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拝啓、廻る季節に君はいない。  作者: 日逢藍花
第二章 夏の断章 -Romance-

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夏の断章①-3

 帰宅するために、真っ直ぐ駅に向かった。


 陣西町の駅と比べて規模が大きいと言っても、この時代ではまだICカードシステムは導入されていないので不便感は否めない。


 俺は切符を購入して、階段下のプラットホームまで移動した。


 昼間にしては珍しいことに、電車を待ち侘びる人の姿は一人も見当たらなかった。


 違和感が募る。


 乗降口に並ぶと、分かりやすく辺りの空気が一変した。


 半袖から露出した肌が粟立つのを感じ、俯き気味だった顔を上げて前を向いた。


 線路の上に、亡霊のように佇む人影があった。


 かつてカンナと名乗った神がそこにいた。


 神出鬼没としか言いようがない。


 相変わらず面妖な狐のお面で半分顔を隠して、彼女はクラゲのように空中を揺蕩いながら俺を見下ろしていた


「お久しぶりです、またお会いしましたね。嬉しいです」


 その様は、周囲の現実味をあらかた侵食していた。


 見慣れた駅のホームがまるで怪しい異界か何かのように感じられた。


「久しぶりだな。俺の方は、二度と会いたくなかったけど」


 吐き捨てるように答える。


 あの日、彼女はまた会いましょうと残して消えていった。


 また電話で呼び出されると思っていたが、今度は自分の方から出向いてきてくれたらしい。


 殊勝な心がけの神さまだと苦笑し、俺は強がって鼻を鳴らした。


「そう悪く言わないでください。神さまだって傷つくことはあるんですよ」

 

 いかにも悲しげな口調で軽口を叩いてから、カンナはよく響く笑い声を立てた。


 その人を食ったような態度に、俺は不利だと分かりつつ無意識に苛立ちを募らせてしまう。


「今日は、どういったご用件だ?」


「結論の催促に来ました。そろそろあなたも心が決まった頃なのではないですか?」


 俺はその言葉を聞くや否や、すぐさま口を開いた。


「残念だったな。まだ答えは出てない。そもそも、期限を指定したのはお前の方だろ?」


 すると彼女は、まるでこちらを嘲るように小さく口角を上げた。


「そうですね。ですが決断は早い方が、あなたも心が楽かと思いまして」 


「ご親切はありがたいが、そんな心遣いは最初から無用だよ」 


「それに」


 俺の言葉を遮るように、カンナが口を挟む。


「もうすっかり、燎火さんには嫌われてしまったようですね。心の奥底では、あなただって分かっているはずです。彼女をこれ以上特別視するのも、実はもう辛いだけなのではないのですか」


 分かりやすい煽りだった。


 しかし、咄嗟に言い返すことはできなかった。



 体育祭が終わってから、千賀燎火は再び学校に登校するようになった。

 

 それは俺にとって、必ずしも喜ばしい報告ではなかった。


 認めよう。


 例の手紙を開いてからというもの、俺は彼女に近づくのを躊躇している。


 彼女はあの日、俺を呪う手紙を置くためだけに早朝の学校へ赴いて、そのまま帰っていった。


 そんな労力を惜しまないほど、彼女は福島永輔を心底嫌っているらしい。


 カンナの言葉は認めたくないが、しっかりと的を射ていた。


 ひょっとすると、俺はいよいよ彼女を疎ましく思い始めているのかもしれない。


 ただでさえこの世界には、無邪気に好意を振り撒いてくれる存在が別にいてくれるのだ。


 客観的に見れば、それもまったく不思議な話ではないだろう。


 果たして、俺はあんなにも恋焦がれていた千賀燎火を見捨てようとしているのだろうか? 


「そもそも、あなたが肩入れする必要はないでしょう。あなたの知っている千賀燎火と、この世界の彼女は違う人物です。それぐらい賢いあなたなら理解できるはずですよ。福島永輔と出会った記憶を持たない千賀燎火を、どうしてあなたが愛した千賀燎火と同一人物だと見なせるんですか?」


「……いや、そんなことはどうでもいい」


 俺はまだ動揺していたが、それだけははっきりと答えることができた。


 日聖が俺のために送ってくれた言葉を思い出す。


「他ならないこの俺が、彼女を千賀燎火だと見なしているんだ。人格の同一性は、記憶の同一性によるものか? 身体の同一性によるものか? はたまた、魂なんて形而上学を持ち出してくるのか? そんなことはどうでもいいんだよ。気にするだけ無駄な疑似問題にすぎない。俺はこの現実にしっかりと生きる彼女の身分を、無用で空疎な議論に貶めるつもりはない」


 俺の迷いない返答に、彼女は驚いた様子だった。


 息を呑んで、しばらく黙って深海のような瞳で俺を見つめていた。


 それから、気を損ねたように露骨に眉を顰めながら、彼女は問題児を前にするように肩をすくめた。


 なおも取り繕った穏やかな声色で、俺に甘言を囁いた。


「あなたがそう考えているのなら、私はもう反論できません。感性の問題を理性で攻略するのは不可能なんですから。でも、これだけは言わせてもらいます。……あなたはよく頑張った。負い目に感じる必要はないんです。この世界で、彼女は最初からああなる運命だったんですから。それに頭を冷やして考えてみてください。世界の全体と一人の個人を、どうして天秤にかけられるって言うんですか?」


 その口調は嘲り以外に、どこか憐憫を含んでいるように感じられた。


「だから、あなたが彼女を見捨てても、誰もあなたを責めたりはしないですよ。むしろあなたの彼女を想う心は素晴らしいものだったと、誰もが賞賛するでしょう」  


 彼女はとどめとばかりに、甘ったるい誘惑を吐いた。



 心の奥で蠢き始めた「そうなのかもしれない」という声を、俺は必死に押し殺す。


 黙れ、ふざけるんじゃない。


 お前は何か勘違いしてるんじゃないか?


 それはカンナにではなく、自分自身へ向けた怒りだった。


 満たされた世界にいるせいで、俺はただ調子に乗っているだけなのだ。


 本来のお前は、何もかもを諦めて亡霊のように生きていた、負け犬のフリーター風情に過ぎないではないか。


 あの冬の日々をイメージする。


 鏡合わせのような夏の猛暑が意識を溶かして、逆説的に作用したらしい。


 澄み切った寒さと雪の降る景色、横たわる彼女の姿を幻視しながら、俺はゆっくりと口を開いた。


「答えは変わらないよ。そんな情けは要らないし、回答は俺がちゃんと考えてから出すさ」


「そうですか。まあ、お好きにしてください」


 彼女はつまらなそうに言うと、次の瞬間には消えていた。


 息が詰まりそうだった嫌な空気も、嘘のように消え失せていた。


 周囲の喧騒が鮮明に耳に入ってきて、自然に安堵のため息が漏れた。


 俺は狐に摘まれたような居心地の悪さを感じながら、ポケットに差し込んでいたペットボトルのスポーツドリンクを一口呷った。


 柔かい甘味が口の中に広がった。 


 それから一分もかからずに、電車は到着した。


 電車に乗り込みながら、俺は考える。


 思ったよりも、神さまはせっかちな性分らしい。


 十二月までに答えを出せ。


 そう彼女は言っていたが、指定されていた日まで本当に待ってくれるのか、これで雲行きが怪しくなってきた。



 だが、ようやく目が覚めた。


 千賀燎火か、幸福な世界か。


 そんな取ってつけたような選択肢は、最初からただの見せかけに過ぎなかった。


 選択肢など、端から一つしかない。


 たった一つの問題は、俺がいつ心を決めるかにしかなかった。


 そろそろ心地よい夢から醒めて、本格的に腹を括らないといけないようだ。



 そのための力を、俺はすでに握っているはずじゃないか。

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