ウドフィとの譲渡の合意
譲渡する営業区域が決まり、それをウドフィに知らせて合意を取る必要がある。
譲渡するのは広域ではあるものの人口密度が低く、実は商売としては上手くない地域である。これを相手がわからないように飲ませる必要がある。
正面衝突はやめることにする。あまりいい筋のやり方ではないが、わいろにならない範囲で適当にいい気持にさせてやろう。
さっそく次の会見ではウドフィたちに軽食やおみやげなどを用意する。大した金額でないものだ。
「どうかよろしくお願いいたします。こちらはつまらないものですが、お土産にお持ちください」
「そういう気づかいが世の中をよくするのだ」
ものをろくに知らない人間の方が人に教えたがる。ただそういうのを気持ちよくさせておくといろいろ話が通りやすい。
まったくくだらない処世術だ。ついでにこの手の供応が物事の決定に影響するというのはろくでもないことだろう。
供応で誰か権力者を味方につけて人を出し抜くことを妙にありがたがる者がいる。
うまい手だと思っているらしいが、出し抜いた人間だけ得してけっきょくみんなにとってよいものが採用されなくなる。
私人相手ならともかく公人相手には本来そんなことは許してはならない。そんなものがない方がよほどましな世の中だ。
渡したのは大した金額のものではない。明らかに贈賄になるものは後でまずいことが起こりかねない。
ただこういう少額のものでも回数を重ねると相手が気後れするのも確かだ。
ああ、本当にろくでもないことをしている。
そこで譲渡する地域について提示する。わざわざ地図まで用意した。その地図を渡しつつ、あらためて見て、町の中で結構な広い区域だ。
「私どもで相談しまして、ウドフィ様のお申しつけに従い、こちらの地域の営業を他の商人に譲渡しようかと存じます」
「うむ」
「ご覧いただいてお分かりのように、かなりの広域でございます」
「そうだな。ずいぶん思い切ったことだ」
「ウドフィ様のご熱意に従ったものでございます」
どうせゴマすりの言葉などタダだ。気持ちよくなって向こうがかってに受け入れてくれればいい。
「うむうむ。あっぱれじゃな!」
ゴマすりで成り上がった馬鹿な下僚がよくもまあ主人面する者だと思う。
「つきましてはこれでよろしいでしょうか?」
「うむ、これで大丈夫だろう」
「それではこの先の使用人や取引先とのこまごまとした諸手続きを進める都合もございますから、合意のサインをいただきたく存じます」
「うむ、わしの名前でいいのか?」
「はい、ご領主様の名代としてウドフィ様のお名前を頂戴できれば、私どももスムーズに仕事が進みます」
部下たちは少し戸惑ってウドフィに意見しようとしているが、ウドフィは止まらない。
ここでもう一押しする。
「商業政策についてはウドフィ様のご判断が領のご判断だとうかがっております」
これでもうウドフィは得意満面で、だれも止めることができない。合意書に「領主の名代として」の文言も添えて、サインしてくれた。
有能な人間だったら周りに聞いて、問題がないか調べてから慎重に判断する。直感ですぐに決めてしまうのは間抜けの特徴だ。
おかげでこちらは助かる。いや最初から有能だったらパラダたちの言うことなど捨ておくだろうから、あいつらの間抜けの被害分を少し取り戻しただけかもしれない。
その後しばらくして商業ギルドのパストーリ氏から向こう側の話を聞かせてもらった。
うちが譲渡した営業区域について、どのように分割するかの話し合いがあったらしい。
もちろんパラダたち領都の御用商人の仲間で山分けするつもりだが、形式的にはここクラープ町の土着の商人にも機会を与えたことにするとのことだ。
なんでも企画・提案書を出して、さらに役人の前でプレゼンし、それで決めるとか。もちろん担当者はあの無能なウドフィ氏だ。
土着組はどうせ八百長だと初めからあきらめていたが、公平を装いたいウドフィが応募するように言ってきたという。
しぶしぶギルドで話し合い3人くらいやる気のない通り一遍の企画書を書いて応募をしてきたとのことだ。面倒に巻き込まれたとこぼしていた。
ただどうやら譲渡先のパラダの仲間達でも、うちが提示した譲渡先はあまりおいしくないと気づいた者もいるらしい。
それはふだんから各地域に気を配っていればわかる。だがほとんどはもちろんそんなことはしていない。
さすがに地形くらいは把握しているようだが、人口や人口密度や通りの通行量までは調査していないようだ。
気づいた者がまた領主筋に泣きついたらしい。またウドフィがやってきて、譲渡した地域に問題があるのではないかと聞いてきた。
「いいえ、この通りかなりの広域でございます。また流通の上でも一体化しております」
「それではなぜ苦情が出てくるのだ?」
確かに人口密度が低いのだが、そんなことは目の前のこのアホはわからないだろう。
「何人もの商人が町の各地に行商に入って失敗しているので、その記憶があるのかもしれません」
「問題ないというのじゃな」
「はい、領の商業政策を司るウドフィ様がご領主様の名代として決めたことに瑕疵があるでしょうか?」
「まったくそうじゃな」
半分はゴマすりだが、半分はお前の失点だと脅しのつもりで言っているのだが気づいていないらしい。
「もうすでにあの決定の文書に基づいて契約関係など進めておりますので今からだとまた補償などということになります。公の決定にたてつく不届きを許してはなりませんね」
「まったくそうじゃ」
なんだか嫌な理屈を使っている。別に理不尽ならたてついてもいいと思うが、ふだん権力をバックにしている御用商人は無理だろう。
どうも気づいたのは領都組でも傍流の商人だけだったらしい。そのせいかウドフィの追及も甘かった。他の連中は地域広いというだけで大喜びで分割に加わったようだ。
少しは聞き込みをして調べるくらいはするべきだろう。家を買うときだってそれくらいはするのに、もっとはるかに高額な営業を買うのに調査をしたかどうか怪しいまま買っているのだから、商売がうまくいくはずもない。具体的な数字を持ち合わせていないのは完全に落とし穴だ。
もう一つ連中にとってまずかったのは、いろいろと焦っていたことだ。特に領主が絡んでいるためにそちらに気を使って、早く成果を出さないといけなかったらしい。
わけのわからない理由で自律性がなくなるとろくなことにならない。もっとも薄汚い方法で権力者との結びつきを求めたのだから、そういう失点も込みということだ。美味しいところだけつまみ食いできると考えるのは甘すぎる。
さらに俺を侮っていたことも問題だ。実際に参入して負けているのだから警戒すればいいのに、子どもでもできることをできないはずがないと思い込んでいる。
いやもしかしたら他にも気づいている者もいたかもしれないが、徒党を組んでいる仲間との関係で弱気の発言ができなかったのかもしれない。
そういうわけで美味しくない営業地域を押し付ける作戦は上手くいったようだ。
家に帰ってクロのおなかに顔を擦り付ける。毎日していることだが、特に腹黒いことをした日はその触感もにおいもひときわ心地がいい。
クロははち割れで背中から顔にかけては黒が多いが、おなかは白いのだ。
鼻を押し付ける俺にクロは手でで押し返したりもするが、爪を立てたりせずにあくまでも優しい。俺の外での苦労がわかっているのかもしれない。
手で押し返されてもその圧力自体が何か心地いいのだ。




