表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/25

ウォーキング 2

 とは口にしたものの。

 少なくとも自分自身が納得して水着を着てみようと思える状態、すなわち数字の上でもきちんと痩せた身体をつくるには、当然ながら体脂肪を減らさなくてはならない。なけなしの武器であるピラティスもどきが、そこに対してはあまり通用しないことも、もうわかっている。


「となれば、有酸素運動ってやつだろうけど……」


 ロールプレイングゲームで難敵が現われた状況のごとく、その日の晩から陽和美は有効な手立てを考え始めた。どこかで聞いた覚えがあるし、アンも以前言っていた。体脂肪を減らす、すなわちより多くカロリーを消費するのは、ジョギングだったり自転車を漕いだりという『有酸素運動』なるトレーニングだったはずだ。


「……でも走ったりするのは、なあ」


 わかっていても、ローテーブルに載せたノートパソコンの前でつい下唇を突き出してしまう。水着を着たいのはやまやまだが、自他ともに認めるインドア派として二十八年以上過ごしてきた肉体に、いきなりのジョギングはハードルが高すぎる。恥ずかしながら走るという行為自体、春休みに猿と大チェイスを繰り広げて以来、またもやほとんどしていない。ママチャリすら持っていないので自転車も論外だ。


「ううむ……」


 漫画のような唸り声とともに、有酸素運動というキーワード検索から得た、妙な専門知識だけが増えていく。

 どうやらヒトの身体には三種類のエネルギー経路があって、運動強度によって各々の消費バランスが変わってくるらしい。そして有酸素運動を行うと、もっとも強度が出せないかわりにもっとも長く運動を継続できる、体脂肪を燃料とする経路が主に使われるのだとか。逆に全力疾走するような運動は高強度であるぶん、メインエネルギーの継続時間はたった十秒にすら満たないのだという。


「そりゃそうか」


 今夜もアイスココアを啜りながら、陽和美は二度、三度と頷いた。たしかに、百メートル走のスピードでマラソンを走れるような人間は存在しない。


「へえ」


 さらに開いたページで、感心のつぶやきも漏れる。スポーツトレーナーらしき人のブログだったが、同じテーマで、つまりは日常生活の大部分は有酸素運動でもあるという旨が記されていた。現実には歩いたり箸を持ったり、果てはこうしてパソコンをいじるだけでも身体のどこかしらは動いている。その程度の動作なら、一番低出力のエネルギー経路でじゅうぶんというわけだ。

 そこまで読んで陽和美は、ふと閃いた。


 歩く?


 すかさず調べてみたら案の定だった。ウォーキングだって、立派な有酸素運動ではないか。


「おお、いいかも」


 生粋のインドア派で運動初心者。使える武器は「なんちゃって」なピラティスのみという自分でも、ただ単に歩くだけならトライできるかもしれない。汗まみれでべちゃべちゃになったり、思い通りに反応してくれない筋肉の疲労や痛みに、苛まれたりすることも少ないだろう。

 現金な気持ちになってきた陽和美は、明るい表情で「歩くと言えば――」と別のタブで動画サイトも呼び出した。あのJKフェネックだって、いつもいろいろな場所を歩き回っているのを思い出したのだ。彼女みたく目に入るもの、肌に触れるものを楽しみながら歩けば、継続もしやすいのでは。

 こちらの意志を受け止めてくれたかのごとく、ちょうど新作動画もアップされている。しかもタイトルは《フェネックウォーキング ~河川敷を歩いてみた~》。


《フェネック、今日はとある河川敷に来てみたのだ。サイクリングロードにサッカー場、

ドッグランなんかもあってとっても気持ちよさそう! でもフェネックはアスリートじゃないし、ドッグじゃなくてフェネックなので、とりあえずのんびりウォーキングしてみようと思う。何か面白い出来事があるといいなー》


 可愛らしい姿と声に背中を押されたように感じて、動画を観終える頃には、陽和美はすっかりその気になっていた。




 翌日から陽和美は、さっそく『ウォーキングもどき』を開始した。

 今回も「もどき」と命名したのは、それでも本格的なウォーキングなどは、自分には土台無理だろうという読みがあったからである。ちょっぴりやる気が湧いたとはいえ、所詮はインドア派の幼児体型アラサー女子なのだ。スタートから飛ばしすぎて三日坊主になってしまうより、ピラティスもどきと同様に、マイペースで気楽に続けられる方がよっぽどいい。


 かくして、一人で役場外へ赴く仕事の際は意識的に徒歩を選択、家でもコンビニへ出かけるときにわざと遠回りしたりと、あくまでもできる範囲で「歩く」行為を増やしながらの一週間後。

 少しずつだけど出足好調だとほくそ笑んでいた陽和美は、アパートに戻ったところでさらなるアイデアを思いついた。


「ていうか、最初から使えばよかったのよね」


 例によってひとりごちながら、愛用のスマートフォンをスリープ解除する。未使用のデフォルトアプリをまとめてある三枚目のホーム画面に、それは無事保管されていた。

《フィットネスノート》なる健康管理アプリである。

 今のスマートフォンに買い替えてからもう二年ほど経つが、じつはこのアプリを開くのは初めてだった。「フィットネス」なる言葉が目に飛び込んできただけで、我が身には無縁のものだと隅に押しやってしまっていたのだ。むしろ削除しなかっただけでも、当時の自分を褒めてやりたい。


《フィットネスノート》には案の定、歩数計機能もついていた。あとは体重を設定しておけば、歩いたぶんの消費カロリーも毎日出してくれるらしい。

 これこそが陽和美の思いついたアイデアだった。ただ単に歩く量を増やすだけでなく、消費カロリーも把握してのモチベーション維持。


「うん。冴えてるじゃん、私」


 しめしめ、とこれまたちょっぴりご機嫌になって、いまだ五十キロ台に到達しないままでいる体重値を、陽和美は正直に入力しておいた。




「はあ!?」


 声を上げてしまったのはさらに翌日、同じく自室でリラックスしていたときである。

 ちょうど日中、仕事で多方面へ徒歩移動したこともあり、シャワーと食事を済ませた陽和美は、期待とともに《フィットネスノート》を起ち上げた。我ながら今日はよく歩いたので、歩数も一万歩近くまで達しているのではないだろうか。となれば消費カロリーだって、かなりの量に上っているはず。まさに一歩一歩、水着姿が近づきつつあるかも――。

 ――と、思ったのだが。


「にひゃくさんじゅうぅ!?」


 一万歩にこそ届いていなかったものの、アプリによれば自分は約七千歩もの距離を歩いていた。ここは体感通り。にもかかわらず消費カロリーは、たったの二三〇キロカロリーにすぎなかったのだ。

 ゼロを一個見落としていて本当は二三〇〇キロカロリーなのではないか、と重ねて確認するも、表示欄には230という三つの数字のみが、三兄弟よろしく堂々と鎮座している。


「嘘でしょ……」


 頬を引き攣らせた陽和美は「……セ、セカンドオピニオンを」と、すがるようにつぶやいた。医者にかかっているわけではないが、文字通りセカンドオピニオン的なものを探そうと考えたのである。

 愛用のノートパソコンをすぐさま起動し、《ウォーキング》《消費カロリー》といった単語で検索をかける。頼むからもう少し、もう少しだけでもカロリーを消費していて欲しい。


 しかし判明したのは、当たり前だが、アプリの方がまったくもって正しいという事実だった。どこの計算サイトでも、六十キロの体重で日常生活~ちょっと早い程度のペースで七千歩ウォーキングすると、やはり二百キロ少々のカロリー消費にしかならないという結果ばかり出てくる。

 加えて、今さらながらに得たもう一つの知識にも追い打ちをかけられた。


「ななな、なな、せん、にひゃく……」


 日本語を覚えたての外国人よろしく、またもやたどたどしい言葉遣いになってしまう。

 七千二百。なんと体脂肪をほんの一キロ減らすだけでも、人間は七千二百キロカロリーものエネルギー消費が必要らしい。そしてそれは、運動に換算するとフルマラソン二回以上にも相当するのだとか。ついでに言えば自分が今日、一所懸命に歩いて消費した二百三十キロカロリーというのは、ツナマヨおにぎり一つ食べるだけで相殺されるレベルだという。


 ぴくぴくと丸い頬をさらに痙攣させた陽和美は、ショックのあまりごろりと仰向けに倒れ込んだ。最近はこのままピラティスもどきの姿勢を取ったりもするのだが、もちろんそんな気は起きないので、ノックアウトされたボクサーばりに、焦点の合わない目を天井に向け続ける。


 つまり今日の三十倍以上ですか、そうですか……。


 かろうじて働いてくれた頭のなかで、ざっくり計算した30という数字が点滅する。今日くらいのウォーキング、いや、ウォーキングもどきだと、三十回以上も繰り返してやっと一キロの減量なのだ。それもおにぎり一つで取り返してしまわないよう、食事にも注意しながら。正直、〝無理ゲー〟すぎる。これでは水着姿なんて夢のまた夢ではないか。


 所詮は猿に追いかけられる、幼児体型アラサー底辺ぽっちゃりド田舎公務員、だもんね……。


 自虐的な肩書きを増やしながらの愚痴が脳内で続く。ピラティスもどきに次ぐ武器を手に入れたと思ったのに、まるで歯が立たなかった。方向性は間違っていないのかもしれないが、敵は遙かに強大で、もっともっと上級のプレイヤーじゃないと挑んではいけなかったのだ。剣で魔王を倒すにしても、『おもちゃの剣』や『銅の剣』では無理。お気に入りの擬人化キャラみたいな、名のある鍛冶屋に打ってもらった名剣・名刀でなければならない。

 始めたときをなぞるかのように、ゲームに例えての反省ばかり浮かんでくる。さながら今の自分は、秒速で返り討ちに遭ってゲームオーバー、ぽっきり折れた愛刀に「次は頼むぜ、相棒」などと励まされながら、コンティニューするかどうか悩んでいる状態だろうか。


 ひっくり返ったまま背後のアクリル棚に視線を送ると、まさにその擬人化名刀キャラのふれんど~ると目が合った。隣りにいるやはりお気に入りの、虎に変身する超能力探偵の男の子とも。


「この子たちみたいな、強力助っ人でもいればなあ」


 ぼやきが聞こえたわけでもないだろうが、フィットネスノートを開きっぱなしにしていたスマートフォンが振動したのは直後のことである。

 スクリーン表示を見ると、通話の着信。


「もしもし?」


 ぱっと表情を明るくした陽和美は、いそいそと電話に出た。気持ちを立て直すにはじゅうぶんすぎる、嬉しい相手だったからだ。


「もしもし、陽和美ちゃん? アンだけど今、大丈夫?」

「はいっ! 全然大丈夫です!」


 声まで元気になって、尻尾を振る犬のごとくわかりやすい反応をしてしまう。よく考えたらアンから電話をもらうのは初めてのはず。いつものメッセージだけでも笑顔になれるというのに、耳元で直接の会話だなんて。

 被せ気味の返事が面白かったのか、アンは笑いを堪えるような口調とともに用件を伝えてきた。


「今度の土曜日って空いてる? またそっちに泊まるから、よかったら二人でピクニックとか、どうかなと思って」

「ピクニック、ですか?」

「うん。私、かわせみ半島の先の方ってまだ歩いたことないの。お弁当作るから、もし暇だったら一緒に行ってくれない?」

「は、はい! 喜んでお供させていただきます!」


 頭まで下げて陽和美は即答していた。「お弁当は、私も作りますから!」とつけ加えて。二人きりでのお出かけ。つまりこれは、いわゆる一つのデートというやつではないか。

 早くもどきどきしてきた心臓のあたりに手をやりつつ、ふと背後を振り返る。アクリル棚で、別のふれんど~るたちも笑っている。「行ってらっしゃい」とでも言わんばかりに。


「頑張ります! よろしくお願いしまっしゅ!」

「あはは、やる気満々だね。それだけテンション上げてもらえると、誘った甲斐があったなあ」


 ついには噛んでしまう陽和美のリアクションに吹き出しながら、「待ち合わせの詳しい時間とか場所は、またメッセさせてね」とアンは続けてくれた。

 続けて近況を語り合ったりするうちに、彼女とのひとときがあっという間に過ぎていく。

 そういえばウォーキングもどきについて悩んでたんだっけ、ともはやどうでもいいことのように陽和美が思い出したのは、三十分にも及ぶ楽しい通話を終えてからだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ