十二、絶叫ノイズ先生、降臨
先生呼ばわりはされたが、その実態は、たんなる手伝いだった。杖の振りかた、呪文の唱えかたなどを、脇で並んでいる俺らが、せんせえの号令どおりに、ちゃっちゃと実演して見せるだけ。
ガキどもは退屈そうだったが、せんせえの「よし、おめーら杖を持て!」の声で状況は一変。大喜びで机の杖を持って、なにも言わないうちから振り回して、例の「モジカル・ヒール!」の叫びをお互いに発したり、恨みでもあるのか(まあ、みんなあるだろうが)、ズールに向かって「モジカル・オーバカヤロー!」とか「モジモジ・シテンジャネーヨ・ボケカスー!」などと、かけようとするのもいた。そして十秒もしないうちに、そこかしこから、杖を見ながらの「なんも出ねえよー!」「これ、不良品だろ!」などの愚痴がしだした。
ズールは、まずは自分にかけようと踏ん張った二人にげんこつを食らわしてから、みんなに、いつものように尊大な調子で言った。
「そいつは、ただの木の棒だ! モジなんか出ねえ!」
「えーっ!」「そんなのないよー!」「にせもんなんかつかまして、このモティーチャー!」などと非難ごうごうだったが、腕を左右から五本ずつタコのように伸ばして、全員にげんこつした。テンピースである。
「まだ、おめーらには早いと言ったろ! 今は形だけ覚えとくだけだ。そのために、本物なんか使う必要はねえ。だいいち、本物の杖でほんとにやられたら、法律違反で豚箱だ」
人の家を平気で破壊する奴の言うことじゃねえ。
「せんせえ、豚箱、入ったことあるの?」とガキ。
「おう、あんなつまんねえところはねえぞ。ほんとに豚じゃねえと楽しめねえな、あそこは」
いや、そういうことは隠しとけよ……。
「せんせえ、豚箱の話、してー!」「してー!」
「しょうがねえなあ」と頭をかき、「ちょっとだけだぞ。まず、最初に入ったのは、レストランでタダ食いして、怒った店員をボコボコにして再起不能に――」
俺は漫才の突っ込みのように張り倒した。
「そんな話、するなっ!」
だが、バカガキどもは大喜びして続きをせがんだ。それを妨害する俺が悪人あつかい。世の中、まちがってる。
すると、いきなり手をパンパンと叩く音が響いた。静まると手を下ろし、ガキどもの前に仁王立ちしたのは、海子さん。
「はいはい、今度はお姉さんが、エロい話をしてあげましょう」
「ええっ?!」と驚がくする俺。「な、なんでまた。やめたほうがいいですよ!」
しかしガキどもは目をギラギラ輝かせ、鼻息あらくギンギラギンになって、息を殺して話を待っている。嫌なガキどもだ。ガキに猥談なんて反教育的行為を、止める義務があるはずの担任も、「いいぞ、やれやれー!」と、両手に日の丸の扇を持って応援している。今さらだが、教師失格だ。
海子さんはゆっくりとジャリどもを見回し、おもむろに口をひらいた。
「では、ひとつ質問です。好きな子ができたら、まずなにをしますか?」
「襲う! スカートめくる!」と騒ぐ数人のエロガキを制して、あわてず騒がず、きわめて落ち着いて続ける海子先生。
「ちがいます。まずすることは、その子があなたをどう思っているか、を聞くことです。相手もあなたを好きなら、仲良くしていいです。でも、嫌いとか、なんとも思っていないときは――どうします? あきらめる?」と、ひとりに聞く。
「やだー! あきらめるなら、襲うー!」
「そしたら、ますます嫌われるわよ。それでもいいの?」
「よくないー! 襲うー!」
「だめだめ。では、そうなったとき、どうするか、実演してみましょう……和人先生、手伝ってくださる?」
えっ、いきなり俺っすか?!
海子さんと向き合い、じっと見つめあう。彼女を間近で延々見すえるのと、それを周りから見られているという状況のせいで、緊張ガチガチになった。それに気づいたのか、彼女は優しく微笑んだ。
「リラックスして。ただの実演ですから」
「は、はあ」
「設定を言います」
ガキを向いて、俺を手で示す。
「私は、この人が好きです」
ちょおおおっと待てええええ――!
いきなり好きとか言われ、あまりの恥ずかしさに体温が噴火しかけた。いや落ち着け和人。あくまで設定だぞ、設定。
そう言い聞かせていると、ズールが後ろから耳打ちした。
「どうも怪しいぞぉ。ただの設定でも、わざわざおめえに気があるとか、ふつうしねえ。これはもしかしたら、あれだぞ、本気――」
「なわけねーだろ! 黙ってろよ!」
「なんですか? 始めますよ?」
真顔で言われ、まるで俺が悪いかのようになった。引っ込むズールの顔は、どう見ても面白がっている。あとで殺す。
「はい、では質問です。そこの君、私がこの人に会ったとき、まずなにをしますか?」
「襲うー!」
「はい、ちがいますね。君は?」
次にあてられた子は、顔を赤らめて机を見て考え、上目づかいでおずおずと答えた。悪ガキでも、こういう話題は恥ずかしいのだろう。可愛いが、今の俺も、きっとこんな顔だ。
「えーと、その……好きって言います」
はやす声が周りから飛びかうと、海子先生は急にドスのきいた声で「シャラーップ」と言った。それも笑顔で。ガキどもは凍りつき、俺もめっちゃ怖い。さすがはノイズ・クイーン。
静まると、当てた子に優しく言った。
「おしいですが、それもちがいます。いきなり好きだと言うと、相手はびっくりして、お話が続かなくなるでしょう?」
「た、たしかに……」と感動するガキ。
「だから、こういうときは……」と、いきなり俺を向いてぽっと頬を染め、うつむきかげんで、「か、和人さんは、どんな食べ物がお好み?」
「え、えっと、ピザです」
緊張しまくって言うと、彼女はふっと微笑み、「まあ、どんなピザですか?」と続けた。
「チーズがのってて、トマトソースがひいてて、焼いてあるやつです」
必死だったんで気づかなかったが、こんなんあたりまえである。というか、ただのピザの解説だ。こんな説明はふつう、宇宙人にしかしないだろう。
それでも優しい海子さんは、笑顔のまま、「あら、わたし、ピザ作るの好きなんですよ。今度、持ってきましょうか」と言ってくれた。フリでも、泣けるほど嬉しい。
だが。
あれ、なんだろう。
急に思った。考えたら、なんでこんなに嬉しがる必要があるんだ。
そこまで好きか、俺。
海子さんのこと。
今ガチガチに緊張してるのは、たんに女に免疫がないからだと思っていたが――。
改めて彼女のさわやかな笑みを見つめる。
なんと、いっぺんに顔がぶわーっと上気し、心臓がどきどきしだしたじゃねえか!!
こ、これはなんだ、この感覚は。
そ、そうか。
これが、これがあの、有名な……!
「え、ええと、だいじょうぶですか、和人さん?」
海子さんが汗ジトで笑って言うので、ガキどもから笑いが起き、「ひゅーひゅー」などの口笛やはやし声が飛びかった。たしかに、大人の男が顔を赤くして照れている図は、面白いわな。
海子さんが険しい顔になってそっちを向いたので、また怒るかと思いきや、ガキのひとりがいきなり立って後ろを向き、目を吊り上げて、みんなに叫びだした。
「おい、恥ずかしがってるの笑うなよ! かわいそうだろ!」
今さっきあてられて、照れていた子だった。
みんなしんとなると、海子さんが頭をなでなでした。
「よくやったわね! そこまで人の気持ちを思っても、ふつうは言えません。すばらしいわ、あなた。お名前は?」
「あ、アリューシです」
また照れて答える。ちくしょう、俺もなでなでされてえ、と歯噛みする。ガキをねたむなんて終わってるが、俺は恋してるんだ、かまうこたぁねえ。
そうだ、これは恋だ。いま気がついた。
俺は、海子さんが好きだ。
今までの「好き」とは、まるでちがう。今までのは、「あこがれ」とか「尊敬」というたぐいだった。でもこれはちがう。彼女を思っただけで、胸がどきどきして、とろけそうになる。ずっと、俺には縁がないと思いこんできた感情、人間の持つあたたかな気持ちである「恋心」というやつを、ついに今この瞬間、俺も手にしたのだ。
これで、やっと人間になったも同然だ。ずっと冷たい機械だと思っていた自分に、いま魂が入り、生きた人間として完成したのだ。
人間だから、好きな人の前じゃ無力になって当然だ。しどろもどろ、あたりまえ。まるで自分のヘタレに対して言いわけしてるみたいだが、こんな幸せな言いわけなら、ずっとしていたい。
それほどに、俺は幸福の天空に昇っていた。足が地につかない。ここは天国だ。また死んで転生するのか、海子さんの恋人として。なんて、だいそれた。
でも、恋人いないっつってたよな、たしか。
よっしゃあああー!
「あのう、さっきから動作がくるくるしてますけど、病気ですか?」
俺の挙動不審を心配したのか、海子さんがけげんに言うので、いくらかあわてた。
「だいじょうぶです! 続きをどうぞ」
「はい、では……どこまで行ったかしら」
俺もぜんぜん覚えてない。なんか食おうとしたんだっけ?
「ピザだよ、ピザー」
ガキからの声で顔が戻り、「そうでした」と俺を向く海子さん。
「では和人さん、ピザがお好きなら、今度作って持ってきますね」と笑う。
「あ、ありがとうございます!」
「そ、そんなに喜んでいただけるなんて……うれしい……!」
胸で手を組み、目を閉じて神に感謝するように言う。俺は足に来るほどに感動した。
(お、俺が感謝しただけで、こんなに嬉しいのか?!)
(か、かわいいっ! かわいすぎるうう――っ!)
彼女の頬はほんのりピンクに色づき、まさに恋する乙女そのもの。まるで俺自身を見ているかのようだ。
そしてゆっくりと目をあけ、うるむ瞳で俺を見つめる。甘く射ぬくような視線。も、もうだめだ。死ぬ。
「か、和人さん……」
「は、はい……」
ガキどもが、うしろのズールまでもが、食いつくような目で俺らをガン見しているのが分かる。その滝のような恥辱が、俺の異常興奮をぐいぐい後押しした。
「す、好きです……!」
「俺もですうう――!」
思わず叫んで飛びついたので、彼女は「うわあああ――!」と俺を突き飛ばした。
「なっ、なにするんですかっ!」
ひろった赤いベレー帽を握り、両腕で上半身をかばいながら、怒りに火照った顔で、目を吊り上げて怒鳴った。
「あくまで、設定だと言ったでしょう!」
やっと起き上がった俺は、「す、すみません」と頭をかいた。ガキどもは大喜びで、ズールが「ほら、特別講義は終わりだ!」と抑えるなか、海子さんはさっさと庭を出ていった。あわててあとを追った。
ずんずん歩くので、「そんな、怒んないでくださいよー!」と声をかけたが、怒りはまるで収まらないようだ。
たしかに俺も悪いが、ぜんぶ俺のせいか?
……いや、俺のせいだ。
完全に俺が悪い。
授業なのに、あんなにのぼせて本気になって。
アホか。
歩調が止まんないので、走って手首を握る。止まったが、「さわらないで!」と思いっきり振り払い、こっちを向いてにらむ。
「なんですか? もう終わりなんだし、帰ってください」
「帰りません。まだ怒ってるじゃないですか」
「あたりまえです。あんな、授業にかこつけて、あんなことを……」
怒りに震えるので、あわてて言った。
「ちがう! そんな、スケベ心でやったんじゃない!」
「じゃあ、どうして」
「そ、それは……」
ここで「好きです!」なんて言えない。だが言わなきゃ、きっと、すべてが終わりだ。
彼女は今、「もう終わりだ」と言った。それは俺たちの関係が「終わり」なんだと聞こえた。
そうじゃないかもしれない、頭が冷えたら、許してくれるかもしれない。
だが、俺はあせっていた。もう言っちまいたい。好きと言いたい。でも言えない。
ふと、さっきの授業が浮かんだ。
俺は、自分で驚くほどに落ち着いて言った。
「決して、イヤらしいつもりで、あなたに、あんなことをしたわけじゃない。俺は、その――」
彼女は、鷹のように、すさまじく真剣な目で見すえている。口はへの字。長い黒髪が数本、ひたいに垂れて、頬に張り付いて気にもしない。
彼女も本気だ。
本気で俺の心を聞いている。
俺も本気で答えなければ。
「俺は――海子さんと同じでした」
「同じ?」
「はい」
俺は彼女を静かに見すえ、ゆっくりと言った。
「いきなり好きと言うと、びっくりすると思いまして」
とたんに顔色が変わり、ふらふらと行ってしまった。
全力でしゃべった俺に、もはや追う力はなかった。