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1-5 そばにいた


 エミリアとアルクトゥルスは幸せだった。




 学園で初めて出逢った二人は引き合うようにして互いに恋に落ちた。


 しかしアルクトゥルスはこの国の王太子で、エミリアはしがない子爵令嬢だった。


 アルクトゥルスには美しい婚約者もいる。


 でもエミリアは諦めて忘れることなんてできなくて。


 アルクトゥルスもエミリアから目が離せなくて。


 貴族らしくわきまえながら、教室で挨拶を交わした。

 魔法の操作を教え合った。

 友人たちを巻き込んで一緒に遊ぶようになった。

 人目を忍んで二人で会うようになった。


 身分差も、婚約者がいることも、許されないことだった。


 けれど二人は幸せだった。


 授業終わりに二人だけで視線を絡め合う日も。

 二人でアルクトゥルスの婚約者の公爵令嬢からこっそり逃げていった日も。

 平民のふりをして下町で思い切り遊んだ日も。


 運命だと思えたのだ。


 どんな過酷な未来が待っていようと二人は引き裂かれないのだと信じていた。


 それでも現実は残酷だった。


「ねぇ…どうしてもダメなの…?」

「すまない、エミリア…。彼女は公務のパートナーとしては申し分ないと父が言っていた。結婚はこの国のためには避けられないことだと…。すまない…」

「そんな……」

「でも、待っていてくれないかエミリア。どれだけ時間がかかろうとも、必ず君を迎えに行くから」

「アルさまッ……!」


 全身が引き裂かれるような悲しみも、彼の言葉や眼差しでほどけていく。


 二人はひしと抱き合ったまま、将来を誓い合った。


 学園を卒業するとアルクトゥルスとその婚約者の結婚式が行われた。国を挙げての盛大な式だった。


 その一年後、エミリアは側妃として後宮に迎えられた。耐えた甲斐があったと、二人は涙を浮かべて喜びあった。


「アルさま!」

「あぁ!ようやく君と共になることができた。もう大丈夫だよ、私達を悪く言うものはいないのだから」


 遠くから見た正妃の腕には産まれたばかりの王子が眠っていた。アルクトゥルスが言ったのは、君主としての役目の一つを果たしたからだと言う。幼子の存在にエミリアの胸は鷲掴みにされたように痛んだが、子に罪はないという事実と、これからの生活を思えば心が踊って軽くなった。


 



 でもそれは勘違いだった。


「そんな振る舞いで陛下の隣が相応しいと?笑わせないでくださる?」

「スピカさま…」

「『スピカさま』だなんて馴れ馴れしいわね。『王妃陛下』よ。他の者に示しがつかないわ。ちゃんとしてちょうだい」

「も、申し訳ありません…王妃陛下…」


 後宮に入ってからスピカ、王妃陛下と顔を合わせるたびに厳しい言葉を投げかけられた。


「そんな格好で夜会に出るというの?退がりなさい、恥晒しよ」


「陛下の寵愛を受けているからって貴女も臣下の一人なのよ、弁えることね。それとも貴女は本当に売女なのかしら?」


「あの大臣と関わるのはやめなさい。貴女のような能無しは食い物にされるだけよ」


「今後一切、王子ホーマルハウトの部屋には近づかないで。嫉妬で王子殺しを企んだと疑われるわよ?」



 アルクトゥルスは、どんなに公務が忙しくても毎日のようにエミリアのもとへ足を運んでくれた。


「スピカがそんなことを?…分かった。私の方から言っておくよ。大丈夫。エミリアはなんの心配もしなくて良い。私のそばにいてくれるだけで良いんだよ」


 彼の温もりを感じているときは、きっとこの困難も乗り越えていけると信じられた。


 けれど朝が来て側妃として後宮を歩くと酷く心細くなり、ドレスが重い枷のように感じた。


 王妃陛下の小言は日に日にエスカレートしていく。


 遠くに彼女の姿を認めただけで血の気が引き、腹部が鉛を飲み込んだように痛み重くなる。


「あら…この側妃様はまた…」


 侍女も味方とは限らなかった。


 常に妃として、主人として相応しいのか品定めをする視線が全身を刺す。


 少しでも『相応しくない』行動を取れば、その日のうちに末端の小間使いの少女にさえ伝わる。ドレスの裾を踏むことさえ許されない環境。


 そしていつ燃え盛った王妃の嫉妬の刃が自分に向けられるのか、分かったものではない。


 小さな子爵家でのびのびと育てられていたエミリアの精神は確実に削られていった。


「またスピカが?侍女も?そうか…私に出来ることはするけれど、エミリアも、スピカのことをそう過剰に恐れることはないよ。彼女も残忍な人間ではないから」


 そう困ったように笑ったアルクトゥルスにエミリアは見放されたように感じた。



 腹に命が宿ったことを悟った日、エミリアは絶望が喜びを押し潰したことを察した。


(この子が生まれたら、この後宮で生きていくの?嫉妬と軽蔑が常に向けられるこの城で?)


(王妃陛下はこの子をきっとよく思わない。もしかしたら存在さえ疎むかもしれない。アルさまだってどこまで私たちを守ってくれる?)


ーーこのままではこの子も殺されてしまう。





 エミリアは後宮から逃げ出した。


 人より多く持って生まれた魔力があったからこそできたことだった。


 王の子を宿しているとなれば、実家は頼れない。アルクトゥルスにもこの子のことは伝えなかった。




 市井では運良く優しい人々に助けられ、娘を産んだ。


 そこからは母娘二人で暮らしていった。


 ぱっちりとしたアメジスト色の瞳は、アルクトゥルス譲りのもの。拗ねると目をじとりと細めるところも彼そっくりだった。


「“ウィステリア”は、あの人が好きだと言った花の名前なの。遠い異国の地からの珍しい種だけど、小さな花がたくさん咲いているのが可愛らしいと。私も大好きな花よ」


 そういってウィステリアの髪を撫でる。娘も嬉しそうに頬をすり寄せてくる。


 エミリアとウィステリアは幸せだった。





 ウィステリアは母がときどきしてくれる若い頃の王子様との思い出を、わくわくした気持ちで聞いていた。そんな素敵な未来が自分にも来たらいいのに、と。


 なによりエミリアが幸せそうに話すから、ウィステリアは羨ましさまで感じた。


 けれどある日、母娘のもとを護衛を数人引き連れた一人の婦人が訪ねてきた。婦人はローブで顔や身なりを隠してはいたが、身分の高い人であることはウィステリアにもなんとなく分かった。


 人見知りのウィステリアは思わず母のスカートの裾を掴んで後ろに隠れる。


 そのとき、エミリアの腕が震え、そして拳を固く握りしめたのを見た。

 

「王妃陛下…」

「………」


 母と婦人はじっと互いを見つめ合い、硬直した空気が辺りに満ちる。


 先に動いたのはエミリアの方で、ウィステリアに「向こうで遊んできなさい」と有無を言わさずに娘を追いやった。


 いつも温厚な母のその気迫に、ウィステリアは慌てて逃げるようにその場を離れた。


 けれど不安は拭えず、おんぼろ屋根の家の裏でじっと婦人の帰宅と母の「おかえり」を待った。


 日が降り始めたころ、家から婦人が出てきて、それを見送るためか、母が姿を現す。護衛の騎士たちに囲まれた婦人はフードを目深に被り、エミリアに会釈して去って行った。


 婦人の姿が見えなくなったとき、母が膝から崩れ落ちた。驚き慌てて駆け寄ったウィステリアに、エミリアは無理矢理作った微笑みで答える。娘に言い聞かせるかのように「大丈夫よ」と。


 ウィステリアはあの婦人に比べて何倍も細い母の腕やこけた頬を見て、初めて母がか弱そうに思えた。


 その日を皮切りにエミリアは体調を崩すことが多くなった。


 数年の苦労や無理が祟って病に(おか)されたのだということは誰の目にも明らかだったが、幼いウィステリアに出来ることは少なかった。


「ママしっかりして!今お医者さん連れて来るから…!!」


 老婆のようになってしまった母の手を握り懸命に励ますが、見返すエミリアの瞳に生気がなくなりかけていた。


「ウィステリア…よく聞いて…」

「ママ?なに?」


 震える手でそっとウィステリアの髪を撫でる。一人になる恐怖を目の前にしながらも、涙を堪えて出来ることを探す娘を、愛おしそうな手つきで。


「髪のケアはサボっちゃダメよ…」

「それ絶対今じゃないよね!?」


 エミリアは優しい笑みを浮かべて続けた。


「やっと眉間の皺を解いてくれたわね」

「! ママ…」

「ごめんなさいね、ウィステリア。でも髪のケア以上に大切なことがあるのよ…」


 自分の頬を撫でる母の手をそっと両手で包む。じっとエミリアの言葉を根気強く待つ。


「あなたに辛い思いをさせてしまうけれど、どうか失望しないでね…。どんな環境でも、どんな状況でも、必ずあなたを助けようとしてくれてる人がいるから。どんなに信用できない人でも、どんなに厳しい物言いの人でも。それだけは忘れないでね…」


 ウィステリアはその言葉を脳の遠いところで聞いた気がした。


 徐々に冷たくなっていく母の手に、それどころではなくなっていたからだ。


 エミリアの手が両手からこぼれ落ちたとき、自分のなかの大きな何かを常に堰き止めていたものにヒビが入った。今思えばあれは身のうちに秘めた魔力だったのだろう。


 それから先のことはもう覚えていなかった。









「…リア…まっ…。ウィ…テリ…様ッ……………ウィステリアッ!!」


 その緊迫した声を聞いて弾かれるようにウィステリアは目を覚ました。


 目の前には髪の乱れたソフィアがウィステリアに覆い被さっており、その後ろに魔術師…確かハイターと言う名の男がほっと息を吐いて眼鏡をかけ直していた。


 ソフィアの手には魔力抑制の首輪がありそれをベットで眠っていたウィステリアの首にあてている。お陰で夢の余韻で暴走しそうな王女の魔力を止めることができた。


 ウィステリアが目を覚まして呼吸を整えているのを確認すると、ソフィアやハイター、もっと後ろにいたアンナや使用人たちも安堵の表情を浮かべる。


 無意識のうちに母の姿を求めた。けれどすぐにアレは過去の出来事になったのだと思い出す。


 身体は汗に包まれているといっても過言ではないほどにびっしょりだった。息も荒い。


 ソフィアはそっと首輪を王女の首から離した。膨大な魔力が噴き出す気配はもうない。


「痛いところや苦しいところはありませんか?」


 顔を覗き込んでくるソフィアにウィステリアは思い出したように慌てて距離を取った。


「うなされていたようなので起こしたのですわ。まぁ…とにかく大事にはなってないようで良かったですが…」


 体制を整えたソフィアは少女に困ったような苦笑を向けたあと、ハイターに礼を述べた。


「ありがとう、ハイター。貴方がすぐに魔術で抑え込んでくれなかったら危うかったわ」


 ウィステリアがうなされていたことでまたもや魔力の暴走が起きそうになっていたことを明言するのは避けておいた。この不安定な王女を気遣ってのことである。


「いえ、お役に立てたようで何よりです。せっかく人気店のバウムクーヘンを食べようとしていたとこで邪魔された甲斐がありました。さて、姫の疲労を回復する魔術もできますが…」


 ウィステリアを一瞥するとソフィアは被りを振った。善行であろうと無闇に手を出すべきではないだろうと。

 

 そして女主人は両の手を叩いて空気を変え、場を仕切り始めた。


「さ、みんな。ウィステリア様はお疲れなのだから各自持ち場に戻ってちょうだい!」


 ソフィアの明るい声に使用人たちは、ぱらぱらと部屋から出て行った。彼女はハイターとアンナを呼び寄せて指示を出す。


「ハイターは申し訳ないけど、しばらくこの部屋の近くですぐ対応できるように待機してて」

「え、私のバウムクーヘンは?」

「仕事してくださいよハイターさん」

「いやいやこの日のために取っておいたバウムクーヘンなんですよ。明日にしたら悪くなっちゃいますよ」

「魔術で凍らせといたらいいじゃないですか」

「あのねアンナ嬢。バウムクーヘンを凍結したらパサパサを超えてバスバスになるんだよ?」

「バスバスとは」


 生真面目そうな見た目をしておきながらバウムクーヘンに目がないハイターは凍ったバウムクーヘンの末路を語った。それをあしらい、「あとで切り分けて持って行ってあげますから」と答えるアンナ。


 それから今日の予定を思い出したソフィアが宣言する。


「ちょーっと私今から商会に出かけて来るわね!」

「今日はこのあと雨になりそうな雲模様ですよ?」

「あっズルい。私も今からバウムクーヘン食べてきます!」

「なに乗っかってるんですか」


 そのとき、怨霊まがいの視線を感じてソフィアはそろりと振り返った。


「…」


 ウィステリアが不満気な顔を浮かべている。


「えーっと、気分転換にウィステリア様も来ます?なんちゃって…」

「…いく」

「「「え?」」」


 聞き間違いかと、三人で顔を見合わせる。


「あたしも連れてけ!!」


 少女から飛び出したのはソフィアの予想の真逆の言葉だった。




ソフィア「私、幼い頃にバスバスのバウムクーヘン食べたことあるわよ」

ハイター「それ私が失敗したやつを間違ってお嬢様が食べたときですね。それから凍らせ禁止令を自分に設けましたよ」

アンナ「え、待ってください。バスバスってなんですか」

ソフィア「あの食感は…何と言うのかしらその……」

ハイター「得も言われぬあの味ですよね…」

アンナ「バスバスとは…」



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