サービス残業はダメと念を押す
商売をしているうちに、いやそれだけでなくいろいろトラブルに巻き込まれて解決しているうちに、人から羨まれたり人の恨みを買うようになってしまった
それだけならまだいいのだが、実際に襲われるとなると話が違ってくる。それで護衛が必要となる。
護衛が結構な人数必要になり商会の中で組織しようということになり、シンディにその任をゆだねた。実はシンディは武力は十分にあるが、組織的な仕事はあまり得意ではない。
ただ護衛のような仕事をする者は上に武力がないとあまり言うことを聞かないらしい。それでマルコやジラルドなどに統括させるのもどうかと思ったのだ。
ただやはりシンディは法とか規定とかそういうものがあまり得意でない。いまも未成年のアレックスを護衛につけたがり、それがダメなら訓練だけでもさせたいと言うのだ。
フェリス「それにしてもなあ、なんでそこまでアレックスにこだわるんだ?」
シンディ「だってアレックスとは子どもの頃から一緒にやってきたし、父親のカスパーにもくれぐれもよろしくと頼まれているのよ」
確かにシンディはアレックスとはずいぶん長い付き合いなんだろう。父親同士も長い付き合いだから、俺が知らないことも多いはずだ。
つまり知り合いのコネ採用だ。役所がコネで選考するのは困るが、私企業なら絶対にダメというわけでもない。
もっとも前世の大きな株式会社のようにお互い顔も知らない株主が多数いるところで十分な説明や同意なしに経営者がかってにコネで採用するのはうまくない。
その点、うちは少数の出資者だけからなっている。コネで採って悪いわけではない。そうは言ってもやはり明らかに向かない人間を採るのはよくない。
別に競争させて一番の人を採らないといけないとは思わない。それはそれで上手いようでまずいところがある。ただ基準以上ではないと困る。
アレックスはまじめだし、人柄も決して悪くない。クラープ町にいたころ俺に対してあたりは強かったが、それは俺がまじめに剣術に取り組まなかったからだ。
その上、彼が気になっているシンディと俺が仲がいいのも面白くなかったんだろう。そうは言っても彼は決して卑劣なことはしなかった。堂々と正面から俺に意見してきただけだ。
アレックスが護衛として求められる基準以下というのも別に彼が悪いわけでもない。単に年齢が低くて、当然のその任に向かないと言うだけだ。
年齢の割にはむしろ向いているかもしれない。ただ体の成長もまだまだだし、経験や技術も足りない。それだけのことだ。
フェリス「前にも言ったけどアレックスを護衛にするのはまだ駄目だよ」
シンディ「ええ、それはわかったわ。でも訓練だけならいいでしょ」
フェリス「訓練だけでも商会としてはさせたくないんだよなあ」
シンディ「だから勤務以外の時間でするから」
フェリス「それはダメだ」
シンディ「なんで? 商会には何にも損がないじゃない」
商会の利益になる行為を従業員に自主的にタダでさせるのは、前世でサービス残業と称され、また会社側は自主研鑽と呼んでいたものだ。実際には立場の強いものによる恐喝でしかないと思う。
フェリス「あのさ、俺がパラダみたいな悪徳商人で、給料を払っていない分まで働かないと首にするって言ったらどうする?」
シンディ「そんなの袋叩きにして、辞めてやるわ」
えらい剣幕で言われる。シンディならそうするだろう。それは辞めて他に行けるからだ。俺が前世で20代の頃を過ごした氷河期はそうではなかった。ブラックを辞めてもまたブラックしかなかった。
こう言ってはなんだがシンディはやはり恵まれた子だ。村の道場主の娘で、父親はある意味では村の名士だ。
道場で大儲けしているわけでもないが貧困ということは絶対にない。食べるものに困ったこともないだろう。
それは俺だって同じだ。それでも俺は前世でブラックでひどい目にあっているが、シンディはそういう理不尽にあったことはない。
世の中いくらでもあくどい人間がいるし、他人が良心の呵責なしにあくどいことに加担できるようにシステムを作るような人間までいることには思いが及ばないだろう。
フェリス「だけど辞められない状況もあるよね」
シンディ「そんなのあるのかしら」
フェリス「例えば徒弟の親が悪徳商人の世話になって子としては言うことを聞くしかないとか。うちが来る前のクラープ町だって地元の住民はろくでもない仕事しかなかったんじゃないのか。それでみんなクルーズンに逃げ出していた」
シンディ「まあ、そうね」
フェリス「だからそういう賃金の外の労働は認めちゃいけないんだ」
シンディ「だけどフェリスは悪徳商人じゃないじゃない?」
そうきたか。来るかもしれないとは思っていたけど。
フェリス「俺だっていつ悪徳になるかわからないし、もしかしたらいまだって悪いことを考えているかもしれないし、俺が倒れて悪い奴が商会を動かすかもしれないぞ」
シンディ「フェリスが悪徳にはなれそうにはないけれど、後を継いだのが悪いことをするのはあるかもね」
フェリス「だから、そういう場合に備えて、とにかく賃金外の仕事はさせないに限るんだ。それを完全に制度にして全員で守る。破ろうとした者がいたら絶対に止めなきゃいけない」
個別具体的に妥当なことが全体的な形式と抵触することはある。その場合に折り合いを付けないといけない。
いつでも妥当なことを優先すると法や制度がグダグダになるし、形式ばかり優先すると具体的な妥当性が確保できなくなる。
今回は自主的に護衛の訓練をするのがよさそうでも、タダ働きはなしという原則に比べたらそれはなしにしなくてはならない。
シンディ「何かよくわからないけど、とにかくちゃんと理由があって止めているのね。わかったわ。商会ではアレックスには護衛の訓練はさせないわ」
ようやくわかってくれたかと思う。ところがそれで終わりではなかった。




