50. 事業の引き渡し
北側の譲渡価格も決まり、さらに南側の先行きも決まり、それらを実行に移す時が来た。
ただもう同時並行は疲れる。だいたいどちらも他人が絡む話なので、いちいち神経を使う。
しかも北側の方は露骨にこちらに敵対的な人間が多い。南側の方はわりと協力的だが、それでもやはりいろいろ主張はされる。それらを全部処理しないといけない。
家に帰るとクロはもちろん寝ている。一日20時間くらい寝ているのではないかと思う。もちろん猫なんか平和に寝ていた方が人間も幸せなんでいいのだけれど。
ベッドに座って触ると、寝ぼけ顔で何か用? とばかりにこちらを見る。人だと起こされたら不機嫌になりそうだが、猫はその点は慣れているのかもしれない。
外だったら外敵だらけだが、飼い猫は平和だから、起こされても暇つぶしになっていいくらいだったりして。とにかく、しばらくなでて休む。
しばらくなでてから家の用のために移動しようとすると、あっそうとばかりにまた寝始める。子猫のころはこちらを追い回していた。
諦めたのか、それとも捨てられないことがわかって安心しているのか。どちらにしても、この仔が平和ならいい。
北側の譲渡先は役所が公平に決めると言っていたが、やはりパラダらになった。わかりやすいインチキだ。どうせあのコンサルのモナプあたりも絡んでいるのだろう。
役所の仲介でパラダたちと譲渡についての詳細を決める手はずとなった。事前にパストーリ氏と相談する。
「いやどうにも、あの連中ときたら、譲渡価格が想定の3倍にもなったので慌てているようです」
そうなのだ。譲渡価格はパラダたちが役所と結託して都合のいいように決めようとしていたので、さすがに反論してやめさせた。
うちは資産が少ないが、ノウハウがあって利益は上げている。だから資産をもとに計算するとかなり安めに出て、利益をもとに計算すると高めになる。
けっきょくその間くらいの価格に落ち着いたのだ。
領主に取り入って格安で買いたたこうと思っていたパラダたちは慌てたらしい。そこまでの蓄えはなかったようだ。
金がなければ、さんざん領主に運動して、もしかしたらわいろも出して、何とか取り上げようとした俺の事業を、他の商人に取られてしまう。
けっきょく領都の本家筋に大金を借りて、なんとか金をかき集めたとのことだ。だいたい彼らの本業はたいして儲かっていないのだ。
俺の方は北部の10年分の利益の数億の金が手に入る。もちろんこれはクルーズンへの投資に回す。
ただ北部の従業員たちが気の毒なことになるだろうから、そちらの救済分も取っておかないといけない。
「まったく役人に取り入って儲けようなんて商人の風上にも置けませんね」
「どうせろくなことにならないでしょう」
そうなのだ。ノウハウで儲けているのだが、ノウハウは最小限商会が動く程度しか提供するつもりはない。
うちがやっていれば譲渡価格の1割程度の利益を1年に出せるが、ノウハウがないとその3分の1程度になるのではないかと思う。
もし借金がそれより高い金利ならかなり苦しくなりそうだ。
「これは噂話ですが、向こうの仲間内でももめて、買取から外れようとした者もいたようです。ただ領主に運動した手前、もう引き下がれないようで……」
「後ろ暗い形で権力に関わるとろくなことがありませんね」
「まったくです」
そんな話をしてから、役所でパラダたちに会う。前にギルドであったときは、ニヤニヤしていた。領主に取り入って安く人の事業を買い叩くつもりだったんだろう。それが今度は苦虫をつぶしている。
「あの価格だが、高すぎやしないか?」
「いえ、役所で決まった価格です。いままでの利益からするとあの倍でも妥当だと思います」
「しかし資産はたいしてないわけだし……」
「全部ご破算にして譲渡自体なしにしてくださっても結構ですよ」
「いやいや、そんなことはしない」
領主の手前、そんなことはできないのだろう。
さて実際の譲渡は公証人の前で契約書を交わす。双務契約なのでこちらは譲渡内容の目録をつける。
商業ギルドが銀行の手前のような業務をしているので、彼らはギルドに金貨を預け、その残高をうちの口座に移す形になる。これで書類の上での譲渡は成立した。
「行商や郵便も難しいところがいろいろありますから、そんなに簡単にできると思わない方がいいかと」
「小僧さんができたことを、あたしらができないとでも、はっはっは」
「くれぐれも住民や従業員や配達人の人に迷惑をかけないようにしてくださいね」
「余計な心配などせんでも、あとはあたしらがもっとうまくやるよ」
あとは詳細の引継ぎに移る。ところがもうパラダたちは興味がないようだ。
「後は番頭たちがやるから、きちんとしておくように」
何が「きちんとしておくように」だ。俺はお前の使用人じゃないぞ。それはそれとして俺と幹部で向こうの番頭たちに説明を始めた。
ところが主人たちが横柄なら番頭たちも横柄だった。本当に商売をしているのかと疑いたくなるようなのが多い。
概要を説明するともっと具体的なことを話せと言い、重要な詳細を説明するともっと大きい立場から話せという。
これでは手代あたりに出てきてもらった方がいいような気もする。
ただすぐに投げ出すと、後でトラブルが起きたときに、というより絶対に起こると確信しているが、こちらが悪いと非難してきそうだ。
第3者を交えて何度か説明する。最後は面倒になり文書にして交付する。
ただ渡しただけだと後でもらってないなどといい抜けされそうなので、ページ数と冊数について詳細に記した書類に受け取りのサインをもらう。
これで後から説明がいい加減だったとは言えないと思う。
他の商売はいいとして面倒なのは郵便だ。これは南北の接続があるから本当に完全にしないといけない。
ただセレル村との接続の実績があるので、その方法を応用すればいい。いちからあまり好意的でない相手と調整するのは大変だったろうが、過去の試みがあってよかった。
とはいえ、あの番頭たちではどうしようもない。さすがに実務者レベルの中間管理職を無理に呼んで詳細を説明する。そちらは何とかなったようだ。
そうして引継ぎも済ませていく。




