表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
拝啓、廻る季節に君はいない。  作者: 日逢藍花
第三章 秋の断章 -Tragedy-

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

77/101

秋の断章⑤-3

 その時だった。


 伸ばした手のひらに、ふと感触が宿った。


 とても強い力で引っ張られて、脱力しきった俺の身体は簡単に引き上げられた。


 絶えず揺らめいて、はっきりとしない意識の中で、「永輔くん」というどこか聞き覚えのある声が絶えず響いていた。



 目を開けると、眼前には紛れもない日聖愛海の顔があった。


 彼女は少しでも近づけば唇が触れ合いそうな距離で、俺の顔を覗き込んでいた。


「……日聖? お前がなんでここにいるんだ?」


 俺はか細い声で、最初に湧き出た疑問を口にした。


 ゆっくりと辺りを見回して、状況を確認する。


 河原の上で仰向けになりながら、彼女の膝の上に頭を乗せている格好だった。  


 日聖は歓喜とも安堵ともつかない叫びを上げて、それから俺の肩を強く強く抱きしめた。


「ああ、良かった、無事なんだよね? 永輔くん、私が誰か分かる?」


「日聖愛海。クラスの委員長で誰もが認める優等生、子供の頃から役者をやっている日聖愛海だろう?」


 後遺症が残っていないか、彼女はそれを心配していたのだろう。


 俺の言葉を聞いて、今にも泣き出しそうな顔を浮かべた。


 そして、深い溜息を吐いて「良かった」という言葉を繰り返した。


 俺は背中に力を入れて、上半身を起こした。


 その時になって、ようやく死に損なったという実感が湧いてきた。


 死に損ねるのはこれで三度目だった。もはや、呪われていると認めてもいいかもしれない。


 あれだけの覚悟を決めて、それでも俺は本懐を遂げることができなかった。


 それは同時に、燎火の命を救うことができなかったということを意味していた。



「質問、していい? なんで永輔くんは溺れそうになっていたの?」


 その質問に、俺は沈黙することしかできなかった。


 夜中に家を抜け出して歩いていたら、偶然にも起きてしまった不幸な事故。


 そう解釈されるように仕向けていたはずだったが、そんな弁明を彼女にしたところで無駄だと本能で察した。


「日聖こそ、どうしてこんなところにいたんだ?」


「たまたま、本当にたまたまだよ。内緒だけど、ここは私の家から近いから、気分転換で夜中に散歩で来ることがよくあるの。今日は、母さんたちが家を出ていたから、弟と二人だった。夜中に目が覚めたからゆっくり考えごとをしたくなって、気づいたらここに足が伸びていたの」


 彼女の姿を今一度確認して気づいたが、大分ラフな格好の私服姿だった。


 ショートパンツにTシャツの上から薄い桃色のカーディガンを纏っている。


 少し眉を吊り上げて、日聖は力強い口調でもう一度尋ねてくる。


「それで、もう一度訊くよ。なんでこんなことになってしまっていたの? 永輔くん、もう少しで死んでたんだよ?」


 やはり俺は何も答えられず、沈黙するより他になかった。


 呑み込まれそうな暗闇の中、どこからともなく胡乱なフクロウの鳴き声が聞こえてくるのが分かった。


 彼女の詰問を目の前にして、俺は今さら自分の行いを反省していた。


 こんな衝動的な、行き当たりばったりの死に方では駄目だった。


 こうなってしまった時に、結局は何一つ言葉を返せないではないか。


「……千賀さんのこと?」


 反射的に、俺は目を逸らした。


 日聖は、やはり聡い。


 やはり俺の計画は、楽観と短絡の産物でしかなかった。

 

 その反応は、肯定と同義だった。


 日聖は、今だけかつてないほど真剣な瞳を、真っ直ぐ俺に向け続けていた。


 針の上に座らされているような居心地の悪さに、俺はついに居直って洗いざらいを吐き出した。


「……仕方がなかったんだ。俺がこのまま生きていれば、代わりに燎火が死んでしまう。それどころか、いつかお前らも不幸になってしまうかも知れない。その原因は全部俺にある。そんなのは、耐えられない。だから、俺がこの世界から消える他に方法はなかった」


 きっと彼女には、俺が何を言っているのか分からないだろう。


 気が動転していると思われても、まったく不思議ではなかった。


 ……そして、頬に衝撃が走った。


 日聖に平手で叩かれたのだと、数秒経ってようやく気がつく。


 誰かに直接肉体的な痛みを加えられたのは、もしかしたら、昔長嶋たちに殴られたのが最後だったかもしれない。


「意味が分からないよ。永輔くん、あなた少しおかしい。そんな理由のためにあなたが死んで、残された私たちはどう納得すれば良かったっていうの?」


「そんなこと、承知の上だった。お前らに分かってくれと言うつもりはない。それでも俺には、自分を殺すしか他に方法がなかったんだ」


「そんな独りよがりで、もしも私たちが救われたとしてどう喜べばいいの? それはただ君の傲慢でしかない。……私は、私たちは、そんなことを望んでいない」


 唾を飛ばしそうな勢いで、日聖は捲し立てる。


 俺もそのペースに呑まれて、興奮をエスカレートさせながら、知らぬうちに偽らざる胸の内を吐き出していく。


「ああ、分かってる。全部、分かってるさ。それが俺のわがままでしかないことも、そうやって死ねば、悲しみから逃れられるっていう打算があったことも否定しない。でも、実際彼女を救うには俺が死ぬしかなくて、俺には他にどうすればいいのか、分からなかった」


 ……そんなに、無理を言わないでくれ。


 だって俺は、お前が思うほどよくできた人間じゃない。


 そんな簡単に、全てがきっちり納められる方法が見つけられるはずないだろう?


 そう、心の中で絶叫した。


「君はきっと、悪い夢を見ているんだよ。永輔くんが死ぬことで一体何が変わるって言うの? それで千賀さんが治っても、それはただの偶然。私たちが不幸になっても、それはただなるようになった一つの結果でしかない。そこに超越的な何かが入り込む余地なんて、一つもない。例え、それが神さまだったとしても」


 ……神は何も語るべきではないし、神について何も語るべきではない。


 ナンセンスな形而上学に塗れた、あの夏祭りの夜。


 そんなことをあの時、神そのものであるカンナは言っていた。


 彼女は最後に全てを忘れるよう俺に言ったが、その記憶は確かに俺の中に残り続けている。


 だとしても、俺はもう全てを忘れるべきなのだろうか? 


 彼女が姿を現さないのは、言外にそれを語っているのかもしれない。


 燎火の宿痾が再発したのも、黙って受け入れるべき端的な現実でしかない。


 そう解釈するべきなのだろうか?



 声にならない嗚咽を漏らして崩れ落ちる俺の身体を、日聖は優しく抱き止めてくれた。


 いつの間にか涙が溢れて、止まらなかった。


 彼女にこんな情けない姿を見せたくないと思えば思うほど、泣くのを止められなかった。


「死は逃避じゃない。()()()()()()()()()()()()そんなこと、永輔くんだって分かっているでしょ? 君は死にゆく彼女の分も、生きなければいけない。もう君の命は君だけのものじゃないの。だから篝火に背を向けて、笑顔で彼女を看取ってあげないといけない」


 先ほど俺を叩いた右の頬をしきりに撫でながら、日聖は子どもに諭すように優しく俺に語りかけてきた。


 彼女の温もりを水で濡れ切ったTシャツ越しで感じながら、俺は自問自答する。


 今まで見えていなかった、もう一つのシンプルな回答。


 俺がこの「幸福な世界」で、もう一度生を受けた意味。


 それは千賀燎火の死を、今度こそ自分の目でしっかり見届けることなのかもしれない。


 全てはそのためのお膳立てで、やがて訪れる結末は、その実、最初から決まっていたことだった。


 ようやく涙を断ち切り、俺は力なく笑いながら彼女に言った。


「……自信はないな。現実を受け入れる覚悟も、上手く生きれると思えるだけの矜持も、やっぱり俺には何もない」


「だったらその分は、私が肩代わりする。私はこの先もずっと、君と生きたい。君が自分を殺すくらいだったら、私が君を殺してあげる」 


 その物騒な物言いに俺は驚いて、どこまで真面目かを確認するために日聖の瞳に目を向けた。


 俺の視線に気づくと、彼女は突然破顔した。


 俺もくくっと喉を鳴らして、いつものように減らず口を叩いた。


「殺すだの、何だの、そんな台詞は優等生に似合わないぞ」


「永輔くんだって、私を人殺しの悪者にはさせたくはないでしょ?」


 艶やかに横髪を撫でながら、日聖は殊勝な表情を浮かべる。


「だから、そのために」


 彼女はそこで一旦言葉を止めて、俺の耳元で囁いた。


「これから君に、呪いをかけます」


 どういう意味か、なぜ敬語なのか、彼女に尋ねたかった。


 だが次の瞬間には、日聖が俺の唇を自らのそれで塞いでいた。


 有り体に言えば、俺は日聖とキスしていた。


 火傷しそうな熱さが脳髄を支配する。


 驚きのあまり思考能力が崩れ落ち、呆けてその様子を他人事のように眺めていることしかできなかった。


 満足したのか、日聖の方からゆっくりと顔を離した。


「……永輔くん、知ってるでしょ? 私って、本当は全然いい子なんかじゃないんだよ」


 そして、いつものように俺に向かって人懐こく微笑んだ。


 今度は俺の方から、彼女の肩を強く抱きしめた。


 俺は彼女の温もりを感じながら、情動の赴くままに再び咽び泣いた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 日聖は今夜で一番穏やかな顔で俺を見下ろして、子どもを慰めるように俺の頭を撫で続けていた。



 ……いつまで、そうしていただろうか。


 俺たちは河原の上で、身を寄せ合って体温を確かめ合っていた。


 それから、近場にある日聖の家に招かれた。


 シャワーを貸してもらい、服を乾かしてもらっている間に初めて彼女の部屋を訪れた。


 そこで俺たちは雰囲気に当てられて、いつの間にか当然のように身体を重ねていた。


 何もかもが信じられないまま、ベッドの上で一緒に朝日を迎えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ