1-6 信頼されたい
「えーっと、そちらの美少女は一体…」
見慣れた面々が慌ただしく働く商会本部。
そこに現れた少女会長とその後ろで野良猫のように鋭い目つきの見慣れない美少女。
無論、全員の視線が集まる。
しまった、建前を考えておくの忘れてた。
「その…縁戚のお嬢様の、リア様。今日ここにきたのは…えっと、行儀見習いの一環よ」
「場所のセレクトが独特だね!?」
「ま、まぁまぁ落ち着いてナイロ。この御方は本当に普通のご令嬢だから」
「そっか…。妖精みたいに綺麗な子だからびっくりしちゃったよ」
なんとか誤魔化そうとするソフィアにナイロが至って真剣な表情で相槌を打つ。少し離れたところでアデルとオーリーが顔を突き合わせる。
「……あの娘って、この前騎士団の人が言ってた『スラム街で暴走してた…』ですよね?」
「間違いないね…。まぁでも会長も隠そうとしてるし、分かってない体でいくか。ナイロを見習って」
「いやいやナイロ君、アレ明らかに素で分かってないですよね?」
「………」
オーリーが苦笑いを浮かべて押し黙った。
今いるのは、マロンベール商会の本部の2階の事務所室。三十坪ほどありそうな広い部屋に仕事用の机が何列かになってたくさん並べられており、従業員たちが忙しそうに動き回っている。そして部屋の奥にはソフィアたちが先程消えていった「商会長室」がある。部屋の入り口近くの角には応客用のテーブルとソファが揃えられていた。
ソフィアからおもてなしを言い渡されたナイロは、その応接場のソファに座ったウィステリアの前にお茶と焼き菓子を出した。
「なにこれ」
「紅茶とお菓子。最近のお嬢さまは食べないの?」
ウィステリアは出されたお菓子をまじまじと観察した。スラム街ではもちろん見たことがない。
「おーい、ノノも食うかー?」
ナイロが、応接場とすぐ横にある本棚との間の衝立に声をかける。するとその影からのっそりと現れたのは茶髪が綺麗な一人の少女だった。
「あ、リアさま、僕の妹のノノです。ちょっと喋れないんだけど、仲良くしてやってください」
ノノは兄に紹介されると小動物のような動きでぴょこんと頭を下げた。
しかしウィステリアは衝撃のあまり目が離せなかった。
彼女の端正な顔立ちに、ではない。少女の左頬に、口の左端から耳の付け根あたりにかけて、大きな傷跡が走っていたからである。
驚きのあまり言葉を失ったウィステリアは、ノノが隣に腰掛けても何も言えなかった。
向かいのソファに座ったナイロは妹の顔の傷のことに触れずにいたので、兄妹間では、それは当たり前のことなのだろうと解釈できた。けれどこんなウィステリアよりも幼い少女の顔に刃傷があるのはどう考えてもおかしい。
今の視野の狭まっているウィステリアの思考では、ある一つの仮説が浮かんだ。
広い事務所を改めて見回す。
働き回る従業員たちの多くはソフィアと同じくらいの子供であり、ウィステリアよりも幼い子が一生懸命になって書類の山を運んでいる。
そしてまた紅茶を小さい口で啜るノノを見つめた。
「その顔のは、あの女にやられたの?」
「……へっ?」
目を見開き驚くノノに代わって、ナイロがすっとんきょうな声を出す。声を荒あげ、立ち上がるウィステリア。
「あのソフィアって女が、アンタに傷つけたんだろ。あんな小ちゃい子供までこき使うヤツなんだから。最低!だからやっぱり貴族は信用できない…!」
「ちょちょ、ちょっと待って!なんかよくわかんないけど誤解だよ。会長がそんなことする訳ないよ!」
ナイロが慌てて少女の言葉を訂正するが、彼女の険しい表情は晴れない。
ウィステリアは自分の身を守るため、ソフィアの弱みや情報を握る必要があると判断した。だからこそこの商会に押しかけたのだ。つまりは、ウィステリアはソフィアが何か劣悪非道な事をしていると思いたかった。
「うそ!」
「嘘じゃない。むしろ会長は助けてくれたんだ」
「たすけ…?」
てっきりソフィアの裏の顔を掴めたかと思いきや、ナイロの事情を語る表情はとても穏やかだった。
「うん。そうだよ。ここで働いてる子供達はみんなもともとスラム街で暮らしてたんだ。けど会長がスカウトに来てね。僕らを雇ってくれたんだ。……へへ、今思い出しても変な人だったなぁ」
「じゃあ、この子のこの傷は…」
「これは昔、暴漢に襲われて付けられたものだよ。誓って会長がつけたものじゃない」
隣のノノが千切れんばかりに首を縦に振る。
「ほんとに…?あの女がアナタたちにイジワルしてるんじゃないってこと?」
「イジワルどころか僕らの恩人だよ」
さっきまでの勢いもすっかり萎んでしまったウィステリアは、力無くソファに座り込んむ。
「会長の縁戚のお嬢様にこんなこと言ったら失礼かもだけど、なんだか僕らと似ているね」
「…うるさい。私もスラム孤児だって言うの?」
「はは。その口調もだけど、なんか、その“何かに頼りたいけど頼り方も分からない”みたいな感じかな」
よく分かるよ、と笑ったナイロの言葉に嘘はないように思えた。
「貴族に嫌なヤツはもちろんいるけど、あの人は違うと思う。頼っていいんじゃないかなぁ」
同じくスラムの経験があるからだろうか。ソフィアより信頼できる気がした。
ナイロの話やノノの笑顔を見てしまった今、ウィステリアはソフィアに対する考えを改め始めていた。
「うん。流石の出来ね。工房に報酬をきっちり払っておいてね」
「はいよ」
「あとでみんなにも見てもらいましょう」
今考えている新商品の模型を隅々まで確認し、ソフィアは微笑んだ。それに対しロゼは試作品確認の項目にレ点を書き込む。
本部にありソフィアの私室である商会長室。その部屋で二人は連携している工房からの模型を確認していた。
手に馴染むかを試していたソフィアに、ロゼが片肘をついて話しかける。
「ところで」
「ん?」
「あの縁戚のお嬢様とは上手くやれてんのか?」
「…」
(こいつ分かって言ってるわね)
じとり、と睨んでみたが、ロゼは余裕の表情を浮かべている。だがロゼを信用していないわけではないので、そのまま話を合わせることにした。
「そうね。縁戚のお嬢様のことだけれど…。そんなに簡単に信用して貰える関係にはなれないわよね。当然だけど。食事だって普通に食べてくれないのよ。私かアンナが毒味をしないと」
「へぇ。そりゃあ筋金入りの人間不信だな」
「笑い事じゃないわよまったく。これじゃあ今後、自立するのが難しくなるわ」
「ずっと伯爵家で保護するんじゃないのか?」
「犬猫じゃないんだから。伯爵家だろうがどこだろうが、食事くらいを普通にできるようになって欲しいわよ」
そこまでぼやいて、ふとナイロにおもてなしを任せた後のことを想像して「あー…」と呟く。
「あの感じじゃ、きっと茶菓子にも手をつけてないわね。ナイロに上手く伝えておくべきだったわ」
部屋を出て応接場の様子を見に向かう。
「茶菓子も警戒すんのか?さすがにそれはないだろ」
「いーや、あの王…お嬢様を舐めてかかったら引っ掻かれるわよ」
「何があったんだよ…」と呆れるロゼを置いて、衝立の先を覗き込むと、ソフィアは硬直した。
「あ、会長。このマドレーヌにハチミツかけたら美味しくなると思いません?」
「…」
「会長ー、無視しないでー」
「…毒味は?」
「物騒なこと言わないでよ。毒も入れてないのに毒味なんてする?」
「ほらそんな警戒することねぇじゃねぇか」
ノノの隣でソファに身を沈めていたウィステリアの口元はマドレーヌを含んでもくもくと動いている。え、リスみたい可愛い。
ソフィアと目があったウィステリアは気まずそうに、そして少し照れて、お菓子を飲み下した。
「………別に、アンタが私に毒を盛ることはないって、思っただけ」
「…!!」
ただ出された茶菓子を食べただけ。ただそれだけなのに、ソフィアの胸はほわほわと暖まっていく。
(どういう心境の変化かしら?少しは気を許してくれたってこと?でもとにかく、良かった…)
感動のあまり滲んできた涙をそっと拭う。
「え、なに会長どうしたの?急に娘の結婚を涙ぐむ父親みたいなことになってるよ」
「そこ何で父親なのよ。せめて母にしてよ」
「論点そこか?」
用事を終えたソフィアはウィステリアと共に商会を出た。
外は土砂降りになっていたので馬車が来るのを玄関の屋根の下で待つ。
心なしか二人の間の距離が(物理的に)縮んだ気がして、ソフィアはそわそわと嬉しくなった。ウィステリアの美しい吊り目でさえいじらしく可愛いと思える。
「雨ですねぇ」
天気は悪くとも心は晴れ模様なソフィアは雨さえ楽しい気分でそう呟いた。
「……」
やはりまだ返事はないか、と少女を見遣ったとき、異変に気づく。
ウィステリアが、傘を差して行き交う人々の一点を息を呑んで見つめていたのだ。
紺色の傘の、白銀の髪を束ねた女性の後ろ姿。
「どうかしまし、」
「………ママ」
「え?」
「ママッ!」
「ウィステリアさま!」
すると弾けたようにして少女は雨の中に飛び出した。
「待ってママ!行かないで、置いていかないで!」
人混みを縫って走りながら、その背中を追い続けるウィステリア。雨粒は容赦なく彼女に刺さり続ける。ソフィアもぶつかる通行人に謝りながらなんとか追いつこうとするがどんどん突き放されていってしまう。
白銀髪の女性にあと少しで触れられる、というところで横から人が歩いてきて、ウィステリアはその人物の腹に鼻をぶつけた。
「貴女、大丈夫?」
上品な意匠の傘を差した艶やかな黒髪の女性。
突然衝突してきたウィステリアに目線を合わせて安否を問う。
「避けてよ!ママがッーーー」
隙間からその先を覗き込む。先を歩いていく女性の偶然見えた横顔はまったくの別人だった。
伸ばしたウィステリアの白い腕がだらりと落ちる。
「…待って?貴女、もしかして…」
ウィステリアの肩を、掴んだ夫人は少女の顔を覗き込んだ。
その二人に息を切らしながら追いついたソフィアは驚きの声をあげる。
「お、王妃陛下!?」
「……え?」
「ソフィアちゃん?」
ウィステリアの肩に手を置いていたのは、目を見開いたこの国の王妃だった。
暗い話が続いてしまいすみません…。
もう少しだけお付き合いくださいm( -ω- )m