52.ルチア(ジョーゼル)
あともう少しで教室というところで、アンジェが俺を見上げてくる。
めずらしく困ったように微笑んでいるアンジェにどうしたのと聞くと、
「ゼル様、毎日教室まで送らなくてもいいんですよ?
お仕事、忙しいのですから…。」
「これは俺の楽しみなんだから、教室まで送らせてよ。
ただでさえ、朝しか送れないんだから。
少しでも長く一緒にいたいんだ。」
確かに仕事に慣れていないこともあって忙しいが、
毎朝こうしてアンジェと一緒に居られることだけが癒しだった。
それを素直に伝えると、嬉しそうに笑う。
この笑顔が見られるのならいくらでも頑張れる。
「ふふ。わかりました。
ありがとうございます。」
「うん、じゃあね。」
アンジェを教室まで送り届けて、後は護衛たちに任せる。
卒業はしたが、朝の教室までの送り届けは学園に許可をもらっている。
学園内の王族休憩室での一件は公表していないが、
学園長には不届き者が忍び込んで護衛に取り押さえられたことを告げている。
そのためアンジェの在学中は近衛騎士が護衛として常時つくことも認められた。
この後は王宮へ行って、薬師室へと向かう予定だった。
馬車に戻ろうと校舎の中を歩いていると、離れた場所から声をかけられた。
「ジョーゼル様!」
俺へと駆け寄ってこようとするのを、周りの護衛に止められる。
少しだけ嫌そうな顔をしたが、俺と目が合うとぱぁっと笑顔に変わった。
栗色の髪と瞳、小柄な体型…オビーヌ侯爵家のルチアか。
ミリアとは母親が姉妹の従姉妹なだけあって、顔だちが似ている。
こうして直接話すのは初めてかもしれない。
「何か用か?」
「あの…私…ようやく覚悟を決めました。
ミリアの代わりにジョーゼル様の妻になるつもりでおりましたが、
まさか運命の相手に指名されるだなんて…おかわいそうに。
私…正妃じゃなくてもかまいません!側妃になろうと思います!」
「…は?」
何を言ってるんだ?
興奮しているのか少し早口になっているルチアの言葉が理解できない。
勢いよく話続けているルチアに口をはさめずにいた。
「運命の相手に選ばれてしまったら拒否できないのは知ってます。
でも、あんまりだと思うんです。
せめて…ジョーゼル様の御心をなぐさめるためにも…。
アンジェ様には側妃を認めてくれるようにお願いしてきます!
一所懸命お願いしたら…認めてくれると思うんです。
私…ジョーゼル様のためなら、
アンジェ様に許してもらえるまで頑張りますから!」
「…え?…って、待て!?」
あまりのことに戸惑ってしまい、とっさに言い返せずにいたら、
ルチアはくるっと背を向けて走り去ってしまった。
…周りにいるものたちもぽかんとしている。
…こういう時はどうしたら。
とりあえず、近くにいる者たちだけにでも否定しないと。
「今、あの女が言ったことは嘘だ。
俺は将来的には公爵家を継ぐし、
アンジェとの婚約は自分で望んで求婚したものだ。
側妃なんて娶る予定はないし、そんなものは必要ない。」
大きな声で否定すると、聞いていたものたちがほっとした雰囲気になる。
ただでさえ兄上よりも先に結婚することになるのに、
側妃まで娶るだなんて話になったら…
俺が国王になることを望んでいるように思われる。
そんな内乱を引き起こしかねない状況は誰も望んでいない。
俺は王族を抜ける予定でいるとはっきり言っておかなければ。
「いいか?俺は王族を抜ける予定だ。
兄上にお子が生まれたら、すぐにでも公爵籍になる。
ここで聞いたくだらない嘘を広めるようなことがあれば、
誰であっても処罰することになる。
皆、わかったな?」
さすがにまずいのはわかっているのか、顔を見ると皆が頷いている。
この様子だと、ルチアの発言は誰が聞いてもおかしなものだったんだろう。
とりあえず、変な噂が広まるのは避けられたか?
それにしても…。
ルチアがあんな風になっているとはどういうことなんだ。
ミリア以上におかしなことになっている…。
このまま放置するわけにはいかず、護衛騎士の一人へと声をかけた。
「王宮へ、兄上へと伝言を頼む。」