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1-7 予想外のお客様が来る



 再び商会本部の商会長室。

 ソフィアが扉を閉めると、部屋の中に気まずい空気が横たわる。


 バスタオルを頭から被り、その隙間から目の前の夫人を睨みつけるウィステリア。その目線を全身に受けながら立つ王妃スピカ。


 雨雲ですっかり暗くなった窓の景色も相俟ってなのか、部屋の雰囲気は重い鼠色である。


「ありがとう、ソフィアちゃん」

「いえ!とんでもございませんわ。ですが、ご連絡頂けたらこちらから出向きましたのに」


 スピカはソフィアに謝意を込めた笑みを向けた。雨の湿気で黒髪が萎れてしまったせいもあるだろう、その微笑は疲れ切っているように見えた。幼い頃に祖父に連れられ、よく兄と共に王城を訪ねたものだが、その頃に見た毅然とした王妃陛下の姿とは程遠い。

 しかしそれも束の間、スピカは厳しい面相になるとウィステリアの手を取り言った。


「今すぐ王城に向かいます。ついてらっしゃい。異論は許しませんわ」

「はぁっ!?」

「お、王妃陛下?」


 まるで母親が我儘な子を叱りつけるような声色だった。


「離せよ!」

「貴女は紛れもなく陛下の御子であり王家の一人。在るべきところで王族の務めを果たさねばなりませんわ!」

「お待ち下さい王妃様!」


 ソフィアが仲裁に入った瞬間、ウィステリアはスピカの手を素早く振り払った。


「胸糞悪りぃ!」


 少女はスピカをひと睨みすると荒々しく扉を開けて部屋から去っていった。


 少し慣れたソフィアとは裏腹に、スピカは粗暴な彼女に目を丸くしていた。


「今のが王女なの…?」

「えぇ。スラム街暮らしが長かったそうで…」

「なら、尚更教育をし直さなければ。あの歳ならまだ間に合うはずよ」

「落ち着いてくださいませ王妃様。彼女のことは伯爵家が責任持ってお守り致します。ウィステリア様はまだ母君を亡くされて間もないのです」

 

 慌ただしい心臓を宥めながら、ソフィアは必死にスピカを説得した。


「だからこそよ!わたくしが王女をきちんと保護しなければならないの!」


 王妃のヒステリックな声は止まらない。しかし最後は絞り出すような音となって溢れた。


「そうでなければ…エミリアさんに顔向けできないわ……」

「え…」


 スピカの顔は痛みに苦しむかのように歪み、両手で覆われた。


 この国には魔術師が運営するワープスポットが点在しているので、王都から此処・マロンベール領に移動することは容易い。けれどこの天候で、且つ憎き恋敵の娘のために、わざわざ王妃が訪れることがあるのだろうか。ソフィアに勧められ部屋の長椅子に腰を下ろした王妃は疲弊した様子で「取り乱してごめんなさい」と謝罪した。


「つい先程、陛下から王女のことを聞いたばかりで…。まったく愚かね、わたくしは。彼女のことを知った途端、何も考えず公務も投げ出して此処に押しかけてしまった。しかも彼女の気持ちも慮らずにわたくしの意思を押し付けて…。ソフィアちゃんにも申し訳ないわ」

「いえ!気が動転してしまうのは当然ですもの」


 ソフィアは努めて明るい声を張り上げたが、スピカの表情は晴れない。


「王妃陛下、“エミリアさんに顔向けできない”というのは…」

「………そのままの意味よ…。王女がエミリアさんの御息女だということは見れば分かるわ。そっくりだもの。彼女が亡くなってしまった今、立場として王女を守れるのはわたくしだけなのだからしっかりしなくてはならないわ」


 髪を掻き上げ眉間に皺を寄せる姿は、ただ責務を全うしようとしているだけの冷徹な人間には見えない。


「王妃様は側妃様を憎んでいたのではないのですか?」


 言ってしまってからソフィアは口を塞いだ。自分は王妃陛下の誠実な人柄を知っているのに、噂を鵜呑みにした質問をしてしまった。いくらなんでも不敬罪になるのでは。


「そんなことあるわけないわ。これは全てわたくし自身の弱さ・未熟さが招いたこと。それにエミリアさんは本当は強く優しいひとだったのよ…」


(どういうこと?)

 

 疲弊した微笑で項垂れるスピカを見つめる。


 スピカの今の言葉は噂のように側妃を憎んでいるようには聞こえない。


 もちろん、ソフィアは直接スピカと触れ合ってきて、私怨で人に当たるような軽率な人間ではないことは理解していた。しかし噂を全て事実無根だと主張する自信もなかった。


 だからこそ今の彼女の言動に違和感がある。


 側妃の娘を自ら迎えに来て城で引き取ろうとするスピカ。姿をくらませた側妃を追跡しなかったスピカ。


 彼女の真意は…


「王妃様は、エミリア様を好いていたのですか?」


 ぱっと驚いたようにソフィアをスピカは見上げた。


「…初めてよ。()()()()()()()()()()のは」


 王妃の表情にふわりと喜悦の色がかかる。


「えっ。ほ、本当に?」

「ふふ、貴女が言ったのに。…そうなの。彼女とは和解していたのよ。エミリアが心から私を許してくれていたかはもう分からないことだけれど…。きっとあの子なら『もういいじゃないの!』と言って笑い飛ばしてしまうでしょうね」

「えっとぉ、どういうことなんです…??」


 外からはシトシトと雨音が聞こえてきている。


「エミリアが王宮から姿を消した後、陛下は彼女の捜索に兵を出動させたわ。そして無事にエミリアとその娘を発見し、王宮で保護をしようとした。けれど彼女はこれを拒否した」


 それはソフィアでも知らない話だった。


「陛下は深く傷つかれ、その間に彼女はまた姿をくらませたの。エミリアは腕の良い魔術師でもあった。あっという間の出来事だったわ。そしてその数年後のことよ」


 スピカは静かに、でもハキハキとした口調で話し続けた。




───王妃直属の騎士団が、スラム街で細々と暮らすエミリア母娘を見つけた。スピカは国王に報告する前に、接触を申し入れた。驚くべきことにエミリアはその要請を断らなかった。


『お久しぶりですね、王妃陛下』


 再会したエミリアはスピカに穏やかな笑みを向ける。そこには、ただ怯える少女ではなく母の目をした女性がいた。言葉を交わせば、彼女が以前と変わったのが分かった。


 スピカは彼女ら母娘に王宮に戻ることを強く提案した。


『ご息女のためにも王宮に戻るべきだわ。陛下も貴女や王女を待ち望んでおられるのよ』

『ですがもう私には陛下のもとに戻る資格はありません』


 それは淡白とした答えだった。対してスピカは語気を強めて言った。


『なら、わたくしがサポートいたしますから!』

『へ?』


 エミリアがぽかんと口を開けた。


側妃あなたを捨て駒にしようとしていた大臣はわたくしがしめておきましたし、侍女も解雇いたしましたし、貴女の容姿と立場に合うデザインができる針子を手配しましたし、周りからわたくし達の不仲説を消し去るような公務の役割分担のスケジュールも調整しましたし、貴女の好きなエクレアの職人も採用しましたし、お部屋も可愛くしておきましたし、息子も王女に会いたがってますし、わたくしとお喋りするためのガーデンテーブルも手配しましたし!!』

『ちょ、ちょっと待ってください!』

『はい』

『も、もしかして王妃陛下の今までの厳しいお言葉は全て私のためと思ってのことだったんですか!?』

『…逆にどんな思惑がありますの?』


 エミリアは目を見開いてフリーズしたあと、豪快に吹き出した。王宮では絶対に見せなかった呵呵大笑だった。


『不器用すぎますって!あの言い方は誰でも勘違いしますよ!』

『えぇ?』


 顔を真っ赤に染めたスピカの前で笑い転げたエミリアは涙を拭いながら呼吸を整えた。


『良かったぁ。私スピカ様から嫌われてたわけじゃなかったんですね。安心しました』

『なら王宮に戻ってきてくれる?』

『………いえ。王宮には戻りません』

『何故!?』


 母となった彼女は凛とした瞳で語りかけた。


『私にはもうあのがいます。それ相応の覚悟を持ってアル様と別れ王宮から去ったんです。なのに手のひら返しで帰るなんてこと、私の矜持が許しません。娘と外の世界(ここ)で生きていくと決めたんです。なのでもうあそこには戻りません』


 その強さと覚悟を携えた微笑みに、スピカはもう何も言えなかった。


 彼女の家から出るとき、エミリアはスピカと抱擁を交わした。


『スピカ様。あんな啖呵を切っておいて恥ずかしいですが、私にもし何かあったときは娘を…ウィステリアをお願いします』

『…? えぇ、勿論よ』


 そうして、スピカがエミリアと話したのはそれが最後となった。






スピカ『先程のお嬢さんがウィステリアちゃん?』

エミリア『はい、目とかアル様に似てません?』

スピカ『よく分かるわ。あの澄んだアメジストの奥に讃えた聡明さが陛下そっくりだもの…』

エミリア『(この人も大概、アル様にベタ惚れだよなぁ…)』



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