幼子の日々(上)
さて無事? ロレンス司祭に拾われた俺はベビーベッドで寝ている。季節は6月初めだった。
ロレンス司祭は30代半ばだが、教会の規定で独身だ。それでも司祭が孤児の面倒を見るなどというのはこの国ではよくあることらしい。
もっともふつうはもう少し大きいクラープ町の教会の孤児院に行くが、あまりの神々しさに司祭はここに置きたいと思ったようだ。神々しいのは実はいっしょにいる神に魅入られた猫のクロである。
ベッドは村人の一人が家で使わずに放置していたものを簡単に修理して持ってきてくれたらしい。そのベッドの中で赤ん坊らしく、ほとんど一日寝ている。
同じベッドにはクロが付き添うように寝ている。ロレンス司祭には犬に見えており、はじめ子どもとの同衾はよくないと離したようだ。だが気づくとクロはベッドにいる上に、クロがいると俺がおとなしいので、ロレンス司祭も根負けしたようだ。いまでは完全に定位置になっている。
とはいえ、クロはベッドの真ん中の一番いいところに寝ようとするので、まだうまく動かせない手足を使って押しのける。それでもクロは賢いのか、子ども相手に猫パンチを出そうとはしない。神相手なら平気で出しているのだけれど。
鏡を見たときに自分の容姿に驚いた。以前はもちろんくたびれて、しわも白髪も出始めた小太りの男だったが、今はかわいらしくつやつやとした幼子である。
亜麻色の髪で瞳はブルーだった。人生がリセットされたのを感じる。なおクロの方は元のままで、はち割れで背中と手足と鼻が黒く、顎から下とおなかは白い。
ちょいブサだがそれがなんともかわいらしい。ロレンス司祭は色白の中肉中背でブラウンの髪であり、知識人らしい感じだが、世事にたけている様子ではなかった。
ロレンス司祭もそれなりに忙しいようで、俺は一人で寝ていることが多い。そこに暇人が毎日何度も現れる。神だ。もっとも俺に会いに来ているわけではなく、用があるのはクロだ。
なお俺やクロは神のことが見えるが、他の人間には見えていないようだ。俺は神に話しかける。
「あんた、神の仕事はどうしたんですか?」
「人は神にばかり頼っていてはならん。神はもっと大所高所から世界を見ているのじゃ」
なにが大所高所だ。猫目線じゃないか。どうみても自分の興味のあることしか目に入らないオタクだ。俺の境遇についても文句を言ってみる。
「ところで、いきなり孤児スタートって厳しすぎませんか?」
「それはな、生まれるはずの他の子と取り換えるのも親や子に酷かろう。あの司祭は敬虔じゃからな。ちゃんと育てると思っておった」
「もし引き取らなかったらどうするつもりだったんですか」
「それはまあ、クロのためにも、きちんと育てる人のところに置き直しただろう」
相変わらず、クロのことにしか興味がないようだ。
「その間に何かトラブルがあったらどうするんですか?」
「拾われるまで快適な環境を保っていたことに気づかなかったか」
まあそれはそうか。俺のことはどっちでもよくても、猫のことならすでに状態異常無効や無敵をつけていようがなんだろうが、最大限甘やかすだろうな。
「まあそんな悪いようにはならんから、そこで精一杯生きてみよ」
何か偉そうなことを言っているが、クロが出す猫パンチを避けながらなんとか触ろうとしているしょうもない爺さんにしか見えない。
教会には集会所のような信者が入る建物と司祭の居住用の建物と納屋がある。居住用は2階屋になっている。1階には食堂や厨房やトイレや浴室がある。
浴室といっても小さなバスタブが置いてあるだけだが。2階は寝室となっている。そこで俺ははじめハイハイから始めて、たどたどしく歩き始めた。
あるとき2階にいたとき、俺が階段のところまで来ると、クロが俺を止める。まだお前には危ないと言っているらしい。確かに判断能力は大人のものがあるが、
まだ手足がうまく動かせず、階段は危ないかもしれない。ここはクロ先生の教えに従って、階段には近づかないでおこう。クロ先生はもちろん階段など数段飛びでかけ降りる。
一度神が来ていた時に、というよりしょっちゅう入り浸っているのだが、クロが俺を止める光景を見て、「なんて賢いんでしょうねえ」などと言っていた。なんてアホなんだろうと思う。
前は「何々じゃ」なんて口調で話していたはずだ。こんなの相手に人間は像や建物や大組織まで作ってあがめているのかと、一人毒づく。
もっともそんな大層なものを作るのは人間の都合だから神の知るところではないのかもしれない。当人はそんな事お構いなしにクロにかまけているから平和といえば平和だ。