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拝啓、廻る季節に君はいない。  作者: 日逢藍花
第一章 春の断章 -Comedy-
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幕間2-①

 もうどこにもない過去の話をしよう。

 

 二十五歳の自分から見た彼は、こう言うのもなんだが、平均にそれなりのお釣りがくるぐらいの素養を持った人間だった。


 頭も悪くないし、むしろ良好な部類だった。


 人並みの運動神経に、特別優れているわけでも劣っているわけでもない容姿。


 人間関係にも比較的恵まれて、それまでこれといった挫折を経験せずに生きてきた。

 

 地元の食品会社で課長を務める融通の利かない父親と、夢見がちなところはあるが、基本的には穏やかな専業主婦の母親の三人暮らし。


 クラスでは常に二人ほどの友人を確保しつつ、同世代の中では大人びた価値観と性格で世間を渡っていた。

 

 それが福島永輔という少年の全てだった。



 さて、彼には宮内康太という名の幼馴染がいた。

 

 家が近所で同年齢ということもあり、物心ついて小学校を卒業するまでは、毎日のように一緒に遊んでいた。


 しかし、中学に入ってから事情が変わった。


 俺たちが入学した陣西中学校は部活動にあまり力を入れておらず、部活と聞いてぱっと思いつくようなメジャーな運動部と吹奏楽部しかなかった。

 

 入部は強制ではなかったので、特に熱心に打ち込みたいものがなかった俺は、素直に帰宅部を選んだ。


 対して康太は、小学校の頃から習っていたサッカー部に入部した。


 クラスも同じにはならなかったし、サッカー部は毎日のように朝練があったので、登下校もほとんど一緒になることはなかった。

 

 だから俺たちが顔を合わせる機会は、ごっそりと減ってしまった。

 

 康太はサッカーに限らず、運動が良くできた。


 勉強は俺より劣っていたが、それでも全体的に見て悪い方というわけではなかった。


 幼い頃から整った顔をしているなと思っていたが、中学に上がってからは目元や口元がすっと引き締まって、さらに凛々しく大人びた雰囲気を纏わせるようになった。


 校内で美男コンクールなんてものを催したら、間違いなく彼は五本の指に入っていただろう。

 

 当然異性からの人気は高かったが、それを鼻にかける風でもなく飄々として傍若無人。


 人懐こい性格で、変なところで妙に義理高いところがあった。

 

 そんな彼を幼馴染として持ったことが、俺にとっては密かな自慢だった。



 あれは中学二年生に進級したばかりの頃だった。 

 

 妙な噂が耳に入ってきた。

 

 康太が最近、部活に顔を出していないらしいのだ。

 

 思えば彼とは、二ヶ月ほど顔を合わせてさえいなかった。

 

 それは、桜がつかの間の満開を迎えた頃だった。

 

 一つの事件が起こった。



 ある日の放課後のことだ。

 

 なんの用事があって通りかかったのかは思い出せない。


 下校時に通りかかる学校近くのコンビニの路地裏。


 そこにたむろしていた上級生の柄の悪いグループの中に、他でもない康太が紛れ込んでいるのを目撃してしまった。


 長嶋という男をリーダーとする集団で、ほとんど授業にも参加せず、軽犯罪にも手を染めている連中だと聞いていた。

 

 だからこそ驚きは計り知れず、俺は彼らに見つかるリスクも考えず、その場に立ち尽くしてしまった。

 

 なんでこんなところにお前がいるんだ? 

 

 本当だったらお前はひたすら汗を流しながら、ランニングなりシュート練習なりで学校のグラウンドを走り回っているはずじゃないのか?

 

 勘良く康太は、俺の存在に気づいたらしい。


 集団の中で彼だけがおもむろに振り向いて、こちらに視線を向けた。


 そのまま彼と自然に目が合う。


 その口から白い煙が零れるのが分かった。

 

 遠くにいたので聞こえなかったが、唇の動きでなんとなく言っていることが分かった。

 

 ごめんな。

 

 俺の間違いでなければ、康太はそう言ったのだ。

 

 次の瞬間、追随するように周りの不良たちの視線が突き刺さった。

 

 咄嗟にまずいと思い、全速力でその場から立ち去った。



 それから数日経った、放課後。

 

 康太に呼び出された。


「すまん、永輔。ちょっとつき合ってくれるか?」


 教室の前で申し訳なさそうに手を合わせて頼む彼の態度は、以前と何も変わらないように見えた。


 それは部活が立て込んでテスト勉強が間に合わなくなった時や、女子の告白をやんわり断わる方法を考えて欲しいと頼んできた時の態度と瓜一つだった。


 彼の態度に内心で喜んだ。この前の光景は何かの間違いだったのだと、無邪気にも信じ込んだ。


 そのまま疑うことなく、俺はその背中に着いていった。


 校舎の端にある人気のない空き教室の前で、康太はふと立ち止まった。


「入れよ」

 

 言われた通り中に入ると、一瞬で風景が反転した。

 

 気づけば、口をぽかんと間抜けに開けて天井を見つめていた。


 悲鳴を上げる暇もなかった。次いで、鼓膜が震える感覚と鈍い痛覚が徐々に伝わってきた。

 

 その時になって、ようやく自分が誰かに殴られたことを理解した。

 

 はっとして辺りを見渡してみれば、いつの間にか例の不良グループに囲まれていることに気がつく。


 彼らは下卑た笑みを浮かべて、俺を見下ろしていた。


「康太、これはどういうことだ?」


 あらん限りの必死さで、俺は彼に疑問を投げかけた。


 しかし、答えは返ってこなかった。


 宮内に話は聞いたぜ。お前、日聖愛海とつき合ってるらしいな。


 連中の一人が俺の髪を掴み、力任せに身体を引き寄せながら言った。


「ああ、そいつから確かに聞いた。もうヤることヤってるって話だ」


 そう答えたのは、他ならない康太だった。


 自分の耳を疑った。


 もちろん、そんな情報は出まかせに過ぎなかった。事実無根もいいところだ。 


 それぐらい福島永輔の幼馴染である宮内康太だったら、分かりきっていることじゃないか。


 じゃあ話は早い。日聖とヤってる動画があったら俺たちにも恵んでくれよ。


 ぼんやりとした意識が、そんな台詞を拾い取る。 


 彼らが何を口走っているのか、まったく理解することができなかった。


 お前ら、そういうのが好きなんだろ? 


 ないってんだったら時間やるから、新しく撮影してきてくれてもいい。


 それでお前は無事に解放してやる。な、実に簡単な話だろ?


 奴らの魂胆が見えてきた。


 その動画をネタに日聖を脅して、彼らは自分たちの意のままに従わせようと企んでいるのだ。


 よしんば、そんなものが手元にあっても渡すわけがなかったし、そもそも俺と彼女は全然そんな関係ではなかった。


 ないものを渡すことなど、最初から不可能だった。

 

 彼女とはそんな関係じゃないと彼らに訴え続けたが、無駄な足掻きだった。

 

 聞く耳など、持つはずがなかったのだ。

 

 康太は終止無言で、底冷えするような目つきで俺を一睨みすると早々に教室を去っていた。

 

 俺は小一時間ほど殴られ、蹴られ、煙草の煤を口に落とし込まれた。


 地面に仰向けの状態で、箒の柄の部分を思い切り喉の奥に差し込まれたこともあった。

 

 それからは地獄だった。

 

 週に二回ほど呼び出され、奴らの気が済むまで暴力に晒された。


 それでも沈黙を守り続ける俺に耐えかねたのか、いつからか奴らは俺をただのサンドバッグとして扱うことにしたらしい。


 日聖に目が向かなくなった分、それは僥倖というものだった。


 それに彼らが俺に与えるのは、ほとんどが肉体の痛みだけだった。


 屈辱が伴う嫌がらせをされなかったのは、今思うと幸いだったのかもしれない。


 しかしあの日以降、康太が俺の前に姿を見せることはなかった。


 奴らに蹴られ、殴られる度、脳内を掠めるのは彼に対する疑念と恨みだった。



 物心ついた頃から一緒に時を過ごした、心の奥で憧れていた幼馴染の裏切り。


 厳粛と横たわるその事実だけが、俺の心をいたぶり続けた。

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