神谷戦記(原作)
原作の神谷戦記です。逆だったかも知れねエ…
神谷戦記の予習をしたいならこちらは完結しているので読んでもいいでしょう。
しかし、先のことをこの時点であまり知りたくないという人は読むのはやめておきましょう。
ちなみに今記録番号二二〇番くらいですが原作では8月です。今連載しているのは空白の6ヶ月篇です。意味がわからなければヤン・スナーリ・カマーノが初登場する場面まで読み進めてみましょう。
あ、ちなみに後書きは書いた日にちがあるので今とは矛盾が生じる内容が書かれています。私のその時の心情とかが分かると思います。
もしもよろしければ評価をお願いしたいです。
では、ごきげんよう。
—ムナサワギ—
現在、一九九九年初頭の東京帝国より。最近、不穏な気配が辺りを漂っているような気がする。これが、嵐の前の静けさとでも言うのだろうか。空気もこの国の雰囲気も冷たい。
近年、東京は西へ領地を拡大すべく、各方面と交渉中らしい。この情報に確証は得られない。もしかすると戦争が始まるかもしれない。しかし、西へ領土を広げられれば、もう木には困らないだろう。そして、東京の経済は更なる発展を遂げる。理想が必ずしも現実になるとは考えられないが、祈ることしかできない我々はどうしようもない。せめてもの思いだ、現在の東京、その中で区切られた二十三の街区、この場所に何か起こるかもしれない。もしそうなった時、そのことをここに記していこうと思う。
記録番号一番
—晴天の霹靂—
一九九九年、紅く染まった無数の羽が北街区の神谷付近にひらひらと舞い降りてきた。地上に着いた次の瞬間、辺りは淡い紅色の霧に包まれていった。これは”赤の羽事変”、そう呼ばれた。
それに関連付いているのは定かではないが羽が降る少し前、王子で真っ赤な雨が降ったという情報があった。夕立のように短い間に大量に降り、すぐに止んだみたいだ。人々は酷く動揺していた。さらには、教会に顔を出し、神の怒りを鎮めるための生贄を誰にしようかと言い出す今にも、いやもう手の施しようがなくなってしまった人々もいた。その中でまともな思考が出来た者は残念ながら一人もいなかった。事態の収拾は未だにできていない。
これは後で分かったことだが、あの前、空の守護者ノーヴィレの翼が何者かに切り裂かれたらしい。片方の翼は血で紅く染まり、羽は地に落ちていった。羽が落ちた地域と真っ赤な雨が降り注いだ場所はかなり近いことがわかる。つまり、あの赤い雨は流血だったかもしれない。ノーヴィレははたして無事なのだろうか。
“紅い羽”が落ちた一帯を人はいつしか”赤羽”と呼ぶようになった。
そして同時に神谷の南南東の方角から奇妙な光が見えた。何が始まろうと言うのだろうか。
記録番号二一六番
—曇天の下—
二〇〇六年冬、大地が揺れ、異音と共に赤羽の南東”西日暮里”に奇人、トミン・ナーガが地の底より現れた。彼は清らかな空気を嫌い、もっと淀み、混沌とした空気を求めて移動を始めた。長い間身体を動かしてなかったかのようなぎこちない歩き方で彼はどこかへ歩みを進めた。この奇行はすぐ世に噂され、彼の目撃例が多数寄せられることとなった。彼はまるで誰かに導かれるように赤羽へ移動したそうだ。かの神童も目撃していたようだ。だがその歩みも遅く、二〇〇七年二月に赤羽の地に足を踏み入れたようだ。同月、十六日。昼か夜かもわからない曇天の日、トミン・ナーガは何を思ったのか突然破壊を始め、人々に恐怖をもたらすと思われた。瓦礫の山がいくつも作られるかもしれなかった。しかし、そのとき空に一筋の稲妻が走り、地へ落ちた。落雷した地点に人影が現れた。雷を操りし半神、サクヤウヤだった。いかにも神々しい白き装束に身を包んでいた。そして辺りが静まり返った。
「貴様がしていることはわかっている。これ以上はよせ」
サクヤウヤはトミン・ナーガの目を真っ直ぐ見てこう言った。だがトミンは表情一つ変えることはなく、その死んだ目でサクヤウヤを見つめながら一歩足を踏み出そうとしていた。
「俺に立ち向かおうというのか?ならば貴様にはここで死んでもらう。」
サクヤウヤは迷いなどなかった。澄まし顔で雷を落とし、トミン・ナーガを殺そうとした。耳をつんざくこの音はあまり聞きたくないものだ。だが、落とした雷は彼の左腕だけを焼き落とし、その凄まじい電撃を地面へ逃していった。この地へ降りてきたばかりのサクヤウヤは雷を上手く使いこなせていなかったようだ。静かに雨が降り始め、少しずつ大地を濡らしていった。
「なんだと…」
サクヤウヤは目を見開いて言った。トミンはがっくりと膝を落とし、死んだ魚の目をして空を見上げていた。サクヤウヤはトミンに聞いた、「貴様の目的は何だ」と。トミンは淡々と語り出した。
「この世でまたアメスゲンを」と。「この霧を世界中にばら撒く」と。このとき、トミンはどのような感情だったのだろうか。放心か、あるいは絶望か、はたまた屈辱か。あいつは終始ずっと同じような顔をしていてよく分からなかった。
ともあれ、事態が事なきを得て幸いだった。あの雷を操るサクヤウヤには感謝しかない。
記録番号二一七番
—奇人尋問—
事態の収束後、雷を操りし半神、サクヤウヤは西日暮里の奇人トミン・ナーガを連れて赤羽のもうほぼ機能していない衛兵の屯所へ向かった。サクヤウヤは衛兵たちに英雄だとはやし立てられたが、彼は少し苦笑をしていた。サクヤウヤは心を入れ替えトミンを突き出し、「拷問する場所を使わせてくれ」と頼んだ。一人の衛兵は「拷問は我々の仕事だ、任せてくれ」と上機嫌に言ったが、サクヤウヤはそれを拒み、自分の手でトミンの口から情報を引き出したがっていた。衛兵たちは集まり、少し話し合ってから代表格の男が珍しく真面目な口調でサクヤウヤに向かって言った。
「今回は無条件で呑んでやる。俺たちも色々と仕事があるからな」
サクヤウヤは、「感謝する」と吐き捨ててさっさと屯所の奥へ、拷問室にトミンを連れて行った。
そこには固定器具のついた椅子と様々な拷問器具の揃ったテーブルが置いてあった。薄暗く、不気味な場所だった。トミンは抵抗する気がないように見えた。身動き一つせず、口を開かなかったからだ。その様子を見たサクヤウヤはトミンを尋問することにし、椅子に座らせた。念には念をと手足は固定した。そうするとサクヤウヤはトミンに色々なことを聞いた。名前、どこから来たのか、動悸は何か。
赤羽を、この国を、どうするつもりだったのか。
だが、どうもおかしい。トミンからはこの世の者とは思えない何かを感じた。しかしながらトミンの話し声は小さく部分部分しか聞き取れなかった。
あるとき、微かに聞き覚えのある言葉が聞こえた。
「上野」
上野にいったい何が?
尋問が終わったのかサクヤウヤは話し出した。
話の内容は以下の通り。
・サクヤウヤは最高神キューチの使いらしい
・彼に課された問題は赤羽の穢れを落とすことらしい
・その穢れを落とす方法は”血で血を洗う”ことらしい。しかし、これは不確かな情報だ。
約八年間待たされた理由は、この時期にしか彼を送り出すことはできなかったからだそうだ。しかし、サクヤウヤはそのワケを知らない。
サクヤウヤはトミンに言った。
「力を、貸して欲しい」
よっぽどの人手不足なのか早速血迷ったかは分からないが、確かにサクヤウヤはそう言った、しかも冷静な口調で。だが、正反対の目標を持ったトミンはなぜか首を縦に振っていた。しかしながらその理由がどのようなものか、我々には理解はおろか、想像することすらもできなかった。
サクヤウヤはトミンの拘束具を外し、手を伸ばしたがトミンは数回素早く瞬きをした。トミンはその手を取らず、立ち上がった。
「お前、どうして手を取らないのだ」
「僕はそんなことはしない。それにどんな意味があるか僕は知らない」
サクヤウヤの示した敬意はトミンに理解されなかった。
記録番号二一八番
—穢れた血—
サクヤウヤは考えた。一九九九年、ここら一帯が赤羽になったとき。あの紅い羽は血に染まっていたはずだ。あれだけの出血量、はたして死者はいたのだろうか?
答えは否だ。あの時、ぼんやりとしか見えなかったが力の抜けた人間が降ってくるようなことはなかったはずだ。更にサクヤウヤはノーヴィレの血は聖なるものだと知っていた。するとこんな結論に行き着いた。紅い羽は返り血に染まったものなのではないのかと。もしそうならそれが加害者の血ということになる。まずはその血の元を断つことから始まる。そうすれば、二度と赤羽の霧が発生しなくなるからだ。早速、サクヤウヤたちは街へ繰り出した。ただ、手がかりはなく、しらみ潰しに探すしかなかった。
—人形と技師—
赤羽から場所を移し、王子で探していると何かがサクヤウヤの目に止まった。目の前では動く人形がからくり仕掛けで踊っていた。彼はこれに興味を示し、店に入っていった。店番をしていたのは南千住の異端児、人形技師トキャーケイだった。
彼は普段南千住で活動しており、かなりの腕の持ち主で周辺では結構名の知れた技師だ。だが、情緒が不安定で五月蝿くなることもしばしばある。サクヤウヤはこの人形は何だと言いたげにしていた。それを察したのかトキャーケイは明るい口調で言った。
「これは人形だぁ。自分の思った通りに動かせて自分の分身として喋らせることもできるぞ」
サクヤウヤは少し目を輝かせていた。だが、トミンの死んだ目はずっと死んだままだった。
トキャーケイは続けた。
「さあ、何をしにきたのかな?」
サクヤウヤは、
「その”人形”とやらとあとはそれを動かす技に興味がある」
と言い、店の人形を眺めていた。特に買うつもりはないだろう。トキャーケイはサクヤウヤの聞いてきたことに答えた。だが、ここにはあまり記すべき情報ではなかったため割愛する。この記録は事実を記すことが目的なだけで伝統芸能を未来へ伝えるものではないからだ。
満足したようなサクヤウヤは言った。
「ついでなんだが、俺たちは人を探している。どうやったら見つかると思うか?」
トキャーケイは、
「普通に考えて衛兵に呼びかけるのが最善の策になるぞ。それにあんたはここ、北街区では顔が知れているんだろう?彼等も喜んで探してくれるさ」
と答えた。するとなぜか急にトミンが話し出した。
「僕の知っている世界ではそんなことは当たり前じゃないし衛兵なんて存在しない。恐ろしい悪魔しかいなかった。ああ、あの頃はとにかく女が恋しかった、うへへ」
とても早口だった。それに気持ち悪かった。サクヤウヤは不機嫌そうにトミンの方を見ていた。よほど接客に慣れているのかトキャーケイは気を悪くせず言った。
「なんなら俺もついていくよ。見た感じ二人とも新顔っぽそうだからね。ついでにここでのルールも教えてあげるよ。」
サクヤウヤは困った顔で、
「では店はどうするんだ?」
と聞いた。
「あー…一回閉めるよ。まあ帰ってきたらまた開くけどね」
トキャーケイはそう言い、サクヤウヤたちにこっちへ来るよう手招きをした。
雨上がりの空がオレンジ色に染まっていた。
道中でサクヤウヤは聞いた。「東京の道は全てこんななのか?」と。そんなことはない。ここ、北街区は東京の端の方に位置する。つまり田舎町だ。この東京の中心と呼ばれる千代田、港、中央の3つの街区、それと江戸川の一部の地域では道が石造りになっていてとても歩きやすい。
そうこう言う間に王子にある屯所に着いた。
「誰かいますか?」とトキャーケイが言った。すると、一人、衛兵が出てきて「どうした。何の用だ?」と言った。シュノスという名前らしい。シュノスはサクヤウヤに気付き、少し気分が良くなったように見えた。トキャーケイはサクヤウヤ達が人を探しているということを伝えた。サクヤウヤは探している者の例としてトミン・ナーガを挙げた。もちろん探しているのはトミンではない。「トミンのような人ならざる者のような雰囲気を漂わせる者を探している」と伝えた。それを聞いたシュノスは東京全域の衛兵たちに伝えるためにどこかへ行ってしまった。
こうして、東京全域での不審人物の捜索が始まった。
トキャーケイは東京について教えて欲しいとサクヤウヤに頼まれ、サクヤウヤ達について行くことになった。
記録番号…無し。
—闘神—
ここは、武闘館。年に一度開かれる様々な武器を使った闘技大会が行われる。ルールはシンプルだ。一対一で同じ武器を使い戦う。先に二度相手に膝をつかせた方の勝ちだ。剣と剣がぶつかり合う音、動くときに出る鎧のガチャガチャという音、男たちの雄叫び。試合が始まると、そんな音が武闘館に響き渡った。技が決まったときの関心の声、勝者が決定したときの歓声。決勝戦に近づくにつれて、その声は大きくなっていった。この熱気は、ここでしか味わえないものだった。
決勝の舞台に立った二人の戦士を軽く紹介しよう。
石砕きのウー、彼は手の握力だけで石を砕く化け物だ。この大会も彼は圧倒的な体格差と力で相手をねじ伏せた。その巨体に似合わず、かなり素早く動く。
対するは板橋の闘神、グリニッジだ。彼は体格だけでは全ての戦士に負けている。だが、この場に立てた彼は力ではなく、技で相手を翻弄した。一瞬で相手の懐に入り、無防備なところを突く。これが、彼のスタイルだ。
「これから、第八回全東京闘技大会、決勝戦を始める!まずはロングソードの戦いだ!」
大会主催者が言った。二人は互いを睨みつけ、刻一刻と迫る試合開始の合図を待っていた。
「始め!」
合図と同時に剣がぶつかりあって火花が散った気がした。先に攻撃が入ったのはグリニッジだった。ウーの力強い攻撃を受け流し、隙ができた瞬間に腹を斬った。ウーはタフだ。攻撃はあまり通じない。だが、ウーは膝をついた。グリニッジが得意なフェイントをモロにくらい、頭を斬られた。
「一本目の勝者は…板橋の闘神、グリニッジィ!」
耳が痛くなるほどの歓声が館内に響き渡る。
「続いては、メイスと盾が織りなす華麗なる戦いをご覧入れよう!」
ウーの得意武器だ。ウーはグリニッジの盾を壊しかねない。実際、予選では相手の盾を壊し、その次の一撃で試合が終わるほどウーは力強い漢なのだ。
「それでは…始め!」
バンと音がなった。メイスが盾に激突する音だ。だが、グリニッジの盾は壊れていなかった。グリニッジは盾をメイスの衝撃を受けにくい角度に構えていた。これに動揺したのかウーは一瞬うろたえた。その隙にグリニッジはメイスをウーの頭めがけて振りかぶった。しかし、ウーは凄まじい反応速度でメイスを盾で受け、グリニッジのその無防備な腹へ一発メイスをくれてやった。これには流石のグリニッジにも堪えたようで膝をついてしまった。
最終決戦。それは盾とショートソードの戦いだった。盾で攻撃は防がれ、試合は思いの外長期戦となった。ウーは得意の力技でグリニッジの気力を削ごうとしたが、逆に自分の体力が削がれてしまった。対するグリニッジも数々の技を織りなしたが、盾で全て防がれる。泥仕合だ。しかし、その時は突然やってきた。まさか一撃で勝敗がつくとは誰が思ったのだろうか。最後にものを言わせるのはフェイントだった。グリニッジは間合いのギリギリのところから頭へ一突き、ウーが倒れたことにより勝者はグリニッジとなった。
私はこの戦士の将来に期待している。
記録番号二一九番
—刺客—
六月十三日。今日も一日雨だ。盗みや殺しはあるが、見るからにおかしい人間はまだ見当たらない。ザーザーと雨粒が地面に落ちる音しか聞こえない。その時、微かに音がした。地鳴りだっただろうか。鉛色に染まった空を見上げても、何ら変わりないものだった。
何か異変を感じたようにサクヤウヤは外に出た。辺りが見渡せる高台へ登ると南に決して強くない異様な光が見えた。雨の中、サクヤウヤ達は拠点となった南千住の人形店を出発した。
光の元は上野にある地獄の門だった。これは名前通りの本物の門なのだろうか。ロダンという者は聞いた話より危うい男だったのだろうか。地獄の門について、こんな詩があった。
向こう側を見てはいけない
門の前で待つ者たちも背を向けている
耳に鳴り響く異音
背中に当たる奇妙な光
内側から流れ出る
赤く染まったような空気
無数の蜘蛛が這い上がってくるような
じわりじわりと迫り来る恐怖
悪魔の視線が背中に刺さる
ぺたりぺたりと足音が
我らが崇めし神キューチよ
どうか救いの手を
この詩は全てが比喩で出来ているのかと誰もが思っていた。「内側から流れ出る、赤く染まったような空気」どこか赤羽のあの赤い霧に通じるものがある気がする。門が開いたとするとこの詩の「悪魔」が出てきた可能性が高い。
そのとき、誰かの悲鳴が聞こえた。不忍池近くに二つの人影が見えた。サクヤウヤ達はすぐさまそこへ向かった。
倒れた人が一人、その近くに異形の影が二つ。六本腕の者と三つ足の者がいた。「おい…何…なんだこれは…」サクヤウヤは人間からかけ離れた姿をした異形の者を見て困惑した。トキャーケイは驚きで声すら出ていなかった。ただ一人、トミンだけはいたって平気な顔をしていた。六本腕の”それ”はサクヤウヤたちを見ると何を思ったのか、襲い掛かって来た。咄嗟に行動に出たのはトミンだった。一歩、二歩、前へ出て六本腕の”それ”を迎え撃った。繰り出した手刀はとても洗練された動きをしていた。瞬きする間もなく六本腕の”それ”の首から上が無くなっていた。付け根からは噴水のような勢いで血が噴き出していた。その奥にはかつて頭だったものがあった。倒れた体はしばらくすると、まるで水が沸騰するかのようにその姿を消していった。それを見た三本足の”それ”は発狂してサクヤウヤに向かっていった。そのとき、眩い閃光と耳から血が出そうになる程の轟音が鳴り響いた。落雷地点には灰と化した三本足の”それ”らしきものが佇んでいた。灰は風に流され、何処かに飛んでいった。サクヤウヤは複雑な表情をしていた。しかし、その表情は長続きしなかった。
しばらくすると倒れていた人が意識を取り戻した。さっきまで固まっていたトキャーケイが手を伸ばし、その人を立たせた。
「ありがとうございます。でもなぜ私はここに倒れていたのでしょう」
サクヤウヤ達がそれに答えることはできなかった。そこで何が起こったのか、誰も知らなかった。
記録番号二二〇番
—不審人物—
二〇〇七年八月、半年をかけての大捜索だったが、遂に我々はこの人探しに終止符を打つことができるのかもしれない。墨田街区、両国にて以前から挙動不審だった者が捕まった。彼の名はヤン・スナーリ・カマーノという。彼は…自分のことを羞恥神だと言っている。これは酷い。シュノスはサクヤウヤ達を両国の屯所へ連れて来た。その情報を聞かされたサクヤウヤはまるでゴミを見るかのような目でヤンを睨んだ。
「貴様…一体何者なんだ…」
サクヤウヤが聞いた。
「知りたいか?ならば教えてやろう。私は両国に住まう世紀の羞恥神。ヤン・スナーリ・カマーノだっ!」
口角が少し上がっていたヤンは続けた。
「悪魔は私に囁いた。力が、欲しくないか?と。それに私は快く頷いた。するとどうだ!私は全ての性を超越し、悪魔は私を更なる高みへと導いてくれた。これは、私に約束された運命の撚り糸の一本に過ぎない!クク…」
悪魔よ、お前はどうしてそんなに趣味が悪いのだ。サクヤウヤ一行は、もう呆れていた。シュノスもやれやれと体で言っている。ヤンはすこし怒り気味で言った。
「おい!そんな顔してないでこの拘束を解きたまえ。後悔することになるぞ?」
サクヤウヤは、
「貴様、それは本気で言っているのか?」
と嘲笑うように言った。その瞬間、サクヤウヤ達は身悶えた。頭に直接流れ込むように声が聞こえたのだ。
「僕は…人に迷惑なんてかけたことないんだ。それにかけることもない。君たちなら分かってくれるはず。僕は怪しくなんてないって。だから、どうかこの拘束を解いて」
ヤンは平気そうだ。信じられないことだが、あいつが発しているのだろう。それにしても気が狂いそうだ。「解いて」と繰り返し流れ込む。サクヤウヤの身体はまるで自分の意思とは背いているかのようにヤンの拘束を解いた。抵抗するかと思われたが、そのような気は微塵も無かったようだ。なんとも滑稽なやつだ。サクヤウヤが傷が残っていないか全身をくまなく調べると、ヤンの腹に斬られたような古傷を見つけた。それに気付いたヤンはサクヤウヤを突き離した。どうやら見られたくなかったようだ。
「お前は私の不可侵領域まで入ってしまったようだ」
ヤンの目は光すら逃さないほど黒く、暗かった。
「つくづく奇妙な奴だな」
トミンはヤンの発する違和感に気づいていないようだ。いや、これは慣れた目つきでヤンを眺めているのか?次の瞬間、ヤンが動き出した。目にも止まらぬ速さでトミンの背後に回り込んだ。
「ん?お前あの時いた死んだ目をしたあいつか?w」
ヤンは何かに気付き、トミンに問いを投げかけた。
「は?誰?僕はそんなこと知らない」
そんな言葉と共にトミンの肘がヤンのみぞおちに食い込んだ。ヤンはその場にうずくまることは無かったがかなり苦しそうにしていた。
「そんなことするなら熱い抱擁をしちゃうぞっ」
また頭に声が。今度は本当に駄目だったのかそこにいた全員がなにかしらの拒否反応を起こした。サクヤウヤは頭を抱え、トミンは吐き気を催し、トキャーケイは放心状態だった。これを狙っていたのかヤンはこの隙に逃げ出した。その場にいた者たちはここへ来た目的も忘れ安堵のため息をついた。
記録番号二二一番
—武装調達—
ヤン・スナーリ・カマーノが逃げ出した日の夜、月光という酒場にて。
不意にトキャーケイが喋り出した。
「そういや俺もだけどサクヤウヤとトミンは自分の剣を持たなくてもいいのかい?」
言われてみればそうだ。サクヤウヤやトミン・ナーガの腰には何も携わっていない。
「俺には雷がある。剣が必要だとは思わないがな」
と、いかにも自身の腕に頼りを持っているようにサクヤウヤが言った。
「晴れの日や城内だったらどうするのさ?」
トキャーケイがそう聞くとサクヤウヤは何も言い返すことが出来なかった。
「今までこうしていられたのは運に恵まれていたからだよ。でも、これからも必ずそうなるとは限らない」
「神はサイコロを振っている」
サクヤウヤは言った。「え?」とトキャーケイは困惑した様子で言った。
「神はサイコロを振っているんだよ。運命は神の手の中にある、多からない程度に」
「そう…なんだ…」
「神は俺たちを見ていた。そして間接的に俺たちを助けていたのかもしれない」
「それってキューチ様?」
「いや、違う。いつかわかるだろう。いつか…な」
サクヤウヤは思わせぶりな発言をするだけで、それ以上語ろうとはしなかった。
「でもやはり武器は必要だ。頼むよ」
「う…うん。わかった」
トキャーケイは次にトミンに向かって言った。
「トミンはどうする?剣は要るのかい?」
トミンは言った。
「僕はこの手で四肢を切り離すことだってできる。使うなら僕の棍b」
この時サクヤウヤが食い気味に「自重しろ」と言ってトミンを止めた。
「ゴホン、では改めて。僕が使うなら…じゃあ斧」
トミンは自信ありげに二の腕にできた力こぶを見せた。
「よし、あらかた決まったみたいだな。俺の知り合いに腕の立つ鍛冶屋がいるんだ。そこで武器を打ってもらおう。大田街区にあるから結構な遠出だけど」
大田街区、あそこは職人の町と呼ばれていた。海沿いに鍛冶屋やら仕立て屋やらがずらっと並んでいる。ここ、荒川街区の南千住に位置する月光からかなり距離がある。
「ああ、あと俺は戦えるような人間じゃないから君等のみたいな武器は持たないけど一応護身用に短剣を頼むことにするよ」
「気休め程度にはまあいいんじゃないか?だが今日はもう遅い。日を改めてその鍛冶屋を訪ねよう。」
サクヤウヤが言い、その場はお開きとなった。
翌日、絶え間ない蝉の鳴き声を聞きながらサクヤウヤ達は大田街区に居る鍛冶屋の元へ向かった。とはいえ東京の夏は暑い。一日中蒸し風呂に入れられているかのような暑さだ。ギラギラと照りつける太陽の下、彼らはだらりだらりと汗をかきながらひたすら南へ、海を横目に最南端の地が近づいたところで例の鍛冶屋に到着した。彼らは休憩を挟んでからそこへ訪ねた。
「ワイストンさん?いますかー?」
トキャーケイが鍛冶場の方へ声を掛けた。すると奥から人が出てきて言った。
「ああ、トキャーケイか。またあの鬱陶しい商人かと思ったわい。それで、今日は儂に何のようだ?その連れも含めてな」
筋肉質な老人だった。彼がトキャーケイの言う鍛冶屋で名前をワイストンと言うのだろうか。
トキャーケイは事情を話した。
「ほう、赤羽の浄化かい。そんなことができるのか。それと、神のため剣を打つというのは何とも光栄なことじゃな。短剣と直剣と戦斧の三本か、この匠に任せておけ」
ワイストンは自信を持って快く武器の製作を引き受けた。
「お前、なかなか凄いじゃないか」
「いやまあ俺もここまで来るのに色んなことをしたからね」
それはトキャーケイが腕利きだからだろう。
記録番号二二三番
—円卓会議—
ワイストンは武器の製作には一ヶ月くらいかかると言っていた。その間サクヤウヤ達はヤン・スナーリ・カマーノのことを泳がせることしかできない。南千住の人形店、サクヤウヤは円卓の周りに座る二人に向かってこう提案した。
「あの爺さんが打ち終わるまでの一ヶ月間、情報収集に徹してみないか?」
少なくとも何もしないよりはマシだろう、有力な情報を掴めればの話だが。
「まあ、そうするしかないよね。そしたらさ、この際だし前から気になってたから聞くけど君たち一体どこから来たの?これも情報収集の一環だからいいよね?」
まだ、トキャーケイはサクヤウヤとトミンの正体がよく分かっていなかった。そこに居るであろう君も知らないことだろう。だが、サクヤウヤについてはあらかた理解はついているだろう。では、この場面では割愛させてもらおう。
「なるほど、そんなことが…ところで、どうして二〇〇七年の二月に来たんだい?もっと早くくればよかったのに」
サクヤウヤは一瞬だけ顎に手を当て考える素振りをしたが、首を傾げて
「さあな、俺にはよく分からない」
本当はどうなのだろうか。サクヤウヤは本当にわからないのだろうか。まあいい、二〇〇七年以前にここへ来ていても、人々の戦いに巻き込まれるだけだったはずだ。しかし、彼がいたら今の東京はどうなっていた?彼は雷が撃てる。条件さえ合えばどこの誰にも負けることはないだろう。
「あのさ、ここだけの話キューチ様ってどんなの?」
トキャーケイは何かを警戒しているのか声を潜めて聞いた。彼の言うキューチというものはこの世界における最高神。これについては追々書くとしよう。
「俺は二、三回会っただけだし詳しくはよくわからないが神らしい神だったんじゃないか?」
「どこら辺がどうなの?」
「あー…言葉にするのが難しいな。俺が見ているうちにはずっと微笑みっぱなしだったな、あとはただならぬ気を感じたことだな」
するとトキャーケイはこう返した。「それだけ?」それに返ってきた返事は「それだけ」というものだった。
「じゃあ次はトミンのことについて聞こうかな」
トミンは一回ビクリとしてどこにも焦点を当てない目をトキャーケイの下に向けた。
「君ってさ、人 じ ゃ な い よ ね ?」
ゾッとするような深い闇を垣間見たかのようにトキャーケイは問いただした。だが、何食わぬ顔でトミンは応えた。
「ひと?ヒト?人?僕は”人”と呼ばれるようなものじゃない。僕のこの世界での最初の記憶は東京上野で君らの言う地獄の門と呼ばれるものを眺めたという記憶だ」
「つまり、それはどういうことなの?」
「僕は、俗に言う流浪の悪魔だ」
「流浪の悪魔?」
「これは死語か。なら話すしかない。僕の居た世界のことを」
流浪の悪魔。聞いたことがありそうだがどうにも思い出せない。なぜだろうか。
「僕は君らが地獄と呼んでいる場所、僕たちはアメスゲンと呼んでいるところから来た。馴染まないだろうから地獄でいいがそこには昔、王が居た。けどもまあいつかは死ぬ。しかしそれが急死だった。遺言なんて当然残せるはずない。そのうち、王の弟と王の息子が後継者争いを始めた。そこからだ、あの霧の国がおかしくなり始めたのは。遂には戦争まで発展してしまった。しかも勝敗はいつだって五分五分の状態で泥仕合だった。四、五年がたった当たりだったか、第三勢力が現れた、僕も所属してた”対なる者達”が」
「”対なる者達”って格好つかないような響きだよな」
サクヤウヤはそう言い放った。
「君らがどう言おうと構わないがあの名前を誇りに思っていた奴等だっていたんだ。ほぼ死んだが一人まだいる。ヤン・スナーリ・カマーノだ」
「そ、それはどういうことなの?」
酷く衝撃を受けたトキャーケイはやや平静さを失くしつつ聞いた。
「あいつは、まあそうだな、”対なる者達”が結成されてから間もないころに入ったしそこが目指す場所にヤンは希望を持っていたらしい。ま、これは聞いた話だけどな」
「目指す場所ってどういうこと?まさか、ここ?」
トキャーケイはトミンと目を合わせようとしたが、トミンは目を逸らした。
「最初は地獄から脱出することだった。地獄と言えどあの世界全てが地獄だった訳じゃない。どこへ偵察部隊を行かせようがあまり良い成果は持ち帰ってこなかった。そんなとき、奇妙な門が見つかった。それは雑木林の中にぽつんと立っていた。特に何の装飾もなく、あるのは中央にある閉じられたかんぬきだけだった。おかしなことにその門の裏手に回ってみると門の外側なんてものは無く、その門自体が見えなかった」
「それが地獄の門の内側ってわけ?」
よほど先が気になるのかトキャーケイがやや食い気味に聞いた。
「ちょっと急かさないで欲しいんだけど。それはいいとして、当然その外側に行きたがるやつなんていなかった、一人を除いて。それはこの組織の創設者であるノム・ラスカイだった。そんなことで怖気付いていたら自由も何も掴めないと言い捨て門の向こうへ旅立った」
「そのノム・ラスカイって人は生きてるの?」
「生きていたよ。ノーヴィレと言う名で」
トミンはため息混じりにそう言った。
空の守護者、ノーヴィレ。彼は比較的最近に天界から遣わされた半神だと聞いている。だが違った。世の中、不思議なことがあるものだ。
「あの方が、地獄の住民だったなんて。意外なところにそんな人がいたんだ」
「ああ、でも変わってしまった。君たちの知っているノーヴィレは僕たちが従っていたノム・ラスカイとは全く違う。全てが”らしくなかった”。だからヤンは変わってしまった彼に失望した」
「じゃあ、どうなったんだよ」
サクヤウヤは少し退屈そうに聞いた。大体の事情はもうわかっていたのだろう。
「赤羽。それが重要な鍵だ。地獄だと、赤羽のような霧が全土に蔓延している。それは、争いの爪痕。地獄の住民たちの血から霧は発生している。赤羽ができたとき、トキャーケイ、君は何を見た?」
「何をって、何も見てないけど。話には聞いてるよ、空から紅い羽が降ってきたってね」
「そう、それだ。それに着いていたのがヤンかノムの血のはずなんだ」
そこに割って入るようにサクヤウヤが口を挟んだ。
「きっとノーヴィレの血ではないだろう。彼には聖なる血が流れているはずだ。彼の血なら今の赤羽が霧に包まれることなど有り得なかったからな。あれはヤンの血だ」
トキャーケイの頭に”?”が浮かんだ。
「なんでヤンかノーヴィレにまで絞れるの?」
「”もう一つの事情”があるけどこれは後で話す。ヤンはノムに一喝入れようとノムの居場所を探し出してそこに向かった」
ちなみにノーヴィレは常に東京中を飛んでいた、空を守るために。だがしかし、一九九九年から今日まで彼は飛ぶことができなくなっていた。そしてトミンは続けた。
「見事に返り討ちにされたがヤンはいつのまにか生えていたノムの羽を一刀両断とまではいかなかったが斬り裂いた」
「あの腹の切り傷がそうなのか」
おそらくは腰に携えた神剣白夜で斬ったのだろう。
「”もう一つの事情”とは?」
「それを説明するためにこれからいくつか質問するから答えろ。君たちは梅雨のある日、不忍池に行ったことを覚えているよな?」
「ああ。それがどうしたんだ?」
「そこでは何が起きた?」
「何かあったと言われれば何かあったとんだろうがよく思い出せない」
「じゃあトキャーケイはどうなんだ?」
「うーん…不忍池には行ったけどそれ以外は覚えてないなぁ」
「あそこで僕たちは二人の地獄から来た刺客を倒した。そして消滅した。しかもそいつらは地獄特有の変わった姿をしていた」
「具体的にはどんなかんじだったの?」
「一人は腕が六本あってもう一人は足が三本生えていた」
そのような姿なら深く脳裏に刻まれていそうだが二人の反応はこんなものだった。
「…そんな歪な見た目だったんだ。なのに覚えてないなんて…」
トキャーケイは首を傾げてそう言った。
「そうか、やっぱりな」
トミンは何かを知っている口振りだった。
「地獄から来た奴が死ぬとそれに関する記憶、それに存在していた証拠が失くなってしまうみたいだ」
そういうことなら重大な事件が過去に起こされたかもしれない。消えてしまった二一四個の記録にも関係しているかもしれない。
「それが本当なら調べる必要があるな。一度天界へ向かおう。確かめたいことを見つけた」
サクヤウヤそう言った。記憶に関わることに詳しい、いやそのものの神を訪ねるのだろう。
幕間
—神々—
東京上空に全く動かない雲が浮かんでいる。人はあれを天界と呼ぶ。天界には天上一神、天下七神の神たちが住んでいるという表現が正しいのかわからないがそこにいる。
天上一神の神は、全ての神、キューチだ。その名の通り天下七神の持つ全ての能力を満遍なく有している。そして、人々の信仰の対象だ。大いなる存在に人は惹かれるのだろう。
次に、天下七神の七人の神を紹介しよう。
記憶の神、ベルツ。記憶の大書庫を管理している。人の記憶を司り、この世界で起こった全てのことを記録している。その記録媒体が保管される所が大書庫だ。
大地と空間の神、ヨショカ。その名の通り大地と空間を司る神だ。現在の地上にいる生物は皆、大地からの力をつかっている。
天空の神、ファター。主に天界の管理をしている。それと共に空の蒼さを保っている。気まぐれに雲を動かし、度々空模様を変える。
情の神、マッツィ。人の感情を司る神。全ての人間は彼から情を授かっているのだろう。喜怒哀楽全てだ。この神は人によってどのような印象の神かは違ってくる。
照らす神、ラムジウ。この地を照らす神。だが、彼は面倒くさがりで地上を照らさない時間帯がある。照らす時間帯を昼、照らさない時間帯を夜と言う。
海洋神、マトゥナ。全ての生命の祖が眠る海を司る神。それ以上でもそれ以下でもない。
運の神サトゥール。運を操る。その強大な力で運命をも決定付けることができる。運命を決めるということは未来を見ることができるとも言えよう。
以上が天下七神だ。共通して言えることは、皆一つの能力に特化しているということだ。
また、天界には色々な建造物があるが、必要になったときにでも説明しよう。
記録番号二二四番
—記憶の行方—
サクヤウヤは空に向かって手を広げ、何かを祈った。すると、地面から巨大な手が現れサクヤウヤ達を持ち上げた。彼らが空高く持ち上がった時、雲からも腕が伸びて来た。それはサクヤウヤ達を掴み、雲の上まで持っていった。この現象を人は神力昇降と呼んでいる。
天界に着いたサクヤウヤ達は記憶の大書庫へと向かった。そこにはこの世界の全ての出来事、人物などの記録が保管されている。書庫の扉を開くとそこには大きな机には一見何の変哲もない羽ペンとまっさらな本、その向こう側にはひとりでに動く羽ペンが無数にあった。机の前にベルツの姿があった。開口一番ベルツは言った。
「サクヤウヤにトキャーケイ君だね?えー…君は誰だい?」
トミンは地獄の人間?だから知らないのだろうが他の二人の名前はすぐにその口から発せられた。まさに理解者だ。
「…………」
トミンは何かを考えているのか、それともただ面倒臭いのかはわからないが上の空だった。サクヤウヤはトミンに身の内を明かすよう促した。
「わかったから。僕はトミン・ナーガ、神という肩書きは伊達なのか?」
「外から来たトキャーケイのことも知っている。伊達だとは言わせない」
トキャーケイはベルツのその言葉に驚きつつ「よくご存知で」と言った。
「サクヤウヤよ、今日はどのような要件でここへ来たのだ?」
「地獄について知っていることはないか聞きたくて来ました」
サクヤウヤも流石に自分より位の高い者には多少ぎこちない敬語を使うようだ。
「しかし、地獄か。それに関する事であれば以前はよく見たものだがそれを記録することができなかったのだよ」
「やっぱりか…」
「ん?なんだね?」
「いや、同志が生きている間は人間達もこれについては認識できていたんだが、あいつらが死ぬたびにその認識が薄れていくんだ。その全てが死んだとき、人間達は最初からそのことが無かったかのように振る舞い始めるんだ」
「それは私がその同志たちについて記録することができないからだと思う。存在というものが確実に認識できる時、つまり生きている間は私が記録をしなくても人が君の同志たちを記憶し続けられるだろう。しかし、その存在が曖昧になってしまったらどうだ。すぐに人はそれを忘れる、いや君の言葉を借りるとすると最初から無かったかのように人は辻褄の合わない記憶を勝手に改ざんし、強引に辻褄を合わせるはずだ。こういう考えに辿り着けるのは私が全ての記憶を管理しているからでね。もちろん、書けないこともあるけどこのことも記録しているから」
「わかりやすい説明をどうも」
トミンは皮肉の効いた言葉をベルツに投げかけた。しかしベルツには人の感情を読み取る力がないのか満足気な表情でにこりと笑ってみせた。
何か疑問に思ったのかサクヤウヤはベルツに聞いた。
「ちなみにその勝手に動くペンはどうやって動かしているのです?」
「これのことかい。これは念力で動かしている。私の念力は強くてね、沢山のものにそれぞれ違う動きをさせることができるのだよ。それで一つ一つがまるで意思があるかように動いているのだよ。そう機会があるわけでもないから質問があったら何かしなさい」
「これで終わり、だな?」
二人は頷いた。大書庫を出る間際、何もかもに圧倒されていたトキャーケイはこう言った。
「こ、この度は誠に有難う御座いました!」
そして、サクヤウヤたちはここへ来た手段を使って元いた場所へ戻った。
記録番号二二五番
—偵察(北街区、神谷北、赤羽)—
そんなこんなで情報収集のため、赤羽へ足を踏み入れることとなった。例の如く堕落した人間たちがそこら中にウヨウヨいる。赤羽の中心部は霧が薄く、商売が繁盛している印象だ。酒場、定食屋あたりが賑わっている。ただ、食糧品を扱う店が繁盛しているだけでそれ以外のことはまるで相手にされていない。喧嘩をツマミに酒を煽る衛兵たち、今にもくたばりそうな物乞い、はした金を握りしめその日暮らしをする若人。そんな奴等しかここにはいない。奴等は排泄などそこらで済ませてしまう。便所に赴くことすら億劫なのだろうか、それともその習慣を忘れてしまったのか、流石に答えは前者だろう。まあ、それほど奴等は低俗な生き物であるということだ。
「いつ来てもここは居心地が悪いね」
トキャーケイがため息混じりにそんなことを言っているとトミンが伸びをし、大きく息を吸った。
「どうしたんだお前」
それを疑問に思ったサクヤウヤは聞いた。
「久々なこの空気、気持ち良すぎだろ!」
やはりトミンは…いや、いつも死んでいたはずの目が潤いを取り戻している。この状態はかなり貴重なものだろう。サクヤウヤとトキャーケイはトミンの新たな一面に驚き…呆れた。
「なんだお前?それがお前の本調子という訳か?」
「フッ。この町にはのろまが多いな。しかーし、そんなことはどうでもいい。僕はにこの霧があれば百人力だああああ!」
トミンはサクヤウヤ達を含む周辺の人間の視線を集めた。
「おいおい…活きがいいのはわかったが頼むから自重してくれ」
サクヤウヤは我々の言いたいことを代弁してくれた。やはり赤羽の端は霧が濃く、活気はない。
「ここに長居してたら俺までおかしくなっちゃうよ」
トキャーケイはただの人間。長居してしまえばそこら辺の俗衆と同じようになってしまう。
「ならばさっさと行くぞ。トキャーケイがくたばる前にな!」
珍しく絶好調のトミンは足速に中心部へ向かった。
「しかしまあこんなところにヤン・スナーリ・カマーノがいるとは思えないな」
サクヤウヤはそう言った。確かにここ、赤羽にはヤンの気配がしない。トミンのような状態のヤンがいれば、赤羽はもう少し騒がしくなっているようにサクヤウヤたちは思ったのだろう。
中心部は例の如く居酒屋、定食屋が建ち並んでいる。相変わらずここだけは他の街区に引けを取らないくらい賑わっている。このせいで国は赤羽を対処しようとしないのか。
「何か食って帰るか?」
サクヤウヤはここから引き上げようとした。ここで得た成果といえばトミンが豹変したくらいだろうか。
「赤羽ってご飯だけは美味しいからね。いいよ、食べて帰ろう」
そうトキャーケイが言った。ここには居酒屋が腐るほどある。サクヤウヤとトキャーケイは迷いに迷った。迷った挙句辿り着いたのは、”大衆居酒屋唐揚げ班長”だった。その名の通り、唐揚げの旨い店だろう。三人は唐揚げを旨そうにかぶりつき、満足感を得て帰って行った。
記録番号二二六番
—巨人の寝床、西新井—
二〇〇一年、足立街区全域で火事が起こった。数日で足立街区は焼け野原となり、土は灰に埋もれた。
二〇〇七年八月現在、復興は進んでいる。北千住は復興が進み、大火事の前のような光景に戻りつつある。しかし北千住より北、荒川の向こう側はまだ灰や全焼した家々が撤去されず残っている。
サクヤウヤはヤンが復興の進んでいない荒川の向こう側に潜んでいると睨んだ。
早速彼らは北千住へ向かい、そこから尾竹橋で荒川を渡り、そのまま街道を北上した。道なりに進んでいくと西新井という町に着いた。
「よし、じゃあ居酒屋みたいなところへ行ってみよう」
慣れた様子でトキャーケイは言った。サクヤウヤは周囲を見渡し酒場を探した。しばらくして彼は近くに酒場を発見し、そこに指をさして「あそこでどうだ」と聞いた。しかし、その次の瞬間トキャーケイが息を飲みこういった。
「あ、あそこにあいつが…ヤン・スナーリ・カマーノがいる。見える?」
さっきまで大あくびを欠いていたトミンがこういった。
「んあ、じゃあここが当たりか」
ヤンは真っ直ぐサクヤウヤが指をさした酒場へ入って行った。
「さすがにあそこに入るのは御法度か。遠目から中を覗くしかないな」
中を覗いてみるとヤンは誰かと話しているようだった。隣に目をやるとざっと身長3mくらいだろうか、巨体の男が座っていた。明らかに普通の人間ではないことが容姿からうかがえる。トミンが「あれ人間?」と問うてみた。
「あれは…多分巨人族の成れの果てだと思うな」
トキャーケイから意外な回答が帰ってきた。しかし巨人族とはな。
「巨人族とは?」
首を傾げたトミンは聞いた。
「伝承によるとたしか今から数百年前とかは結構いた10m近い身長の人型の動物で人以外の唯一の知的な動物かな。最近はその姿を全く見ることができなかったんだよね。まさかこんなに小さくなっただなんて。とっくに絶滅したかただの空想上の生き物かと思ってた」
トキャーケイはそう説明したがトミンは理解できた様子ではないことをどこかを見ているようで見ていないその目が物語っていた。そのとき、サクヤウヤは何かを閃いたように呟きだした。
「あいつ、ヤンの仲間か?トキャーケイ聞いてこい。お前あいつになんの印象も持たれてないだろ」
「ええー?本当に言ってんの?死ぬよ?」
「大丈夫だ。お前は偶然居合わせたぐらいの人間にくらいしかヤツに思われてないだろう」
トキャーケイは肩をすくめて酒場の近くで聞き耳をたてた。幸い周囲に歩行者はあまりいなかった。側から見るとトキャーケイはただの不審者だ。
数十分してトキャーケイは戻ってきた。苦笑いをして彼は話しだした。
「あの巨人はタリムリアとか言うっぽい。で、なんかヤンに変なこと吹っかけられてまんまと騙されていたよ」
「具体的にはなんと?」とサクヤウヤが聞いた。
「俺に協力してくれれば一生楽させてやるだとか。タリムリアはあの図体の割に頭が悪くて『えーやったー。協力する。』みたいなことを言ってた、しかも自分がこれから何をするかもわからずに。ヤンは何やら難しそうな話をしてたけど『要するに俺についてくればいい』とか言ってたよ。要注意だね」
「そうか、だいたいわかった。見つかると危険だな、その前に退散しよう」
サクヤウヤはそう言い、彼らはこの灰色の町から静かに去った。灰と共に残された足跡も風に流され消えていった。
記録番号二二七番
—匠の武器—
二〇〇七年九月、蝉の声も大分静まり気持ちの良い微風が吹いていた。匠ことワイストンに武器の製作を依頼してから一ヶ月はもう経っていた。それを思い出したかのようにサクヤウヤは「そうだ、大田街区に行こう」と言い、トミンとトキャーケイを引っ張り出した。
この日は快適な陽気だったからか彼らは案外早く目的地に着いた。
「ワイストンさーん?いますかー?武器を取りに来ましたー!」
鍛冶場の奥へ呼び掛けた。
「おお!お前か!待っていたぞ。もうできてるからちょっとこっち来い」
そこへ向かうと三本の武器がずらりと並んでいた。
「そこの半神、ほれ、これがお前の剣じゃ。雷を操れると聞いたんじゃがこの剣は帯電させられるかもしれん。まあその気になったらやってみろ」
よく見ると刃に文字のようなものが彫られている。「R, a, i, J, i, N」これはどう言う意味だろうか。それは明らかにこの土地の言語ではなかった。
「そこの左腕が無いの、ほれ、斧だ。何の変哲もないただの斧だ。好きに振り回すといい」
よく見るとこれにも文字のようなものが彫られている。「Z, a, N, K, i」何のことかさっぱりだ。
「そしてトキャーケイ、お前の短剣だ」
「K, o, K, u, T, o」と彫られている。毎度毎度こうだ。しかし、これが匠のこだわりというものなのか。それを自分に問うてみたところで返ってくるのは静寂ただそれだけだった。
「ワイストンさん、必ず赤羽を晴らしてみせます」
「おうおう、そうかそうか。楽しみに待っているぞ」
そんな他愛もない話をしていたその時声が聞こえた。
「……す……ために………してやる……」
不穏な気配がすぐそこまで迫ってきているとその場にいた者たちは思った。
記録番号二二八番
—片翼のノム・ラスカイ—
「さあ行こうか、あの霧を晴らす為に!」
三人はそれぞれの武器を掲げた。
「その前にちょっとノムのところへ行きたいんだけど」
トミンは青天に掲げた斧を肩に担ぎ言った。
「ん?ああ、そうだな。行こう」
北街区、神谷。そこへ彼らは向かった。この谷はさほど深くはないが東京屈指の広さを誇る。
谷底にはあの姿があった。ヤン・スナーリ・カマーノに翼を斬らた挙句、飛べなくなり斬られた方の翼が無くなってしまったノーヴィレの姿が。
「こんにちはノム・ラスカイ。とても久しぶりだ」
そうトミンは呼び掛けた。
「やあ。何年振りだろうか、あのときの仲間に会うのは」
やたらと豪勢な椅子に腰掛けたノーヴィレが言った。
「今からヤン・スナーリ・カマーノを懲らしめに行く。赤羽の霧を晴らす為に」
「そうかそうか、では応援する。吉報が聞けることを期待している」
次にノーヴィレはサクヤウヤに目を向けて言った。
「サクヤウヤ、君の噂はよく聞いている。まあ特に言うことが見つからないがあいつのことは頼んだぞ」
「了解。トミンがいいならもう行こう」
「もういいぞ。行こう」
すると少し驚いたような仕草をしてノーヴィレは言った。
「え?もう行くのか?もう少しでも話さなくていいのか?」
するとトミンが一言物申す。
「時間がもうあまりない」
「もう少しでもここにいてくれないか?ここは少しと言うかあまりに静かなのだよ。」
ノーヴィレがそんなことを言い、無駄話を引きずっていたところに谷の上から一人の衛兵が谷底に通るほどの声で言った。
「大変だ!飛鳥鉱山が襲撃されている!たった二人相手にかなり手こずっている!ここまで影響が出るかもしれない!警戒を怠るなぁ!」
すると神谷にいた多くの人々が帰路に着く様子が見られた。その様子を見てノーヴィレが立ち上がった。腰にはかの神剣「白夜」が携わっている。
「凄いことになっているみたいだな。行くなら行け。あいつはそこに居るだろう」
ノーヴィレは飛鳥鉱山の方角を指差した。
「また会おう、全て片がついたら。ああそれと、これを」
そう言ってノーヴィレは残された片方の翼から羽を一本取り出してサクヤウヤに渡した。
「何故こんなものを?」
「こんなもの…か。まあいい。これはもしもの時の為の救済だ。少しばかりの違和感を感じるからな。」
サクヤウヤは顎に手を当てこう言った。
「違和感?違和感とは?」
するとノーヴィレは少し顔を困らせて言った。
「本当に少しなのだが悪い予感がする。今はまだこう…具体的に言えないがでもこのことはきっとのちに分かるはずだ」
「では、一応このことは気にかけておく」
その言葉と共にサクヤウヤたちは飛鳥鉱山へ足速に向かった。
記録番号二二九番
ー暗闇と飛鳥の山ー
神谷からサクヤウヤたちは急いで飛鳥鉱山へと向かった。いつのまにか厚い雲が辺りを覆っていた。彼らがそこへ着くと荒れ果てた作業現場とタリムリアが佇んでいた。
「お前ら、誰?おれの味方?」
サクヤウヤたちは逃げ出した人混みの波に逆らいここへ来た。タリムリアはそれを不思議と思ったのかもしれない。そしてサクヤウヤは口を開く。
「いや、今は味方でもなく貴様の敵でもない。だがこれは言っておこう。貴様の出方次第で俺たちは敵になりかねない」
「……とぉら!」
タリムリアは落ちていた石を勢いよくサクヤウヤに投げつけた。サクヤウヤは避けたつもりでいたが、頬が血で赤く染まっていた。石が頬を掠っていたのだ。
「やるしか無さそうだ。行くぞ」
サクヤウヤは手を頬に当ててそう言った。そして腰あたりにある鞘から光沢のかかった刃が顔を見せた。同時にトミンも背中に備えた斧を取り出した。トキャーケイは…言わずもがな腰に備えた短剣を出したものの後ろに下がった。
サクヤウヤは一歩二歩、前へ出て鉛色の空に向けて剣を突き上げた。やはり轟音と共に雷が降ってくる。だが今回は違った。剣が雷を纏ったのだ。しかし、それにタリムリアは怯える様子もなく”それがどうした”と言うかのような顔をしている。
「トミン、やるぞ!」
二人はタリムリアに向かって走り出した。次の瞬間だった。サクヤウヤが気づいた時にはもうトミンの体が宙を舞っていた。タリムリアの右腕が見えないほど速くトミンの腹に食い込んでいた。
「おいおい…本当に言ってんのか?」
タリムリアは吹っ飛ばされたトミンを見て「飛んだなー」と呟いた。それを聞いたサクヤウヤは明らかな怒りをタリムリアにぶつけようと剣を振った。だがしかし、その剣はひらりとかわされた。そして丸腰のはずのタリムリアから反撃を貰った。左脚からの蹴りだ。サクヤウヤまでも吹っ飛ばされた。単純な戦闘能力に関してタリムリアはサクヤウヤ達を軽く上回るようだ。
それを側から見るだけだったトキャーケイは自分の身を隠すことなくただまっさらな大地の上に立ち尽くしていた。そして彼は膝を落とし、空を見上げてこの状況に絶望いや絶句をしていた。彼の心情をこの空が鏡のように写したのだろうか、その時、一瞬で髪を濡らしつくさんばかりの雨が降り出した。タリムリアの足音がしだいにトキャーケイへと近づく。トキャーケイは命を欲したのかゆっくりと首を下に向けた。トキャーケイの膝元には黒い虚ろな炎を纏った魔刀伐折羅が突き刺さっていた。
「あれは…魔刀伐折羅!?おい!トキャーケイ、それに触れてはいけない!闇に呑まれるぞ!」
サクヤウヤのそんな声はトキャーケイの耳に届かなかった。トキャーケイはぽつりと呟いた。
「俺に力があれば…」
トキャーケイは魔刀にゆっくりと手を伸ばし、柄に触れた。すると…あたりは闇に飲み込まれた。底のない闇。それは魔刀伐折羅の恐るるにたらない力であった。力を求める者にとってそれはとてもとても魅力的な光景だった。
三十秒ほどで闇は晴れた。そこにタリムリアの姿は見えなかった。トキャーケイはゆらりとしながら立っていた。その顔には黒いモヤがかかっている。
「我は伐折羅。闇に生きし者。しかし、この身体は重い。鉛でできてるように」
トキャーケイは伐折羅と名乗った。明らかにトキャーケイではなくなっていた。伐折羅の強大な力に飲まれたようだ。
「我に平伏せろ。さすれば命は奪わないでおこう」
そう言って伐折羅はサクヤウヤに刃先を向けた。周囲の空気が波打つくらいの威圧にサクヤウヤは屈することはなかった。しかし、なぜか先に口を開いたのはトミンの方だった。
「んー、あー、聞こえなーい。んー」
サクヤウヤは目を丸くしてトミンの方を見た。伐折羅もそちらを見ていた。それに一瞬早く気付いたサクヤウヤはトキャーケイの右手が握っていた伐折羅を弾き飛ばした。しかし、トキャーケイから伐折羅はなかなか抜けなかった。サクヤウヤは考えた。逆の事象が起きていたことを我々は知っている。ノーヴィレはもともと地獄にいた。しかし、今は神に近しい存在となっている。穢れた血もいつしか聖なる血に変わっていた。なぜ、穢れは取れたのだろうか。ノーヴィレには伐折羅のように自我を持った物が取り憑いているのかもしれない。
「やはりあの剣か?」とサクヤウヤは呟く。ノーヴィレの腰に携えた神剣、白夜。あの剣は光をもたらす強い力が備わっていると言われている。光をもたらすとは何だ?
そう考えるうちに伐折羅はサクヤウヤに飛びついた。地面に押し倒し、首を絞めようとした。幸いトミンが颯爽と駆けつけて伐折羅を引き剥がした。
「ごほっごほっ…礼を言おう。ん?これは?」
そこでサクヤウヤはノーヴィレから預かった羽が光り輝いていることに気がついた。その羽は伐折羅の暗い闇を吸い込んでいるようにみえた。
「サクヤウヤ!なんとかしろ!僕じゃもうどうにもならない!」
伐折羅と取っ組み合いをしていたトミンは押され気味になっていた。そこでサクヤウヤは伐折羅に駆け寄り持っていた羽をその胸に押し付けた。
「うわあああ⤵︎あああああ⤴︎」
断末魔と共に羽が闇を吸い込んだ。伐折羅の闇を完全に吸い取った羽は青い炎と共に消え去った。トキャーケイは元に戻った。
「おい、お前。大丈夫か?」
「本当に申し訳ないよ。俺が不甲斐ないばかりに」
トキャーケイは地を一回強く叩いてそう言った。
「俺が…もっと強ければ…畜生!くそっくそっ!」
自分の首を絞める勢いでトキャーケイは自分を責めた。
「落ち着け!あの状況下だったんだ、仕方ない」
「でも!俺は!君も、トミンも殺しかけたんだ!」
「あれはお前じゃない。お前の形をした闇の魔物だ。あれはお前じゃなかったんだよ!」
「そ、そうだよね…うん、
といった会話をしているうちにトミンは伐折羅に近づき、手を伸ばした。
「………。よし、何とかなった」
トミンの手が伐折羅に触れてもなんともならなかった。彼が強いからなのか、それともこの世界の人間ではないからなのか私が知り得ることはなかった。
「おいおい…お前大丈夫なのか?」
サクヤウヤはまるでこれ以上勘弁してくれと言っているかのような顔をした。
「え、大丈夫そうだから触ったら大丈夫だった」
トミンはそう言ったが、伐折羅はいまだ黒い虚ろな炎が纏われていた。
記録番号二三〇番
ー紅い池ー
伐折羅に鞘はなかった。放つ邪気に耐えられるものがなかったのだ。それゆえに大抵の場合は地面に刺さっている。たとえ邪気を封じ込めることのできる鞘があってもいずれなくなる。伐折羅はどういうことか突然現れるのだ。飛んでくるのか、生えてくるのかそれはわからない。伐折羅が出現するところを見たものが未だ一人もいないからだ。だから前述したような二つの説があるのだ。ただ、強く力を求める者の前に現れると言われている。それを試した大半の人間は伐折羅を絵でしか見たことがない。危機的状況に陥ることも鍵となるのだろうか。根本的な話、そのようなことが起こらなければもう呪われた刀なんかがどこからともなく湧いて出ないはずなのに…人が力を持たなければいいだけなのに…現実はそう甘くはない。私一人が願ったって、変わらない…変えられない…いつか、時代は繰り返す。その前に伐折羅を折るべきだ。
この世界の歪みは本来なら存在しないはずの者の手の内にある。歴史にも、人々の記憶にも残らないであろうあの者に。西日暮里の奇人、トミン・ナーガ。彼の手に。
「タリムリアを見つけてやった、早く殺しに行かねば。アイツは脅威だ」
トミンは紅い霧が見える方角を指差した。視界の悪い雨の中、彼らは走り出した。地面は濡れて泥と化していたが、滑って転ぶことなど気にせずにただただひたすらに走った。気づけば辺り一面が紅い霧に包まれていた。赤羽南、右手に運動場が見える場所、そこにタリムリアはいた…見上げるとヤン・スナーリ・カマーノが漂っていた。「ご機嫌よう。雷の子よ」とヤンは見下ろして言った。今まで誰もそのような呼び名を使ってこなかった。不思議に思ったサクヤウヤは「雷の子とは誰だ」と聞き返した。
「それはあなたです、サクヤウヤ。分かりませんか?」
「いいや、ちっともわからない。わからないから聞いたのだよ」
妙だ。ヤンは以前こんな口調ではなかった。まるで別人だ。いいや、別人かもしれないな。以前ヤンと対面した際に頭に直接声が入ってきた。だがしかしそれはやはり表に見せていた口調とは違っていた。ヤンの中には何人も別人がいるのか、別人を演じているのか。今はそれどころではないな。
「まあいいでしょう。やるならやりなさい。ただし、タリムリアを倒してからです」
「おまえ、テキ。コロス」
ヤンの真下にいたタリムリアは勢いよく両手を振ってサクヤウヤの方向へ走った。サクヤウヤは一歩も引かないトキャーケイにちらりと目をやった。
「大丈夫、俺だってこれ以上後ろで縮こまってるわけにはいかないからね」
サクヤウヤは静かに頷きタリムリアに備えた。最初の一振りはトミンに向けられた。
「あ”あ”あ“あ”あ“あ”づ”い“」
トミンは伐折羅でタリムリアの攻撃を凌いだが、物凄い衝撃だったのか刃を地面に突き立てている。他二人もさっきの衝撃で起きた風に抗っている。タリムリアが拳の熱に気を取られている隙にサクヤウヤが一刀、タリムリアの左膝から血が流れ始めた。そして、タリムリアは立っていられず地面に伏せてしまった。
「いいですねえ。もっとですよもっと!」
ヤンは高みの見物を決め込んで下の様子を見、楽しんでいる。
「今ならいける!くらええ!」
トキャーケイは勝利を確信し、剣先をタリムリアの正面に向け走った。
「まだ、おわらない」
タリムリアはトキャーケイの剣の刃を捕まえた。そのまま柄で殴り、よろけ倒れたトキャーケイの頭を空いていた左手で地面に叩きつけた。それ以来、トキャーケイは動かなかった。
「………。返せよ…あいつのものだろ!」
水を蹴る音が絶え間なく聞こえる。誰かが走っている、憎悪を乗せて。それに呼応するように雲は白く光り、轟音を轟かせたり、至る所に稲妻を落としたりし始めた。
トキャーケイの骸から流れ出る血でタリムリアの周りは紅く、池のようになっていた。
記録番号二三一番
ー神々しき装束ー
「やめておけ。怒りで剣を振るうな。いくらこっちが優勢だからといってタリムリアの怪力は凄まじいぞ。あんなのを食らってもいいのかよ」
トミンは伐折羅を持った右腕でサクヤウヤの行手を遮った。
「忠告なんて珍しい。だが…わかった、怒りは抑えよう。だがな、トキャーケイの仇は打っておきたい。その手を降ろしてくれ」
「………。僕だってそう。まあいいや、僕も行く」
トミンはそう言うと何かを唱え始めた。
「ここに眠るは自由を願った対なる者達。まだ、いるのだろう?この紅い霧に未練を残して。行くべき所へ行きたいのなら我に力を貸すといい。この左腕を治してもらおうか」
トミンは地面に本来左腕がある場所を地面に押し付けた。そうすると、地面からトミンのかはわからない左腕が生えてトミンの左肩にくっついていた。
「うわっなんだよそれ!驚かさないでくれ」
「ちょっと勝てるかわかんなかったから左腕を治した」
「本気…なんだな…行こう!」
驚きつつもサクヤウヤはトミンを連れて走り出した、動けないタリムリアの元へ。
瞬く間に片がついた。トミンはタリムリアの左腕を攻撃した。斧と刀の二刀流から織りなす一撃はタリムリアに深い傷を与えた。タリムリアはそれに対処することに精一杯だった。
一方サクヤウヤはタリムリアがトミンに気を取られてているうちにトキャーケイの短剣を拾っていた。サクヤウヤはその短剣に少しだけ祈りを捧げてタリムリアに突き刺した。
「仇はとった。今までありがとう。さらば…」
サクヤウヤの装束は返り血で真っ赤に染まっていた。
記録番号二三二番
ー羞恥の神ー
「タリムリアを倒したのですね。これも約束された運命の撚り糸…。ならば、この私が最期に相手をしてあげましょう」
二人とも先の戦闘で疲弊していた。これ以上は流石に無理があるだろう。
「すこしズルくないか?」
「これも戦略です。全くもってズルだなんてことはありません」
ヤンが地面に降りてきた。左の腰についている剣を抜こうとしたその時、ヤンの両腕が地に落ちた。サクヤウヤの方を見、彼は刀についた血を振り払った。
「やあ、君たちのことは噂に聞いている、助太刀するよ」
彼は自分のことを流離の風来坊、モーディと名乗った。彼はどこかわからぬ出の装束、埼玉王国のものだろうか?それを着ていて口元には布を巻き、右手に刀を持っている。確か刀は東京人、いや関東全域の人間が打てる代物ではない。遥か西にあるあらゆる技術が集まる大阪で撃たれたものだろう。彼の持っている刀は赤羽の霧の影響で紅い光を反射していた。
「ああ!助太刀感謝する!…しかし、トミンとあいつの出が同じなら…気をつけろ!まだ油断はできない!」
例の如くヤンは何かを唱えだした。
「この地に眠りし対なる者達よ、共に戦った同志たちよ、我に力を。誰しもいつかは土へ還る…しかし私たちは…生きた証すら残されない。このオアシスが、今度は消える。これで最後…私たちの生きた証がこれで完全に消える。これでいいのか!?よくないだろ!?力を貸してくれ!」
ヤンの両腕が元通りに戻った。おまけに両肩からも腕が…生えてきた。それに生えた手にはそれぞれ剣が握られていた。
「おいおい…強くなってるじゃないか。貴方なら致命傷を与えられたはずだろう、旅人さんよ」
「すまないが俺は人殺しにはなりたくないものでね、今考えると足も斬ってよさそうだったな」
「ここは隙を見せるまで耐えるか。行けるかトミン?」
「僕あれやったとき結構体力消耗したんだよ。多分無理。あいつがどれだけ今ので消耗したかはわからない。でも少しは消耗するはず」
微風が頬を掠め、髪を靡かせる。ヤンは一歩一歩三人に近づいていった。
ヤンはトミンに刃を向けた…と思った瞬間にはトミンの懐に入り、斬撃を打ち込んだ。トミンはその瞬間を見切りかろうじてその攻撃は防いだ。防いだは良いものの、衝撃で吹き飛ばされてもう立てなかった。サクヤウヤはトミンに目配せもできずに言った。
「大丈夫か!?まだ行けるか!?」
「ちょっと…もうダメかも…死にはしないけど」
「体力を使い切ったか…何が起こるかわからない!お前が持ってるその魔刀はもう捨てろ!邪悪な力に呑み込まれるかもしれないしな」
トミンは黙って伐折羅を投げ捨て、這うようにその場から去ろうとした。
「逃がしはしない」
ヤンはそう言い左足を踏み込んだ。
「させるか!」
そう言いサクヤウヤは行手を遮った。ヤンはそれに対し、三本の剣による連撃をサクヤウヤに浴びせた。そこにモーディは割って入ろうとしたが、腕が一本彼に向き、それに対処することに手一杯になっていた。
「旅人さんよ、腕一本なら隙も生まれやすい筈だ。何とか攻撃できないか?」
「弾くことができれば何とかできるだろうね。ああ、やってみるよ!」
早速、モーディはヤンの放つ斬撃を弾き、ヤンの右の脇腹あたりに一撃を入れた。傷ができ、血も出た。するとヤンの攻撃が全てモーディに向き、重い一撃が繰り出された。その一撃をモーディは防ぎきれず、深傷を負ってしまった。
「強いな…勝てるのか?こいつに?」
サクヤウヤはヤンの猛攻に攻めの姿勢で挑めずにいた。三本の剣は全く隙を見せない。
じりじりと体力は削がれる一方だった。
「攻撃してこないのか?」
余裕そうな顔をしたヤンは猛攻に手を緩めずに言った。このままではまずいとサクヤウヤはずっと感じていた。
「待たせたな。援護する」
呼んでもいない援軍だ。この数、北街区中の衛兵がここに集まっている。赤羽で飲んだくれていた衛兵たちや王子のシュノスのような面々がここに勢揃いしたのだ。
「くそっ、とんでもない化け物だな」
やはり、初見だとそうなる。下手に近付けば死あるのみ。
「そこで突っ立っているのなら倒れた二人を介抱してくれ。くれぐれもこっちに近付くな!」
サクヤウヤの一言で高度な戦闘に見惚れていた衛兵たちはハッとなり言った。
「了解しました!」
トミンとモーディは救助された。彼等の働きに感謝する。
それから暫くの間戦いは膠着していた。その時は突然のことだった。空が一瞬光ったと思えば周囲に轟音が鳴り響いた。天が怒りを覚えたのだろうか、サクヤウヤを味方したのか雲が一層低く鉛に染まってこちらをみているような気がした。
「終わりだ」
突然の出来事に偉く動揺したヤンは大きな隙を見せていた。
稲妻が降り、ヤンの腕が二本とも消し飛んだ。耳から血が流れ出そうなほどの轟音はまたもヤンの隙を産んだ。ヤンの右肩から生えた腕を切断し、斬り損ねた腕を落とすべくくるりとまたヤンの方を見た。サクヤウヤは懐に飛び込む…。鉄と鉄の衝突音が響き、火花が散った。ヤンは最後の剣でサクヤウヤの攻撃を受け止めた。
「足掻くな、殺しはしない」
「……………」
腕がまた一本地に落ちた。ヤンはその場に膝をつく。
「おい、終わったぞ。こいつを近い屯所へ連れて行く」
「了解しました!」
サクヤウヤは膝を落としたヤンに言った。
「これまでの礼だ。貴様には死よりも恐ろしいものを見せてやろう」
記録番号二三三番
ー穢れた血と聖なる血とー
この光景には懐かしさすら感じる。
サクヤウヤはヤンを赤羽の屯所の奥、拷問室へ連れて行った。
サクヤウヤはヤンを拷問椅子に座らせこう言った。
「さっき言っただろう?『死よりも恐ろしいものを見せてやる』と。それは…永遠だ。貴様はここで、死ぬまでこのままだ。自殺を試みようとも貴様は死ぬことはできない。だから、お前はここで朽ちるまで永遠にこのままだ」
サクヤウヤは重い扉を閉じた。扉に着いていた格子付きの小窓も閉めた。ヤンの視覚は暗転しただろう。
サクヤウヤは次に神谷へ向かった、ノーヴィレに会うために。
「全て終わった。天界へ着いてきてくれ」
「それはあいつを倒したと言うことなのか?」
サクヤウヤは黙って頷いた。
「そうか………」
「殺しはしていない」
「ああそうか。それならもう赤羽は消えて無くなっている筈だからか」
天界へ行った目的はただ一つ、血で血を洗うこと。
「しかし、何故殺さなかったのだ?」
「赤羽を最初からなかったかのように振る舞われるのは少し虚しいと思ったんだ。せめて、今だけでも皆に赤羽は消え去ったと記憶して欲しい」
「…止めはしない。好きにやるといい」
ノーヴィレは手のひらを少し切り、流れた血を小瓶に詰めてサクヤウヤに渡した。
サクヤウヤはそれを赤羽の方角へ降り注いだ。
穢れは消え、赤羽の霧は晴れた。
人々の記憶から赤羽は消えずに残った。霧で覆われていた場所は霧が晴れた後でも赤羽と呼ばれている。この記憶を教訓にここから人々はどう変わっていくのだろうか。神ですらわかるまい。
赤羽は消え去った。この世から、完全に。
——アノ日カラ——
赤羽の消滅から半月、赤羽が消えたからと言って東京は何も変わりはなかった。
サクヤウヤとトミン・ナーガは清潔な白いベッドで仰向けに寝ているモーディを見下ろしていた。窓辺から穏やかな光が差し込み、涼しげな微風が白いレースのカーテンを揺らしていた。
「あれからずっと、俺の世話をしてくれてありがとう」
モーディは微笑み、腹のあたりに巻き付けられた包帯を二度三度さすった。
「それで、今日はどうしたんだ?話があるなんて」
ベッドから身体を起こし、モーディはトミンの方へ目線をやった。
「僕は旅に出る。あてもない旅を」
相変わらず目は死んだままだ。
「へえ、そう。だがしかし、どうしてそうなった」
「やることがないから」
「まあいいんじゃないか?この世界は広いし、俺も旅をしてきていろんなことに出会ったし君のためになることは沢山手に入ると思う。いつから行くんだ?」
「十月あたりから行こうと思う」
「もうすぐか。サクヤウヤはこれからどうするんだ?」
モーディはサクヤウヤの方を向きそう言った。
「わからない。しかし東京から出ることはないだろう。半分は神、いつ誰が天界から俺に何を要請するかもわからないからな」
「そうか。ちなみに俺は怪我が治り次第東京を離れる。やることがあるからな」
会話はそこで終わった。モーディが沈黙を破る。
「長居はしないようだな。ではまたいつかどこかで」
「さらば」
モーディから足音が離れていった。
窓の外の晴天はいつもと変わらないものだった。
あとがき
書いた人です。
神谷戦記はもともと学校のゴミ捨てを見張るとかいう謎の当番の面子を神格化?させ、神話のようにしてやろうというプロジェクトでした。私はその当番でもなんでもありませんけどもう一人、原案を作った人が当番でそれにも立ち会いました。
原案のストーリーとしてはグーダリアン王国なる土地でそこを護っていた魔人のサクヤウヤがひょんなことから闇堕ちして暴れ回ってそこらを焼け野原にしたのを鬼神のトミン・ナーガが黒き閃光を放つ魔刀伐折羅を持って地の底から出てきて止めに入るという内容でした。赤羽要素としてはサクヤウヤに翼が生えててそれがサクヤウヤ自身の血によって赤く染まったから赤羽となったとかなんとか。これやってた時はめちゃくちゃに面白かったですね。
まあそれがあったんで私も神谷戦記作りたいなと思ったんで書き始めたのがこれ(原題、神谷戦記〜if〜)です。これを原案作った人に序盤のもの(218番あたりまで)を見せたら「俺のより断然おもしれーじゃん」みたいなことを言われて神谷戦記は私の作品になってしまいました。
でもちゃんとこれは原案の要素をリスペクトして作られてあります。例えば元々サクヤウヤが持っていた翼はノーヴィレに引き継がれ、伐折羅も登場の形、力は違えどちゃんと原案通りトミンの手に収まりましたし、最初はサクヤウヤを闇堕ちさせようかと思ったのですが強すぎるのでトキャーケイを渋々闇堕ちさせました。
今までしてきた創作活動の中で一番時間かかりましたよ。なぜかアンチもいますし。
でも、無事に途中で折れずにこれを書き切れたので私は満足しています。
しかしながら二月とか三月の私の文章力の無さのせいで最初の方の文章は少々後から直しましたがやはり文章量が少なく感じられます。いつかまたこれに触れる機会があれば作り直すかもしれません。その時はまたよろしく。
二〇二二年九月四日