子爵ゲルハーとの対面
クルーズンで拉致されて荷馬車で運ばれている。またどうやら街はずれでさるぐつわを取られ、硬くなったようなパンとわずかな水を与えられた。
「いま死なれたら困るからな」
何か不穏なことを言われる。生命の危険は薄いと思ったが、予断は許さないようだ。いまでないときなら死んでもいいと思っているらしい。
この連中、盗賊か何かかもしれない。途中で長い時間止まることがある。どうやら野宿しているらしい。
さすがに子爵領でも街中の宿に泊まって、宿にいる間に荷車から縛られた者が見つかるのはまずいのかもしれない。
そのようなことが気づいただけで3回ほどあった。3泊したのだろうか。4日目の途中で荷車の振動の様子が変わる。たぶん石畳の上を通っていると思われる。
そう言えば人の声も聞こえてくる。いままでは街の外ばかりだったのが、今度は街中に入ったようだ。3泊したということはやはり子爵領都ゼーランだろう。
ある所で止まり、俺は荷車から引きずり出された。そして足は縛られたまま引きずられるようにどこかの建物に入る。
そして硬い木の寝台らしいところに投げ出される。その後、キーッと音がする。牢にでも入れられたのだろうか。
また待つしかないが、声が聞こえる。
「御館様が……」
いま御館様と言っていないかったか。たしか御館様というのは貴族相手にしか使わない。ということはやはり子爵だろうか。
それが一番考えやすい。ゼーランの商人ではパラダの本家はやくざ者を使うと言っていたが、さすがにここまで大それたことはしそうにない。
しょせん借金の取り立てとかその類だろう。やはりここまでするのは子爵ということか。
そこで俺は目隠しを取られ、また足を縛られたまま歩かされて、椅子に縛り付けられる。
でっぷり太って禿げあがり、やたらときらびやかな服を着た貴族らしい男が出てくる。子爵ゲルハーだ。
本人を見たことはないが、肖像画は見たことがある。もっともその肖像画はこれよりはるかに美化されていた。
子爵本人が出てきたということは俺を生かして返す気がない可能性が高い。何としても逃げなければならない。こちらが有利なのは俺がギフトのホールで逃げられることを向こうが知らないことだ。
俺のところから数メートル離れたところにゲルハーが座る。
「ふん、愚かな民草が貴族様に逆らいおって。これからどうなるか目にもの見せてくれる」
まったく品がない。自らに様をつけるのもなんとも卑しい。
なお俺の方はさるぐつわもされて、声にならないうなり声くらいしか出せない。一方的になぶるのが好きなのだろう。
「これは裁判だ。この痴れ者が! 領のために尽くす商会を出し抜き、他領に財産を流出させて逃走し、挙句は正当な領府の差し押さえまで逃れた。何と罪深いことだ」
ゲルハーは酔って演説しているが、そもそもここは法廷でも何でもない。薄汚い牢の一部だ。こんなところで断罪している時点で表に出せない行為なのだ。
領のために尽くすというのはパラダらが領主に付け届けをしていたことだ。まったく領民のためにはなっていない。いや領全体のためにもなっていないだろう。
財産を流出というが正当な移動だ。逃走というのも愚かな領主へのゴマすり合戦からは逃げたのは確かだが、しょせんはダメな領から有望な領に移ったに過ぎない。
正当な差し押さえなどというのはちゃんちゃらおかしい。しょせん伯爵や司教にはかなわかったのではないか。ゲルハーの言い分はすべて否定できるが俺は何も発言できない。
「その方の罪状、万死に値するが、特に慈悲をもって資産を全て献上するなら不問にしてやろう」
いまどき財産関係で死刑など適用できるはずもない。ましてここは法廷でも何でもない。殺したとしてもしょせんリンチでしかないのだ。
しかし何と卑しいことだ。俺に罪があるなら公開の法廷でいくらでも断罪すればいい。そんなことはできないとこいつもわかっているのだ。だからこんな犯罪行為を行う。単なるゆすりたかりではないか。
「さて、ここに資産をすべて献上する旨の書類を用意した。すぐにサインしろ」
完全に恐喝でしかない。しかも書類を見ると「私、シルヴェスタはゲルハー子爵に全財産を献上する」とだけ書かれている。
シルヴェスタなどという姓はいくらでもいる。だいたい養父のロレンスからもらったものだ。こういうものは住所とフルネームを書かなくてはならない。
こんな書類、子爵領では通用するかもしれないが、伯爵領でまともに相手にされそうにない。
このろくでもない牢での取り調べといい、まともに表の人間が関わっていないということだろう。
しかしこの子爵、なんとも頭が悪い。こんな犯罪行為をすること自体がまずいが、どうしてもしなければならないなら下の者にさせておくのがふつうだ。
俺に仕返ししたい、悔しむ顔を見たいの一心で出てきてしまったのか。それともまともな仕事ができないから、思い付きですぐ成果が出そうな仕事に飛びついたのか。
どちらにせよ俺が逃げおおせることは全く考えていないのだろうか。
それに俺が失踪した中でこんな文書が出れば、強迫下での意思表示が疑われて問題になるに決まっている。子爵領ならともかく、俺の財産は伯爵領にある。
この書面を見せられて、留守を守る役員たちが俺の身を案じて金を出してしまえば確かに俺の負けだ。しかしもし伯爵か司教に通報すればどうなるか。
そもそも俺が失踪している時点で事件を疑う。伯爵や司教はまず俺の身柄を出せと言って、聞き入れられない限り財産の移動は許すまい。
けっきょく子爵は何も手にすることはできない。まったく考えることが場当たり的なのだ。
盗賊だかヤクザ者らしいのがゲルハーに耳打ちしている。
「金を受け取るまでは身柄は確保しておかなくてはなりやせんぜ」
まったく貴族などと言ってもこんないかがわしいものと付き合っているなど、下の下でしかない。
ところで今の話だとクルーズンの俺の商会から金が入るまでは少なくとも俺の生命は安全なようだ。それまでに何としても逃げないといけない。




