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拝啓、廻る季節に君はいない。  作者: 日逢藍花
第四章 冬の断章 -Irony-

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冬の断章-③

 気づけば、期限の日の朝をホテルのベッドの上で迎えていた。


 その日は、あらかじめ予定を決めていた。


 二人で話し合って、彼女が見たことがないという海に行くことにしていた。


 俺たちは終着点が海の近辺であることだけを調べ、聞いたこともない路線電車に乗り合わせた。



 今まで見たことのない景色が、現れては消えていく。


 程良いスピード感で走る電車に揺られながら、俺たちは他愛もない子どもの時の思い出を話し合っていた。


「ねえ、永輔さん」


 ふと、彼女が切り出した。


「私が消えたら、日聖さんと結ばれてください。私のことは、もう忘れて」


 俺は真っ直ぐな彼女の視線を振り払って、うなだれながら首を振った。


「そんなの、無理だよ」


「無理でも、そうしてください。じゃなかったら、私の今までの努力はどうなっちゃうんですか?」


 燎火さんは頬を膨らませて、いじけたように眉を吊り上げてそっぽを向いた。


 そして、おもむろに向き直ると、俺の唇に自分の人差し指をくっつけて破顔した。


「大丈夫ですよ。永輔さんだったら、何も心配することはありません」


 どこにそんな根拠があるんだ。


 そう返したいのを我慢して、俺は「分かった。約束するよ」と返した。


 そして、幼い子どもがするみたいに、俺たちは小指を絡め合って指切りした。



 二時間ほどで電車は終着駅に着いた。


 狭苦しい無人の駅を出ると、途端に磯の匂いが遠くから漂ってきた。


 急勾配の石段が続いていて、俺たちはバランスを取りながら下まで降りる。


 階段を降りた。


 次第に灰色をした海が見えてきた。


 ふと彼女が立ち止まった。


 大きく目を見開き、声にならない声を出して、はるかに広がるその光景に圧倒されている様子だった。


 冬の海辺には、誰の姿も見当たらなかった。


 うら寂しく、ただ波が寄せては返すだけの光景に彼女は目を奪われ続けていた。


 海岸まで着くと、俺たちは走って海へと飛び込んだ。


 服が濡れるのも気にせず、馬鹿みたいにはしゃぎながら抱き合って水の中へと倒れ込む。


 不思議と冷たさも息苦しさも感じなかった。 


 その感触と温もりだけが、いつまでも胸に残響していた。



 最後に俺たちは、初めて出会った彼女の故郷へ帰ることにした。


 一時は晴れ間が見えるぐらいの薄い曇り空だったのが、時間を経るごとに空は暗くなっていった。


 薄暗い車内で、彼女の身体から光の粒子が漏れていることにふと気づく。


 もう時間は残されていなかった。



 数時間をかけて、俺たちは沙山市へと戻る。


 千賀燎火が生まれ育ち、生涯を通してほとんど出ることのなかった土地。


 そこで俺たちは出会い、こうしてまた巡り合った。


 帰りの電車に乗ってから、彼女は目に見えて衰弱していった。


 ずっと俺の肩に寄りかかって、額からは汗が絶え間なく溢れ続けていた。


 その手を握りながら、俺は「もう少しで着くよ」と言葉をかけた。


 何度か電車を乗り換えて駅に着いた時には、もう彼女は自分の力では歩けなくなっていた。


 俺はすっかり軽くなったその身体をおぶって、始まりの場所へと急いだ。


 いつしか小ぶりの雨が、冷たい氷の粒に変わっていた。


 ほんの一瞬が、永遠ほどの価値を持っていた。


 道行く人たちが何度も俺たちに視線を向けてきた。


 「救急車を呼びましょうか?」と声をかけてくれる人もいたが、俺は無視してひたすら目的地を目指した。



 沙山総合病院に着く頃には、彼女の体重は大分軽くなっているようだった。


 エレベーターを使って、俺は真っ直ぐに屋上を目指す。



 屋上のドアは鍵が閉まっていたが、そんなもの俺たちには関係なかった。


 まるでかつての日々を再現するかのように、屋上には洗濯物のシーツが一面に干してあった。


 それらはたなびきながら、その軌跡を目で追うと、視界の先で雲から一筋の光が差し込んだ。


 あっという間に黒雲は追い払われて、雪の残滓を降らせながら晴れ間が広がっていく。


 気がつけば彼女の身体は、その全身が輝きを帯びていた。


 俺たちは向かい合って、最後にもう一度笑い合った。


「これで、お別れですね」


 俺はゆっくりと頷いて、その澄んだ瞳に目を合わせた。


「この一年、色々なことがあったな」


「そうですね。とても両手では抱えきれないぐらい、たくさんの思い出があります」


 初めて出会った日から今日までを振り返る。


 数えきれないほどの喜びと悲しみがあって、それらは記憶の中でどれも鈍い輝きを放っていた。


「あなたのおかげで、私は幸福に生きることができました。たった一人の肉親にも呪われた私が、こんなにも満たされた最期を迎えることができたんです。なんて感謝を言ったらいいか、分かりません」


 それは俺の台詞だよ。


 そう口にしたかったが、ただ白い息だけが口から漏れた。


「……もう、行ってしまうのか?」


 目を細めていつものように微笑みながら、彼女は小さく頷いた。


 最後に互いを抱きしめ合う。


「じゃあ永輔さん、さようなら。ただ幸福に、生きてください」


 最後に目に焼きついた彼女の姿は、十五歳ではなく二十五歳のそれになっていた。


 次に瞬きをした時には、もう彼女は消えていた。



 視界の奥。


 雪の欠片と逆向して、眩しい光たちが天へと立ち昇っていった。

第四章 冬の断章 完。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

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