寺子屋(下)
教会には本棚が一つだけある。それでもこの世界ではかなり多い方だ。本は貴重で、日本でいえば1冊数万円くらいの値段になる。
だいたい文庫本などはなく、装丁されたハードカバーのものばかりである。
だから多くの家には本がないし、本があるのは教会や金持ちの家などに限る。もちろん教会には神学の本が多いが、寺小屋向けに子どもの手習い用の本や物語本などもいくらか置いてある。
「この本は何が書いてあるの?」
シンディがタイトルにドラゴンが入っている本を1冊指さしておれに尋ねる。
「これはね、ある剣士が人々を苦しめていたドラゴンを退治する物語だよ」
「それ面白そう」
「じゃあ読んでみるかい?」
俺は取り出してシンディに渡す。シンディは中身を見ながらパラパラと中を見ている。
「もっと実用的な本はないのかい?」
今度はマルコだ。さすがに教会には契約実務の本はないだろう。マーケティングというのもたぶんこの世界にはなさそうだし。
ビジネス書は……、将来書いてみるか。ともかく本棚を見ていると航海に出た貿易商人の伝記があったのでそれを勧めてみた。
「まあ実用性はないが、これはこれで面白いかもしれないね」
と言って受け取る。こいつは何か理屈っぽい。俺はといえば魔法書を読む。剣と魔法の世界だ。やはり魔法は使いたい。
ロレンスは俺に神学の本を読んでほしいらしいが、あれが全くのフィクションだということを俺はこの世界のだれより承知している。
もっともフィクションであってもみんなが信じるならそれはそれで何か社会を規定するのかもしれない。
とはいえ、あの暇さえあれば猫をなでている神をあがめている本というのも、読んで何の意味があるのかと思ってしまうのだ。
そのうち『神の真実』なんてタイトルで、猫をなでている暇人の暴露本でも書こうか。
ただそれが真実であっても世間には受け入れられないだろうとは思う。
この世界では全員ではないが、簡単な魔法を使える人は結構な数いる。それ以上の上級の魔法となると、魔法学校に行くか魔法使いに弟子入りして学ばないといけないらしい。
この村にはそんなものはなく、クラープ町か都市に行かなければならない。高度な魔法を学ぶのはもっと成長したときの楽しみに取っておく。
俺は魔法書を読んで、ごく簡単な生活に使える魔法を試す。なおロレンスは村の中ではかなりの魔法が使える。だいたい教会組織は、この国で最高の研究教育機関を持っているのだ。
俺はロレンスに魔法の手ほどきを受ける。神の説法の方は全く興味ないのだが、こちらの方は殊勝に受けている。
よくよく考えると神が一番最高の魔法の使い手なのだろう。俺やクロに、といっても圧倒的にクロ優先だが、特殊な能力をつけていた。
あれこそ魔法と言わずしてなんというのだろう。クロに与えられていたアラを上等のキャットフードに変えていた。あれも魔法だろう。
神に魔法を教えてくれないか頼んでみたが、やはりだめだった。猫をなでる方が重要らしい。よくよく見ていると猫をなでる指先がわずかに光っている。
あれはまたなにか猫に祝福を授ける魔法でも使っているのだろう。素晴らしい使い方であるともいえるし、そうでないともいえる。
ロレンスには回復魔法も習った。ロレンスは全員に対してはごく簡単な魔法しか教えていなかった。ごく簡単な回復魔法はいわば地球の手当のレベルである。
それしか教えない理由は、一定以上の魔法は修業が厳しいからだ。ごく小さい効力の入門の魔法ならそれほどの苦労はなく多くの子が体験しておくのもいいが、それ以上となるとあまりにも時間がかかり万人向きではない。だがフェリスはロレンスに頼み、取り組んだ。
なぜそこまで執着したか振り返ると、魔法自体へのあこがれもあったが、健康であることへの強い意欲があったのだと思う。
さいわいロレンスは時間をとってくれて、フェリスもどんどん上達していった。
子どもの会話というのもかなり難しいですね。ただフェリスの中身はおっさんだし、マルコはちょっと拗ねているので少し会話が高度になったりします。