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マドモアゼルの猟犬  作者: いぬもちしずと
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特別な狩り

 まどろみの中、僕は夢を見ている。

 目の前に血に染まった鹿が横たわり、苦しそうにもがいている。

 バタバタと足掻く脚は土を削るが、地面と反対側の脚は虚しく空を掻いていた。


 ガササ……。


 僕は気配を感じて顔を上げると、その視線の先には子鹿が居てコチラを見ていた。

 僕に怒りを向けているのか、親鹿の苦しむ姿をどうする事も出来ずに見守っているのか、子鹿の表情からその心境を悟る事はできない。


 僕が初めて銃を持って父親の猟に同行したのは十歳の春だった。

 その年齢の子供にとっても猟銃は長くて重く、背中に背負っても十分な重みを感じていた。

 そして、その銃身は熱を帯びて後頭部をヒリヒリと熱している。


「……とうさん」

 僕は助けを求める様に傍に立つ父を見上げた。

 父は何も言わなかった。

 黙って見守っているが、僕が右手に握ったナイフを手放す事は許してはくれなさそうだった。

 流れ出る鹿の血が足元を濡らし、血の匂いに混じる土、その匂いが僕の吐き気を誘った。

 動悸が激しくなり、口元から漏れる吐息のリズムが、鹿のそれと合わさると、僕の目には涙が溢れた……。

 ゆっくりとナイフを持った右手を振り上げ、数秒か数分か……空白の時を挟んで、絶望と苦しみに満ちた鹿の表情から目を離さなかった。

 それが僕への罰だと思ったから、目を離す事はしなかった。

 僕は力の限りナイフを振り下ろした。


 バシィ!


「痛い!」

 僕は思わず声を上げた。夢から覚めると目の前にはリゼットが腕を組んで立っている。

「何時まで寝ているの! お寝坊さんね!」

「……夕方まで休んでろと言ったじゃないか……」

 リゼットが窓を指差すと、外はすっかり陽が落ちて暗くなっている事に気付いた。

 綺麗な満月が見える。


「ああ⁉ もう夜なの? ……ごめんよお嬢様。もっと早く起こしてくれればよかったのに」

 ビッと、僕の目の前に指先を突き付けるとリゼットは言った。

「そういうのはアナタの仕事ですの!」

「うっ……それはそうだけど……」

 僕は猟師一家の生まれで、名家であるリゼットの実家のお抱えだった。

 時折、獲物を仕留めては毛皮や肉を卸していた。

 彼女の父親は有名な学者で、小さい頃から家の仕事を手伝う僕に、学校に通えないのは可哀想だと簡単な授業をしてくれていた。

 その授業は楽しく、貧乏な猟師の子にしては読み書きもできるし、商売に最低限必要な計算も、ちょっとした歴史だって知っている。

 本当にありがたかったので、そのお礼に幼馴染みでもある、リゼットの身の回りの世話を僕が引き受けていた。

 というのもほんの数週間前までの状況で、今は訳あって人を探す旅をしている。

 ソイツが人かどうかは少し微妙な所ではあるが、今は二人で故郷を出て、旅の最中……小さな街の宿にいる。


「いててて……」

「なんですの? そんなに強くは叩いてませんわ」

「いや、かなり強かったけどね。そうじゃなくて椅子に座って寝たから体が……」

「椅子なんかでよく寝られますわね。はーん、それで苦しそうにしていたのね。ルシアン、あなたうなされていましたわよ」


 それは、椅子のせいではない。ときどき見る夢のせいだ。あの時と同じ猟銃を僕は脇に抱えて寝ていた。

 十七歳になった僕の背丈は猟銃を越えたが、そのズッシリとした重みは少しも変わっていない様に思える。

 僕はあの日から無駄弾を撃たなくなった。撃つなら当てる、そして仕留める……その為に必死に練習を重ねたんだ……。

 せめて獲物を苦しませぬ様に……そう思って。


「うなされていたなら、なおさら起こしてほしかったな……」

 僕にとってはリゼットはお仕えする良家のお嬢様だが、物覚えのつく頃から共に遊んだ幼馴染みでもある。

 だから絶対服従という訳ではない。

「何か言いまして?さっさっと準備なさったらいかが?」

 さっと椅子から立ち上がり僕はてきぱきと動き始めた。絶対服従ではないが大体は服従している。

 そうでなければ、彼女の両親、僕の父親の目を盗んでこんな危険な旅にはついてこない。

 子供の頃からリゼットは気が強く我が儘で、おてんば、じゃじゃ馬、暴れん坊、そんな感じだった。

 僕以外に数人いた友人達はそれについていけず、離れていったが、僕は仕える身だったし、父の手伝いで猪や熊と言った野生の獣を目にする事が多かったので、なんとか耐えられていたのだ。

 それをリゼットに伝えたら獣扱いするなと殴られた事もあるが。

 そんな事を思い出しながら、僕は部屋の床に無造作に置いていた自分の荷物に手を伸ばした。

 そこから取り上げた皮を硬くなめして何層にも重ねたレザーアーマーを取り出し、服の上に重ねる様に着用する。

 丈夫な割には軽いし一人で着るのも容易だが、コレから相手にするモノを想像すると、随分と心許ない……。かといって騎士が着る様な高価なフルプレートなど、持ってはいないし重くて役にたたないのは十分に理解している。 熊の力を持って、猫のように俊敏で、狐のように狡猾な輩が相手なのだから。

 ぎゅっと硬くベルトを締め、レザーアーマーを固定し終わると、さらに荷物の中から使い込まれた手斧を取り出し背負った。

 これは斬るというよりも相手の骨や頭を叩き割る為に使用する、猟師の必需品……という訳でもないが。何せ威力があり過ぎて毛皮もダメになる、骨だって加工をすれば立派な商品になるんだから砕くなんてもったいない。

 唯でさえ猟銃の威力が強いのだから、薪を割ったりする以外にそうそう使い道はないのだが。それでも父はコイツの扱いを徹底的に仕込んでくれていたっけ。

 今考えると父は解っていたのかもしれない、僕にもこんな日々が来る事を。そして、もう一振りほとんど鉈に近い大きめのナイフを腰に携えた。コレもコレで通常のソレより大きすぎるし、コレでもかという程、良く研かれていた。

 後は銃の手入れで準備完了だ。だが、その前に……。


「お嬢様は準備できているの?」

 そう言って振り返ると、窓の外の月を静かに眺めるリゼットがいる。

 リゼットは赤い赤い血のように真っ赤で、そして所々ドス黒く(乾いた血がそうである様に)滲んだ、彼女の腰の丈まであるフードを被っていた。

 艶やかで綺麗な金髪はフードには納まりきらず、月の光を受けてキラキラと輝いていた。

 フードはマントのように身体を覆い隠しているが、その下はほとんど下着といって良い程の衣服しか着用していなかった。


「もちろんですわ。ねぼすけのルシアン」

 リゼットはコチラを見ながら二コリと笑った。

 何時もの幼い笑顔は戦化粧によって隠されている、狩りに赴く時、儀式としての化粧をするのだそうだが……。

 その性なのか? 僕の目からみたリセットは、少女と女性の境界が曖昧なとても妖しい魅力に溢れている。

 ただ……昼間に街中を出歩ける様な格好でないのは確かだ。

 僕も初めて見た時はリゼットが何か変なモノでも食べておかしくなったのかと疑ったし、そのせいで脛を蹴飛ばされもした。

 それに加えて……。


 カシャーン…。


 今、床を打って響く音を鳴らす、リゼットが持つ大きな……それはとても大きな鎌。

 硬い木製の柄を所々金属で補強し、その先には大きく折れ曲がり刃こぼれ一つなく尖った刃。


 リゼットの一族に代々伝わる人狼狩りの刃(グリムリーパー)


 こいつの切っ先が、目の前に押し付けられた時の恐怖は、今でも忘れられない。

 リゼットはその大鎌をこの部屋に一つしかないベッドの上に無造作に放りなげる。


「もう一つだけ必要な準備が残ってますわ。ああやだ……これだけは好きになれませんの」

 僕もその準備を始めようと考えていた。

「……ああ、そうだね。早く済ませてしまおう」

 もう一度自分の荷物を漁り、小さいながら丈夫な造りの木箱を取りだす。

 同時にリゼットはベッドにストンと座り、サイドテーブルを手元に引き寄せ始める。


「それでどうしようか? お嬢様が部屋を教えるから直接ここに来るよ、アイツ」

 僕はリゼットが引き寄せたサイドテーブルに木箱を置きながら言った。

「ご不満ですの? ワタクシを探して他を荒らされるよりマシではなくて?」

「それはそうだけど。ノックをして礼儀正しく入ってくる様な相手じゃないんだからさ……」

 木箱の中には大きめの注射器が入っている。注射器の中身は空だ。


「ふふふ。見ました? あの方のあのお顔……今にも飛び掛って来そうでしたわ。今ごろワタクシに会いたくて会いたくて堪らないでしょうね。そうでしょう? ルシアン」

 僕の顔をジッと見つめてそういうリゼットにドキリとした。その事を悟られない様に僕は左手を差し出して言った。

「さぁ……僕には解らないよ……でもそうなんだろう? さ、腕を出して」

 差し出された彼女の細く綺麗な右腕を優しく掴み、アルコール消毒をした布で肘裏を少し擦った。

「おかあさま、それにおばあさまも言ってましたわ。殿方はみなオオカミなの気をつけなさいと……ふふふ……ルシアンあなたもそうなのかしら?」

 猟の前の僕は少し気持ちが高ぶるが、今日のような特別な狩りの時……なおさらそうなる。

 それはリゼットも同じなのか、今みたいに少しだけ変な事を口にし始める。僕とリゼットの関係性で唯一、僕が勝る年齢も、逆転される様な気がしたから少しだけ抵抗を試みる。


「そうかもしれないよ? でも、お二人が言っているのは違う意味だ」

「まぁ確かにそうね! あなたはオオカミというより犬ですわ! ふふふ、ほらお手」

 リゼットは差し出していた右手を僕の顔の前に持ち上げて言った。思わぬ返しと犬と呼ばれた事に少しだけ頭に来て言い返す。

「そういう意味でもないよ、動くなよリゼット。それにオオカミも犬も元を辿れば同じだよ」

「まぁ生意気ですわ! 飼い犬に手を噛まれるとはこの事……ほらほら」

 リゼットが右腕を動かし続けてふざけるので、僕は右手に持った注射器をテーブルに置いて捕まえようとした。

 でも、リゼットが素早く腕を動かすので一向に捕まえる事はできなかった。

 いつもは唯我独尊の身勝手な娘だが、こういう時の彼女は可愛い……そう思う僕は変なのだろうか。


「ワオォオオオオオオオオオン!」

 突如、遠吠えが聞こえた。

 遠吠えとは言いつつも、その声を鳴らした主の位置は近い、この宿より数軒先……いや店の直ぐ手前かもしれない。


「急ぎなさいルシアン!」

「ご、ごめん……解った」

 慌てて注射器を取ろうとしたせいか、上手く掴む事ができなかった。勢いそのままに手で弾いてしまった注射器はテーブルを滑り落ち、そのままの勢いでベッドの下に潜り込んでしまった。

「うわ! くそ!」

僕じゃ慌てて地面に突っ伏して手を伸ばすが、隙間が狭すぎて手は届かない。


「何してますの! 急いでルシアン!」

「急いでるっ、でもダメだとどかないっ!……クソっ…もうそんな時間なのか?」

「いいえ、まだ日没して間もないですわ……確かに速すぎますわね」

 見えている、指先が触れそうな位置に注射機はあるのだがどうしても届かない、僕は慌てふためいて冷静ではなかった。

 棒か何かで引き寄せるなんて簡単な事が頭にも浮かんでこないのだから。


「下は……? 人はまだいるの……?」

「……居ましたわ。店はまだ開いてますの」


 バガァーーン!


 そのやり取りの直ぐ後に、一階で何かがぶち破られたような音が響くと、すぐさま人々の悲鳴が上がった。


「きゃあああああっ!」

「うわぁあ! 熊⁉ 熊だっ‼」


 熊ではない。ソイツはもっと恐ろしい獣だ。

 僕はベッドの下から手を引き抜き立ち上がった。

「だめだ間に合わない。下に行くよっ、皆が危ない」

「お待ちなさいっ!」

 銃を持ち駆け出そうとする僕の肩をリゼットが捕まえる。


「下に言っても混乱するだけ。人のいる場所で銃が使えまして?」

 確かに一理ある。

「彼は真っ直ぐここにやって来ますわ。欲しいのはワタクシですわ」

 彼女は、いや、彼女に流れる血は奴らにとっての美酒。

 同じ量の金貨にも換えられない、黄金の酒。

 それは知っている。恐らくリゼットの言う事は正しいだろう。


「じゃあ、早く隠れるんだ。僕がココで迎え撃つから」

 そう言って僕は手早く銃口に火薬を詰めた。

 次に込めるのは弾丸だ、鉛ではない銀の弾丸、鉛に比べてあまりに高価で比重も軽いこの弾丸を使う理由はちゃんとある。

 ホントに高価なこの弾丸だが……命の値段には代えられない。


「いやよ。ワタクシがここに残りますわ、アナタが部屋を出て、彼がここに来るまでお待ちなさいな」

 弾丸を詰め終わり、リゼットを押し出そうとする僕に彼女はそう言った。

「何いってんの。危険だろっ!」

 僕の言い分を無視してリゼットは扉を開け放って僕を蹴りだす。

「囮はワタクシの役目ですわ。この特別な狩りの主賓をもてなすのもね」

 蹴り出されはしたが、そんな事をやらせる訳にはいかないと思った僕は、彼女の腕をとり引っ張った、強引に。

 だが、それを頑なに拒んでリゼットは言った。


「ルシアン、あなたの役目は何ですの?」

 こうなったリゼットは梃子でも銃でも動きはしない。相手が怖い怖いオオカミでも……だ。僕はソレを良く知っている。

 口論している時間も既にない、だから僕は観念して応えた。

「……僕の役目はキミを守る事だ……」


 カシャン……。


 僕は静かに激鉄を起こした。

「よろしい。ほら、下の騒動が収まりましたわ。来ますわよ、お隠れなさいな。信頼していますわ、ルシアン」


 パタン。


 僕は頷きながら扉を閉めた。最善を尽くすだけでは足りない……しくじれば命を失う。

 湧き上がる緊張感を深呼吸で受け止め、身を隠す場所を探して細い廊下を、物音立てぬように慎重に歩き始めた。


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