オートミール 2
半月後。
陽和美や担当者たちの懸念はあったが、町内で早くもオートミール料理の提供が始まった。思いつきの政策発表などにも見られるように、自分が興味を抱いた物事に関しては、異様なまでに動きが早いという住谷の習性ゆえである。オートミール業者を事前に選定済みだった点など、その典型だ。
かくしてかわせみ町では、いつの間にか複数の飲食店で《かわせミール・フード提供店》と書かれた、仰々しい幟が立つようになっていた。
「本人は上手いこと考えたつもりかもしれませんけど、捻りもセンスもゼロのネーミングですね」
ばっさりと竹山が切り捨てる通り、『かわせミール・フード』なるネーミングも住谷直々なのは言うまでもない。
ともあれ乏しい財政から補助金まで出したからか、かわせミール・フード提供店の数は二桁近くに上っており、企画は意外にも好スタートを切っているように見える。
好調の要因が、とある人気メニューにあるらしいと陽和美が耳にしたのは、さらに一週間ほど経っての外回り中だった。
この日の陽和美は昼過ぎに、駅のそばで営業する小さなカレー屋へと赴いていた。移住してきた女性が一人で開いたばかりの店で、諸々の手続きをヘルプした経緯もあり、アフターケアがてら覗きに行ったのである。
それなりに涼しくなってきたので、公私ともに『ウォーキングもどき』を復活すべく移動は徒歩を選択。かわせミール・フードの幟こそ立っていないが、カレー屋の運営も順調と知り、足取り軽く役場へ戻りかけたとき。
駅前を横切る国道の向こうから、明るく声をかけられた。
「陽和美さん!」
「あ、マッスルさん! こんにちは!」
笑顔を返して、陽和美はぺこりと会釈した。
タイミングよく青になった横断歩道を、『トオイ商店』の店主にして芸能人の、マッスル遠井が大股で渡ってくる。先ほど駅に着いた電車から降りてきたようだ。
「こんにちは。ちょっとバイトしてきまして」
「ああ。お疲れ様です」
今やすっかりラーメン店主のマッスルにとっては、たまに入る芸能人としての仕事の方こそがアルバイトみたいなものだという。つまりは都内かどこかで朝から撮影をしてきたのだろう。公共交通機関を普通に使っているのも、いい意味で有名人ぽくない彼らしい。
目の前まで来たところで、今度はマッスルが頭を下げてきた。
「先日はありがとうございました。アンちゃんとも久しぶりに会えたし、僕らも楽しかったです」
「とんでもないです! こちらこそ、ご馳走様でした。新作餃子の試食までさせていただいちゃって」
先々週の土日、夏休みのボガプロで知り合った大仲愛が再訪を果たしてくれて、彼女の叔母であるアンも加えた三人で、陽和美たちはトオイ商店で食事をしたのだった。
女優になりたての頃、マッスルと共演した経験があるというアンは、愛が世話になった直後にメールでお礼を伝えてはいたそうだが、直接の再会はじつに数年ぶりだったらしい。みんなして会話が弾み、他の馴染みの町民たちと同様に、マッスル夫妻も自然と陽和美を下の名前で呼んでくれるようになったのも嬉しかった。
「陽和美さんは、今日も外回りですか?」
「はい。『いつもカレー』さんの様子を窺いに」
「ああ、いつもさん。僕もこの間、テイクアウトでいただきました。美味いですよね。うちも来年の夏は、カレーラーメンとかやっちゃおうかなあ」
濃い顔立ちをくしゃっと崩して、マッスルが笑みを深くする。
彼が評価するように、まだ三十代前半の女性店主、中林いつもが営む『いつもカレー』は、各種スパイスを本格的に使ったエスニックな味わいのカレーが本当に美味しい。先ほど本人から聞いた話によれば、オープンして間もないものの「お陰様で常連さんもできてきました」とのことだ。マッスルもそうだが、こんなド田舎にわざわざ移住してくれた人たちが気持ちよく商売できているなら、陽和美たち町の職員も喜ばしい限りである。
「そうじゃなくても、かわせミール・フード提供店に、うちの店も立候補しとけばよかったかな」
苦笑するマッスルのひとことで、陽和美も思い出した。
「かわせミール・フード、なんでか知らないけどいい感じみたいですね。町長がご迷惑かけちゃうばっかりだと思ったのに」
役場職員らしからぬ正直な答えを返してしまったが、マッスルは「陽和美さん、直球だなあ」と逆に肩を揺らしてくれている。
「噂じゃスイーツ系とかより、オートミール粥がぶっちぎりの人気で、それが引っ張ってるみたいですよ」
「え? お粥、ですか?」
続けられた言葉に陽和美は目を丸くした。オートミール粥と言えば、試食した自分や産業課の面々から、むしろ渋い評価をされまくったメニューではないか。
「ええ。うちやいつもさんと違って、そこの『ヤミー』さんはかわせミール提供店ですよね。小日向さんご夫婦が、自分たちでも意外なんだけど、って昨日だか一昨日だかに教えてくれました」
「へえ」
マッスルが名前を出した『ヤミー』もまた、数年前に都内からかわせみに移住してきた三十代の若夫婦、小日向夫妻が開いた駅前のピザ屋である。
「ピッツァ」ではなく、子どもやお年寄りが片仮名読みで「ピザ」と呼ぶような店。気取ったレストランではなく、あくまでもピザ食堂。そうした想いもあって閉店した定食屋の建物を引き継いだこの店も、今やすっかり町内に根づいている。実際、陽和美もよく利用しており、ボガプロのときは愛も案内させてもらった。
「気になるんだったら、覗いてみたらどうですか。陽和美さんならヤミーさんとも顔馴染みでしょう」
「はい。店内でもテイクアウトでも、ちょくちょく食べさせてもらってます」
勧められて陽和美も、そうしてみようと思った。ちょうど昼休みになる時間だし、オートミール粥の謎(?)を探りながら昼食を取るにはぴったりだ。
ちなみに町内には移住者同士のネットワークがあって、様々な情報交換をしたり、ときには複数の飲食店でコラボメニューを出したりもしているらしい。トオイ商店とヤミーなどはたがいに人気店で、しかもジャンルが被らないので特に仲がいいようだと、やはり移住者の徹がいつだったか語っていた。
「ありがとうございます、マッスルさん。じゃあさっそく、ヤミーさんにお邪魔してみます」
「行ってらっしゃい。小日向さんご夫婦にもよろしく」
再度頭を下げ合ってマッスルと別れた陽和美は、ささやかな好奇心とともに、すぐそこに位置するヤミーへ向かうことにした。
「けど、なんでお粥?」
近づいてくるヤミーの店舗を眺めながら、陽和美は小首を傾げた。マッスルの言葉通り、かわせミール・フードのメニューにはクッキーやマフィン、パンケーキといったスイーツも含まれる。にもかかわらず、こう言っては失礼ながらもっとも美味しくないオートミール粥が、企画そのものを牽引するほどの人気とは。
「大々的に、ダイエットメニューって謳ってるのかな。でも食べにくる全員が太ってるわけでもないだろうし……」
疑問をふくらませつつ、「こんにちはー」と元定食屋らしいガラスの引き戸を開ける。
「いらっしゃいませ!」
綺麗に重なった男女の声は、店を営む小日向夫妻だ。そちらに反応しかけた陽和美は、けれども先に「あれ?」と目を丸くする羽目になった。
「陽和美ちゃん!」
「こんにちは」
右手のカウンターから笑顔で手を振ってくるのは、なんとアンと徹だった。アンはゆったりした長袖のカットソー、徹の方は毎度お馴染みの「残念」な、派手派手しいローズピンクのパーカーを着ている。
「二人して何やってるんですか?」
まるで予想していなかったので、つい間抜けな質問が出てしまった。それがおかしかったのか、アンが「あはは」といつもの無邪気な笑い声を立てる。
「何って、ランチをいただいてるに決まってるでしょ。今日も徹さんと打ち合わせがあったの」
「今は昼休みです。町おこしメニューみたいなのが始まってて、ヤミーさんでも食べられるって聞いたから、二人で来てみたってわけで」
「ああ、なるほど」
傍から見れば美男美女の絵になる食事風景だが、アンと徹の関係性は陽和美もじゅうぶんわかっているので、すんなり納得できた。と同時に「あ、お邪魔します」と、カウンター脇とその内側に向けあらためて挨拶する。
「いらっしゃいませ、陽和美さん」
「皆さん、お知り合いなんですね」
L字型になったカウンターのなかと外から、小日向夫妻が朗らかに返してくれる。カウンター内の厨房で調理をするのが夫の栄作、外側でホール係や会計を担当するのが妻の光だ。
「陽和美ちゃんもランチ? なら一緒に食べましょ」
アンがにこにこと隣の席を勧めてきた。ランチタイムとはいえまだ少々早いからか、カウンターには彼女たちだけ、四つあるテーブル席も一つも埋まっていない。
遅ればせながら、思わぬ形でアンに会えた嬉しさが込み上げてきた陽和美も、「はい!」と元気に従ったのだが――。
「あれ?」
プラスチック製の椅子に座ると同時に、先ほどと同じ反応をしてしまった。アンと徹が揃って食べているものを、今さらになって認識したからである。
「それって……」
「ええ」
「うん」
絵になる姿のまま、さらりと頷く二人。視界の端では、そんな様子を小日向夫妻もどこか微笑ましげに眺めている。
木製のスプーンを掲げたアンが、軽やかに答えた。
「かわせミール・フードのランチ。オートミールのお粥がメインなんだよ」




