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拝啓、廻る季節に君はいない。  作者: 日逢藍花
第一章 春の断章 -Comedy-
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春の断章②-3

 そろそろとした足取りで、用心深く二人の後を追った。


 新田が教室の扉を開ける。


 二度と見ることはないと思っていた教室の風景が広がった。


 複雑な感情に囚われながらも、しきりに辺りを見回してしまう。


 正直に言って、この教室に愛着などまったくない。


 ここで過ごした一年間の記憶は、あまりに希薄すぎたのだ。


 それでも本来なら二度と取り戻せなかった過去と再会して、多少なりとも心を動かされないはずがなかった。


 整然と並ぶ黒ずんだ木製の机。


 直前の授業の痕跡がぼんやりと残る、古傷だらけの黒板。


 他愛のない会話に勤しむ生徒たち。


 どの顔も微かながら覚えがあった。


 しがないフリーター風情の目には、その誰もがどうしょうもなく希望に満ち溢れているように見えた。


  黒板に座席表が貼ってあったので、皆で確認した。


 一学期の始業当初は、名簿順の並び替えだ。


 俺の席は窓側の列の前方付近で、羽瀬の二つ後ろの席だった。


 椅子に座って鞄を置くと、すぐに新田がやってきて図々しく羽瀬の隣の席を占領した。



 他愛のない会話が始まると思われたが、誰かの声が間に割って入った。


「久しぶりです、永輔くん」


 その時になって、前の席に女子が座っていることに意識が向いた。


 心臓が握り締められたように縮まった。


 最初から、前方に座っているのが彼女だと知っていた。


 だが努めて視界に入れず、できることなら無視しようとしていた。


 そして彼女の方も、間違いなくそういう振る舞いをするはずだった。


「それから、新田さんと初瀬さんもよろしくお願いします。また四人揃って同じクラスですね」


「委員長も二組だったか。まあ、お手柔らかに頼むよ」


 しきりに髪をいじりながら、初瀬が不敵な笑みで言う。


「永輔は三年連続か。こりゃ呪われてるレベルだな。 さっきはああ言ってたけど、お前もしかして休みはずっと委員長といたんじゃねえの?」  


 新田は俺と彼女の両方に目配せしながら、にやにやと囃し立てるように言った。


「まあ、新田くん。そういう小学生みたいなからかいは芸がありませんよ。まあなんにせよ、三人ともどうか今年一年よろしくお願いします」


 二人に向かって手首を振りながら、彼女はぴしゃりと言った。


 それから彼女、日聖愛海(ひじりあみ)はこちらに視線を転じた。


 そして、彼らには見えないような角度で俺にウィンクを送ってきた。


「それと最後の発言は根も葉もない邪推ですから、しっかりと否定をさせていただきますね」


 忘れもしない。


 あのひどく熱い夏の日に奪われていった、初恋の少女がそこにいた。


 彼女を失ったことで、いよいよ俺は頽落していった。


 とどめを刺されてしまったのだ。


 当時は誰よりも想いを寄せたはずの彼女が、今こうして懐かしい微笑みを向けている。

 

 それがあまりに眩しくて、目の前がちかちかと点滅した。


「……お前、日聖愛海だよな?」


「ええ、そうですよ。日聖愛海です。もしかして永輔くん、三年間も同じクラスであれだけ付き合いがあったのに、名前すらまともに覚えてくれてなかったんですか。これは傷つきましたね」


 日聖愛海はそう言って、くすくすと悪戯っ子みたいな笑い声を漏らした。


「じゃあ、なんで俺に話しかける? まさか、お前はあのことを忘れたのか?」


「あのことって、どんなことですか?」


 日聖は何食わぬ顔をして、さも不思議そうに小首を傾けてみせた。


 そんなはずはない。


 俺たちが三年生ということは、もう事件はとっくに起きてしまっているはずなのだから。


「なあ福島、大丈夫かよ」


 冗談の混じっていない、至って真面目な新田の呼びかけで我に返る。


「まだ調子悪いんじゃねーの。始業式だし、さっさと早退したらどうだ?」


 さぞかし蒼白な顔をしていたのだろう。


 それほど目の前の現実は、死んだ弾みで十年前の世界に引き戻された以上に衝撃的なものだったのだ。


「大丈夫ですか? もうすぐ始業式始まりますけど、保健室行きますか?」


眉を寄せた日聖の顔が近づく。


 その顔は、本気で俺を心配しているものだった。


 この時になって初めて、俺は彼女の顔をしっかりと眺めた。


 丁度首にかかるぐらいの長さに切り揃えられた、やや茶色混じりのクールな印象を引き立たせるショートボブ。


 一日中聞いていたくなるような、凛々しく澄んでいながらも力強い声。


 気品を感じさせる締まった鼻と、大きく切り開かれた瞳に深く刻まれた涙袋。


 全ての顔のパーツがこれ以上ないほど調和して、その可憐で美しい容姿は成り立っていた。

 

 時々見せる横髪をかき上げる仕草は、あの頃とまったく変わらない。

 

 紛れもなくそれは、かつて恋焦がれた日聖愛海その人だった。


「心配しないでくれ。ちょっと、外の風に当たってくるよ」


 軽く頭痛がしてきたので、俺は頭を押さえながら席を立った。


 混乱しきりで煙を立てつつある頭を一旦落ち着かせるため、とりあえず裏庭にでも行って外の空気を浴びようと思ったのだ。


「そうですか。でも、あんまり無理はしないでくださいね」 


 彼女は笑顔でそう言った。

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