帰ろうとしないレオーニ氏の事情
クルーズンの西側の地方の山間の町グランルスから南のモンブレビルにいる。
(西)カンブルー ---- 峠 ---- グランルス ---- シャンプ ---- 峠 ---- シャルキュ ---- クルーズン(東)
グランルスでのごたごたはひと段落ついた。あとは裁判を待てばよい。それはともかく同行していたレオーニ氏が南の町モンブレビルに行ったっきり帰ってこない。
レオーニ氏の店のマンロー氏がそろそろ帰ってきてほしいと言っているのに。仕方なく迎えに行ってみると、何でもシャーベットが気に入らないとゴネている。
フェリス「いい加減お店に帰らないと、マンローさんはじめ、お店の人が困るでしょう」
レオーニ「え? だって弟子たちには十分僕のメニューが作れるように仕込んであるよ」
フェリス「店主が陣頭指揮しないと意気も上がらないでしょう」
レオーニ「店主がいなくてもふだんの店くらい回せるようにしないといけないよね。本当にいないと私がいけないのは大問題が起きたときだけだ」
何か、レオーニ氏に経営の感覚ができてきている。彼よりずっと年上の俺だけの見識だと思っていたのに。とはいえ反論しないといけない。
フェリス「だけどお客さんにあいさつだってしないといけないでしょう」
レオーニ「うーん、あいさつしないといけない客なんてほとんどいないんだよね。だいたい君たちだってレストランに行ったときに、シェフはあいさつに来るかい?」
確かに来た覚えなどない。ただ言い返さないと。
フェリス「ええ、あいさつに来た覚えはありません。とは言え、いまほとんどいないと言っていましたよね。と言うことは少しはいると言うことじゃないですか?」
レオーニ「はっは、なかなか鋭いね。まあそれはそうなんだけどね。でもそれは大丈夫なんだ」
フェリス「何で大丈夫なんですか? あいさつしないといけない相手何ですよね」
レオーニ「うーん、せっかくだから自分で考えてみたまえ」
フェリス「そんなことを言われてもわかりませんよ。レオーニさんの店の事情なんて」
レオーニ「いや、これは僕の個人的な事情というわけでもない。飲食店の経営上必要なことだ。飲食店も持つ経営者の君は考えてもいいと思うよ」
え? それは考えもしなかった。どういうことだろう。それはともかく、レオーニ氏の店のマンロー氏には連絡を取る必要がある。
とは言え、原理的には手紙で連絡を取るしかない。手紙も安くないし時間がかかるので、俺はもっとさぼった手を使う。
いまも毎日クルーズンの家にギフトで帰っている。クロに会うためだ。だから家でマルコに手紙を渡してモンブレビルから届いたことにして転送してもらうのだ。
そうしてマンロー氏に手紙を送れば、数千ハルクかかって届かないかもしれない手紙が、数百でほぼ確実に届く。逆にマンロー氏からの手紙は通常の郵便なので金も時間もかかるが、それは仕方ない。
それでグランルスを発つ前にマンロー氏に手紙を送っていたが、モンブレビルで数日過ごしていたら、逆に返信が来た。
グランルスのうちの支店から転送されて、モンブレビルの支店に来る。それを読むとやはり早く帰ってきてほしい旨が書かれている。貴族や金持ちたちにレオーニ氏が顔を見せないとまずいらしいのだ。
ただ手紙は2通あって、俺向けだがレオーニ氏にも見せていい手紙と俺だけが読む用の手紙とになっていた。
それで見せていい方はとにかく一刻も早く帰ってきてほしいと書かれているが、俺だけ向けには別のことが書かれていた。
そこには目を見張るような新メニューができるなら、最大2か月までは出ても構わない、ただしそれはレオーニ氏には知られてはいけないとある。
見せていい手紙の方は彼に見せる。そして早く帰った方がいいと促す。だがレオーニ氏はシャーベットを何とかするとどうしても動かない。
俺の方は早く帰さないといけないと気が気でなかったが2通目の手紙があるので少しは安心した。ただそれがレオーニ氏にばれても困る。
手紙を読んで何となく見えてきた。確かに高級レストランだってふつうの客相手にシェフがわざわざあいさつに来ることなどはない。
ところでレオーニ氏の場合は若いのに立派な高級レストランを出している。ということはどこかから金が出ているということだ。
レオーニ氏が事業で大儲けしたとは考えにくいが、親御さんが金持ちということもありうる。ただそれよりもっと考えやすいのは出資しているパトロンがいると言うことだ。
つまり彼の腕を買って、金を出している人がいる。それがあいさつしないといけない貴族や金持ちだろう。
パトロン自体の求めるものもなんとなくはわかる。しなくてはいけないあいさつについては店にいるなら顔くらい見せろと言うのはありそうだ。
ただ店にいなければそこまで求めないだろう。パトロンに同行者がいれば、シェフと知り合いだと見せるために顔を出してほしいと言うのもあるかもしれない。
ただもっと求めているのは新メニューだ。一つにはパトロンたち自身がそれに興味があると言うのはある。さらに別の理由もある。
新メニューははじめの数か月はパトロンたちにしか提供されない。そこでパトロンたちは自分だけ食べたことが自慢になる。
パトロンだけと言っても同行者もご相伴に預かれる。そこでパトロンは同行者に見せつけたり貸しを作ることもできるだろう。たぶんそんなところだろうと思う。
そう言うのはレオーニ氏の店のような特殊な高級店だけだ。うちのような大衆店にはあまり関係ない。
それに俺は金は自分で用意してしまう。もちろんうちだって未来永劫高級店をしないと決まっているわけではないのだから、知っていてもいいのかもしれない。そこで自分の考えが正しいかを聞いてみる。
フェリス「レオーニさん、求められているのは出資者に対する新メニューということですか?」
レオーニ「そうなんだよ。彼らは新メニューを求めている。役者でもない僕の顔なんて別に見たいわけでもない」
確かに役者みたいではないが、けっこう精悍な顔だ。それに単純な顔見せというのも続けていると意外に効果はあると思う。単に彼は面倒なんだろう。
フェリス「いや、出資者には顔を見せておくのも重要でしょう」
レオーニ「まあそうかもしれないけどね。でも新メニューに比べたら、まったくどうということもないよ」
フェリス「新メニューなら、この前の豆の肉はどうですか?」
レオーニ「あれも悪くはないけどね。ただもうちょっと華がないとね」
それはわからないでもない。見栄えは重要だ。もちろん豆腐肉だって、菜食とかそういう風潮が流行っていれば華にはなるだろうが、今はそう言うときでもない。
フェリス「とはいえマンロー氏も心配していますし、そろそろ帰った方がよいのでは?」
レオーニ「まあ、あと1月くらいは大丈夫だよ。マンローには手紙を書いておこう。出資者には皆様のために主人が本場で新メニューを作っていると言わせておけばいい」
あと1か月は可という秘密の手紙の内容も見抜かれている。お互い騙し合いの世界なのか。料理だけ特異的に有能な主人と、管理能力のある部下の戦いにはざまに立たされている。
ともかくこうなるとどうしても新メニューを作らないといけないことになった。それができればマンロー氏も満足するし、レオーニ氏の評判も下がらずむしろ上がる。
だが失敗したら……。俺が心配することではないが、また何か面倒に巻き込まれてしまった。




