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拝啓、廻る季節に君はいない。  作者: 日逢藍花
第三章 秋の断章 -Tragedy-

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秋の断章⑦-4

 自分たちの出番が終わってしまえば、後は早い。


 滝のように時は流れていき、学園祭は閉会の時間を迎えていた。


 下級生たちは出店の後片づけに追われて、廊下をあちこち走り回っている。


 祭りの後の寂寞はやはり、他の何にも勝るほど身を切るものだった。


  劇の評判は概ね上々だった。


 その評判の九割が、日聖という立役者に起因するものであるのは言うまでもない。


 その相手役について、(こと演技に限っては)特に悪評らしきものを聞かなかっただけ万々歳だろう。


 台詞を噛むこともなく、とちることがなかっただけ上出来だ。


 日聖とクラスメイトの数人が褒めてくれただけで十分だった。


 発表の後は制服に着替えて、新田と羽瀬の三人で校舎を巡っていたが、その前に俺は日聖に約束を取りつけた。


 お前に用があるから、文化祭が終わったらつき合ってくれ。


 昔のように控えめな声で俺が切り出すと、日聖は「うん」とあっさり承諾してくれた。


 教室で担任が点呼を取り放課となったタイミングで、俺は日聖に「ゆっくり話が出来る場所へ行こう」と声をかけた。


 クラスメイトたちが帰ったタイミングを見計らい、二人で教室を出る。


 どこに行くか悩んでいたところを、日聖の方から体育館に行くことを提案してきた。


 そのあまりの運びの良さに、どこか背筋が冷たくなる。


 文化祭の後始末で入れないだろうと思ったが、そこには一人の生徒や教師の姿もなく、不自然なほどに静かで閑散としていた。



 先を歩いていた日聖が、ゆっくりと壇上に上がる。


 俺も彼女を追って、微かに震える足を引きずりながら上がった。


 三メートルぐらいの間隔で、俺と彼女は向かい合う。


「永輔くん、今日はありがとう。君と一緒に演じることができて、楽しかった」


「それは俺の台詞だ。お前が相手役じゃなかったら、とてもじゃないが役者なんてできなかった。何もかも、日聖のおかげだ」


 くすくすと笑って、日聖は「どういたしまして」と返した。


 束の間の沈黙。


 次の台詞は、決まっていた。


 しかしその言葉を口にするべきか否か、延々と葛藤が続く。


 どうしても、俺は彼女に問い質さなければならない。


 例え真実に手を伸ばし、そのせいで安寧な世界から追放される羽目になったとしても。


 そしてなにより、他ならない彼女のためにも。


「日聖愛海。君は一体……」


 何者なんだ。


 その言葉を発する前に、日聖が動いた。


「ねえ、永輔くん。君のことが大好き。ずっと、ずっと、私は君を見つめてきた」


 抱擁を求めるように両手を伸ばしながら、彼女はもう一度告白を口にした。


 ふらふら揺蕩う所作で、身体を回転させながら近づいてくる。


 その美しさに目を奪われ、気づけば距離は完全に詰まっていた。


 唇同士がほんの刹那のうちに触れ合って、柔らかな彼女の感触が一瞬で全神経を伝播する。 


 俺は天井を仰いで、日聖の言葉を何度も噛み締める。


 夏祭りの夜、かつての告白が頭の中でリフレインする。


 随分と順番は遅くなってしまったが、その言葉を真正面から聞き届けられた奇跡が喜ばしかった。


 同時に、その言葉を正しき青春の日々に聞き届けたかったと、心の中で慟哭した。


 自然と口内に溜まった唾を呑み込む。


 覚悟を決めて、ゆっくりと俺は口を開く。


「君の気持ちを受け入れることはできない。もう今までのような関係も終わりにしよう。俺が恋をしているのは、千賀燎火という女の子だ。彼女が消える運命にあったとしても、それは変わらない」


 奥歯を強く噛み締めると、生々しい鉄の味がした。


 鈍い痛みを噛み殺しながら、俺はこんな悲劇を用意した神を呪った。


「……分かってた。だって私が恋した福島永輔くんは、そういう男の子だったもの。今日まで私は、傷ついた君を弄んで、満たされない自分を満たしてきた。まずは、そのことを謝らせて」


 日聖は束の間に憐憫の表情を浮かべ、今にも崩れ落ちそうな薄い笑みを張りつかせた。


なおも気丈なその振る舞いに、余計に俺の心は抉られていく。


「教えてくれ、日聖」


 鋭い視線を彼女に向ける。


 考えられる仮説は二つあった。


 今まで俺は気づかないうちに彼女に導かれ、何者かが望むシナリオへと誘導されてきたのだろう。


愚鈍な俺は、今日という日までその可能性に気づきもしなかった。


一つの先入観に縛られ、ここまで従順に幸福な世界の主人公を演じていたのだ。 


 最初から、どうしてその前提を疑わなかったのだろう。


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「君が、カンナなのか?」


 空気が凍りつき、時間が凍りつく。


 日聖は瞳を閉じて、ゆっくりと首を横に振った。


「……ううん。私はカンナじゃないよ」


 その一言だけで決定的に世界は裏返った。


「私は君と同じ、二十五歳のままこの世界に連れて来られて、今日までただの中学生を演じていた。あの日、カンナが現れて私に言ったの。十年前の世界で、十五歳をやり直す気はないか。その世界であなたは、かつて失った初恋の少年と、今度こそ添い遂げることができるはずだって。その対価は、たった一つだけでいい」


 最初からカンナと日聖愛海は裏で繋がっていた。


 あの夏祭りの日も、俺が川で溺れかけた時も、そのおかげで彼女たちは俺の命を助けられたのだろう。


「そして、お前は彼女の提案に同意した。同級生の振りをしながら、今日までずっと、裏で俺の様子をカンナに伝えていた」


 うなだれるように日聖は首肯した。


「十一年前。永輔くんが彼らに虐げられているのを見て、私は君を助けたかった。でも、何もできなかった。君から別れを切り出された時、ようやく覚悟を決めることができたの。私のことを思ってのことだって分かっていたし、このままじゃ永輔くんが壊れてしまうと思った。だから、どんな手を使ってでも、君を助けようと決意した。あの人たちに取り入って、君を見逃してもらえるように頼み込んだ」


 日聖が長嶋と関係を結んだのは、俺を手ひどく裏切って目に物見せようと考えたからではなかった。


 彼女は自分を差し出す代わりに、長嶋たちと交渉したのだろう。


その犠牲によって、まんまと俺は助かった。


結果、彼女がどのような対価を差し出したのかは想像に容易い。


 日聖は俺を裏切ったわけではない。 


 そんなことは、当時から心の奥で分かっていた。


知っていた。


それをずっと理解していたはずなのに、哀れな被害者を気取って勝手に一人で満足していた。


苦しいのは自分だけだという顔をして、本当に辛い目に遭っていた彼女を拒絶してしまった。


 本当に罪深いのは俺の方だった。


「こんな汚れきった心と身体じゃ、君は振り向いてくれないと思った。あの日、彼といるところを見られて、私はただ笑うことしかできなかった。絶望した君の顔が、いつまでも頭から離れて消えなかった。君を助けようとして、私はさらに深く君を傷つけてしまったの。そんな私が、君に恋する権利なんてないと思った」


 だから私は、福島永輔への恋を諦めた。


 制服の裾を強く掴まれる。


日聖は俺の胸に顔を埋めて、静かに泣き始めた。


その髪に手を当てて、俺は子どもを宥めるように優しく撫でた。


「大人になってどんな人と出会っても、心のどこかで君のことを引きずっていた。君を失ったあの日から、私は過去に呪われ続けていた。……だから、カンナの誘いに応じたの」


 そして、彼女は泣きながら笑った。


「この世界で出会った君は、十年前と何も変わらなかった。ちょっと捻くれてるけど、ひたすら向こう見ずで優しかった。失意で満ちた私の十年間は、再び出会った君の言葉に救われたの。恋した女の子のため、がむしゃらに世界に立ち向かう永輔くんに、私はもう一度恋をした」


 ゆっくり俺から身体を離して、日聖は舞台の真ん中で両手を重ね合わせた。


 その時、網膜に刺激が走った。


 脈絡なく照明が突然点灯して、彼女を淡い三原色で眩しく照らし出した。


「君の優しいところが好き」


 そう言って、手を大きく広げて笑う。


「君の不器用なところが好き」


 そう言って、眉を顰めながら肩をすくめる。


「君の言葉が好き」


 そう言って、身を屈ませてこちらを覗き込む。


「君に恋する、私が好き」


 そう言って、心から満たされた顔で自分を抱きしめる。


 煌めく舞台の上で、日聖はたった一人の劇を演じ終えた。


 初めて彼女に恋したあの日、あの時。 


 幼い俺の心を刺し貫いた眩い輝きを放つ、日聖愛海がそこにいた。


「……福島永輔くん。君がいたから、私は愛の何たるかを知ることができた。愛の醜さも美しさも、君がいたから知ることができた。自分を犠牲にしても誰かに利したいなんて不合理な感情、君がいなかったらきっと知らなかった。劇場の隅で逃げ出しそうになっていた私の手を取ってくれた、あの日からずっと私は永輔くんのことが大好きだった」 


 語り終えてから、俺に向かって日聖は真っ直ぐに手を差し出した。



 しかし、彼女の手を取って、引き寄せることはできなかった。


 俺にはもう、愛する女の子が他にいるのだから。



「ごめん、日聖。俺は君の気持ちに応えられない」


「好きな人がいるから?」


「ああ、誰よりも優しくて、誰よりも不器用な女の子だ。そんな女の子に、俺は恋をしているんだ」


 ゆっくりと、日聖の身体が崩れ落ちる。


 ずっと、俺を助けてくれた。


 ずっと、俺の傍にいてくれた。


 ずっと、君に恋をしていた。


 俺は歩み寄って、泣き伏せる彼女の肩を抱き締める。


 そうして、光で照らされる懐かしい横顔を眺め続けていた。


 俺は一言だけ「ありがとう」と伝えた。


 彼女が落ち着きを取り戻すまで、俺はずっと傍にいてその手を握り続けていた。



 やっと、会えたね。


 頬を寄せ合いながら、俺たちは十年越しの再会を共に喜び合った。

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