序
数年前に新人賞に応募した作品です。書いてみたい世界観というか空気感というか、そういうものがあって新しいジャンルに手を出してみました。自分でも思うところがあって封印していましたが、せっかく書いたんだしと思って掲載することにしました。広い心で最後までお付き合いいただけると幸いです。
朝の陽ざしを瞼に受けて、目が覚める。柔らかなベッドの上でのっそりと身を起こし、窓から差し込む陽を浴びながら大きなあくびをこぼした。
部屋に時計を置いていないので正確な時間は分からない。だが窓から見上げた太陽の様子から察するに寝坊したということはなさそうだ。別に、寝すぎたからといってどうということはないが。
ベッドから抜け出すと、布団の上にパジャマを脱いで放り投げる。クローゼットを空けるとそこには明るい色の可愛らしい服からこれといって特徴のないシャツやズボンまで、特に統一感もなく色もデザインも様々な服が取り揃えられていた。サイズはどれも、彼女に合わせたサイズ。
――つまり、子供服だ。
透き通るようなブロンドの長髪を揺らしながら、澄んだ翡翠色の鋭い瞳で服を眺め、さほど悩むことなく赤いドレスを手に取った。身長は140cmに達しているかどうかの小さな身体にぴったりなサイズで、ドレスとはいっても本格的なそれではないので着用は簡単だ。手慣れた様子で身につけ、適当に手ではたくように服の皺を整える。
部屋を出て洗面所で顔を洗って寝ぐせを確認していると、なにやら下階が騒がしい。複数人が怒鳴っているような声が上階にまで届けられている。
特に慌てることもなく櫛で髪を整えると、少女は静かに階下へと足を向ける。階段を一段降りるごとに、騒ぎの声はどんどんと大きく聞こえてきていた。
騒ぎの起きている部屋の前に立つと、少女はゆっくりと深く息を吸って――バァン!と叩きつけるように勢いよく扉を開いた。
ふわりと、開いた扉から珈琲の香りが廊下へと流れ込む。それは淹れたての新鮮な香りではなく、長い時間をかけて床や天井、そして空気に染み込んだ豆の香り。湯気と共に鼻先に広がる温かな香りとは違い、どっしりと沈み込むような重厚さを伴う香ばしさを感じさせる。
少女が姿を見せた途端、騒がしかった部屋がシンと静まり返る。その場にいた者たちの視線が荒々しく開かれた扉の方へと集った。
わずかに空気が張り詰めている。薫り高い珈琲の匂いの中に、硬質な金属のような臭いが混じり込んでいる。
鋭い視線でぐるりと辺りを見回すと、扉の向こうの開けた部屋の中には数人の男たち。彼らは何かを取り囲むようにぐるりと円を描き、中央のナニかを見下ろしていた。
集っていた男たちは少女の姿を見て曖昧な笑みを浮かべ、少女は不機嫌そうに瞳を眇めて男たちを見返した。
「朝から何を騒いでるの? うるさくって目が覚めちゃったじゃない」
「‥‥あー、ゴメンよマイカちゃん。なんか、変なヤツが入って来ててさ」
マイカと呼ばれた少女は眉をひそめて男たちの足元に目を向ける。
そこには――全身を真っ赤に染めた男がぐったりと倒れ伏していた。
マイカは瞳を細めてソレを見つめ――大きなため息をついた。
「ソレが誰だか知らないけど、こんな所で騒いでていいの? そんなことより、今日のご飯係は誰かしら。わたしが起きて来てるのに、ご飯が出て来る気配がないんだけど」
マイカは苛立たしげな瞳で男たちを睨みつける。彼らは顔を合わせて、困ったようにもう一度足元の男に視線を向けた。
と、反応しあぐねる男たちの中から一人の小柄な女性が姿を現した。その女性が手にしているのは――一丁の銃。
黒く長い銃身に木製のハンドガード。握り込んだグリップの前には湾曲したマガジンと、後方には木製のストック。拳銃などよりも圧倒的な威圧感を誇る――アサルトライフル。
個人が持つには些か以上に大げさなそれは、見せかけだけではなく確かな重厚感を伴った実銃。女は倒れる男の頭に銃口をゴリゴリと押し付けながら、笑顔で周囲の男たちを見た。
「これは私に任せて、マイカちゃんのご飯用意してあげて」
絹のように滑らかに輝く真っ白のショートヘア。澄んだ湖面のように穏やかな青い瞳に、透き通るような白い肌。艶やかな桜色の唇で柔らかに微笑む様は清楚で可憐な少女のよう。しかしそれゆえに、その言動の異常性が際立っていた。
「どうするかは兄ちゃんに聞かなきゃいけないし、みんなは気にしなくていいよ。何かあれば、私がちゃんと殺しておいてあげるから」
「いや、姉さんが撃ちたいだけでしょ‥‥」
見た目の状況にそぐわずグタグタとし始めた空間に――パキッ、と細い木の枝が折れるような破砕音が響いた。その音に男たちは肩を震わせて、焦りと共に振り返る。
いつの間にかそこに立っていたのはひとりの青年。年季の入ったジーンズに、同じく色の褪せた白いパーカー。黒い薄手のジャケットを羽織り、口には1本の棒状の菓子。金色の髪を揺らして、鋭く尖った赤い瞳でその場にいる全員を睨みつける。
「‥‥こんなトコで、何してんの」
やや不機嫌を滲ませる男の声に、マイカと白い女を除く全員がビクリと身体を震わせる。金髪の男は倒れ伏す男を見て、そちらへと静かに歩み寄った。
女は男から問いかけるような視線を受け、唇を尖らせてぷいっとそっぽを向いた。
「私、知らないから。なんかみんなが騒いでたから、落ち着かせようと思っただけだもん」
「なんでリアが拗ねてんだよ。オレはもっと知らねーって。状況説明からしてくれ。つーか、なんでココ?」
金髪の男は振り返って、一番近くにいた男に不機嫌に問いかける。声をかけられた男は引きつった笑みを浮かべて、慌てて言い訳を述べた。
「い、いや‥‥朝気づいたらさ‥‥コイツが、ココに入って来てたんだよ。しかもなんか、兄貴のこと知ってるみたいだったから、とりあえずボコして、で、そのまま兄貴が帰ってくるの待ってた、みたいな‥‥」
金髪の男は大きなため息をついて――男にゲンコツを振り下ろした。力の抜けた動きのわりに威力のあるそれに、殴られた男は膝を折って悶絶する。
「わざわざ目立つことしてんじゃねーよ、バカ。何でもいーからとっとと奥に連れてけ。血の臭い残さねえようにしとけよ。せっかくの珈琲の匂いが濁っちまう」
その言葉に、周囲の男たちは慌てて血まみれの男を引きずってその場から姿を消した。ゲンコツを受けた男も頭を押さえてヨロヨロとそれに追随する。
白い女、リアは唇を尖らせたまま、金髪の男に正面から顔を近づけ、パキッと乾いた音を立てて男の咥えた菓子を奪い取った。そのまま拗ねた表情でライフルを抱えて近くの椅子に座り込む。
男はため息をついて上着のポケットから菓子の袋を取り出し、新しくもう1本咥え直す。そこでようやくドアの前に立ち尽くすマイカの姿に気が付き、ニッと笑みを浮かべた。
「お、マイカ起きてたのか。朝からバカが騒がしくて大変だったな」
「バカはあんたも同じでしょ。で、さっきから言ってるんだけど、わたしのご飯は? お菓子の食べ過ぎで頭の中まで粉になっちゃった?」
男はマイカの容赦ない悪態にも笑顔で答え、わしゃわしゃと頭を撫でた。マイカは鬱陶しげに頭を振ってその手を振り払う。
「ふむ、食欲旺盛な成長期だな。で、今日のメシ係誰だっけ?」
リアに振り返ると、彼女はいつの間にか手にしたオモチャのピストルで正確に男の額を撃ち抜いた。
「‥‥えっウソ、オレ?」
目を丸くする男をマイカはよりいっそう鋭い瞳で睨み上げ、思い切りその脛を蹴飛ばした。
「お菓子なんか食ってないで、とっとと準備しろバカ!」
「痛ってぇ! 分かった分かった、すぐ準備するから。こら、蹴りすぎ」
げしげしとマイカの蹴りが男の脛に連撃をお見舞いする。男は顔をしかめながらも、気の抜けた様子で
なすがままにそれを受け入れていた。
所在なさげにその場に残っていた数人の男たちは、その見慣れた光景に気まずいながらも楽しげな苦笑を浮かべていた。
それは賑やかな表通りから大きく外れた、一般の人々は絶対に近づいてはならないと忌避される裏通りの一角での出来事。
そこに集う面々は今しがたそこで起きていた出来事が当然の、血を見慣れ、暴力に躊躇いがなく、武器を手にしていることを咎める者がいない、世界の裏側に生きる者たち。
その若き頭目が、金髪赤眼のヴァンという名の青年であった。
ヴァンは様々な事情で表社会で生きられなくなったならず者たちをまとめ上げ、ひとつの集団を作り上げていた。
空らはヴァンのことを「兄」と呼び慕っているが、もちろんというべきかその呼称は当然本当の血縁を表すものではない。しかし単なる敬称としては、その響きは深く親しみの込められたものであった。
彼らはヴァンのことを本当の兄のように慕い、ヴァンも彼らを本当の弟や妹のように想っていた。
ほとんどが家族との繋がりを失っている彼らにとっては、そこにいる者たちこそが家族であり、兄弟。
本人たちは組織として活動しているつもりはなく、自ら集団としての名を名乗ることはない。
だが彼らを知る者はその集団を、ヴァン兄弟と呼んだ。