1-1 領主代理になる
5年前まで、このマロンベール領の民達は領主の圧政に苦しめられていた。早くに息子夫婦を亡くし、遺された孫兄妹を育てながら自治もしていた伯爵が急病でこの世を去ると、圧政から解放された民は貴族学園で優秀だった伯爵の孫息子を新たな領主とした。
新しい主君の誕生に民は歓喜に包まれた。
その歓声を聞きながら、ソフィアは自分も新しいことを始めて、兄と民を支えようと決めた。
それがマロンベール商会だった。
家具や雑貨を開発し、領民にも手に取ってもらいやすい値段で販売する。
しかしただの貴族令嬢の発想で作った商品は大したものにはならないだろう。
そこでソフィアは自分が時々見る、不思議な〈夢〉から発想を得ることにした。
その〈夢〉ではソフィアの生きる世界とは全く違う世界で生きている〈私〉がいた。その別世界では素晴らしい発想の商品がひしめいていたのだ。そこで得たアイデアを使えば他には思いつけない物を作り出すことができる。
資金は貴族のコネを使って搾り出してきた。
人材は、道端で物乞いをする孤児たちを保護し、従業員として育てた。
そうしてソフィアは自らの商会を立ち上げ、領地を盛り上げていこうとした矢先だった。
「お嬢様、こちらにサインを」
「アンナ、それはお兄様の仕事よ」
「ですが今はお嬢様が領主さまでございます」
「代理よ」
兄がワガママ王子と留学に旅立ってから一週間。やっと看板を掲げた商会は従業員たちに任せっきりでろくに顔も出していない。今のところ運営は順調らしいが、ソフィアが楽しみにしていた商品開発と販売(と金儲け)はまだ叶っていない。
領主代理を押し付けられたからである。
「お嬢様…お仕事は早めにお済ませにならないと。再来年には貴族学園入学が迫っているのですから」
「仕事よりも学園生活よりも私は商品開発をしたいのよ!」
貴族の義務として、16歳になった貴族は王都にある貴族学園に入学して民を守り統べる者としてのアレコレを学ばなければならない。
ソフィアは今14歳。まだ2年の猶予はあるがそうのんびりとはしていられないらしい。
「まったくお嬢様は…」
呆れ顔でこちらを見るのはマロンベール家に仕えるソフィアの侍女のアンナだ。なかなかの毒婦だと思うのだが、スッキリとした性格がソフィアは気にっている。
「ねぇハイター、あなたの魔術でスパッと仕事を終わらせられないかしら?」
「ソフィアお嬢様、そんな限定的な魔術はありません」
グレーの髪を肩まで伸ばし眼鏡をかけたこの長身の男はマロンベール家専属の〈魔術師〉ハイターである。兄が「せめて魔術師は置いてくね」と、ハイターを屋敷に残してくれた。
アンナにネチネチと言われ、ハイターに呆れられ、ブーブー言いながら山積みの書類に領主のサインをしていく。早よ終われ。
すると執務室の扉がココンッと鳴り、返事も待たずに一人の青年が入ってきた。
「まぁロゼ。もうちょっと入室のときのマナーを気を付けてって言ったと思うのだけれど」
「だからノックはしただろ」
仏頂面でツカツカと部屋に入ってきたのはマロンベール商会を任せているロゼという男だった。
「ノックというのは入る側と入れる側の総意を表すものであって…」
「うるせぇな。分かったからコレ」
「ロゼさん。お嬢様になんて言葉使いを」
「いいわよアンナ。もういちいち気にしてらんないわ。ってこれは?」
「商会の予算案」
「なるほどね」
きちんとまとめられた帳簿を眺め、ソフィアの名前を記したあと、ロゼに手渡す。
「商会は順調なのね?」
「おー、客も徐々に増えてるしで問題なしだな」
「従業員たちも元気?」
「おう。皆楽しそうにしてるよ」
「それは良かったわ」
道の隅でうずくまっていた少年少女たちを連れて行って仕事を与え始めたころはソフィアも子供たちも不安だらけだった。
けれど職と家を与えるとなれば彼らは一生懸命に学び働いてくれた。
おかげでソフィアの夢である商会は順調である。
なのに。
「随分と物入りだな、会長」
机を除きこんで鼻で笑ったこの男の減給を検討した。
「忙しいのよ私」
「だな。大変なこった」
「ロゼさん、駄目ですよ。今のお嬢様を刺激しては」
「私は野生動物かなにかなのかしら?」
するとまたもや返事も待たないノックと同時に一人の笑顔の青年が入って来た。
彼はただの町人の服装をしているロゼと違って上質なビロードを使っている服に腕章やお高そうなサーベルを身につけている。
つまりは大貴族の服装だ。
「やあ、お邪魔するよソフィア」
「良い加減アポを取る行為を覚えてくれません?シリウス様」
こちらはシリウス=ディンラット様。実家のディンラット家は現王妃の生家である超エリート公爵家。その嫡男であるシリウス様も剣術・学問において群を抜く実力を持つ天才だ。ちなみに彼自身の性格は(環境や才能のせいでそうならざるを得なかったのか)魔王並みに腹黒である。
一応言っておくが、私とシリウス様の関係はただの幼馴染であり、それ以上でもそれ以下でもない。
素晴らしい造形の笑みのまま、当たり前のように応客用の長ソファに腰掛けてアンナが渋々と出した茶を美味しそうに啜った。
「…で?ロゼの用はこの書類だけなの?」
「このお坊ちゃんを普通にスルーできるの会長くらいだと思うぞ」
「だっていつものことだし」
「はは、照れるなぁ。じゃあ俺と婚約する?」
「シリウス様、お嬢様は別に褒めてないかと」
「アンナ、その殺気もうちょっと隠して。あと婚約とかシャレにならない冗談やめて下さい」
「えー?結構本気なんだけどな」
「お嬢様、このシリウス様の口を塞ぐ魔術を行使してもよろしいでしょうか」
「なんでハイターまでシリウス様を敵視してるのよ」
「お嬢様の兄上である伯爵が不在の今、お嬢様をこの虫からお守りできるのは我らだけですから」
「む、虫!?」
「もの凄い宣戦布告だねー」
「て言うか、お兄様は何を言ったのよ…」
呆れるソフィアと軽ーく笑い流したシリウス様。
そしてシリウス様を追い出そうと結託するアンナとハイターに、給与額をこっそり上げて書き直そうとしているロゼ。
ソフィアは至福の時間が今後しばらくは自分に訪れないことを静かに悟っていた。
いや、時間は作るものだからね?
領主代理だろうが、この癖強共に邪魔されようが、絶対に商品開発してみせるから。
そして自分に面倒ごとを押し付けた一番の元凶の姿を思い浮かべた。
ーーお兄様、貴方が不在でもマロンベール家は賑やかです。少し鬱陶しいくらいに。
読んでいただきありがとうございます。
続話更新ですが、誠に勝手ながら月一ペースとさせていただきます。気長に待っていただけますと助かります( ^ω^ )