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エピローグ

 年も明けた一月。かわせみ半島の先端、遊歩道に繋がる県道を、若夫婦と思しきカップルが歩いている。二人の隣には町のロゴマーク入りブルゾンを着た、案内役らしき丸顔の女性。


「こちら側にいくつかある遊歩道は、ウォーキングやちょっとしたピクニックにもちょうどいいんです。もちろんジョギングされる方とかもいらっしゃいますが、のんびりお散歩するだけでも新しい発見がたくさん――」


 そこまで言いかけたところで丸顔の女性は何かに気づき、「あ」と言葉を切った。若夫婦も同じ方向――《緑の遊歩道》という小さな看板が立つ三十メートルほど先に視線をやり、揃って顔をほころばせる。


「わあ! 可愛い!」

「野生なんですか?」

「はい、よく見かける親子です」


 三人の前に現われたのは、まさに親子連れのニホンザルだった。赤ちゃんというには少し大きくなっているようだが、甘えん坊なのだろうか、小猿は母猿の胸にしがみついたままでつぶらな目を向けてくる。

 ただし二頭とも、敵意はまったくなさそうだった。逆に「あら、また来たの?」とでも尋ねるかのように、愛想よく首を傾けたりしている。


「あはは、ごめんね。今日もお邪魔してます」


 丸顔の彼女が苦笑混じりに手を振ると、まるで意思疎通ができているかのごとく母猿が頷き、小猿ももう一度可愛らしく小首を傾げてから、親子は藪のなかへと消えていった。


「野猿は凶暴だって聞いてましたけど、ずいぶん馴染んでるんですね」

「僕も思いました。猿のはずなのになんだか町民ぽいっていうか、親しげな感じで」


 驚くカップルに、丸顔の女性はにっこりと頷いてみせる。


「仰る通りです。住民への被害も出ていませんし、私たちとしてもそっと見守らせてもらっています。一度だけ、お母さん猿に怒られたことはありますけど」


 どこかおかしそうに答えたところで、今度は県道の奥から、同じく男女のペアが近寄ってきた。

男性の方はハンディカメラを持ち、背中には小型のリュックを背負っている。しかし何よりインパクト抜群なのは、ピンクの迷彩柄という、むしろ迷彩になっていないだろうとつっこみたくなるカラーリングのフリースジャケットだった。よく見れば顔立ちもかなりハンサムなのだが、なんとも残念すぎる服装である。

 そして、彼の隣を歩く女性。

 ハンチングにボストン眼鏡をかけてはいるものの、小さな顔とスレンダーな肢体には自然と目が惹きつけられる。オーラと言ったら大袈裟かもしれないが、彼女のまわりだけ、木漏れ日の光が強くなったようにすら錯覚するほどの美女だ。


 ただ、二人は案内される若夫婦とは違って、あくまでも「ペア」という雰囲気だった。並んではいるしお似合いにも見えるけれど、間違っても「カップル」という印象は受けない。

 その奇妙なペアも、こちらに気づいたようだった。丸顔の女性とは知り合いらしく、男性は「おっ!」という表情で、美女もぱっと相好を崩して、二人してさり気なく手を振りながら擦れ違っていく。


「え? 今の人って――」


 若夫婦の奥さんが口を開きかけたタイミングで、丸顔の彼女は上手に説明を再開した。


「ご覧の通りの田舎町ですし、正直、不便に感じられる部分もたくさん出てくるとは思います。また報道されていたように、恥ずかしながら前町長の不祥事もございました。ですが――」


 いったん言葉を切って、移住を検討してくれている夫婦の目を真っ直ぐに見つめ直す。

 私もこの町が好きなんです、と瞳で語りかけながら。


「町長が替わって、私たちのように身近な距離で皆さんの生活を支えさせていただく職員も大幅に増員される予定です。いい意味で仕事も整理されるはずですので、何かあれば、可能な限り素早くサポートさせていただきます」


にっこりと頷く彼女の胸元で、首からかけたネームプレートが揺れる。


《かわせみ町 町民支援課 天川陽和美》


 ネームプレートに手を添えて、陽和美は笑みをさらに深くしてみせた。




 新町長の神保は、かつて陽和美とともに町立図書館で、読み聞かせのボランティアをしていた人だ。

 穏やかな微笑みを絶やさない「優しいおばあちゃん」といった風情の神保だが、元教員らしく、駄目なものは駄目と言える毅然さも持ち合わせており、陽和美たち支援課の扱いもあらためて改善すると約束してくれた。また、一人の町民として町で暮らし続ける彼女が平、杉下、竹山とも旧知の間柄であり、支援課全体をかねてから高く評価し、応援してくれていたのもよく知っている。

 そんな新町長はもとより、住谷支持から目が覚めた高齢者たちをはじめとする多くの町民からも慰留された陽和美は、迷うことなく湯ノ根町への移籍を断ったのだった。何より、この町で大好きな人たちと変わらず過ごしたい、という自身の意志が大きい。


 かくして新体制がスタートしてからも、平組こと町民支援課はいつもの面々で、忙しくも充実した日々を送っている。

 本日陽和美が担当する業務は、あの《フェネックスライドショー》がきっかけで町に一目惚れしたという、移住を検討中の若夫婦の案内である。同世代の人がかわせみに興味を持ってくれるのは純粋に嬉しいし、ますます町を気に入ったうえで実際に転入して欲しいと心から思う。




「お姉さんも、町内にお住まいなんですか?」


 説明が一段落したところで、奥さんが明るく尋ねてきた。興味津々といった目の輝きで、陽和美の全身をさり気なく見つめながら。


「はい、もちろんです!」


 元気に返すと、彼女はなぜか納得したように頷いている。


「じゃあやっぱり、たくさんウォーキングしたり、お魚とかのヘルシーな食事を召し上がったりしてらっしゃるんですね」

「え?」

「だって歩き方とか姿勢とか、とってもお綺麗じゃないですか。私より背が低いのに、なんだか堂々としてるし。可愛いなあ、素敵だなあってずーっと思ってたんです」

「そ、そんなことないです!」


 いきなりストレートに褒められ、首から上が一気に熱くなるのを陽和美は感じた。おかしい。ぐいぐい来る人には慣れているはずなのに。いや、むしろそのせいで、こんな条件反射が出る身体になってしまったのかも。


「あの、私なんか全然です! たまにやってるのも『ピラティスもどき』とか『ウォーキングもどき』とか『レコーディングもどき』ですし、オートミール食べたら正直にまずいって言っちゃうし、本当はインドア派で、フィギュアとかゲームが好きで、夜はVtuberの動画ばっかり見てますから!」


 動揺のあまり訊かれてもいないことまで答える姿に、隣に立つ旦那さんまで笑ってしまっている。その向こう側では、足を止めて自分たちの様子を窺う先ほどの美男美女も。

 やり取りが聞こえたのだろう。小さく肩を揺らしたまま、美女が――()()()()()()()が、いたずらっぽい顔で何かを伝えようとしてくる。形よく描かれた眉を、ほらね、とばかりに持ち上げて。唇だけを小さく動かして。

 さすがは本職、音になどなっていないのに台詞が陽和美のもとへはっきりと届く。


 陽和美ちゃんは、可愛いんだってば。

 ちょ……!? こんなとこでまで、やめてください!

 

 自分もなんとか声には出さず、アイコンタクトだけを送った瞬間。陽和美の目に褐色の影が映った。

 視界の端、藪のなかから、今さっき去っていったばかりの親子猿がこちらを眺めている。

 

 目の前の親友と同じく、どこか愉快そうに。

 まるで、顔馴染みのご近所さんを見守るみたいに。





 Fin.

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