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拝啓、廻る季節に君はいない。  作者: 日逢藍花
序章

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幕間1-⑤

 一ヶ月ほど千賀燎火と接していて、確信したことがある。


 俺と彼女は、あらゆる点において対極と言える存在だった。


 彼女はあらゆる物事を限りなく好意的に捉える才能を持ち、俺はその逆にあらゆる物事を後ろ向きに捉える悪癖を備えていた。


 彼女は短い言葉で本質を語り、俺は長ったらしい言葉で本質を騙った。

 

 自分とはまるで真逆な性質を持った女性に、しかも俺のような日陰者が惹かれるなんて理解しがたいと思えるかもしれない。

 

 だがあまりに対極な要素は、突き詰めて考えてみれば、その乖離ゆえに重なり合うものなのだ。


「燎火さんは、自分の身の上を不幸だと思ったことはないんですか?」


 ある日、俺は二人きりの講義中に尋ねた。


 前後の文脈から切り離された発言だった。


 批評理論の話をしていた時のことだったと思う。


 まるで漫画のキャラクターみたいに洒落た名前の学者が書いた、ある本の受け売りを噛み砕いてまとめたものだった。


 彼女の読書生活の糧になると考えて選んだ話だ。 


 それは馬鹿としか言いようがない質問だった。

 

 自覚はあった。


 今まで無難な話題しか切り出してこなかった口から、そんなデリケートな話題が突然転び出たのだ。


 心の中で驚きと後悔が混じり合い、張り詰めた静寂の中で彼女の返事を待った。

 

 深刻な動機があったわけじゃない。

 

 だが心の底では、常々疑問に思っていたのだ。

 

 千賀燎火という女性は、理不尽としか言いようがない宿命を背負っていた。


 なのにそれを思わせないほど、彼女は自分からは程遠い場所にいた。


 それが引っかかっていた。


 いや、そうじゃない。


 彼女に惹かれる一方で、俺は少なからず憤りを募らせていたのかもしれない。


 それを認めてしまえば、殊更自分が惨めになることが分かっていた。


 だから言い訳をつけて、本音を誤魔化していたのだ。


「それはもちろん、ありますよ」


 彼女はそう答えてから、ふっと笑った。


「でも、だからこそです。私には小さな幸福がとても大きなものに思えるんです。今を生きているだけで幸せだと感じることができる」と弾むようなリズムで言った。


「言いたいことは理解できます。でも納得はできない。だから自分はそんな病を患っていて良かった。こうしてベッドの上で半生を過ごしても幸せだと言えてしまうんですか?」


「断言はできません。でもある意味ではそうなんです」


「だとしても、それは不幸を愛する理由にはならないでしょう?」


 負け惜しみだった。


 まんまと彼女に惹かれてしまった。


 勝ち目の乏しい賭けに乗ってしまった自分が滑稽で吐いた、八つ当たりのような毒にすぎなかった。


「ええ、確かに。じゃあ、こう言った方が正しいでしょうか。不幸は幸福の中にあって、幸福は不幸の中にある。どちらか一方しか見当たらないなんて、そんなことはないんです。幸福は(あざな)える縄の如しと言いますが、そんなことじゃない。どちらもあべこべのように、本質は同じで、ただ見え方が違うだけなんです」


 メトロノームのように一定のリズムで言ってから、彼女は気まずそうに頬を掻いた。


 「恥ずかしいこと、言ってしまいましたね」と不自然に視線を移して、場を弛緩させるように呟く。


 俺は何も言い返せなかった。


 反論しようと思えばいくらでもできたが、どんな言葉を尽くしても彼女に太刀打ちできない気がして、喉の奥で潰えてしまった。


 完敗だ。彼女の言葉を聞いて、俺はすかさずそう悟った。


 とっくに俺の中で、千賀燎火は特別になってしまっていた。


 その事実を認めざるをえなかったのだ。


 数年前の秋、大学の門の前で吸った空気の匂いを思い出す。


 何にも、何にも、求めまい!


 あの日の誓いは、とっくに跡形もなくなってしまっていた。


 今すぐ窓から飛び降りたくなるほど、自分が惨めに感じられたのをよく覚えている。


「授業、また始めましょうか」


 そう言って、彼女は俺が再び語り出すのを待ち受けるように目を閉じた。



 この愛しい日々が、果たしていつまで続くのだろうか?


 全ては頭が生み出した都合のいい妄想で、現実に千賀燎火なんて人物は存在しないのではないか?


 ベッドに繋がれているのは、その実、俺の方なのではないか?



 つまらない疑念をよぎらせながら、母と彼女に挨拶をして病室を出る。


「また来てくださいね」


 彼女がその言葉を欠かすことはなかった。


 それだけで俺は、この世界の仕打ちを許すことができる気がした。   



 彼女と過ごした、あの燃える宝石のような日々。


 しかしこれ以上、その詳細を語るのは止めておこう。


 宝物のような記憶を一つずつ並べ立てて、それらを見つめて耽溺していたって仕方がない。


 ただ、一つだけ。


 千賀燎火という人物に、俺が分不相応にも想いを募らせてしまった。


 初恋の、その先にある恋をようやく知った。


 それだけが伝わればいい。




 俺は全部で計十回、病院に訪れた。

 

 その時の見舞いは、すでに六回目を数えていた。

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