しょうがない。このままじゃ、今日の俺は、ただ雄二とワインを吐きかけあって、そのあと、おたがい、うはうはのろけあっただけでした、という、あまりにも不毛な客になってしまう。

 そもそも、こいつの悩みを聞きにきたのが、本来の目的だ。


「つまり、今のお前は、好きな女の子と一緒に――」

「やめてよ! すきだなんて、そ、そんな! てれちゃう! やだー」と、まっかになって、にへらにへらする顔を手で隠して、身をよじってもだえるので、かなり疲れた。ちくしょう、恋バナは酔ったもん勝ちだな。


「いいから、聞け! ようは、その子と同棲してんだろ? だが、問題があると。それは、なんだ?」

「う、う、うううーっ」

 今度はさめざめと泣き出す。完全に酔っぱらいだ。

 だがそれでも、箱から引き出したティッシュで、鼻をちーんとかんでから続ける。

 どうでもいいが、この世界でもティッシュペーパーはふつうに箱詰めで、駅前のスーパーとか薬局にいくらでも売っている。ただの東京じゃねえか。


「そうなんだよ、チャチャは、チャチャは、あんなにかわいいのに――」

「なんだよ、親がマフィアだったりするのか?」

「マフィアなんて、かわいいもんだ」

「えっ、マフィアより恐ろしいのかよ?!」

 だが、驚く俺よりも、あることに気づいてしまう雄二。

「そうさ、マフィアなんて、かわいい……かわいい……! チャチャあああ――! な、なんてかわいいんだあああ――!」

 叫びまくる色ボケの脳天にチョップをかますと、「うっ」と目をむいて正気に戻った。


「さっさと、そのマフィア以上のゴロツキが、なんなのか教えろ! どこの誰なんだ、そいつは?!」

 俺が怒鳴ると、奴は皮肉な笑いを浮かべて、ぼそっと言った。

「神だよ」

 俺があぜんとすると、雄二は卓にふし、組んだ腕のあいだに、ふてくされた顔をうずめた。



 彼の話では、初日では別の部屋に寝て、なにも変なことはせず、二日目は勝手に部屋の掃除をしてくれたりして好感を持ち、三、四、五日と過ぎると、それは恋心にひょう変して、六日目の昨夜、ついに告ってキスしようとしたが、彼女のひとことで、その勢いは風前のともしびのごとく消えた。


「す、好きだ、チャチャ。ぼ、ぼくと付きあってくれないか」

 ゆれるろうそくの灯など、ロマンチックな演出で準備万たん整えたディナーをほどこし、いよいよ告ると、チャチャリーナは、いかにも何も考えてないようにはしゃぎ、オーケーした。

「ほんとー? きゃーうれしー! オケオケ、オッケーだよー」

 あまりにあっさりだったが、目がハートの雄二は、疑いのカケラもなく、のぼせあがった。

 だがそのまま、彼女を腕に抱いてキスしようとした、そのときだった。


「そうだ、雄二もコクーンに引っ越しなよー」と、とつぜん言う女。「あそこ、ちょっと高いけど、いいとこだよー」

「こ、コクーン……?」

 雄二は凍りついた。

「き、君……」

 腕をほどいて身を引き、きょとんとする女に、引きつって言う。

「天使だったんだ……!」



 ここヤパナジカルでは、神の使いである天使が、仕事以外で下界の人間と関わることは禁止されている。たしかに神の姿を見たものはないし、声を聞いたものもいないのだが、だからって、たとえば天使が人間に手を出すとか、色恋に限らず、殺したりケガをさせたりなど、仕事以外のプライベートで影響を与える、もしくは受けるようなことがあると、必ず天ちゅうのごとく、天使はその存在が消滅し、人間はなんらかの事故や病気で死ぬという。それは建国いらいの数々のデータで実証済みで、よほどのバカでもないかぎり、そんな自殺のような真似をわざわざするものはない。


 たまに世話になった天使に情が移ってしまう人間もいるが、天使のほうできっぱりと断るので問題ない。その逆に、天使が人間に手を出したら、パワハラと同じになってかなりまずいが、前述したように、天使じたいが元からそうならないように作られているので、そのようなことはまず起きない。


 が、ごくまれだが、頭の構造に問題があり、理性がうまく働かないものがいて、たとえば「仕事以外で下界へおりてはならない」という禁止事項を、いとも簡単に破り、不特定多数の人間とかかわる。大都市や田舎で人間に混じって生活し、ビューテホー・ヒューマン・ライフ(注意・昭和のギャグ)を満喫する不届きものが、たまにはいないわけではないので、そういう危険性がある天使を、付近のコクーンで働く同僚や先輩が監視していたりする。


 つまりチャチャリーナは、そういう「不届きもの」だったのである。

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