アングレカム
俺は昔、ラリナート王国内でも警備や支援が行き届かない、いわゆるスラム街で暮らしていた。
物心着く頃から親はいなかった。
汚らしい格好で、文字も使えず、大人からはおもちゃのように扱われ、蹴られ殴られる毎日。生きることで精一杯だった。
俺は食い物を探すため、スラム街から飛び出した。
…だがそれも束の間、道端で力尽き、倒れたところを、『ハルラ村』に住んでいた夫婦に俺は拾われた。
『ハルラ村』はラリナート王国から少し離れた場所にあり、村人は20人程しかいない小さな村だったが、皆幸せそうに暮らしていた。
俺を拾ってくれたは夫婦は村で農家をやっていて、後の父と母だ。
父と母は俺のことをとても可愛がってくれた。スラム街にいた頃の大人のような、矢のように突き刺さるような視線で俺を見ることはなく、いつも暖かい目で俺を見てくれていた。
俺にはそれがとても嬉しく、幸せだった。
-- 1年後 --
俺が8歳の頃、シオンが産まれた。
父と母はもちろん、俺も妹が出来たことが本当に嬉しかった。
だが、シオンが生まれてから1ヶ月、2ヶ月、そして半年が経ってもなかなかシオンと目が合わなかったり、シオンはよく光を見ないよう目を背ける仕草をしていた。
当時はこれが普通だと思っていたが、どこか様子がおかしいと思った母は医者にシオンを診てもらい、そこで『ナクル』だと診断された。
父と母は実の娘がナクルだと診断されても悲しい顔ひとつ見せず、シオンのことも俺のことも普通の子として育ててくれた。
母は花が好きな人で、よく花の話をしてくれた。
「『シオン』って母さんが好きな花だよね?だから妹にシオンって名前を付けたの?」
「えぇそうよ、でもねアグレ、あなたの名前も花の名前から付けたのよ」
「そうなの?」
「『アングレカム』っていう花があってね、その花から名付けたの。寒い時期になると咲く花でね、アングレカムが咲いている花畑があって、夜に行くととてもいい香りがするのよ」
「アングレカムかぁ、おれも見てみたいなぁ」
「そうねぇ、今度家族で一緒に見に行きましょうか!」
「うん!!」
こんな幸せな日々がずっと続けばいいと思っていた。
だが…そんな日々も長くは続かなかった。
シオンが産まれてから3年後、父と母は流行病にかかってしまった。
その流行病は、子供は大人よりも治りが早いが、大人は逆に子供よりも治るのは難しいと医者に言われ、父と母はその中でもかなりの重病だった。
当時の俺は、弱っていく父と母をただ見ていることしかできず、胸が痛かった…。
3ヶ月が経った頃からは、食事も喉を通らなくなり、医者から与えられた薬も効かず、水を呑むので精一杯だった。
4ヶ月が経ち、父と母は亡くなった。
目を閉じている父と母を見ながら、俺はシオンを抱きかかえ、ただ立ち尽くすしかなかった…。
「とうさん…かあさん…おれ…これからどうしたらいい…」
そんな時、俺は母の言葉を思い出した。
『 アングレカムの花言葉はね、『いつまでもあなたと一緒』という想いが込められているの。シオンは目が見えないから、これから沢山苦労をしていくと思うわ。だからねアグレ、シオンが悲しい時や苦しい時、悩んでいる時は、側にいてあげてね 』
母の言葉を思い出し、俺は泣きそうになるのを必死に堪え、俺は決意した。
シオンには、悲しい想いはさせないと。
俺はどんなことがあっても、シオンのとなりにいると。
そして…母との約束を守ると。
-- 12年後 --
今日は、父と母の命日だ。
父には好きだった酒を、母には好きだった『シオン』の花を持って俺は父と母が眠る墓まで来ていた。
「父さん、母さん久しぶり。最近なかなか来れなくてごめん。今日は父さんと母さんに、大事な話があって来たんだ。 」
俺は、シオンの目が見えるようになるということを父と母に話した。
そして…俺の『これから』についても。