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明日、世界のどこかでキミが笑う。  作者: 葵月さとい
第五章 見知らぬ土地で見つけた想い
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⑥Side-S

 緑丘翠は、自分の心の声に耳を塞いで生きていた。

 押し流されるのが得意だった。

 右だと言われたら右に行くし、「それは違う」と言われたら「はい、違いました」と簡単に修正できる。

 社会人になってからはとくに……。

 確かに存在していたはずの自分の思いごと、全部、まるで元から何も無かったように変えることが出来た。

 考えることを放棄していたと言ってもいいかもしれない。

 ――何をしても否定されると分かっていたから……。

 だから急に「心」を求められたとき愕然とした。


『あなたの料理には、心が無いのよ……』


 一体、どこで何を間違ったのか……。

 やっと福利厚生がしっかりしている職場で働きはじめ、少し経った頃、 上司から日常的に言われるようになった台詞。


『どうして人の気持ちが汲み取れないの? わたしが次にどうするか分かるでしょ?』

『あなたには優しさや、気遣いが無いのよ!』

『もっと人の気持ちを考えて――!』


 やがて翠は自分の内側に真っ黒な感情が芽生えていくのを自覚した。

 ――違う! そんなことない!

 本当はそう叫びたかった。

 そもそも優しさの形など人それぞれ……。

 正しいことをしても、それを「冷たい」という人だっている。


(自分にとって都合の良いことをしてくれたら「優しい人」で、それ以外は「心無い人」になってしまうのかな……)


 上司に「心配りができない人」という烙印を押されてから、翠はすべてがつまらなくなってしまった。

 大好きな料理をすることも、仕事になったとたん苦痛ばかりを連れてくる。

 世界が……翠に対して「優しくないもの」ばかりを押し付けてくるような気がした。

 それでも翠は、上司の顔色だけを窺って、懸命に働き続けた。



 もうすぐ冬がやってくる。

 翠は冬が嫌いだった。まず野菜が育たない。

 北海道の畑も雪で覆われてしまう季節。

 だから冬の間はずっと東京にいる。


(でも……今年はそれで良かったかもしれない……)


 北海道でお世話になっている農園の息子、アキトシに翠はプロポーズをされた。

 驚いて、すぐに断ってしまったが……。

 彼のことが嫌いだったわけじゃない。

 ただ自分が結婚して農家として生きている想像がつかなかったのだ。

 ふと……翠は気付く。


 ――私はどんな未来を望んでるんだろう。


 プロポーズだって、いつものように押し流されて、受けいれてしまえば良かったのに。

 

(私の心は、一体、何を求めてるんだろう……)


 そんなことを考えながら、冷たい風が吹き抜ける朝の商店街を歩いていた。

 どこからか軽快な音楽が聴こえてくる。

 風を避けるようにずっと俯いていた顔を上げると、レコードショップの前がざわついていた。


(誰かいる……。歌手? 若い……知らないグループだな)


 小さな特設ステージ。

 五人の男子がマイクを手にして歌っている。

 明るいアップテンポな曲調に合わせて身体を揺らし、まばらな観客を相手に、笑顔を振りまいて精一杯に歌っている。


(あっ、あの子……すごくダンスうまい……)

(あの子は歌がうまいなあ……)


 自然と、翠の足は吸い寄せられていく。


「来月デビューする新人アイドルグループの【ペーガソス】です! 応援よろしくお願いしますっ!」


 関係者だろう。腰の低そうなメガネの男が、通り行く人々に声を掛け、チラシを配っている。

 翠にもチラシは手渡された。


「――ペーガ……ソス?」


 変な名前のグループだと思った。

 チラシから目を離して顔をあげると、特設ステージでは、ちょうど歌い終えた新人アイドル達が手を振っている。

 そのなかの一人とパチリと目が合ってしまった。


(ちょっ……なんでこっちにくるのっ……⁉︎)


 翠は慌てた。

 目が合ったのはダンスの上手い男の子。

 しかもステージから軽やかに降りると、笑顔で翠のほうに走ってくる。


「俺、ペーガソスのミズキって言います! 聴いてくれてありがとう!」

「……え、と……その……」


 急に話し掛けられて、翠はどう返事をしていいか分からない。

 

「こら〜ミズキ! 女の子を困らせちゃダメでしょ……!」


 もう一人、男の子が現れた。

 身体の線が細くて、真っ白な雪のような肌に、目元を強調した個性的なメイク。

 

(わわ……すっごく、キレイな人……)

 

 しかも、とても良い香りがした。

 

「困らせてないって! あ、こいつは、ルカルカって言うんだ。よろしくなっ……」

「ル……カルカ……さん……?」

「そう! ルカルカって呼んでやってな〜」

「違う! ルカだってば!」


 ルカルカという綺麗な男子が、頰を膨らませる。

 翠の鼓動が跳ね上がった。

 ――アイドルって、すごい……。

 なんだかすごいモノに出くわした気分だった。

 かっこいいし、キレイだし、それに冷たかっただけの空気が、二人のそばでは温かく感じる。

 

「はい、これ……」


 ルカルカが翠に差し出したもの。

 ひとつのCD。

 驚いて顔を上げると、ルカルカは言った。


「辛いとき、寂しいときには、これ聴いて元気だして――」


 優しい声音。

 労わるような眼差し。

 不意に、胸の奥がぐっと詰まる。


「えっ……ちょっ……ルカルカが、女の子泣かせた〜っ!」

「なんでっ⁉︎ 僕、変なこと言った⁉︎」


 咄嗟に翠はその場から駆け出す。

 涙が溢れだす。

 ずっと抑え込んでいたものが引っ張り出されたのだと思った。

「違う」も「嫌」も「好き」も「苦しい」も「辛い」も、それから「心ならちゃんとある」や「私だってちゃんと考えてる」や、「精一杯頑張ってる」や「もう限界」という内なる叫びが、一気に噴きだしてきた。


(なんで……見ず知らずの他人なのに……っ……)


 あの綺麗なアイドルの言葉に、翠の心は揺れた。

 誰かに優しい言葉を掛けてもらったのは、久しぶりだったから……。

 それくらい、翠の心は傷みきっていたのかもしれない。



 翠は、翠にとって優しくない世界から飛び出す覚悟を決めた。

 それから【ペーガソス】のデビューアルバムをちゃんと買った。


(あの時は、逃げ出してごめんなさい……)


 お詫びのつもりでもあった。

 ファンクラブにも入ってみた。

 ライブにも行ってみた。

「ルカルカー!」と、声援を送るのがすごく楽しかった。

 ひとりきりの翠のそばには、あの日の温かい空気があって、ひとりきりなのに、よく笑うようになった。


(あの日……ミズキくんと目が合って無かったら、そしてルカくんに出会っていなかったら、私は変われなかっただろうな……)



 二年後。

 翠は、ペーガソスと再会する。

 

 そして翠の世界の核ともいえる、ルカから「好き」だと告げられる。

 翠の瞳から溢れた涙に、ルカがそっと唇を寄せる。

 あの日……堪えきれずに流してしまった涙を思い出してしまう。

 その時に感じていた痛みすら、この瞬間、愛する人によって癒されていくのがわかった。

 

 

読んで頂き有難うございます!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 翠さんの内面を知ることができて、お話に深みが出ました。 そしてミズキがここでもいい仕事を!! (なのに翠さんはルカルカ推しになったとこがまた良い!!) (おいまて、ちゃんと感想っぽいこ…
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