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念のためそれ以降もしばらくギルの行動を注意深く観察はしているものの、ギルの態度は極めて従順。至極真面目なものだった。
頼めばほとんどのことは良い返事で聞くし、ヤメロと言えば素直に止める。弟たちに見張らせていてもちゃんとやることはやっているようで、リアに隠密に探りをいれさせても特におかしい様子は見られないそうだ。問題点を挙げるとすれば、アホだということか。
店内で珈琲を飲みつつ、ヴァンは弟たちとギルに関する小会議を行っていた。ヴァンがカウンターに背を預けるように腰かけ、右隣にリア、反対側にはマイカ。他の弟たちは適当に中央の席に座っていた。
何度も言うように、ここは当たり前のように命のやり取りが行われる世界。仲間を増やすにあたって、慎重になってすぎるということはない。
「つっても、やっぱ疑うのもアホらしくなるよなー」
「どう見てもただのアホだもんな」
笑顔で弟がぼやくのを、ヴァンはすでに否定する気はなかった。ギルの純真さというか無垢っぷりというか、アホっぽさは疑う気を失せさせる。
「ちょっと前までそこそこ大きなグループに所属してたっていうのも本当みたいだね。実力はそれなりにあったみたい。好き勝手暴れて周辺の人とかの評判はかなり悪かったみたいだから、やっぱりウソは吐いてなかったみたいだよ」
リアの報告を聞いて、いよいよ疑う要素が無くなってきたことを感じる。だが元々疑いの色が薄かったため、抵抗はほとんどない。
件のギルは今、別の部屋の掃除をさせているのでここにはいない。戻って来るまでもうしばらく時間がかかるだろう。
どうにも真剣になりきれない空気の中、弟たちを見回すと誰もが曖昧な様子で頷いていた。
「なんつーか、もしアイツがアホを装っておれたちに近づいてんだとしたら、ホンモノの天才だと思うわ」
「確かに、アイツに騙されてんだとしたら、そん時はもうアイツが凄すぎるってことで諦めるしかねえ気がするよ」
相変わらず好き放題言われているが、本当にその通りだ。ギルはもはやアホか超天才の二択で、後者だとすればこんなところで少々考えたくらいで対処できると思えない。残念ながら自分たちは知略に長けてなどいないのだ。そこまでの策士に目をつけられた時点でチェックメイトだろう。
「よし、分かった。それじゃ、ギルのことは信じてやる方向で行こうと思う。アイツに裏は無い。ただのアホだ。異論はあるか?」
「兄ちゃんが言うならそれでいいよ」
「おれも同じだ。言った通り、元々疑うってほど疑っちゃねえしな」
「面倒を押し付けられるヤツが出来るなら大歓迎だぜ」
弟たちの賛同の声は一様に前向きだ。それだけ、ギルがすでに一家に馴染みつつあるということだろう。
その中で唯一、マイカだけが面白くなさそうに唇を尖らせていた。どうにもギルとマイカは相性がよくないらしい。
「どうしたマイカ、なんか嫌そうな顔してんな。なんか意見あるか?」
からかうような笑みを浮かべつつ尋ねると、ギロリと鋭い視線を返される。
「知らないわよ。わたしの意見なんて聞く気ないくせに」
「そんなことないさ。何か怪しいって感じてんなら、もうちょい慎重になるかもしれないぜ」
「知らないってば。あんな脳ミソ空っぽのバカのことなんて気にして見てないもの」
「あはは、マイカちゃん相変わらず容赦ないな」
「マイカちゃんがそう言うなら、やっぱアイツはアホってことで間違いなさそうだな」
と、和やかな空気の中、部屋の奥からこちらに向かってバタバタと騒がしい足音が近付いてきた。自然と、会話が止まり視線がそちらに集う。
「掃除、終わったッス! 超ピカピカになったスよ!」
ばこーん、と勢いよく扉を開けて入ってきたのは、もちろんギルその人。汗と埃で汚れた顔に満面の笑みを浮かべて、真っ黒になった雑巾を誇らしげに掲げている。
「おう、お疲れさん。そんじゃ、今日も晩飯の準備頼んだぜ」
「えっ、今日は兄貴の番じゃなかったんスか?」
一家の食事係は当番制で、全員で集まって食事をするのが通例だ。それはもちろん、ヴァンとて例外ではない。
「うるせえ、とっとと慣れろってことだよ。初日はカスみたいなメシだったが、少しずつ上手くなってる。その調子で全員が満足できるのを作ることだな」
それっぽいことを言って強引に押し付けているだけで、当然弟たちにもそんな魂胆はバレバレなのだが、ギルは瞳を輝かせて拳を握った。
「あざッス! 実は初日に散々に言われたんで、すぐにお料理の本買ったんスよ! ちょっとずつレパートリーも増やしてくんで、楽しみにしてて欲しいッス!」
「料理もいいけど、とっととお風呂入りなさいよ。そんな汚いカッコでウロウロされちゃ、食欲も失せちゃうわ」
「‥‥うッス!」
相変わらずのマイカに一瞬だけ苦い顔をしたギルだったが、すぐに勢いを取り戻して再び奥へと引っ込んでいった。
ギルが去り、俄かに訪れた静寂に場が包まれる。やがて弟のひとりがこらえ切れないようにハッと笑い声をあげた。
「やっぱさ、あんな満面の笑みで「お料理」とか言われたら、アホとしか思えないよな」
「違いねえ」
ドッと場に笑いが起こり、ヴァンもさすがに耐え切れずくつくつと笑いをこぼす。
「さて、それでだ」
場の空気を仕切り直すように、ヴァンが声を上げて視線を集める。
「ギルはアホだという前提で話を進めるとして、けど本当にただのアホだとしたら、このままウチに置いとくワケにはいかねえよな」
リアはさほど興味なさそうだが、弟たちはうんうんと頷いて同意を示していた。
「まあな、新入りだろうとアホだろうと、目の前で死なれちゃ気分が悪りぃ」
「確かに、無駄に突っ走りそうなイメージあるしなぁ」
ギルに命を狩られる心配をしないとなると、今度は逆にギルが狩られる心配をしなければならない。強者の風格を漂わせてふんぞり返る気はないが、兄弟に簡単に死なれてヴァンまで見下されるのは面白くない。
「で、そんなオレたちにちょーど良い仕事が来てるワケだ」
ヴァンが悪い笑みを浮かべると、一番に反応を見せたのはリアだった。
「暴れていいヤツ!?」
「さーてどっちかなー」
瞳を輝かせてぐいぐい迫って来るリアだが、下手なことを言ってしまうと色々めんどくさいので適当に流しておく。
「ま、分かってるとは思うが、オレたちに回って来るのはいつだって危険な仕事だ。今回のは大した相手じゃねえとは思うが、気は抜くなよ」
ヴァンの激励に、弟たちの間に気合いが入る。
つい先ほどまでバカ話に興じていた面々の瞳にはいつの間にやら好戦的な光が宿り、口元には凶悪な笑みが浮かべられていた。