レコーディング 3
翌日も陽和美は、午後から愛と行動をともにして、町内の各所を案内させてもらった。さすがに丸一日そばにいると向こうも気を遣ってしまうだろうし、愛の側からも、午前中は宿題に取り組んだり、前日撮影した写真のチェックに充てたいという申し出があったからだ。
かくして二人は今日も役場で待ち合わせ、先月行われた宝船祭りを取り仕切る『宝船神社』やかわせみ港内の魚市場、その市場に併設される、獲れたての魚介類を使った料理が食べられる食堂『魚厨房』などを訪れていた。
これまで同様、いずれの場所でも愛は真剣に写真を撮り、陽和美の方は彼女のマネージャーよろしく訪問先の人々に挨拶したり、事情を説明したりと、いつしか自然と役割分担もできている。ついでに言えば、行く先々にほぼ必ず陽和美と顔馴染みの町民がいるので、ときにはおやつや飲み物まで頂戴するなどして、どこでも二人は歓迎してもらえた。
意外な人物に出会ったのは、魚厨房で二人して、遅い昼食を取っていたときのことである。
「こんにちは、メグちゃん。久しぶりだね。陽和美さんもお疲れ様です」
「徹先生!」
「あ、徹さん」
港全体を見渡せる大きなガラス窓の脇で、隣のテーブルにひょいと現われたのは徹だった。同じく食事に来ていたようだ。例によって服装は少々――いや、かなり残念で、色こそ地味なピンクグレーだが、胸から腹にかけて大きく《パワー!》と記された、どこぞの芸人めいたTシャツを着ている。とはいえすっかり慣れてしまったので、もう陽和美も内心ですらつっこんだりはしない。
「あれ? 二人は知り合いなんですか?」
彼のTシャツなどより、「徹先生」という愛の呼び方が陽和美は気になった。
「ああ、そうなんですよ。アンちゃんのトレーニングを担当してたときに、何度か彼女もついてきたことがあって。あの頃から落ち着いてて、凄くちゃんとした子でしたけど」
「へえ」
どうやら愛は、アンを通じてトレーナー時代の徹を知っているようだ。
「メールもありがとう。ちょうど俺も夏休みだし、できることがあったら本当に遠慮しないでね。なんだったら、ここから自由に連れ回してくれてもいいし」
「はい、ありがとうございます!」
しれっと続ける徹と、めずらしくわかりやすい反応を示す愛。そうして詳しく聞いたところによれば、次のような話だった。
愛にとって徹は当時から、「アンお姉ちゃんの運動の先生」であると同時に、自分とも対等な目線で接してくれる、信頼できる大人だったらしい。また、現在は映像ディレクターをしていること、さらにはかわせみ町へ移住したことも知っているので、ボガプロの対象者に無事採用された時点で、すぐに連絡したのだという。
「けどメグちゃんはこの通り真面目だから、何か手伝ってくれとかアドバイスしてくれとかは、絶対に自分から言わないんです。映像と写真の違いはあるけど、一応僕だってプロなのに」
「い、いえ、そういうんじゃ……」
徹から苦笑混じりで明かされ、愛は恥ずかしそうにしている。昨日もそうだったが、こういう表情をするとより一層キュートに見える。
しかもおじさんとはいえ、黙ってればイケメンだもんね。
ひょっとしたら愛にとっては、なんとなく憧れる部分もあるのかもしれない。
可愛らしい姿を微笑ましく見つめるとともに、陽和美は徹の同行をOKすることにした。もとより《かわせみの豊かな自然や、町民との触れ合いを楽しんでもらう》というコンセプトがボガプロにはあるし、その町民は本人の言葉通り、近しいジャンルのプロなのだ。加えて、狭い町だからか徹もいつの間にか、平たち他の支援課メンバーとも顔馴染みになっている。何も問題はないだろう。
「ありがとうございます。ではメグちゃんのアシスタントとして、どうぞお任せを」
お得意の若干うさんくさい笑みでの感謝には、思わず苦笑するしかなかったが。
そんな徹が映像ディレクターらしい話を振ってきたのは、揃って魚厨房を出るタイミングでだった。
「陽和美さん」
「はい?」
「さっき食べてた『アジのたたき定食』、写真は撮りました?」
「え? ああ、はい。メグちゃんと一緒に」
自分も「メグちゃん」とごく自然に呼んでしまいながら、陽和美はきょとんと答えた。
魚厨房では、港町らしい新鮮な『アジのたたき定食』を二人して食したのだが、愛も「凄く美味しいです。お魚を食べてるって感じがするし、しょうがと大葉のお陰でさっぱりもしてるんですね」と、トオイ商店のときみたいに喜んで平らげてくれた。合わせてここまでと同じように、スマートフォンで何枚かの写真も取っておいたのだ。初日に愛からもらったアドバイスも思い出しながら撮ったので、少しはましになっているといいのだが。
すると徹は「オッケー。ナイス判断ですね」と、なぜか陽和美の活動も手伝うようなリアクションをよこしてくる。
「はい?」
どういうことだろうと陽和美が小首を傾げると、彼は「町の公式フォトグラ、できたんですよね。多分支援課さんの担当でしょうし、僕もフォローしてますから」と伝えてきた。さらに、
「使う使わないはともかく、かわせみらしい魚料理の写真とかは、素材として間違いないでしょう。他にもメリットはいろいろあると思います」
とも。
「なるほど。たしかに」
こういうところはさすがなのよね、と陽和美も素直に頷きを返す。これまたお得意の微妙に上から目線な感はあるが、そもそもこの人だし、何せ職業が映像ディレクターなのだ。言っている内容はじゅうぶんに理解できる。
「ていうか、フォローもありがとうございます。更新は持ち回りにしてもらいましたけど、ちょうど今月はうちの課が担当で」
「いえいえ。僕だって町民ですから」
またもやのうさんくさいスマイル。やれやれ、という笑みをごまかすためにも、陽和美は反対隣の愛へと視線を移した。
「次の大岩海岸で今日は終わりだね。メグちゃん、大丈夫? 疲れてない?」
「はい。全然大丈夫です」
変わらない落ち着いた声が返ってきたので、「よし、じゃあ行こっか。徹さんも乗っていきますよね」と二人を促し、陽和美は次の目的地へと向かうことにした。
そうして三日間が過ぎ、愛のボガプロ滞在における、実質的な最終日とも言える四日目。この日は今までと逆側になるかわせみ半島のつけ根付近、役場からもすぐの、JRかわせみ駅近辺で陽和美たちは活動していた。
例によって昼食込みでの午後からのスケジュールには、当然のように徹も合流。しかも彼は、駅前のピザ屋で取ったその昼食代を、
「メグちゃんに、いいところを見せたいからね」
と愛に笑いかけながら、ぽんと全員ぶん支払ってくれたりもした。ボガプロの割引券が使えるとはいえ、気前のいいことである。貧乏小役人の陽和美が恐縮しつつも、
やった! お昼代浮いた!
などと内心でガッツポーズしてしまったのは、ここだけの話だ。
いずれにせよ最終日も順調だと思われた矢先に、だが事件は起きた。
『しらすピザ』や『イカの塩辛ピザ』といった、昨日の魚厨房同様にかわせみ町らしいメニューを徹にご馳走してもらったあと、三人は愛の希望もあってJRの線路脇、小さな踏切のそばを目指し歩き出していた。以前にアンも言っていたが、愛は鉄道の写真も好きなようで、
「駅の方で、電車も撮っていいですか」
と、前日に自分から申告してくれたのである。もちろん陽和美と徹に否やはないし、これまでと違って徒歩移動なので、車の置き場所を探す必要もない。
「あっちの踏切の近くとかどうかな。土手が途切れてて、電車もよく見えるはずだよ」
「俺も賛成だ。アングルもかなりよさげだね」
などと大人二人のアドバイスを受けた愛は、該当する場所が目に入ると「うん、いいかも」とつぶやき、小走りでそちらに寄っていった。愛用の一眼レフを抱え、リュックを揺らす後ろ姿からは、心底写真が好きな気持ちが伝わってくる。
しかし。
そんな彼女が、足を止めて突然叫んだのだった。
「何やってんのよ! そこは立ち入り禁止でしょう!」
初めて聞く愛の大声に、陽和美たちも慌てて駆け寄る。愛の視線は少し先、遠くにトンネルを望む土手のあたりに向けられている。線路はその上、歩道から二メートルほど高い場所に位置し、安全のため土手と歩道の間には小さな柵も設けてあるが――。
「あっ!」
「おいおい」
同時に目を見開いて、陽和美と徹は理解した。
愛が見据える土手の中ほどに、彼女と同世代くらいの少年が二人立っていたのである。片方の手には愛と同じような一眼レフタイプのカメラ、もう片方も、コンデジっぽいがやはりカメラを持っている。やっていることは明らかだ。柵を越え立ち入り禁止区域に侵入しての、危険で迷惑な撮り鉄行為。
役場職員として、いや、それ以前に一人の大人として陽和美も注意しなければと思ったとき。
「うるせーぞ、ブス!」
信じられない台詞が聞こえてきた。
「つーかお前、どこ中だよ? かわ中じゃねえよな」
「よそもんの女が、偉そうに説教してんじゃねーよ」
かわ中=かわせみ中学の生徒だとみずから白状してしまっている一眼レフの少年は、ひょろっとした体型で頭にバンダナを巻いた、いかにも撮り鉄ですという格好。コンデジの方は逆に肥満気味で、にきびの目立つ顔からも精悍さはまるで感じられない。着ている服はともによれよれのTシャツだし、二人揃ってなかなかにダサい、まさにザ・田舎の中学生という感じだ。
「ちょっと、君たち――」
さらに近寄って声をかけようとした陽和美だったが、事態は予想外の展開を見せた。
「そういうことするから、真面目に写真やってる人たちまで変な目で見られちゃうんじゃない」
堂々と言い返した愛がなんと、証拠写真とばかりに少年たちの姿を素早くカメラに収めたのである。
「あっ! てめえ!」
「勝手な真似してんじゃねえよ!」
慌てた少年たちが、土手を駆け下りて愛に迫る。しかも二人はあろうことか、「消せよ、今の!」というバンダナ少年の怒声とともに、両側からそれぞれ愛の手首を掴みにかかった。むしろ自分たちのやましさを完全に認める言動のうえ、手首を握っただけとはいえ、女子への暴力行為という恥ずかしすぎる罪まで重ねてしまっている。
「おい!」
普段は飄々としている徹ですら、さすがに厳しい声を発した刹那。
「痛い! 何すんのよ!」
鋭い抗議とともに愛がふたたび素早く動いた。少年たちを振り払い、とびすさるように離れる。そのまま流れるような動作で背中のリュックをずらした彼女は、脇のボトルポケットに挿してあった、リップスティックのような物体を手に取った。
シュッ! シュッ!
二度にわたるスプレー音。合わせて響き渡る悲鳴。
「うわああああ!」
「いてえええ! 目、目が!」
さっきまでの威勢はどこへやら、二人の少年は顔面を押さえて悶絶し始めた。咳き込み、涙声になり、前屈みで苦しむ様は土下座しているかのようにも見える。どうやら愛は、護身用の催涙スプレーか何かを持ち歩いていたようだ。
「先に手を出したのはそっちなんだから、立派な正当防衛でしょ。あんたたちみたいなイキってるクソガキが私は一番嫌いなの。しかもルールを守れないばかりか、注意する女性をブス呼ばわり。ほんと最っ低」
いつも以上に落ち着いた、むしろ冷たささえ感じる口調から、愛の怒りのほどが伝わってくる。あ然とするあまり動きを止めてしまった陽和美の眼前で、とどめとばかりに華奢な右手が振り上げられる。
「そんなに消して欲しいなら、記憶ごと消してあげる」
パンチか平手打ちかはわからないが、正当防衛どころではないお仕置きを加えようとしている彼女を、すんでのところで諫めてくれたのは徹だった。
「ストップ。これ以上やると、逆に君が暴力を揮ったことになっちゃうよ。そんなメグちゃん、俺は見たくないな」
憧れのおじさんに、少年たちとはまったく違う優しさで腕を掴まれ、愛はようやく我に返ったらしい。
「あ……。ご、ごめんなさい、徹先生」
「謝る必要はないけどね。悪いのは彼らなんだから。けど、いつもの可愛いメグちゃんが俺は好きだから」
「は、はい!」
このときばかりは、徹のうさんくさい態度もありがたかった。同じく我に返った陽和美もすぐさま少年たちの住所氏名を確認、保護者と役場に連絡し、事態の収拾に向けて動き出した。




